>  >  > 映画『キック・アス』が描かなかった”暴力”
【初心者歓迎! アメコミ道場 Vol.2】

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 かつて警官だったビッグダディは、街のギャングたちの買収に応じなかったため、妻を殺され、職を追われるようになりました。そこで娘に戦闘技術を叩き込み、親子でヒーローとして活動しながら、ギャング撲滅に励んでいた……そうヒットガールのミンディには教えていましたし、映画版でもこれに準じた設定になっています。

 しかし原作では、実はこれはすべてウソで、クレジット会社の会計士だったビッグダディは、妻の浮気に耐え切れず、赤ん坊だったミンディを連れて逃げ出し、ヒーローとしての人生をやり直そうとしたのです。終盤でギャングの拷問に耐え切れず、過去を明かしたビッグダディの「俺もお前と同じオタクだったのさ」との言葉は、それまでの作品世界の価値観を大きく揺さぶります。

 キック・アスもビッグダディ、そして彼に洗脳されたヒットガールも皆、“正義のヒーロー”というフィクションにとりつかれた、いわば心の病人だったのです。そういった事実を知ってなお、ヒットガールとキック・アスは、ビッグダディの仇を討つためにギャングのアジトを襲撃します。

 謎の化学者が作った“ピンチの時に飲む薬”としてコカインを吸引しながら戦う二人の姿には、爽快感と同時に恐怖を感じます。それは“正義という名の暴力による快楽”の甘美な味と恐ろしさです。“正義”という曖昧な概念に酔いしれて暴力を行使する彼らは、営利目的のギャングたちよりも実は業が深く、救いようのない存在です。そして“正義のヒーロー”に憧れる読者自身にも、そうした身もふたもない真実を突きつけながら、本書は復讐心からくる熱狂が覚めた後の虚無感、そして更なる復讐の連鎖を匂わせて幕を閉じます。多幸感に満ちた映画版のそれとは正反対のエンディングは、2001年の9.11テロ事件以降、アフガニスタン紛争と撤退といった、アメリカが味わった喧騒と落胆をどこか彷彿とさせます。

 当連載第1回の冒頭で挙げたヒットガールの台詞からもおわかりのようにマーク・ミラーは、アメコミというジャンルの特性、そして時代性に極めて自覚的な作家です。本作『キック・アス』は、そんな彼が出した『ウィッチメン』と『バットマン:ダークナイト・リターンズ』以降、アメコミで“ヒーローもの”を描く場合、避けることのできない“正義という名の暴力”の問題へのひとつの結論ともいえるでしょう。

 そして、いまやマーベルの中心ライター(原作者)として活躍するマーク・ミラーが、この4月末に邦訳の続刊が発売予定の『キック・アス』シリーズをはじめとする、今後の参加作品で、どんな新たな境地を見せてくれるのか、楽しみでなりません。
(文/雑賀洋平)

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