2014年03月20日
私見、我見、自己流について
あまりにも不明確な文章をそのままにされているので、
きちんとした記事を書いておこうと思います。
以下、大河さんのブログ記事にある文章です。
そして、非常に重要なことですが、
この記事を「悪用」して「御本尊は迹」であるとの己義・邪義を主張しまくった
創価学会員を名乗る人物がかっても、今もおりますが、
その人物はそもそも「迹」の意味を捏造し、言語道断であります。
私は大河さん(今現在HNは希望さんだが)とそれなりに関わってきたので、
件の文言が誰のしたどんな言論であるかはわかるつもりです。
しかし、大河さんから、イプシロン、お前の書いた教学の記事には間違いがあって、
おかしな我見を垂れ流していると指摘されたことがあるので、
上記に引用した「今もおります」という指摘部分に、もしも私のことを含めて仰っているのなら、
非常に心外であり、もしそうでなくとも、
上記記事を読んだ方が、
ああ、これはイプシロンのことを言ってるんだな、と思われるイメージを操作を受けることを、
とても受け入れる訳にはいかないからです。
こういうことになるから、以前からずっと批判はするな。
そう言い続けてきたのです。
私の立場からすれば、
地獄も地獄、まさに無間地獄のような状態から、
約3年の月日をかけて、たった一人で唱題に励み、100万遍の唱題を達成し、
挑戦していた、御書全編音読拝読も完遂し、
他にも目標にしていた、人間革命全12巻を読了し、
両親が残していってくれたもの、また自分で購入した先生の指導を片っ端から読む生活の中で
しだいしだいに信心の確信を掴み、私個人の判断ではなく、
周囲が見ても変わったと感じるほど蘇生したきた、この3年だったわけです。
そうした私の信心が我見であるとか、
そうした私の信心では、一生病気は治らない。
私はそういうことを去年の7月から言われまくってきたんですよ。
怒って当たりまえじゃないんですか?
して、そうした具合に、自身の信心にたいする誇りや自信(確信)を打ち砕かれそうになったとき、
どうしなさいという指導があるかは、みなさんご存知ですか?
そうした「悪鬼入其身」とは徹底して戦いなさい。
「諸仏入其身」になってでも戦いなさい、と
そう大聖人も先生もご指導されていますよね。
それが理解できれば、
私の怒りがいかなるものか、なぜここまで執着して言いつづけているか、おわかりになるのではないですか。
ネット上の会話というのは、部分観に陥りやすく、またその人のやっていることも、
ずっと見てきた人でなければ理解すら困難です。
でもですよ、間違った解釈をしている人を見て、そのままにしませんでしたか?
私の信心が我見まみれだと言った方や、私の信心じゃ、一生病気が治らないと言った方々は、
その誤解を正したのですか?
正しませんでしたよね。
真剣に自分の人生に悩む青年。
苦悩の中で、どう唱題していけば、どういう信心の姿勢を貫けばいいのか、
そういうことを真剣に悩み、自分なりに答えを出した。
「諸仏入其身」になって祈ればいい、彼はそう自分なりに結論を出しましたよ。
もちろん、終局的には間違った解釈とは言えない部分もありますでしょう。
しかし、そういった理解は、先生の指導とは違えていますよね。
それを指摘して正した人はいましたか? いませんでしたよね。
それを正したのは私だけだったじゃないですか。
あなたがたは無責任だ。
ネットであろうと、リアルであろうと関係ない。
他人と関わっておきながら、嫌になったなら逃げだすのではないか!
そういう関わり方をするならば、はじめから関わるなと言いたい。
先生の指導と違えているではないか、中途半端が一番良くない。
あなたがたのしてきたことは、その中途半端ではないのですか!?
人に苦言を呈し、批判をし、お前は間違っている。
そう言うなら、それを正せるまで関わっていくべきでしょう。
その気がないなら、はじめから関わるべからず、だ。
もう面倒くさくなった、こいつに言っても聞きはしない。
そう感じて、逃げているのは誰の心ですか?
あなたがた自身の心ではないか。
他人から逃げているのではないですよ、終局的には自分自身から逃げているではないか。
私の信心が我見まみれであるというなら、
私とて、謙虚にうけとめ、正していく心構えくらいありますよ。
ですが、言うだけいっていい放しの知らんふりとは、これ如何に?
人を迷わせ、あとは知りません。随分と自分勝手でございますね。
今の私は、自分が正しいのか、我見まみれなのか、
その1点を晴らさない限り、1歩だって前には進めなくなっているんですよ。
その場の空気で言っただけ。もはやそれで許される問題ではないですぞ。
ですが、私には確信がある。
ですから、本質的には何も心配などしていませんがね。
私見と我見はわけて考える必要はあるでしょう。
しかしね、私が何年もかけて学び、真剣に思索してきたカントを中心とする思想にはね、
どこをどう探しても間違いはないのですよ。
いまここでそれをまた書きだすことはしませんよ。
カントやその周辺のことについては膨大な記事を書いてきましたからね。
私に私見はない。
冗談を言ってもらっては困りますよ。
それは別の意味合いで仰ったのかもしれませんが、
一個人の一見解は、人種言語など関係なく、
一個人の五感と意識が「こういうものだ」と感じたものではないですか。
ですから大河さん、あなたの言った、
公式見解なるものと私の思想は一致していて正しいというのも、あなたの「私見」ではないですか。
それをあなたは、堂々とわたしには「私見」はないと仰った。
だから私はあえて傲慢だと言ったのですよ。
言ってることわかりますか?
だから、わざわざ、先生でさえ、
御書講義の前に、これは私見ですと仰ると書いたのです。
けれども、あなたはいつまでたってもご自分と向き合わないようなので、
ご自分のされていることに気づかないわけですよ。
いいや、唱題行によって公式見解と違えない見識を持てるようになる。
まあその通りですよ。
でもそれは無意識層においてのお話じゃありませんか。
意識で感じ取れないからこそ、無意識層なのですよ。
それをいかにも感じ取って、共通認識したとでも言うのですか。
そんなことはありえません。
だから、この信心で感じたそうした無意識層から湧き上がる歓喜やら智慧を表現する言葉は、
「この信心は凄い」とか、
「題目の力は偉大だ」とか、
「南無妙法蓮華経は凄い」という表現法しかされていないのではないですか。
実際、先生たちの指導もそうなってますよ。
「俺には南無妙法蓮華経しかないんだ」
これを末法の折伏という、という表現がそれですよ。
題目の凄さを言葉で明確に表現して伝えることが出来ないから、
我が身宝塔として輝くしかない。
題目の凄さを言葉で明確に表現して伝えることが出来ないから、
広宣流布を進めることが難事中の難事なんじゃないんですか。
ことは三大秘法に関することかもしれません。
しかし、あれはただの私見ですよね。
あの文章を読んでいくと、
この私も、「御本尊は迹」であるとの己義・邪義を主張しまくっているように受け取れるわけですよ。
大切なことであればあるほど、誤解を生まないように書くべきでしょう。
でも、あの人はおかしいと主張するときはHNをお出しになりますが、
肝心な時にはWhoをボヤかして、いらぬ誤解を生むようなことをされてはね、困るんですよ。
アクションがあろうとなかろうと、
私は私が納得するまで言いつづけますし、やり続けますよ。
ここから逃げることは、私自身から逃げ出すことであることは、
以前の経験からも熟知していることですからね。
私の信心が間違っているというなら、正してください。
謙虚に受け止めますよ。
今さらカントについては語らない。
そうは書いたが、それでは不親切なので、以前の記事をリンクしておきます。
この記事のどこかに我見や邪義があるなら指摘してください。
でもありませんよ。
ゆえに、完璧な真理は「大御本尊様」しかないのです。そしてその大御本尊様は、もったいないことに、我々一人一人の胸中の肉団にもおわすのです。つまり、「仏の生命」です。けど、これには周りにゴミ(間違った思想、空想、妄想、不安、恐怖、哀愁などなど)が一杯くっついていて、そのままだと役に立たないんですね。ゆえに、磨く、掃除する、清浄にする、清潔にする。それが勤行・唱題ってことですよね。
私は上記のように述べているわけですからね。
ちなみに、先生はこうしたカントだとか、不完全性定理だとか、全ては主観であるとか、科学に関わることも、
ずっとずっと昔に、知り尽くしておられます。
『科学と宗教』という1970年代の本で、すでにそのことは、
私などが説明する以上に正確に明言されていますよ。
師である先生がそうなら、弟子である我々がそれも知っていて当然であるべきですよね。
人間の感じているものは全て主観ですよ。ゆえに、誰のどんな主張表現であろうと、「私見」なんですよ。
あまり傲慢にならないほうがよろしいかと思いますよ。
全てが主観であると知れば、自然、謙虚になるものなんですがねぇ・・・。
きちんとした記事を書いておこうと思います。
以下、大河さんのブログ記事にある文章です。
そして、非常に重要なことですが、
この記事を「悪用」して「御本尊は迹」であるとの己義・邪義を主張しまくった
創価学会員を名乗る人物がかっても、今もおりますが、
その人物はそもそも「迹」の意味を捏造し、言語道断であります。
私は大河さん(今現在HNは希望さんだが)とそれなりに関わってきたので、
件の文言が誰のしたどんな言論であるかはわかるつもりです。
しかし、大河さんから、イプシロン、お前の書いた教学の記事には間違いがあって、
おかしな我見を垂れ流していると指摘されたことがあるので、
上記に引用した「今もおります」という指摘部分に、もしも私のことを含めて仰っているのなら、
非常に心外であり、もしそうでなくとも、
上記記事を読んだ方が、
ああ、これはイプシロンのことを言ってるんだな、と思われるイメージを操作を受けることを、
とても受け入れる訳にはいかないからです。
こういうことになるから、以前からずっと批判はするな。
そう言い続けてきたのです。
私の立場からすれば、
地獄も地獄、まさに無間地獄のような状態から、
約3年の月日をかけて、たった一人で唱題に励み、100万遍の唱題を達成し、
挑戦していた、御書全編音読拝読も完遂し、
他にも目標にしていた、人間革命全12巻を読了し、
両親が残していってくれたもの、また自分で購入した先生の指導を片っ端から読む生活の中で
しだいしだいに信心の確信を掴み、私個人の判断ではなく、
周囲が見ても変わったと感じるほど蘇生したきた、この3年だったわけです。
そうした私の信心が我見であるとか、
そうした私の信心では、一生病気は治らない。
私はそういうことを去年の7月から言われまくってきたんですよ。
怒って当たりまえじゃないんですか?
して、そうした具合に、自身の信心にたいする誇りや自信(確信)を打ち砕かれそうになったとき、
どうしなさいという指導があるかは、みなさんご存知ですか?
そうした「悪鬼入其身」とは徹底して戦いなさい。
「諸仏入其身」になってでも戦いなさい、と
そう大聖人も先生もご指導されていますよね。
それが理解できれば、
私の怒りがいかなるものか、なぜここまで執着して言いつづけているか、おわかりになるのではないですか。
ネット上の会話というのは、部分観に陥りやすく、またその人のやっていることも、
ずっと見てきた人でなければ理解すら困難です。
でもですよ、間違った解釈をしている人を見て、そのままにしませんでしたか?
私の信心が我見まみれだと言った方や、私の信心じゃ、一生病気が治らないと言った方々は、
その誤解を正したのですか?
正しませんでしたよね。
真剣に自分の人生に悩む青年。
苦悩の中で、どう唱題していけば、どういう信心の姿勢を貫けばいいのか、
そういうことを真剣に悩み、自分なりに答えを出した。
「諸仏入其身」になって祈ればいい、彼はそう自分なりに結論を出しましたよ。
もちろん、終局的には間違った解釈とは言えない部分もありますでしょう。
しかし、そういった理解は、先生の指導とは違えていますよね。
それを指摘して正した人はいましたか? いませんでしたよね。
それを正したのは私だけだったじゃないですか。
あなたがたは無責任だ。
ネットであろうと、リアルであろうと関係ない。
他人と関わっておきながら、嫌になったなら逃げだすのではないか!
そういう関わり方をするならば、はじめから関わるなと言いたい。
先生の指導と違えているではないか、中途半端が一番良くない。
あなたがたのしてきたことは、その中途半端ではないのですか!?
人に苦言を呈し、批判をし、お前は間違っている。
そう言うなら、それを正せるまで関わっていくべきでしょう。
その気がないなら、はじめから関わるべからず、だ。
もう面倒くさくなった、こいつに言っても聞きはしない。
そう感じて、逃げているのは誰の心ですか?
あなたがた自身の心ではないか。
他人から逃げているのではないですよ、終局的には自分自身から逃げているではないか。
私の信心が我見まみれであるというなら、
私とて、謙虚にうけとめ、正していく心構えくらいありますよ。
ですが、言うだけいっていい放しの知らんふりとは、これ如何に?
人を迷わせ、あとは知りません。随分と自分勝手でございますね。
今の私は、自分が正しいのか、我見まみれなのか、
その1点を晴らさない限り、1歩だって前には進めなくなっているんですよ。
その場の空気で言っただけ。もはやそれで許される問題ではないですぞ。
ですが、私には確信がある。
ですから、本質的には何も心配などしていませんがね。
私見と我見はわけて考える必要はあるでしょう。
しかしね、私が何年もかけて学び、真剣に思索してきたカントを中心とする思想にはね、
どこをどう探しても間違いはないのですよ。
いまここでそれをまた書きだすことはしませんよ。
カントやその周辺のことについては膨大な記事を書いてきましたからね。
私に私見はない。
冗談を言ってもらっては困りますよ。
それは別の意味合いで仰ったのかもしれませんが、
一個人の一見解は、人種言語など関係なく、
一個人の五感と意識が「こういうものだ」と感じたものではないですか。
ですから大河さん、あなたの言った、
公式見解なるものと私の思想は一致していて正しいというのも、あなたの「私見」ではないですか。
それをあなたは、堂々とわたしには「私見」はないと仰った。
だから私はあえて傲慢だと言ったのですよ。
言ってることわかりますか?
だから、わざわざ、先生でさえ、
御書講義の前に、これは私見ですと仰ると書いたのです。
けれども、あなたはいつまでたってもご自分と向き合わないようなので、
ご自分のされていることに気づかないわけですよ。
いいや、唱題行によって公式見解と違えない見識を持てるようになる。
まあその通りですよ。
でもそれは無意識層においてのお話じゃありませんか。
意識で感じ取れないからこそ、無意識層なのですよ。
それをいかにも感じ取って、共通認識したとでも言うのですか。
そんなことはありえません。
だから、この信心で感じたそうした無意識層から湧き上がる歓喜やら智慧を表現する言葉は、
「この信心は凄い」とか、
「題目の力は偉大だ」とか、
「南無妙法蓮華経は凄い」という表現法しかされていないのではないですか。
実際、先生たちの指導もそうなってますよ。
「俺には南無妙法蓮華経しかないんだ」
これを末法の折伏という、という表現がそれですよ。
題目の凄さを言葉で明確に表現して伝えることが出来ないから、
我が身宝塔として輝くしかない。
題目の凄さを言葉で明確に表現して伝えることが出来ないから、
広宣流布を進めることが難事中の難事なんじゃないんですか。
ことは三大秘法に関することかもしれません。
しかし、あれはただの私見ですよね。
あの文章を読んでいくと、
この私も、「御本尊は迹」であるとの己義・邪義を主張しまくっているように受け取れるわけですよ。
大切なことであればあるほど、誤解を生まないように書くべきでしょう。
でも、あの人はおかしいと主張するときはHNをお出しになりますが、
肝心な時にはWhoをボヤかして、いらぬ誤解を生むようなことをされてはね、困るんですよ。
アクションがあろうとなかろうと、
私は私が納得するまで言いつづけますし、やり続けますよ。
ここから逃げることは、私自身から逃げ出すことであることは、
以前の経験からも熟知していることですからね。
私の信心が間違っているというなら、正してください。
謙虚に受け止めますよ。
今さらカントについては語らない。
そうは書いたが、それでは不親切なので、以前の記事をリンクしておきます。
この記事のどこかに我見や邪義があるなら指摘してください。
でもありませんよ。
ゆえに、完璧な真理は「大御本尊様」しかないのです。そしてその大御本尊様は、もったいないことに、我々一人一人の胸中の肉団にもおわすのです。つまり、「仏の生命」です。けど、これには周りにゴミ(間違った思想、空想、妄想、不安、恐怖、哀愁などなど)が一杯くっついていて、そのままだと役に立たないんですね。ゆえに、磨く、掃除する、清浄にする、清潔にする。それが勤行・唱題ってことですよね。
私は上記のように述べているわけですからね。
ちなみに、先生はこうしたカントだとか、不完全性定理だとか、全ては主観であるとか、科学に関わることも、
ずっとずっと昔に、知り尽くしておられます。
『科学と宗教』という1970年代の本で、すでにそのことは、
私などが説明する以上に正確に明言されていますよ。
師である先生がそうなら、弟子である我々がそれも知っていて当然であるべきですよね。
人間の感じているものは全て主観ですよ。ゆえに、誰のどんな主張表現であろうと、「私見」なんですよ。
あまり傲慢にならないほうがよろしいかと思いますよ。
全てが主観であると知れば、自然、謙虚になるものなんですがねぇ・・・。
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コメント一覧
1. Posted by ラン 2014年03月20日 22:03
イプシロンさん
こんばんは☆☆彡『早とちりでトンチンカンなコメント』って私のことですかね〜?(*´ω`*)大河っち、結構、キツイっすね!←みかん。さん流に でも早とちりでトンチンカンなのも私の個性ですから〜(^^♪
【二乗はいわば""心が死んでいた""のです。自らが仏になろうと欲しない。また、仏になろうと努力して目指している人に対してもお高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。・・・・しかし、仏はその二乗を根底では見捨てていなかった。""このままでは駄目だ。お前たちは、本当はそんなものではないぞ。もっと素晴らしい境涯を手に入れられるのだぞ""と厳しく叱って励ましたのです】(法華経の智慧より抜粋)
イプシロンさん、仰るようにスッキリなさるまで、徹底的に大河さんと向き合ってください。
私も逃げずに徹底的に向き合わせていただきます。
こんばんは☆☆彡『早とちりでトンチンカンなコメント』って私のことですかね〜?(*´ω`*)大河っち、結構、キツイっすね!←みかん。さん流に でも早とちりでトンチンカンなのも私の個性ですから〜(^^♪
【二乗はいわば""心が死んでいた""のです。自らが仏になろうと欲しない。また、仏になろうと努力して目指している人に対してもお高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。・・・・しかし、仏はその二乗を根底では見捨てていなかった。""このままでは駄目だ。お前たちは、本当はそんなものではないぞ。もっと素晴らしい境涯を手に入れられるのだぞ""と厳しく叱って励ましたのです】(法華経の智慧より抜粋)
イプシロンさん、仰るようにスッキリなさるまで、徹底的に大河さんと向き合ってください。
私も逃げずに徹底的に向き合わせていただきます。
2. Posted by ポチ 2014年03月21日 08:59
イプシロンさん、ランさん、皆様、おはようございます^^
私自身統合失調症という病を授かり
これこそが仏へなれる修行の道と
日々勤行、唱題です。
まだ御書も最後まで拝読できておりませんが
研鑽を重ねてゆかねばと
日々少しづつ紐解いております。
ランさん、二乗の生命、たまに私の中にも
存在していることを感じることがあります。
二乗の傾向が強くなった時は
お題目あげて自分と向き合います。
お題目あげれない場面では胸中題目を
一心にあげることもしばしばです。
皆様の今日一日が実り多いことをお祈りいたします。
私自身統合失調症という病を授かり
これこそが仏へなれる修行の道と
日々勤行、唱題です。
まだ御書も最後まで拝読できておりませんが
研鑽を重ねてゆかねばと
日々少しづつ紐解いております。
ランさん、二乗の生命、たまに私の中にも
存在していることを感じることがあります。
二乗の傾向が強くなった時は
お題目あげて自分と向き合います。
お題目あげれない場面では胸中題目を
一心にあげることもしばしばです。
皆様の今日一日が実り多いことをお祈りいたします。
3. Posted by ラン 2014年03月21日 09:52
ポチさん
おはようございます(*´▽`*)✨
二乗は法華経以前の経典では【仏になる種子を焼いてしまったもの】として弾劾されていますが、法華経で一念三千が説かれ二乗の生命はだれにでもあり、その生命を否定することは、自分の中の二乗の生命も否定することになりますね。
その二乗の生命をも光輝かしていくのがこの信心ですから✨
私がいいたかったのは、
『自分より能力の低いとみなしたものに対する傲慢』な心です。ポチさんのようにご自分の生命の傾向性を見つめ、
人間革命しようと努力している方は大丈夫だと思います。
イプシロンさんが怒っているのは、今の大河さんが『内なる悪』を自覚して、自分と向き合おうとしない、自分と戦おうとしないことに怒っているのです。
おはようございます(*´▽`*)✨
二乗は法華経以前の経典では【仏になる種子を焼いてしまったもの】として弾劾されていますが、法華経で一念三千が説かれ二乗の生命はだれにでもあり、その生命を否定することは、自分の中の二乗の生命も否定することになりますね。
その二乗の生命をも光輝かしていくのがこの信心ですから✨
私がいいたかったのは、
『自分より能力の低いとみなしたものに対する傲慢』な心です。ポチさんのようにご自分の生命の傾向性を見つめ、
人間革命しようと努力している方は大丈夫だと思います。
イプシロンさんが怒っているのは、今の大河さんが『内なる悪』を自覚して、自分と向き合おうとしない、自分と戦おうとしないことに怒っているのです。
4. Posted by ラン 2014年03月21日 15:25
(続きです)
イプシロンさんは、去年から複数の人に誹謗・中傷され、一人で戦ってきたのです。
【ひと口に『言論の暴力』というが、悪口罵詈は、一回や二回なら耐えられます。しかし、大勢の人から絶えず悪口罵詈されたら、その圧迫は筆舌に尽くしがたい。アランは『到るところで絶えず呪詛を加えられたら、それに抵抗しうる人間は、恐らく一人もいないであろう。呪詛された人は、自分の滅亡に走っていく』といっている。本当にそうだと思う。直接被害を受けた人でなければ、わからないでしょう。】
法華経の智慧での先生のお言葉です。
【しかし、それでも悠々と、人々を包容しながら前進していくのが、真の菩薩です】
とありました。イプシロンさん、また引用ばかりですみません(*´▽`*)💦法華経の智慧が大好きで私のバイブルなので。。↑今のイプシロンさんにぴったりかなと思って・・・
イプシロンさんは、去年から複数の人に誹謗・中傷され、一人で戦ってきたのです。
【ひと口に『言論の暴力』というが、悪口罵詈は、一回や二回なら耐えられます。しかし、大勢の人から絶えず悪口罵詈されたら、その圧迫は筆舌に尽くしがたい。アランは『到るところで絶えず呪詛を加えられたら、それに抵抗しうる人間は、恐らく一人もいないであろう。呪詛された人は、自分の滅亡に走っていく』といっている。本当にそうだと思う。直接被害を受けた人でなければ、わからないでしょう。】
法華経の智慧での先生のお言葉です。
【しかし、それでも悠々と、人々を包容しながら前進していくのが、真の菩薩です】
とありました。イプシロンさん、また引用ばかりですみません(*´▽`*)💦法華経の智慧が大好きで私のバイブルなので。。↑今のイプシロンさんにぴったりかなと思って・・・
5. Posted by ポチ 2014年03月21日 16:43
皆様、こんにちは^^
ランさん、仰られること私も体験しました。
ですのでイプシロンさんのお気持ち
私なりにですが共感することもございます。
ただ私は最初から事情を知っている当事者ではなく
私がどちらかに肩入れしてしまえば
益々おかしくなってしまわないかと考えます。
それでも私はイプシロンさんもランさんも好きです。
お二人のことも皆様のことも
お題目をあげさせていただいております。
人間関係の悩みは嬉しいものです。
相手の幸せを祈ることができるから。
イプシロンさん、ランさん、皆様、
おたがいに自分らしく進んでゆきましょう♪
ランさん、仰られること私も体験しました。
ですのでイプシロンさんのお気持ち
私なりにですが共感することもございます。
ただ私は最初から事情を知っている当事者ではなく
私がどちらかに肩入れしてしまえば
益々おかしくなってしまわないかと考えます。
それでも私はイプシロンさんもランさんも好きです。
お二人のことも皆様のことも
お題目をあげさせていただいております。
人間関係の悩みは嬉しいものです。
相手の幸せを祈ることができるから。
イプシロンさん、ランさん、皆様、
おたがいに自分らしく進んでゆきましょう♪
6. Posted by ラン 2014年03月21日 19:03
ポチさん
こんばんは☆✨↑私のコメント、ちょっと熱くなってしまいました(^^💦
お題目、ありがとうございます✨
ポチさんもいろいろと辛い思いをされてきたんですね。
それでも『相手の幸せを祈ることができる』ポチさんは
素晴らしいと思います☆彡✨
こんばんは☆✨↑私のコメント、ちょっと熱くなってしまいました(^^💦
お題目、ありがとうございます✨
ポチさんもいろいろと辛い思いをされてきたんですね。
それでも『相手の幸せを祈ることができる』ポチさんは
素晴らしいと思います☆彡✨
7. Posted by イプシロン 2014年03月21日 23:12
みなさん、こんばんわ^^
あまり私に気をつかわないでくださいね!
いまは疲れているので、これで勘弁してくださいm(_ _)m
伝えたいこともありますが、
今は言葉にしたくないのです。
ごめんなさい。
ありがとうございます(^ー^)
あまり私に気をつかわないでくださいね!
いまは疲れているので、これで勘弁してくださいm(_ _)m
伝えたいこともありますが、
今は言葉にしたくないのです。
ごめんなさい。
ありがとうございます(^ー^)
8. Posted by ちよ 2014年03月22日 00:13
伸ちゃん お疲れー
あとはまた、ここでお話させて頂きますよ
ゆっくり休んでください
おやすみ
あとはまた、ここでお話させて頂きますよ
ゆっくり休んでください
おやすみ
9. Posted by ポチ 2014年03月22日 07:11
イプシロンさん、皆様、おはようございます^^
イプシロンさん、お身体大切になさってくださいね。
私自身重なることがありましたので
体調面のほうを心配しております。
ランさん、人間熱くなることは大切なことです。
情熱をもって伝えなければなかなか届きません。
ランさんの情熱は伝わってきました♪
ちよさん、今日もおたがいに頑張りましょうね♪
ところでブログの横にあります絵等は
イプシロンさんがお描きになられたのでしょうか?
感性が豊かだなぁと感じたものでして。
人生の中にある様々な出来事、
そのひとつひとつが自分にとって
何かしら意味のあることなのかもしれません。
あのときあんなことがあったから、
こんなことがあったから、
今の自分は生きているんだと
最近そのように感じることが多いです。
イプシロンさん、お身体大切になさってくださいね。
私自身重なることがありましたので
体調面のほうを心配しております。
ランさん、人間熱くなることは大切なことです。
情熱をもって伝えなければなかなか届きません。
ランさんの情熱は伝わってきました♪
ちよさん、今日もおたがいに頑張りましょうね♪
ところでブログの横にあります絵等は
イプシロンさんがお描きになられたのでしょうか?
感性が豊かだなぁと感じたものでして。
人生の中にある様々な出来事、
そのひとつひとつが自分にとって
何かしら意味のあることなのかもしれません。
あのときあんなことがあったから、
こんなことがあったから、
今の自分は生きているんだと
最近そのように感じることが多いです。
10. Posted by イプシロン 2014年03月22日 11:33
みなさん、おはようございます。
体調というか、精神状態、生活状態はここで語れるものではありません。
それでも、かつて味わった地獄よりはるかに楽です。
友人たちに過度に心配をかけたくないので、
愚痴は一切書かない。そうしています。
ご心配、ありがとうございます。
このブログにある絵や模型などは全て私が手掛けたものです。
風景写真なども私が撮ったものです。
そうですね、全て意味があることだと思います。
なにか辛いことがあると、
平原綾香のジュピターの歌詞を思い出すようにしています。
その時は苦しみの意味がわからないのは仕方ないですよね。
毎日は同じようでいて、全ての一瞬は初体験なのですから。
そういうものと気づいてから、いくぶん楽に生きれていますよ^^
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや
ありがとうございます(^ー^)
体調というか、精神状態、生活状態はここで語れるものではありません。
それでも、かつて味わった地獄よりはるかに楽です。
友人たちに過度に心配をかけたくないので、
愚痴は一切書かない。そうしています。
ご心配、ありがとうございます。
このブログにある絵や模型などは全て私が手掛けたものです。
風景写真なども私が撮ったものです。
そうですね、全て意味があることだと思います。
なにか辛いことがあると、
平原綾香のジュピターの歌詞を思い出すようにしています。
その時は苦しみの意味がわからないのは仕方ないですよね。
毎日は同じようでいて、全ての一瞬は初体験なのですから。
そういうものと気づいてから、いくぶん楽に生きれていますよ^^
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや
ありがとうございます(^ー^)