卒 業 生 が 観 る
高 野 山 大 学
の
異 文 化 と 非 常 識
の
か ず か ず
2002-05-31現在編成
リンク切れがありましたら、ご一報いただければ幸いです。また、ご推奨していただける優良サイトがございましたらお教えください。情報のご提供をお待ちしております。
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===> Kouyasan o Kataro
今月の学生主張
==> (ココをクリック)学長発言に一言
気まま勝手にいろいろな分野をリンクしました。
使い方次第では、各自のお気に入りよりも情報豊富かも。 息抜きに、研究に、社会の出来事を知るために、学業研究資料の検索に、そして、故郷情報をここから見つけよう・・・・たまには立ち寄ってください。順次追加更新をしていきます。
学生は、いろんなデータベースやリンク集から情報をセレクトして自己流のリンク目次を作るのも楽しいものだ。
以下に、社会人学生の目に映った高野山大学の異文化と非常識・おかしなことを列記しました。
筆者は、同大学現職教職員らから変人奇人といわれてきたものの平均的市民の目からごく普通の社会人・OBらに呼びかけ「高野山大学雑学・異文化と非常識100選」(仮題)を執筆中のため、情報を収集中。
このHPは、順次加筆していきますが、いわば、その誌の原稿の原稿抜粋抄録のようなもの。脱稿全文は、ここにはUPをしない。 HP文中の私見に係る部分の「教職員」は、「教育職員」「事務職員」らを包括し広義で使う場合が多い。厳密に「職員」の語と区別して使っているものではない。また、本文中の「学生」にあっても、自己を意味する使い方と広く高野山大学学生を指す場合とがある。「僧侶」と「坊主」「役僧」も厳格に使い分けをしていない。気のママにキーを叩いている。徐々に、用語を整理していく。
また、筆者の認識不足から、文中、事実と反する部分は、お詫びして訂正することは当然であります。もし、そのようなか所がありますれば、その部分のご指摘をお寄せください。
本文中の係る全ての責任は、情報提供者でなく、
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であることを明言する。
本学・高野山大学は、社会人を受け入れる体制システムに全くない。包括的に一言でいうならば、新学卒でまじめに学ぼうとする若者が学べる学内体制(学校組織と教員意識)にない。平均的市民が寺小屋の代名詞に想像する域にも達しない。筆者は、本学に期待して入学したのは、人生百年の不作である。
単位におびえる学生らを高野の飴玉「子ども騙し」を平然と行う一部の職員。それらが学生との窓口を一手に握り上への情報伝達を糞づまりにし、われが村長意識で「情報をコントロール」し、理事長や教授等に、その判断を誤らせる無軌道ぶり。 現に、理事長は「わたしには情報がなかなか上がってこない、上がってきたときにはこじれにこじれきっている時だ」と本音をちらり。「いつでも、直接にお手紙をくださいよ、直接だよ」とも付け加えられた理事長のおことばを関係者は知っているのであろうか。
学生を虫けら同然に扱い学生の人権とプライバシーを侵害する職員の無秩序な意識。 挙句の果てに、一方で、教室では単位をちらつかせるものの、すでに期末単位評価期限が到来しても、実習先からその評価書が届いていない(教員説明)にもかかわらず、高野の馴れ合いの社会の中で実習先にもそれを催促(催促をしても無視をされ?)もできずに、いわば実習先に牛耳られた格好で、科目担当教員は、学外実習の期末単位認定をやむなく先行なされる違法??無軌道ぶりのありさま。
そして、福祉・介護系法定必修科目(*)さえも開講していない学校挙げてのデタラメカリキュラム振り。
(*)最新の平成14年度版「高野山大学要覧」(60p参照)では、開講していると説明をしながら、実際は開講をしていない(A3版シートタイプの時間表参照)。 筆者は、入学前の照会にたいして「当然に、開講している」であった。重大な契約違反!!。 学校は、民法上の債務不履行にあたる重大な違法行為だ。
重大な契約違反!!
学生は、可能な限り隠密にもろもろを解決改善を望んできたがその見込みは期待できないほどに、学校はのらりくらりの姿勢。すでに、加行問題発生(2001-08)後、10か月を経過したが未解決(2002-05-31現在)。その他の懸案事項のどれ一つも解決にいたっていない。そこで、以下、順次、学生の主張や考えをオープンにして、良識ある多くの方々のご意見を知りたいのです。
最近の学長は「私は、忙しい。休講しても、公務出張の場合は、補講をしない」「気にそぐわなければ、履修変更を出せばいい。まだ、(期限前だから)変更はできます」(趣旨)と履修の学生らに学習方針のオリエーテーションの場で語った。
同席していた社会人科目聴講生は、おそらく「しまった!!」と思うであろう。学長は、単なる労働者なのであろうか。 ペイペイの教員なら、講義であろうと公務会議出張であろうと勤務拘束時間を消化したからという発想から「補講をしない」と宣言する者がいるかもしれぬ。 しかし、学長は、いわば経営者(理事)の立場でもある。消費者(お客・学生・聴講生)は、勉学に、学長(いや、東教員の)科目を含めていろいろな科目を幅広く履修研究するのが入学の目的だ。遊びにきているのではない。公務出張であろうとなかろうと、欠講(休講)すれば、補講をするのは、教員の学生への当然の義務。 義務を果そうとするこころの現わしを放棄し、放棄の暗黙の了承を押しつけ宣言をする教員や学校がどこに存在するであろうか。
舞台興行(学校科目)なら、公演中止(休講)をし代金を返却しなければ、詐欺になる。ファーン(学生)も、「騙された」「カネを返せ」と騒ぐ。こんなことは下々の字を書けぬ抗議を出来ぬ者でも分かること。分からぬは、高野の非常識のお方々とお布施で生きる人種の文化の世界だけに通用のことかも・・。今や、高度経済成長時代に始まった女性向け人気のかばんに代表される偽ブランド事件などなどに見られるようにいずれも平均的市民の常識の声の強まりの中で消費者を騙した企業の多くが倒産に追い込まれている。また、ごく最近では、社員の教育訓練をしていないのに「したように装い」国の助成金約4億をだましとったとされる佐世保重工業の事件らに共通するのは、経営悪化の企業ということでもある。企業幹部の勝手な論理で消費者の苦情を無視し内部告発を握りつぶそうとしていたことも共通点であるが、下々のなみなみならぬ証拠収集の積み重ねで、社長等のがん首ならべての土下座謝罪と退任に追い込まれ逮捕され、社を支えた従業員一家と株主を見捨てていく経営者の姿である。 これまでの類似の著名な事件を掲げると、三菱自動車クレーム隠し事件、東芝ビデオ事件、雪印(牛乳と肉の替え玉)事件。そして、家庭向け太陽光発電装置の仕様・定格効率をごまかし、国の助成金をだまし盗った事件(関西のメーカ名をど忘れした、記憶喚起中)。教育界では、入学前納金や授業料などの返還訴訟に26の大学が裁判所という教壇・舞台にご招待されている。これら、学校は、裁判所の教壇(法廷)に引きづり出された理事教授陣らが得意とする科学的手法を使って裁判官にどう講義(解明・いいわけ、弁論)をなされるかが下々は楽しみだ。
老学生が気になるのは、本学・高野山大学が「ぼったくり入学金・授業料返還弁護団」から裁判所という教壇にご招待をうけているのかどうかである。おーーい、誰かぁ情報をおしえてかぁ・・・・!! 話しが長々と脱線したが、もとに戻しましょう・・・・。
筆者は、早々と希望する同群他の1科目の履修を決めていたが、教員ピラミットの頂点にすわる学長の講義を聴くのも学生の義務と思う心からやりくりをして、同群内1科目必修のところ2科目をサブとして重複履修届け出をした。そして、高野生活のエンジョイ、好奇心からであるのも隠さざる学長科目履修の動機です。 学長とのこれまでの数回の面談から、筆者のなんでも覗きたいという好奇心に加えて、老社会人学生の直感・・で、「学長失言」があるであろうと予想していた。 案の定、初日に、学長の失言が「堂々」とスポーツ選手なみにたからかに学長宣誓から飛び出した。学長の発言は、労組的思想の現れ?。これは、「加行担当I(アイ)教員」は「本学は、労組が厳しく加行運営のみならず種々学校運営に支障がある。加行運営にもそれの弊害で問題を多く抱えている」と終始、いいわけのことばがあった。学長補講放棄宣言とこの加行担当教員の釈明とは、同根(労組思想)の問題を含み学校運営に世間が思う以上に大きい病巣を抱えていることの示唆に注目する必要がある。
学長は、法人理事であり教員です。学長は、失言引責辞任をなすべきです。
学長は、正規の教科担任教員でもあるのです。 休講をしておきながら補講をしないことをどう理論立てて、正当化できるであろうか。
べーこ弁で批判を続ければ「東学長は、しょうじきモノ」「東学長は、オヒトヨシ」「東学長は、ことばを選ばないお人」「東学長は、年季(期)を済ませばいい単なる数あわせの類」「東学長は、理事思想というよりも「労組思想」より」といえるであろうか。 本学の多くの教授、教員等は、正常な人格を有し人を見る目を持ち合わせているはずであるが、教授会と云う儀式ひな壇に並べば「高野飴で口封じ」され??学長選出機能が正常に働いていない証かも??。ひょっとしたら、下々俗界のへんてこな各種団体役員の選出方法なみにボスの一声で決まっているのかも・・。そうだとしたら、そのボスは、一体、誰や?。筆者が言う正常な選出機能とは、推薦とかボスのひと声で決めるのではなく選挙で決める方法をいうことは言うまでもない。
学長様へ、学生に、ご説明をしてください。私は、貴方様のこのような補講をしないという間違ったお考えが、学内あちこちに蔓延してしまっているように思えてなりません。これまで学校が機会ある度に述べてきた「学生の研究環境優先キャンペーン(施策)」はどこへ吹っ飛んだのか。東学長に「いちサラリーマン教員意識を脱皮して経営者のおひとりであるこころと理念」があればこんな失言は絶対にしないはず。
学校の学生への教育姿勢は、完全に脱線崩壊してしまっている・と、厳しく批判をせざるを得ません。筆者の主張が、まちがっているのでありましょうか。そうでなければ、全国国民、特に本学を志願する学生やその保護者、そして現職高等学校の進路指導教員等に、本学の実情を叫び発信し続けたい。
学生からの提言:学長職はすごく多忙のはず、このことは、よーく理解できる。だからこそ、定期の授業を持たず、不定期臨時的に、年数回の割りでその時々の社会話題を講演風になされ学長の存在をアピールし学生との接触の場を確保しておけばよい・・と、学生は考える。また、積極的に朝礼講話を推進なされれば、今の授業である「教学」をカバーできるのではないでしょうか。
補講をしない重なる休講で学校メンツの失墜よりも、この方(学生の提言)が現実的であろう。その場合は、演題の選択を誤れば、傍聴人(授講学生)がゼロの場合もある。正に、学長は真剣勝負そのものである。
また、朝礼のあり方も大きな課題の一つ。(学長は、朝礼のあり方を学報2001−04?で問題提起をなされているが)学長さまのお考えはまとまりましたでしょうか。 結論を聞かせてください。
学生は、藪から棒で一方的に学長の姿勢・非らしきものを責めているのではない。学長は、それなりにお考えがあっての言動かと思われますが、話し合い(交渉)に慎重になり石橋を叩きすぎているのではなかろうかと思われる部分がある。石橋もたたけば壊れる。永年の滴で軒下の石も穴があくほどだ。ざっくばらんに、時には、学生の立場にもなっていただければスムーズにことがはこぶようにおもうんだけどなぁ・・。しかし、この2002年8月で丸12ヶ月を経過しょうとしている今になってもそしらぬ顔??。
学長の講義は、どういうわけか受講生があまりにも少ない。なおも、講義を重ねるにつけて欠席者が増える。人物の人気バロメータを示しているのであろうか、それとも単なる科目の不人気であろうか。おーーい、どっち??>少ないのはなぜだろうか。本学主題科目2科目中1科目の必修ということで、その受講生は、密仏系の学生がいたり福祉系や社会学系学生も混じる中で、教学という「真言密教の教理の立場から・・」であるが為に、時には難しいことばが飛び出す。まあ、幼稚園生から博士の広範囲を対象にして授業の進めは至難の技。
学長なりに密教に出会うずぶ素人の学生に噛み砕いて説明をなされるこころ配りは(老学生は、昨1年間で宗教関係科目を積極的に修めているので)痛いほどによく分かる。ところが、噛み砕いた説明であるが為に、研究の進んだ学生から「異論」(例がおかしいじゃないかという質問、説明の厳格さを求めるなど)が出る。・・・ここで提案をしたい。
さて、その提案とは、密系学生には、この教科を免除をしてはいかがと思う。そうすることで、密仏に縁遠い学生には、もっと噛み砕いて説明が出来て、しいては、宗派の教理を学生に分かってもらえ、宗派の教理教化活動に拍車がかかるようにおもうんだけれどなぁ・・。
老学生は思う、今の方向で噛み砕いたややもすれば誤解を生むかも知れぬ分かりやすい現代風の言葉と事例で講義(説明)で続けてほしい。あくまでも「講座」(科目名は「教学講座」。他の科目に「講座」を付したものはない)である姿勢をつらぬいてほしい。
学生は、昨年(2001年)8月に発生した加行道場内の陰湿ないじめと真夜中の階段と廊下そして便所(スイッチの在りかを教えない)に明かりひとつとして消灯後は便所へ行くときの足元灯(学生の小型懐中電灯)さえも使わせず、廊下を用便のための移動中に転倒負傷(捻挫)しても「修行中だ」と学生は一喝され、某指導員の老人社会人学生へのいじめに加えて他のもう一人の指導員が、学生が所持する信仰の具である灯明具を捨てた(学生課長は、これまでに「吉田が捨てた」と発言をしている。学長はこの事実を追認ししかもけしからぬ行為とこの教員の姿勢を痛烈に批判)などおよそ僧侶・宗教家としてはならぬことをなんとも思わず平気でやらかす高野山大学教員の体質だから、話しは複雑化する。
筆者は、学校関係者と会談を重ねておりますが、学校側はのらりくらり。これに加えて、学校側会談者は、一品大衆食堂並みの日替わり定食同様に、次々と入れ替わり(理事長、学長、学生課担当者、教務課長、学部長、学生部長、学監らでタライ回しのオンパレード)、その間、日程の変更も幾度かある。その度に、学校側は、前任から引継ぎをしないままにいろはのはじめから学生に説明を求めてくるありさま。学校側は、時間を稼いで学生の卒業待ちで逃げ切るつもり??かも・・。しかし、学生は、絶対に学校の責任を逃がしません。
重ねて叫ぶ。学生は、絶対に学校の責任を逃がしません。まあ、その間、適当に泳がせておくという表現がぴったりかも・・。すでに、会談相手の学校関係者の間に、ほころびが出はじめております。学生の卒業後の自由な時間は、在高野山より一層増える。
社会人3年編入した高野山大学在学の62才の学生は、「上履きスリッパのまま、幾度にわたって便所に入り用足ししていた某学生に注意した」ところ、突如羽交い締めで殴られ負傷させられた。学校窓口である「学生課長の対応のまずさ(学長発言)」と共に、学校内で暴力事件が常軌化するその管理責任を法律的に整理してその責を求めて学校と交渉をしております。
陰湿ないじめの数々
道場内の不合理な規則(一例)いろいろ
かね儲け主義? <== 追って、順次、学生の主張・実態・制度システムの説明をしていきます。
一部の学校幹部は、大学での集団加行の使命は終わったというものもいるほどだ。なぜ、暴力いじめがが例年絶えないのかを分析をする必要がある。多くの先輩の証言を待っております。 提供者の秘密は、絶対に守ります。お約束をします。
編集担当 E-mail address WebMaster ===> Kouyasan o Kataro
学生から、2001-08 学長と理事長あての質問状・抗議文(準備中 UPのチャンスを見計らっています)。
会談経緯記録公開(準備中 UPのチャンスを見計らっています)。
僧侶(教員)が、加行学生の(箱に名入れの)線香と火元を無断で処分(学長は、捨てたことを追認した)。
道場入場者(学生)は、梟(フクロウ)か。真っ暗な廊下や階段で、夜中の便所行きにも手元灯(小型懐中電灯)の利用さえも許されず、指導教員は、夜中の巡視には懐中電灯を持っている。問答無用の学校の姿勢が許されずはずもない。階段を踏み外し捻挫負傷した学生に執拗に正座を命ずる指導員と学校の責任を求めております。その責任を負うのは、一体誰だ?。
他大学と比べて、開館延べ時間が極端に短い。
密教関係の蔵書数は日本一かも知れぬが、福祉(学科)系は、
「現行福祉六法」や「厚生労働省白書」「障害者白書」もない。
福祉系学生は、勉強も出来ぬとぼやく、最悪の研究環境だ。
福祉系教員は、授業で度々、戦後の福祉行政に関して「GHQ」の日本政府へのかかわり(史実)を述べられるが、本学図書館には、その「GHQ」関係学術書が皆無に等しい。また、他大学蔵書の取り寄せにも消極的である(この項、別に詳しく述べる)。年度はじめに示されたsyllabus(講義実施要綱)に紹介される福祉系参考文献の多くは本学図書館に見当たらない。絵に描いた餅とは、このことである。
図書選定委員(教職員)は、だれゃぁ・・・・、学生も委員に参加させてかぁ・。
図書館予算は、福祉系と密(仏)教系学科への配分は公平か。
ところが、福祉系学科の開設しばらくの間の古い単行本タイプの法令集は結構にある。このことから分かることは、学科開設当時の大学設置審議会の立ち入り検査に備えての買い入れであり、今や、そんな立ち入りもない。怖いものなしの宗教系大学が自治を叫べども、やはりお上の威厳(立ち入り検査)は、この大学も怖かったのかも・・。
本高野山大学は、仏教図書館協会(大学数:東日本地区 7校、西地区 ? 校)に、所属しているの?。 共有化は、図書館に必要不可欠だ。正に、相手学校は、高野山大学を相手にしなくなるのではないのか。
図書館間相互貸し出し(取り寄せ)制度確立を有利に展開してください。学校図書館を通じて取り寄せるよりも学生個人でそれを交渉し他の図書館を介して取り寄せる方が、絶対に有利に貸し出せ(取り寄せ)られるのも不思議な現象。
これは、高野山大学という「おかしな社会現象」の象徴か。 このおかしな現象は、本学の致命的な欠陥制度が起因。図書館職員のひとりひとりの力では解決はできぬ。理事や教職員全員の意識の改革が必要なのでは????。そして、学校は、積極的に自ら情報を開放し発信していかなければならない。
図書は使うもの、読まれるもの。紛失も盗難もありうると考えるのが司書マンの常識。人気ある図書を選び購入したから「盗られる」と自負する苦しい選択のバロメータでもある。
書籍を書庫に閉じ込め、収集マニアのごとくひな壇に並べるものではない。
他大学の例では、地方出身者の故郷情報収集に力を注ぎ、学生のストレス解消と社会常識社会教養に尽力なされているが・・・、本学は、釣った魚(新人学生)にはえさ(情報)を与えぬ宗派らしい超閉鎖指向学校?
大学の就職活動情報のコピーは、無料が教育者の間では常識であり、学生の無料利用は、固有の権利。
ところが、この大学では、2002-03までは無料だったが、今は、コピーは有利だ。
有料化の理由を尋ねたら、「コピー機が職員の目の届くところに設置していない(就職担当者の事務室より離れた別室に資料とコピー機器を置いている)」からだという。 就職担当者の新事務室は、結構に広い。ここにコピー機器と資料を置けるのだがね・・(学生の反論)。 従来通りに無料にしてください。
どうやら、有料化の理由は、学校経営のへんてこな合理化思想か。 はなれたとこにあっても、コピーを無料とすることは可能。
重ねて、請願します、無料が世の常識です。
求人企業ファイルとコピー機と相談職員は、一体でシステムのはず。ところが、本校は、「企業ファイルとコピー機」と「就職情報用コンピュータ端末と職員」は、別のところにある。
学校長さまへ なんだか、おかしくはありませんかなぁ・・。
まかりとおる学内喫煙、廊下、ロビーで大手を振って喫煙が出きるおかしな学校。もちろん、未成年者も堂々と喫煙だ。 学校は、成年の喫煙害から「未成年」を守りなさい。また、非喫煙者の保護をしてください。学校には、たばこ対策の義務があります。
学校の責務は、どこへ行ったのか。
図書館に通じる大学院棟廊下を禁煙にしてください。 図書館に通うのに、タバコの煙のトンネルを通らせるのは、学生を虫けら同然の扱いの証。喫煙をしない学生の健康を守る施策を採ってください。
学校傘置き場での傘盗難は、恒常化。雨の日には、濡れた傘を持って教室間を移動。カギ付き傘立てさえもない学校。もちろん、有料貸しロッカーもない。
また、修行道場でも、傘が無くなる。
ひとつの事実として、加行道場からいち早く先に出た職員が、他人の傘を無断持ち出したのが事の端緒だ。後続人は自己の傘が無くなっていることに気づく。雨の中、途方にこまり、他人の傘を持ち出すこととなり、某学生の傘は行方不明となった。まあ、軍隊宿舎と同じ出来事。盗られた学生が悪いのか?、先に他人の傘を持ち出した学校職員の仕業が悪いのか。 おーーい、どっち??
学生課長は「道場に出入りをした参加者全員に無断持ち出しをしたかどうかを調査した」と誠意を示すが、関係者の多くは「そんな照会はなかった」と証言する。 こんな見え見えの姑息な釈明は、社会人学生に通ずるわけがない。 学生は、宗派の学校内での連続出来事であるからなおさらとんでもない学校と批判を載らせる。退職した某助教授は、これら学校が抱える多くの事案を厳しく批判する。
学生が盗難多発の苦情を申し入れれば、個別に苦情を塞ぐ非近代的。すなわち、特別扱いで「誰にもいわないでね・・と、傘立てのカギをくれる」が、そんなカギを使いようなら、善良な学生から「不正にカギを抜き取り、(傘立てを)専用化している」と不信がられるだけじゃ、わしゃあ・・そんなカギを使えません。 学舎の両出入り口にカメラを備え付けなければならないことは恥ずかしい限り。学生(前掲傘事例の職員は本学のOB?)らへの「こころの教育」を放置してきた帰結。
学校教育は、目には見えぬ商品です。この内容では、盛り場のレストランの陳列見本だとの批判を受けるでありましょう。
住宅街の中にある食堂のように、陳列見本と実物が同一であるようなものを望みたいものです。
あるいは、お見合い写真だと騒ぐ者がいるかも知れませんね。写真館で撮影されたお見合い写真は、人違いだと思われるほどにうまく作成されている「えさ」です。面食いは、このような修正写真に釣られてお見合いの席に行くようだ・・。
新入志願学生は、じっくりと学校の真実を知ってから、入学しましょう。ホームページやパンフレットに釣られないようにしましょう。閉鎖して存在もしないクラブ(同好会を含む)を、あたかも存在活動しているがごとくに記載されている。
夏場は、客室手洗い付近臭くて手洗いもままならぬ
食品衛生法、衛生観点、下水道、排水、などの処理に、
学校(生協)側の姿勢に問題ありや? 掃除用のスポンジとステンレス束子を、食堂手洗いの水道栓のそばにいつまでおいておくのですか。ドヤ市の安売(やすうり)り大衆食堂でさえこんな横着で不潔な不細工なしぐさのところはない。 その大きな理由は、従事者が、オールアルバイト職員? 素人の集まり・・であるのかも・・・無責任時代の象徴。時間給がやすけりゃいい仕事を望めません。 時間給をあげたりやぁ・・。 冷凍解凍のテンプラ・フライは、共稼ぎの横着夫婦の手抜き献立のチャンピオンです。山内ひとり暮らしの自炊派学生の多い本学学生には、栄養素三原則を導入した献立を望みたいものです。故郷の母を思い出すようなあったかーーい献立を希望します。
本学は、未熟な人権意識を改革せよ!!。
学生の故郷(帰郷先)住所とその電話番号の公開(住所録冊子配布)は、全く必要性はない。
また、学生の自宅(アパートや貸間、ワンルームマンション)の住所や電話番号の公開も全く必要はない。
教員の自宅電話番号を、なぜ、オープンにしないのか。 学生のいやがらせを恐れての隠密か。それほどに、本学学生の資質の悪さを本学自ら証明・公認か。
学校は、教員のプライバシー(電話番号)を守って、学生のプライバシー(電話番号や住所、仮進級の公開掲示)を守らないのか。 学校は、あまりにも勝って過ぎます。学校が今もし続けてるプライバシー情報(故郷の電話番号や住所)漏洩は、民法上の不法行為にあたります。当然に、その責を負うはめになるであろう。
学校(当面、学生課長の姿勢)は、学生の人権、プライバシー、個人情報を守りなさい。
学生の仮進級か否かは、明白なプライバシーであり個人情報だ。公開掲示の必要は、全くない。
侵害もはなはだしい。
学生サポート課長の責任は、大きい。学校は、「仮進級」と名前を掲示された学生の立場を考えなさい。これら学校の姿勢が正当ならば、職員への懲戒処分をも学生に公開してください。学生と同様に教職員の山内居所と出稼ぎの教職員の故郷の住所と電話番号をも公表しなさい。
メモ:筆者は、仮進級者ではない。
学生の質に原因か。 それとも、教員の学校経営方針に不満か?。
某退職複数教員の共通の弁は、学生用はもちろん教員用の研究環境を全く整備されていないと云う。よくもまあ、諸先輩教員は、だまってこんな環境のままにしてきたものだと厳しく批判(筆者は、退職教員の新職場を尋ねて、ご意見を聞いてきました)。教員(福祉系)が学研者と自負すればするほどに、こんな大学(他大学と交流がない)で教鞭をとることに恥ずかしさを感じると云う。なるほど、福祉系教員の定着率の悪さをなっとーーーく。
福祉学科の歴史30余年だというものの、教員の定着率の悪さを見れば歴史に匹敵するほどの教育ノウハウはないといえよう。その証拠に、学科名の変更はネコの目のごとし。そして、蔵書内容は、お粗末なもの。法定専任教員数のすじあわせに奮闘しているのも見え隠れ。14年度は、福祉専任教員は、たったの1名だ(着任2〜3年目)。これらから、福祉学科の歴史30余年だというもののそのノウハウ中身はないに等しい、新設校にも劣る恥ずかしいカリキュラムかも。某教員にあっては、本学を継続的に病気休講しながら他校で教鞭を実行しているのを、有志学生がその現場を写真撮影をして高野山大学に真相を求めるが、学校は「その教師の病気休講」と主張する一方で、その教師は「高野山大学に辞職を提出し認められた」と真っ向から対立、さて、どちらが正当な主張ですか。 こんなことが、坊主(僧侶)の学校理事者のすることか??。
どうやら、便所の掃除を毎日実施していない模様だ。 汚れたままにするから次々と汚す。
汚すなという発想よりも、綺麗に使っていただいてありがとう・・の発想が必要。
女子学生の証言によると、学内女子便所にはアンネの汚れもそのままに放置している場合があるという。 こんなに女子便所の汚いことから想像するのは、その内に、女子便所に「生み落とした子」が放置されてもおかしくないともいう学生がいるのも事実。
伽藍へのいたずら(落書きなど)に堪えかねて、最近にその周辺にカメラを設置し効果があると宗派幹部は云う。高野山大学内便所にもカメラを設置するのも間近か。困った学校だ。こんな学校に在学していることに恥ずかしい。知人・友人らの子どもさまの本学入学を勧められる訳がない。筆者学生は、今後、積極的に、周辺の高校生や社会人らの大学進学に対して高野山大学を薦められないであろう。 その理由の一つに、法定必修科目さえも開講されていないのは、むちゃくちゃだ。 関係者は、関係(特に、福祉の)法律を分かっているのか。 重大な、契約(学生受け入れ条件)違反である???。
食堂客室手洗い場に食べ残し(うどんの汁)を流させる食堂の姿勢
その汚れを見ながら、セルフカウンターへ進まなければならぬ食堂内動線になにも感じぬ指導者たちの神経に、良識ある多くの学生や教職員らはあきれています。手洗い液体洗剤は、穴が詰まって出てきません。毎日の衛生環境点検をしていない証拠だ。手洗い乾燥機もない。いまや、これの常置は、必需品。
いつしか、消毒器を置いたり引っ込めたりで、OBの声に「本学は、何ごとにも花火閃光」だという批判も根強くある。継続性がないということだ。いうに及ばず、図書館便所には、もちろん、手洗い消毒器がない。 おしっこをした手で手洗いもせずして蔵書をさわりちゃんこされていることを、関係者はなんともおもわないのでしょうかね。図書館の手洗い場は、手を洗おうという雰囲気環境にはないといえるであろう。手を洗わず出てくる人の気持ちもわからんでもない。わたしは、ちゃーーんと洗ってます。ハッハアハアーー
夏場は、食堂客室手洗い付近は、臭くて手洗いもままならぬ。
食品衛生法、衛生観点、下水道、排水、などの処理に、学校側の姿勢に問題ありや?。
本の取り寄せに、1週間ないし2週間も要するのは企業(生協)として商売をする気はなく客(学生)へのサービスの放棄であると断言してよかろう。今や、E−mailで注文したりファックスで出身地故郷の本屋に注文すれば、大方の場合、2日後には自宅に本が届く時代。月刊誌を取り寄せてもらうのに1週間ないし2週間もかかっていたら、新刊本の値段で古本を買うようなものだ。
こんなところにもおかしな古々時代の高野山大学の環境だ。営業時間にも問題大いにあり。食堂や売店・書籍売り場は、学生の動向時間、嗜好品を研究すべし。現況は、生協の自滅行為でなかろうか。
再生ヒントは、企業内生協売店のシステムをご研究なされたらいかが・・多いに参考になるであろう。
昨年同様、これから(この項2002-06追記)夏に向かって店内にクーラーもない換気扇もない(昨年は動いてなかった)しかも、低温ショーケースの排熱気で室温は蒸し風呂状態? 店に足を踏み込むとさわやかになるどころか気分が悪くなる店内環境。このような学内ストアーに誰が立ちよるであろうか。店販売員が大きなタオルで汗をふきふきお化粧もはげて素地で店番をしていても売上は減少の一途??。店販売員さんがかわいそうです。学校近くの24時間開店?チエーンストアーが、本学学生で繁盛しているおかしな珍現象。
特に、学舎玄関前のチュウインガムの吐き捨てでタイル階段は、無残にも黒斑点模様化している。 ここを教職員は、通らないの?。このよごれをなんとも思わないのですか。 車の立ち去った車幅の両端には、ドアを開けて捨てたと明らかに分かるほどすいがらポイ捨ての固まりが規則正しくほぼ等間隔であちこちにある。 中には、ビニール袋に入れられ捨てられている生ごみも車に引かれて散乱しているときもある。 これらが宗派を母体とする最高学府教育現場?。 聖地高野を想像する世の人は、これを見てびっくり仰天をするであろう。学内あちこちに、タバコのすいがら、空き缶の散乱もある。
非常勤講師は、ポツリとこう語った「お寺の学校であるから、もっとマナーがいいかとおもったが・・いろいろなことを見てびっくりしました」、この非常勤講師は、やはり、老学生には、声をかけやすかったのかも・・。これも、本学教職員の無意識非常識ことなかれから生じる学外非常勤教員の厳しい声であり、職員が、学内の風紀の乱れをなんとも思わないでそのままにしている姿勢を学外講師に厳しく批判をされているのと同じ。ああ、はずかしい・・と、老学生は嘆く。
また、神戸在住の名物講師は、国内あちこちで講演して新聞テレビラジオなどで結構に有名人。この講師は、これまでの講演先でぼやいたことはない(各地の講演主催者マスコミの談)。しかし、本学年1回(90分)の講義で開口一番、私語がいつまでも続きごったかえす教室内の学生に向かって「しずかにせんかい、いつまでしゃべっとんやぁ、そんなにうるさいと挨拶(自己紹介)ができんやないかぁ、ここはお寺の学校とちがうのかぁ」と神戸弁で大声を発した。 これが、本学体質を象徴しているよう思える。
ここ高野山大学の学生は、お客様(特別講師)を丁重にお迎えし日ごろよりもかしこぶって講師の説明に傾聴をすべきごく普通の礼儀を知らない。その中に、寺生として泊り込みで修行中の学生が多く含んでいるのも特徴だ。そりゃあ、その師匠(僧侶)に常識さを問われる時代なんだから仕方がないのかも・・・。「先生と坊主は、・・・だ」との揶揄することばを思い出す。
老学生は、この特別講師とも長年にわたり面識もあることから、『ここは、坊主の学校ではないようです。すずめ(雀)の学校であるのかも・・』と伝えておいた。童謡に、すずめの学校、ちいぱっぱぁ・・・おしりをふりふりちぃぱっぱぁー(ここをクリックすると歌 mm分ss秒 xxKB が流れます 編集中)
筆者のこのことばに叩き込むように、そばに居た某学生は「姫路にあるトラやライオンを膨大な敷地内に放しぱなしで見学来園者を楽しませてくれる猛獣ワールドパークみたいなもんですよ」と、わが学舎の現況を叩いた。もちろん、学び舎を愛するからこそ、改善を期待することばであることは、彼の日頃のことばからよく分かる。
付け加えれば、多くの高野山大学学生が高野山高校出身の学生の授業姿勢を意識するのは、なぜだろうか。 読者が、これをいい意味? 悪い意味??・・かを、考えていただけばよい。 ごく最近(2002-06)にも、高野山高校卒業の本学学生が、新入生を殴っている(*)。兎に角、高野山高校経由の本学学生には、モラルがなさすぎるのが目立つ。おそらく、高校寮生や寺生時代に先輩悪ガキからいじめを度重ねて受けているからこそ、いじめられたからいじめに回る図式は、多くの社会学者や心理学者によって解明をされている。老人ホームや児童施設内での虐待もこの図式だ。(*)殴られた新人学生は、親を介して殴った学生に慰謝料と治療費と損傷させた物品の弁償を請求、殴った学生は、学生の身分では高額ということで到底期限内に工面を出来ずに、カネを友人学生等に頼って賠償している(筆者は、両人に確認済み)。
人間は、どんなに腹を立て切れても、暴力はあかん。学校は、早急に校内暴力防止の対策キャンペーンを講じないと、そのうちに、大々的にマスコミに「高野山大学は、暴力暴行多発学校」とさわがれることにもなるであろう。
読者なら、満員電車の中で若い女性の超ハイヒールの先の細い踵(かかと)で踏まれたらどのような対応をなされますか。 ある人は「足を踏まれる状態であったことに対して「ごめん」」という。「(こころからの)ごめん」の一言で喧嘩にはならぬがこの人の常日頃の処世術。
学生は、学校に、学校が学生等に住宅斡旋した条件と異なる家主の姿勢を苦情申告(訴え)し、救済を求めても、学校(学生課長)はそ知らぬ姿勢。
入学オリエンテーションでの学生課長が「体をはってでも学生を守る、学業に専念をしてください」と大声で挨拶宣言なされたことは、大嘘・大見得か。 あるいは、ドブ下の舞台芸か。
学生は、学校の斡旋を何ら疑うことなくこの家主とかかわりを持ちました。ところが・・・。
学校へ抗議:悪質不動産業者(家主)を、学校出入り業者グループから締め出しなさい。他の学生も同様の苦情にあります。学生に、悪質家主を斡旋・紹介しないでください。複数の学生が、町役場に救済を求めていることもわかっております(町役場談)。 学校も町役場も、まじめにこの問題に取り組んでください。家主がする水道代の水増し請求は、詐欺行為同然であります。
学生から家主への内容証明郵便の全文(ココをクリック)
学校あるいは学校生協は、県又は大臣から免許を受けた宅地建物取引業者なのでしょうか。そうではなさそうだ?。
宅地建物取引業とは、建物の(中略)賃貸借・・・(中略)媒介をする行為で業として行うものをいう。
ここでいう「業」とは、判例要旨などから分かることは、直接の仲介手数料などの受け取りの有無にかかわらず、反復継続的して媒介などの行為をいうことは当然の理。 免許を受けずに宅地建物取引業を営むと法違反です(法12条違反)。
高野は、治外法権の町か?。日本は、法治国家。高野といえども法治の町。学校は、いろいろな法を守れ。学生サ課長を含めて職員らは、平均的市民が持ち合わせる社会常識・知識を持ちなさい。高野の非常識を払拭しなさい。
学校法人理事長や学長らは、社会の平均的知識と技能を持ち合わせている者を学生サポート課長にして、秩序ある学校創りに当たらなさい。 学生は、被害者です。このままでは、学校は、諸般状況を考えてみれば加速的に陥没してしまうように思えてなりません。
筆者に人事権があるならば、癌・高野山大学の末期癌病巣には副作用の強い特効薬を使います。裁判沙汰になろうとも、「学生(サポート)課長」を即刻懲戒解雇をします。仮に、それがダメなら、1か月予告手当てを支払って「解雇」をします。 それでもダメなら、割増退職金を支払らってでも「辞めてもらいます」。それでもダメなら「裁判敗訴」を覚悟の上で、解雇通告・追放をします。 長期化する裁判の決着がついた頃には「彼の存在観」はなくなっているであろう。退職割増金なり裁判敗訴賠償金は、学校運営正常化の先行投資金あるいは正常化資金というわけだ。まあ、国が採って来た旧国鉄労組対策の手法を真似ればよい。 筆者は、彼・学生(サポート)課長の存在は@学校運営にマイナスこそあってもプラスにはなっていない、A合理的理由で学生を説得させる技量は全くない・・・、ただ、恫喝と地声の超大で子ども(学生)を伏せているにすぎない人物だ・・と確信する。 学内関係者から洩れてくる彼への評価は、課内の部下や教授や教員へは当然に、学監(常務理事的存在?)であれ学長であれ構わず「大声」で恫喝する人との声るものの、理事長へは借りてきた( ?? )のようだという声がある。
筆者と学生部長との会談時に同席していた学生(サポート)課長は、突然に、その会談に割り込んできて大声で学生の主張を遮る場面があった。 部長はこのサポート課長に感情的発言と会談の秩序を壊すような発言を慎むように促すが、課長は聞き入れずどころか矛先をこの部長に向けるありさまだ・・、やむえず、学生部長は、この非常識な課長に退席を命じた。こんな場面の証言は、学内職員のあちこちから情報が入ってくる。 しかし、本学は、彼への懲戒権というものがあるのかどうか・・一向に彼の姿勢は改まる気配はない。
ちと古い情報だが、とことん信頼出来るネタだから披露しておこう。その情報とは、某氏が、彼に説得して辞表を書いてもらったが、ある某氏が彼を「復活」させたという。
本学幹部の声に、驚き桃の木山椒の木・・、「本学労組が怖い」という。労組員のしたい放題が実情か、到底、人事権の及ばぬ「理事」と「職員」のおかしな関係にあるようだ。
学校がしている借家・間貸しなどの賃貸斡旋行為は、業法違反(無免許営業)の疑いがあります。 学校のご見解を聞かせてください。
学校に重ねてもの申す!
学生のプライバシーを侵さず個人情報を漏らさないでください。
図書館は、非開架式
ここ大学図書館は、新着本(新刊・古書)・雑誌・古文書の区別なく非開架方式(*1)。学生の立場からは、開架式が当然のはず。なぜ、ここの大学は、非開架式なのか?。その理由は、いいかえたら、図書の盗難が多い? それとも、公表蔵書数に疑義がある? 図書館利用学生が少ない? それとも、図書の利用促進の学校の責務を放棄し図書の所蔵管理に没頭か 学生に盗られた困る?。 不特定多数を対象にした自治体のお上図書館でさえ、開架方式が図書館運営の主流(*2)
非開架方式であるのは、単に、図書館スペースが狭いだけでは、非開架式を合理的に説明しきれない??。開館日数(時間数)は、他大学校図書館よりも極端に少ない(*2)。
ここで、図書館某若職員の説明を披露しておこう
学生のQ なぜ、開館日数が少ないのですか
職員のA 利用者が少なく、開館すれば電気代や冷暖房光熱費が要るが、
予算の削減で、到底、それをまかなえない・・という。
学生の再Q 利用者数を教えて? 予算を教えて?
などなど・・Qをするが、「うるさいなぁ」の??。
もちろん、答えが返ってくるはずもない。
現行人員と予算内で、学生へのより充実したサービスは可能である
(一例:いわゆる36協定実施)。
卵(利用員数の増)が先か、
鶏(開館)が先かの論になりそうだ。
図書館職員(いや、学校)にもの申す
学生が使える環境つくりを忘れないでね。
注目しなければならないのは、この学校図書館の学生数・公表蔵書数に見合う図書関連予算が、同規模学校に比べて少ない?。一方、図書館職員数は平均の上を配置? 贅沢だよ。学生を犠牲に、生活の踏み台(職場の確保)にしないでほしいよ。
複数の大学に在籍し学校図書館の制度や資質にそこそこ知識を有する筆者(学生)の経験とカウンター(リファレンス)職員の対応振りから思うに、司書員数は他大学に比べて極端に少ない??。ほとんどが(2001年12月現在)、司書資格をもっていないと断言してもよさそうだ。司書資格所持者は、1〜2名??。あたるも八卦、あたらぬも八卦。 図書館情報(大学・大学院に似合うふさわしい案内)に精通した専門職(司書)を配置してほしいものだ。
リファレンスカウンター(学生側)に、椅子がない。職員はカウンター内部で座って、学生は立ったまま、リファレンスカウンター(物理的高さ)が低いと、学生の姿勢は不自然な形となります。
多くの大学図書館のリファレンスカウンターには、相談者・学生用の椅子があるのが今や図書館の常識。且つ、低いのも図書館の圧倒的傾向だ。ひよっとしたら、本学図書館のカウンターが銀行強盗防止のように高いことは、暴力学生との隔離化を狙ったともかんぐりたくなります。銀行・役所も、カウンターを低くしていますよ。
蔵書数も大切な数値ですが、レファレンス担当(相談員)の質いいかえたらその目安は国家資格の「司書」の数だ。本学図書館司書数は、筆者の直感で「たったの、1ないし2名」だ。あまりにも少なすぎます。予想される書庫への入室の自由化が進むと、この司書は残るものの他の職員はどこへ転属?。一層レファレンス業務の充実を望みたいものです。リファレンス職員の理想は、必ずしも「司書資格」にこだわる必要はないが、論文経験があったり著書経験者、図書分類システムを熟知したものが望ましいことは当然だ。単なる学生の指示(図書番号)に従って、書庫からその本を運ぶ「お運びやさん」に終始されては困る。 現在の本学図書館システムを、再考ねがいたい。
図書館職員のみならず、旧国鉄の雇われ経営者(鉄道省をひきづった公務員)は、戦後引揚者の雇用対策から家族主義をうたい文句に、全国各地でひとりぐらをムリに雇用してもよかろう・・の無計画な人事策を採ったが、これに似た感覚で、高野山大学も、次々と人脈圧力により増員していった匂いがする。その結果の犠牲者は、在学生である。 福祉系蔵書の充実がままならぬほどに、本学経営の悪化に傾いているのではなかろうか。いや、福祉系学科を犠牲にした密仏系教科の胡座か?。
図書館の若職員は、学生の開館延べ時間の延長と図書購入要望に対して「カネのかかることはできひんのや・・」と云ったが、この言葉が、学生の耳から今も離れない。 学生は「学内のあまった職員ひとりの減(首切り)で、年間1000万円は浮く」、これで福祉系図書はあっという間に増書充実は可能だ。と・・、老学生は、訴える・。
本学図書館職員に読んでほしい本
□ 『図書館員の倫理綱領』
最新増補版。 いうまでもなく、付属書であるこの解説書もじっくりと鷹の目で読んでほしいものだ。もちろん、本学図書館にはなかった。 とにかく、本学図書館の職員によんでほしい。 学生が、職員らに何を訴えようとしているかはこれを読んでもらえれば分かるはず。 わからなければ「ギブアップ、おまえの主張がわからんのや」とメイルをください。
□ 『現在の図書館』Vol.39 No.1 2001-03
記事 特集「司書」という職業 専門職としての大学図書館員の現状と将来
□ 『図書館雑誌』Vol.95 No.4 2001-04
大学図書館の展望記事がある。
懸賞付き 本学高野山大学の教職員(図書館職員含む)・院生・学部生のいずれか、第一番に検索成功なされた者に1万円を差し上げます。
筆者が某図書館より開架式図書館で見つけた「書籍」(書名と著者名、出版社名、ISBNコードなどを伏せてます)を、全国図書館ネットシステム(コンピュータ)でずばり見つけ出したら「1万円図書券」を贈呈します。
それほどに、分類手法に馴染まない特殊な本や題名も存在するのです。だから、多くの学生は、開架式を望むのです。この本の題名は「中身をずばりいいい現している」が、コンピュータやカード検索に不向きな「書籍名」と「書籍検索キーワード」であるのです。
回答応募者は、検索式もしくはキーワードをお示しください。
懸賞告示 おわり
ここの図書の検索は、カードとコンピュータで探すシステム。社会・福祉学(科)があるにもかかわらず新聞記事検索データベースシステムや白書・福祉法人名簿もなく、宗派の寺院名簿さえも貸し出し不能だ。新聞縮刷版は、朝日1紙のみしかない。こんな状態で社会(福祉)学の真理と実証を記事から探るのは至難の技。
。
呪文を唱えて真理を見つけろ・・であろうか。多くの大学図書館では、数紙(数社の新聞社)の縮刷版(or On−Line system)を常置し学生の研究に協力を惜しまずふんざんに出費をしているんだがね・・。関西のキリスト系某大学では、コンピュータの印刷出力の費用(用紙代)を徴収せずふんざんにプリンターを使わせてくれるところもあるほどだ。 問題のこの高野山大学は、世間相場の学費を徴収しているが、設備の充実度は、世間相場の下の下の下・・・???。大学図書館の実情を記した「図書館協会公表の統計書」も、この大学にはない?。学生に読まれると困るのであろうか。
そして、「最新版」の、「福祉関係法令集」「障害者白書」「社会福祉六法 13年版」さえも、図書館にはない。社会福祉の憲法である「社会福祉法」もなければその逐条解説書もない。国会厚生委員会の審議録記録もない。 ないないずくめ・・・・・・。
福祉系学科が存するにもかかわらず、「最新版厚生労働省白書」もない。学生が福祉制度をより知る為のものとして行政の「基本行政通知。処理基準」(概ね15万6千ページ全揃えで67冊)を蔵書していない、また、これに替わるものもない。地元の「高野町条例集」もない。宗教・仏教系大学の社会福祉学科の某大学と蔵書図書名を対比するとおもしろい結果が現れる?かも・・。
最近、卒論の準備をしてて分かったことだが、
本学には、最新の六法全書もなければ福祉に関する審議会行政答申集もない。 更正保護(今や、社会福祉の範疇だ)に関する研究をしたくても現行日本法規集(*)や小六法書さえも全くない。もちろん、これに替わるものもない。
「小六法平成元年版が、図書館の最も新しい蔵書」と聞かされ、驚き桃の木山椒の木。
今年は、平成14年だよ・・・・・・・・。本学教育者等は、空海和尚とともに奥の院で寝むっているのでしようかねぇ。寝心地は、いかが??。
(*)最も権威のあるものとして、法務省編集「現行日本法規」全117冊、18万ページ。
シーボーム委員会報告書やバーレイ報告書の原文(現地語編集)もなければその訳文もない。
大学図書館に所蔵していない理由は、なんでだぁ!!。
福祉学を学ぶものとしては、一度は読んで措きたい原書、且つ、その原書を読み報告書内容の精神を知っておくのは、福祉学を学ぶ基本姿勢のはず。
学校関係者は、所蔵していない合理的な理由を公表してください。説明を求めてもその答えは勿論ないし、他から取り寄せようともしない。
よくもまあ、こんな状態でも、大学の図書館か。 我が学生の所(書)蔵(庫)よりも劣る?。
こりゃあ、高野山大学内に、非常識な学生と教職員が増殖する訳だァ(ごめんちゃい)。
おーーーい、老学生主張と学内常識(教職員と学生)とは、どっちが変人奇人???。
こりゃあ、後掲の和歌山県内図書館ネット(コンソーシアム図書館横断蔵書検索システム(ここをクリック))接続をできるわけがない理由もわかーーーる。 図書がないから接続させないのが第一の理由であろう。
博物館と図書館は、目的が違う。 大学図書館は、博物館でもなければ古文書館でもない。
学校関係者殿へ 学校教育法で云う、大学図書館の目的を知ってくださーーぁい。
福祉学科教員の異動(任意退職)が激しく定着率の極端に悪い理由はなんであろうか。社会福祉関連学会・学者らの論文を収集所蔵していないに等しい。こんな環境で、教員の定着率も悪い。ここ数年の本学教員(福祉系)の異動は倒産前の会社人事に似ている。
学内生協売店や図書館そして学内どこにも、学生が使えるカラーコピー機がない。今や、街角のコンビニや家庭にもカラーコピー機がある時代 <== 学生らの8か月にわたる抗議と要望で、2001-12にやっとカラーコピー機を1台導入されたが、用紙は再製紙。
仏教系画像の複写は、折角のカラーコピーも値打ちは半減。筆者の出身地12万人都市の公共図書館では、カラーコピー機にはカラーコピー専用上質紙が備え付けられている。もちろん、この自治体は、国際文化都市を自負しているところでもある。
高野町は、国際遺産文化都市登録運動に翻弄しているが・・正に、学校のすることなすことは「遺産」の文化。教職員らに「近代的」な文化・常識人になってほしいものです。 また、これらコピー機の用紙の挿入方法(用紙トレーの向き)がちりちりばらばら異なるから、ミスプリントが多くなる。 でも、ミスプリントで学生の費用負担が増えても、学校は、反比例してかっちりとその分の増収となる。 本来は、同方向用紙の設置(トレーの向きをそろえる)に統一すべきです。
和歌山県内の各大学や公共図書館で、図書館ネット(コンソーシアム図書館横断蔵書検索システム(ここをクリック))を構築されておりますが、残念なことに、高野山大学はこの公開電子ネットに参加されておりません。その理由は、?・・・ 。
高野山大学の学長は、このシステムの推進役・副会長でもあるだけに高野山大の未接続を、学生から不満続出です。ひょっとしたら、図書が公開するようなものがないのかも・・。最近、新刊書らしきものの整理をしているところを連日見受けるが・・見世物商品(コンソーシアムシステム参加に備えての購入か?新品?蔵書の整理)の番号付けか。
時代の流れと地域コミニテイの連帯の責務から、高野山大学にこのシステムに参加を強く望みます。高野山大学は、他大学と同様に、補助金・助成金の類を国民(税金)から交付され受け取っております。他大学と同様に、高野山大学が、積極的に、大学間の交流を積極的に中身のある展開をしていただくよう提言し、このシステムへの参加を強く望みます。
未だに、図書の検索は、一部コンピューター検索があるものの、大方がカード式。そして、非開架式。図書の図書閲覧(貸し出し)には、@閲覧貸し出し申請書、A署名、そして、B写真付き学生証の3点セットで・・やっと閲覧にありつける。・・しかし、開架式で中身を分かって借り出してものでないから全く期待はずれの場合もままある。こんな大学図書館がどこにあるだろうか。閲覧後に同図書の館外貸し出しとなれば、同様の手続きを繰り返しである。この場合には、お上の印鑑行政に劣らぬC押印(図書借用書の差し入れ)をさせるのである。今時、通学するのに「印鑑」を必要する学び舎があるであろうか。
しかしである。本を返却しても、借用書の返却をしてもらえない。悪質高利貸し(サラ金)のシステムに似たり寄ったり。 現に、「返却している」のに、未返却の催促があった。 <== 調べてもらったら、消しこみを忘れていたとの回答あり。 再発防止のためにも、やはり、学校は、借用書を学生に返却すべきです。
不満はまだまだある。
学内IT化の遅れは、ひどいもの!
学生が、学外の学術文献の検索に使えるコンピュータは、たったの2台(図書館カウンター職員の監視付き)。しかも、データのダウンロードをさせないのです。データを覚えて帰えろであろうか。データは、漫画なみか、いや、多くの教員らは、他の学術文献をインターネットを介して得ていないのかも・・。だから、高野の非文化人がうようよ?。高野町には、「文化通り」という町名さえある。この町には、どのような文化人がお住みかを????知りたいよ。 なぜ、ダウンロードをさせないの??。
図書館若職員の釈明は、ハッカーが怖いという。 しっかりとガードをすればいい。 コンピュータの世界で、ハッカーを恐れるならばコンピュータの電源をOFFにしておけばいい。恐れるのではなくバックアップ態勢を充実し整えればよいのです。 学生を信じなさい。学生をわが子と思いなさい。
いや、教職員は、これら悪ガキに対応するには、ぬるま湯につかって古い情報(知識)のままでなく、学生の悪る知恵(ごんた)を上回る知恵(退治のテクニック)を持ち合わせたらいかがですか。
極論を言えば、校門を閉め、学生を図書館や学校敷地に入れずに自由翻弄させ、授業料を納めさせて4年後には「学士」を与えればいいのです。
図書館の若職員は、二言めには、「著作権法」と「ここの図書館は、文化財指定を受けている」を口実に「いろいろと図書館利用方法に制限がある」といい訳をなされるが・・。
学生の意見反論を掲げておこう
@「著作権法」には、データのダウンロードをさせてはならない
・・の規定はどこにもないよ。
A開架式にすることを、文化財指定では禁止しておりません。
学生は、合理的なご説明を受ければ納得をしますが、口先三寸の説明では納得できません。
経費的・設備的に開架式に改築不能・無理とするならば、現行の大学院生らに自由に書庫に出入りさせているのと同様に、学部生にも今のままで書庫へ出入りをさせればいいのです。そして、書庫出入り口で、不正持ち出しを厳しき監視をすればいいのです(学校は、学生を信じる姿勢を持ちなさい。学校は、宗教の教えを忘れ捨てているのではなかろうか)。
書庫の明かりを規定値以上を確保してください。あまりにも暗すぎます。非常灯を設置してください。学生の出入りをさすには、あまりにも防災上無防備過ぎます。南海地震を意識しないのですか。日暮れ時に停電でもし、災害が発生したら避難できません。避難誘導灯もありません。非常口表示もありません。建物には、2方向の出入り口が常識です。まあ、こんな建物が消防法に適合するわけがない??。これも、高野山の馴れ合い行政、下々、弱者(学生)を虫けら同然の姿勢の現れ??。無法地帯の証拠かも・・・。
学生も可哀そう、そしてここで異議を唱えることを出来ずにもくもくと働く図書館職員も可哀そうで同情に堪えぬ。
学校は、いろんな法律を守れ。日本は、法治国家だ。 学生の安全を守れ。高野の町も、日本じゃ!!。
学校理事者殿へ なんとかなりませんかなぁ。
筆者は、大震災を経験したことからこんな怖い建物に出入りすることを躊躇します。
よーーく、大学という学校図書館の目的を考えてください。
関係の法律・社会情勢・図書館新システムを研究熟知するのも、職業人(図書館職員)の常識だよ。 図書館職員は、倉庫番ではないよ。、
個人的複写は、著作権法で保護されております。正々堂々と複写は出来ます。
データのダウンロードは、法律的に許されております。コンピュータの設定を、ダウンロードできるよう変更してください。
本図書館には、新聞閲覧台はない。なぜ??。新聞閲覧台は、図書館の必需品でないのか??
本図書館には、雑誌(月刊誌)の類の常時閲覧が出来ない。定期購読月刊誌専用ボックスがない。月刊誌ボックスは、どこの大学でもある!!。
本図書館は、受贈図書の取り扱いが粗雑だ==> 老学生が関わる某専門学校の創立記念誌とこれら本の外に多数を町焼却場に持ち込み捨てるている(図書館職員は、具体的に書籍名の記憶と記録はないがと附言し時期的に学生が指摘する頃に捨てたことがあると、認めた)。けしからん行為だ。
盲人福祉に係る文献集も捨てられていた(2001-06
本学ごみ捨て場)。本学の姿勢は、あまりにも無神経すぎはないですか。 密仏以外の図書をこうも簡単に捨ててもいいのであろうか。
おーーい、責任者でてこーーい!!。福祉系大学の紀要(研究)誌を、受贈されても(一方的に送られてきても)保管しないという(図書館若某職員の2002-06説明)。むちゃくちゃやあ・・・まじめに討論をしませんか。
AV再製(音声と画像、ビデオ)マシンが1台もない?。図書館で、どのようにしてこれらを鑑賞できるのでしようか。
2002-05-30 : AV再製(音声と画像、ビデオ)マシンは、図書閲覧室外の特別閲覧室にあることは、分かった。どれほどの学生がそれを認識しているのであろうか。 どこにも、そんな案内看板はない。どうみても、このルームが、AV再生ルームであるとおもえるであろうか?。この部屋は、密室状態になりやすく若者の不純交際場所にならないのかなと案じます。AV再生ルームのドアーを替えた方がいいんじゃないでしょうかね。
中学校や高等学校の密室保健室が、気分が悪いと男女が掛け込み不純交際場所になった事件を思い出す。
学生が入っている狭い狭いベニヤ板一枚のボロ貸間では、鑑賞・視聴はできません。
本大学図書館は、学生が利用できる環境作りを忘れている。
学校理事や教職幹部は、他大学の設備をあまりにもご存知でなさそうだね。知ってても、蓄財に走り学校教育の理念を捨ててしまったのかも・・・・。
学生のマシンをLAN(WAN)接続をさせてください。学生のマシンで、学内・自宅から、本学図書館所蔵検索をさせてください。できるようにしてください。
学校は、学生が多くの市民に対し凡字や漢文形式などを使った密仏教に関して発信(ホームページ)が出きるように、凡字や異字体漢字の外字サーバーを契約してください。このことは、宗派の布教活動にもなるのです。
学生が、学内の図書検索に使えるコンピュータは、図書館に6台。就職活動情報の検索に使えるコンピュータは、就職案内ルームにノートパソコンが2台。いずれも、その画面は、脇から覗き見はできる。 就職情報集めは、学生間のいわば戦場の筈。ところが、その内容は、首を横に振れば、その情報を丸わかり。 苦心して集めた情報は、隣の学生に丸分かり。 教職員らは、ちっとも、学生の苦心を知りません。まあ、ここの大学のコンピューターは、男が並んでする行儀の悪い立小便のよう。 せめて、小さな仕切りものをほしい・・・。
学生が、自分のノートパソコンを学校に持ち込んでも、LAN(WAN)接続をさせてもらえません。 学生のコンピューターネットIDアドレスも付与されてません。言い換えたら、そのような設備になっていないのです。
試験よりも出席重視
いいかえたら、出席さえすれば単位を貰える?。代返もへっちゃら。
期末試験時間中に、監督は、大きな声で学生のフルネームを15分間も要すほどの多数の氏名を読み上げ点呼を採る。<== 答案を見れば、出席の有無をわかるいに、点呼をし続けるのは、試験の出来具合・採点りも出席を重視している証。また、代返も堂々ととおる。点呼で返事をした数と答案枚数との差をそしらぬ振りで出席回数で成績を付される??、まじめに、期末試験に挑戦しているものにとっては、この試験場内の大きな声での点呼は大いに迷惑、受験生は、答案に集中できません・・という声があちこちから漏れてくる。
「本学の偏差値は、全国最下位から2番目だ」と蒙語する教員(他大学でも教鞭教えているらしい)が存するらしい(他大学学生の知能と学生意欲比較でご意見を述べるおられる。ナルホドなっとくじゃ!)ほど(他学生の証言)。
でも、超優秀な学生もいることを忘れてはならない。要するに、その在籍比率のバランスを崩し、目先の利潤追求から質の追求よりも定員数を満たすことにひと走り。無秩序?に学生を受け入れている?本学の教育方針に問題がある。正に、本学の自殺行為である。学生数の減は、少子化の社会現象に関係するのは微少でどの大学も少子化現象は共通。
しかし、高野山大学の入学生が激減し続けるのは学校経営理念を社会(特に、高校教員)から厳しく批判されている証。 多量留学生を最優先して経営している東北地方の某短大事件(中国人不正滞在事件に荷担か?、報道され、信用失墜で学校名を変えるほどに社会的責任を追及された事件)と似たりよったりの経営理念か。
授業中に、机に足を乗せ、その足元を教員に向けて椅子にねころがって鼾(いびき)をかいていも、教員は、ひとことも注意せず。こんな格好でも、教室に入れば、この学生は、出席にカウントされて単位を棚から牡丹餅式で貰える(もっぱらのうわさ)。このような学生に見られる特徴の傾向は、寺院名入りの作務衣姿である。ひょっとしたら無条件卒業単位保証の「特権証」なのかも・・とも声がある。
授業開始直後に出席カードを出し、堂々と「今からアルバイトに行く」と全員の点呼を終わらないうちに退席する者が存在する。教員が諭しても「カードを出したから出席や」と退席するおかしな学生の居るのも事実。ここの大学はおかしな学生集団?の学校。その逆もある。授業終了5分前に、常軌的に教室に入ってくる某学生一団は「遅刻」扱いにせよと教員に突っ込みすごむ。出席重視を公言するから、こんなことになるように思える。(これらの教員は、この学生一団に対してどのように単位認定をするかを見守りたい)
でも、出席重視は、ありがたいうれしい制度です。感謝しております。ありがとう。
わたしは、授業中に、机に足を乗せ、その足元を教員に向けて椅子にねころがって鼾(いびき)をかいていません。私は、老骨に鞭を打って、まじめに授業に取り組んでおります。
世の中には、荒れた公立中高校もあれば私立中高校もある。現に、地元高野町内学校女子生徒2人が、日ごろのいじめに仕返しをするために、多数の給食に便秘薬をひそかに入れて・・警察は、これらの者を傷害の疑いで補導している(1985-11-27東京で新聞報道、筆者は出張中にこの記事に接している)。
近年は、一気飲み(酒)にはじまって、各地の大学で体育系クラブで暴行事件もある。
進学に熱血燃える某私学高校の進学指導教員は「うちの生徒がどんなにでき(成績)が悪く、高野山大学に入学しやすくとも、うちの高校から高野山大学へは絶対に進学をさせない」という。
高野山大学の教職員らは、このようなショッキングな声を知っていますか??。
休講が多い、50パーセント前後を下る教科もある
いいかえたら、教員のさぼり? この教員の悪知恵から学校側の管理のずさんに便乗しての休講制度を悪用?? 教員数に偽り? 教員への待遇が悪く、働く意欲なしか? 。
休講が多くとも、補講に出席したら単位を与えてきたので、学生には迷惑をかけていないといい、昨年もこのやり方だったと蒙語。学校からこのやり方にとやかくいわれたことはないという(休講の多い福祉系安場教員談・大阪)。
学生の抗議で、急遽、代りの教員が、1日4コマ(90分×4コマ)の4〜5日間の連続補講。しかも、年間スケジュールに定められた補講日程外での補講実施。そんな学習内容は、知識として残るわけもない。代替教員には、形だけの補講を余儀なくなされて誠に気の毒だった。広くて寒ーーーい教室で、暖房も効かない真冬にだった。
好きな映画や芝居の長時間連続見物でも疲れます。 本学の姿勢は、むちゃくちゃといわざるを得ません。教育内容よりも、コマ・時間を消化するに重要視。<== 暖房も十分にしない教育環境。学校利益の追求に走っている証し。中身より、形を重視(中身より、授業をしているという形のみ)する学校らしい。まあ、舞台役者のようなもの。
学校は「某教員は病気、休講だ、入院・通院の繰り返し」とほぼ6か月以上にわたり学生に説明を繰り返したが・・有志学生らはそのうそでたらめからくりに気づく ==> 学生らは、「この教員が、他校で働き(教員)、マイカー通勤をしているところ」の証拠写真(ココをクリック)を示して、学長を追及。
学長はのらりくらり・・、学生への謝罪もなければ経過説明もない、説明責任を果たしていない。面会・会談も部下に回したらいまわし。みんなが、逃げまくっている。部下は、何の権限もあたえられず上からの助言(指針)もないのに、学生と意味有る会談はできるはずはないという。
厚生労働省と文部科学省の幹部は、本学の休講の多さと福祉実習のデタラメ?実態に深い関心を示しているもようだ(関係者の証言)。
本来、この休講最多の教科は、1年間を通じてじっくりと学習すべきもの。学校のすることなすことはむちゃくちゃといわざるを得ない。
今や、IT時代。この安場教員の例は論外として、今後は、休講情報をE−Net,PHS,Fax,携帯電話で一刻も早く流してください。 たかーーーい交通費を使って学校に着いたら、紙切れ1枚で休講の告知。 学校は、学生を、なんとおもっているのか??。 学生は、単なる金(職員の給与の元本)運びのマシンではありません。人格を尊重してください。
1講目2002-05-28の聴講生(大方が、高齢者)の立場を考えてあげてください。当人等は、朝5時に起きて電車とケーブルカーを乗り継ぎ9:10についたとたんに、休講の張り紙(知らせ)にがっくり。山内を散歩する気力もなくなるとぼやくはず。 職員等は、この日に登校してくるこの聴講生たちを出迎え玄関で「ごめんね・・休講なんやわぁ・・事務所でいっしょにお茶を飲みませんか・・・」と慰労の声掛けをなされるのも宗派学校の姿勢ではなかろうか。聴講生は、正科生と異なり毎日のように掲示板を見られないのです。この1科目だけの者もいるのです。すなわち、聴講の日のみしか見る機会がないのです。 お客様(聴講生)は神様です。 聴講生にあっては、正に、講演会に行くようなもの。 学校のご見解をお聞かせください。
休講2002-05-28の原因は、とっくにわかっているスケジュール(会議)での休講。 早く休講通知をして悪いことはなにもない。休講通知は、早いほど学生にとってはいいことだ。
学校(教職員)のみなさーーん、学生の立場になってねぇ・・。
学長担当の2002−4月授業開始時のオリエンテーションでは、「本年から、休講の連絡をインターネットで行うことになりますが、教務の方から・・もう、説明はありましたか」と近代化をPRなされるが・・、一向にそんな説明は今もない(2002−06−20)。 新入生はともかくも、ものの1年も在学すれば「この学校は思わせ振り説明が多い。またかぁ」と狼少年物語をすぐに連想し誰もそれを信用しないのが高野山大学の名物だ。
その発言が、ぺいぺい職員から幹部までのオンパレードだ。学長までがこういうありさま。教務から説明がなかったと分かれば、学長が自ら説明をする責任があるのが、世の常識だ。「いずれ、ご説明があると思います・・ので」と、その場を逃げるのもこの学校関係者の常套句。 筆者は、学校説明の数々の事例を経験している。
本学体質 イコール 法人・理事会・会議の体がない <=== 良識ある理事・教員の談。
最近では、OHPマシンの修理、昨年からずーっと教員等が「修理を依頼しているが、まだ来ないんです」と繰り返す。 焦点の合わぬOHPをいつまで教員に使わせるのか。 決済も、そんなに1年もようするのか?。依頼を出す方が倒産前の会社並で、OHP業者から修理をしてもらえない、新規に買う財源もないのが本心?。それとも、学校側からすれば、「どーせぇ、ぼんくらの学生と居眠り学生ばかりだから・・ほっとけばいいゃぁ・・」「教員も疲れて、OHPを使わなくなるだろう」・・なのかも・・。
学校よ!! 学生と教員を大事にしておくれ。 新人複数の教員のぼやきも、あと数ヶ月であきらめに特化か。布教のノウハウを駆使して教化馴らし中か。本学は、調教学校か?。 昨年も、そうだった。
わたしは、学生の為に熱血燃ゆる教員の多くの時間を費して作ったOHP原稿を、焦点の合わぬOHPを使わされ教壇に立たされる教員の悔しさを知り尽くします(筆者は、職業訓練指導員として、また工科系学校で教鞭の経験あり)。
仮提言:
事相・僧諧(偕)に係る科目・総合科目・主題科目を除く各科目教員へは、「真言宗高野山」の支配・影響力を受けない者が就任すること・・を期待する。
教員は、自己意思に反して学問の内容に他より支配されたりそれに影響されるようでは真の学問に触れられないのではないか。 仮に、教員が真言宗高野山僧侶であっても、教員として教壇に立つ場合には、教職を正業とし宗団の意に反した「学問の真理」をも述べられる勇気ある学研者を、就任させるべきであろう。
校内での学生の暴力事件が、跡を絶たない
いいかえたら、俗にいう、荒れ放題の学校。事件(裁判中)にまで発展している例がある(学校幹部談)。学校要職の子弟らは、他の学校(高校、大学)に通学。このことは、松下電器の取締役が、他社ブランドの電気製品を買って(家庭で)使うようなもの。また、マツダ(自動車)の社長が、トヨタの車を社長専用車とするであろうか。
本学は、利潤追求第一主義?で、世間(学校教育法など)が期待する真理追究の大学教育の理念を放棄か
いいかえたら、世の中は、どの産業も不景気(利益の低下)。ところが、本学は、生徒数が減っても超経費切り詰め多くの学生の勉学環境を犠牲にしてまで合理化に徹し利潤追求をしている?。
本学は、学校教育のテクニカルは下手くそでも、利潤追求に関しては、宗派に負けぬほどそこらの寺院や商社経営者よりもすごいノウハウを持ち合わせかも・・。
校内喫煙、まかり通るおかしな学校
世の中は、開放型のJR駅のプラットホームも、全面禁煙の時代。長距離国際航空路も全面禁煙時代です。
ところが、この学校では、各階廊下(ロビー)は煙草の煙でいっぱい。冬期は、窓も締め切った状態だからなおさら健康的にも精神的にも最悪環境。しかも、高野山真言宗を経営母体とする大学・大学院機関でのできごとだから・・、おかしな学校でもあり宗派でもある。
教室・自習室にもその煙が流れ込む最悪な学校環境。これまでの判例に照らしても、学校の違法行為は明白。 学校は、なぜ、改善をしないのか?。
ところが、学生課事務室のある学舎B棟学生出入り口の1階フロアーは、禁煙だ。 従来は、この階も喫煙可だったので事務室への煙の回り込みに耐え切れずに、どうやら、事務員らの力が強くて当局(学校幹部)は禁煙にしたのかも??。 そして、ロビー寄りの談話室出入り口を閉鎖し(廊下突き当たり側を談話室出入り口に変更)学生談話室を喫煙場所にし、喫煙者をここへ閉じ込める策を採った。
しかし、学生課がB棟から本館A棟へ移転すると時を同じにして、閉鎖していた談話室(喫煙室)出入り口(ロビー寄り)ドアーを開放した。だから、大勢の喫煙者のたまり場所である煙が1階ロビーに流出しこれまでと同様に、ロビーは、煙とにおいで環境悪化。
学校の無策を露呈している。学校は、学生の健康維持をどのようにご理解をなされているのか。このような状態・無策を続けば法的責任を負うことは明白。しっかりとした策を作り出してください。学校は、蓄財に走るのではなく、必要な設備(分煙)にカネを使うべきです。
重ねて叫ぶ!!
1階フロアーのロビー横喫煙室のドアーは、常時開放になっている。世の喫煙室は、ドアー閉鎖が常識スタイルです。この学校は、非常識丸出しで、この喫煙室の向かいには、自習室や共同研究室があり、ここに煙りが回り込んできます。1階フロアーのロビー近くの喫煙室のドアーを、常時閉めるように厳しく指導をするなり、注意喚起の張り紙を施してください。完全分煙施策を施してください。このまま放置することは、喫煙しない学生に対する学校の不法行為にあたります。
換気装置もなく煙のトンネルとも云われている教室棟と図書館を結ぶ連絡通路(大学院研究室棟廊下)を、喫煙場所に指定しないでください。
学校のなすこの姿勢は、むちゃくちゃです。いっそのこと、学長室・理事長室あるいは教職員専用のルームを、職場としてそのまま現存しながら教職員と学生との交流の場所として開放し、喫煙自由としてはいかが。そうすれば、教職員には、けむりの酷さを知ることが゛きるのではないか。
喫煙派教職員らは、非喫煙者の苦しみ痛みを知ってください。
非喫煙者の図書館利用者は、事実上、図書館に通う時には、強制受動喫煙状態にされています。
非喫煙者の健康にも重大な支障があります。 ここを通る教職員らは、全員、喫煙者なのか?で非喫煙者の気持ちを理解できなのでしようか。
良識ある平均的市民に訴える!
わたしたちここの学生は、虫けら同然に扱われておりますねん、誰かぁーー助けてぇぇぇぇぇぇ。 62才の老いた社会人学生への暴力事件もある。 荒れ放題の学校だ。
学校の近代化は、膿を出し、学生の批判に正面から受け止めてこそ実現ができる。
ものはついでだ、もう一つ学内のけしからんニュースを公開しておこう。
それは、教授と理事らとは、学校運営で侃侃諤諤で熱血燃ゆる論戦を交わしているのかも・・。
学長は、某教授から定期刊行物「高野山時報」(No.2931,2002-01発行)でしかも署名付きで堂々と「うそつき呼ばわれ」もされているありさまで、同某教授は、学長の姿勢は決して許されるものでないと学長を厳しく批判。そして、某学生からは、加行道場で教員にいじめられたと抗議を受けているが「学長」「理事長」「学生課長(当時)」の見解はちりちりばらばで、厳しく追及されている。この実態の改善は、呪文ではどうにもならぬらしい。
また、某学生からは、悪がき学生から突然にいわれ無き暴行を受けたとその校舎内善管義務に照らして管理責任をも追及されて、学校幹部らは頭痛止め薬を求めているが、高野山の薬局にはこんな痛み止め薬を売っているわけもない。 大学は特効薬を求めて、抗議中のこの学生の遠く離れた故郷にある壇寺を探し出しこの住職を高野山大学事務局に呼び寄せて、且つ圧力をも加える「けしからぬ大学学生課長の仕業」(幹部の指示かどうかは未回答)も発覚している。この学生課長の言動を到底許せるはずはない。当の住職は、こんな圧力に屈する骨抜き住職ではない。学長は、この学生課長の言動に批判の意を学生に漏らしているが、なぜか、学長は、学生に明確に陳謝をしない。
学長は、諸事もろもろの学校側の不始末の陳謝(学監は、学生課長の行動に対して詫びると言及)を学監にやらせるのか。学生は、学監の立場(地位、理事なのか、副学長なのか、事務長なのか、単なる事務職・名誉職か、学監さんの全国あちこちの教育現場での知名度を買われて(使われた)学生募集マシンなのか、職員へのお目付け役なのか・・など)は全く知る余地もないし入学以来その立場を教わったことは一度もない。立場・身分の知らぬ者から陳謝されても全く意味はない。学監は、ロボットか。なぜ、学長は、率直に学生に陳謝をしないのか。
学監さんへ
学監さんの教育振興豊富な経験から良識あるご対応を希望します。
メモ:
私は、阪神淡路大震災当時には、学監さまらの震災支援グループから大型トラックでの多大のお見舞いを度々頂戴したことには深く感謝しております。 しかし、それへの感謝と今起こっている学内のむちゃくちゃな学校体質への批判とをごっちゃにはしたくありません。
福祉社会学科の福祉部門専任教員は、ずいぶんと退職してたったの1名だ。補充はままならぬらしい。 新学期のカリキュラムを編成できるのであろうか??。短大、専門学校よりも劣るであろう大学教員人材だ。本学は、教員定員を定めた法令に合致しているんだろうかと尋ねたら・・??。
大方の大学1年生は、未成年(20才未満)。20才未満は、喫煙できぬのも世の社会常識。
学生課長は、学内禁煙あるいは分煙を訴える学生らの陳情に対して「禁煙を厳しくすると「すいがらのポイ捨て」「壁・廊下・椅子などに火を擦り付けられる」「放火」「失火」の類が怖い」と学内の荒れた実情を口にする。
高野山大学加行(修業)道場内も、加行期間中といえども道場で法衣を抜けば喫煙可能。なんだか、おかしな仕組みじゃ。仕組みがおかしいのか仕組みを考える者がおかしいのか??。
この高野山(大学)には、法衣(着物)を身に付けたらこころのない「僧侶」風に仕上がり、脱げば「ただの人間・・」との空気があちこちにある。こんな考え思想論理が、世の平均的市民に通じるであろうか。僧侶は、法衣を脱いでも着てもその「こころ」が必要だ。その「こころ」があれば、加行道場で喫煙可となるはずはない!!し、大学校舎の廊下や階段ロビーで喫煙が大手を振って許されるわけがない・・と、筆者は信じる。そして、学校は、学内の暴行事件さえもその加害学生を罰しない。悪ガキ学生のしたい放題あばれ放題の学校だ。
そして、学生のプライバシーもじゃじゃもれ(一例:仮進級・留年生の氏名を掲示)。
そして、ここの大学職員らは、新入学生に「外観」を整えともよく口になされる。まあ、不思議な現象だ。
学生は、70?センチメートルはあるであろうキー付きチェーンをズボン左右に都合2本を持って学内を歩いている丸坊主の僧侶姿を度々目撃する。おそらく、このチェーンは、暴力に対する防御反撃用武器に化けるであろう自衛のもの。そのひとりに、熟経営者でもあり教員資格取得を目指している者でもあるようだ。困った学校環境だ。このチェーン所持を、単なるファッションと片付けていいのであろうか。
読者はいかが思われるでしょうか。
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===> Kouyasan o Kataro
に、ご意見をお寄せください。
禁煙問題
和歌山県知事は、県内公立教育機関の敷地内全面禁煙を明確に宣言をした。一部の悪がき教員らには反対運動もある。しかし、県民の圧倒的多数は「知事の宣言に大いに賛成」。
知事の指針に異議を唱えるものは少なく(筆者の取材)、他の行政施策には「よし(可)」とする投書はなかなか来ないが、禁煙問題に関してはこれまでの投書の常識をうちやぶるほどの県民からの「激励」と「多くの賛成」の声が県庁部局に届いている。
お上には厳しい視線と意見を持ちつづける筆者は、タバコ害を科学的に立証研究を積み重ねて県下禁煙運動をすすめておられる担当部局職員と知事に拍手を送ります。近年は、この和歌山県の施策に追従している各県の禁煙運動は広がりを見せている。
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