だれもがすることはするな
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Last Updated on 2001/06/11
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「相生ライフ」紙の2000年新春特集号のトップを飾ったのは、高島俊男さんの「だれもがすることはするな」と題した一文でした。これは高島さんが恩師の大ヶ瀬先生から聞かれたことばで、高島さんは「この言葉に従って生きてきてソンをしたが、大ヶ瀬先生は生涯にであった多くの先生がたの中で一番なつかしい先生である」と書いておられます。(原文は下欄にあります。) 私も大ヶ瀬先生からこのことばをうかがっています。私の場合は、このことばの考え方を、次のようなところで使って、トクをしたと思っています。 (1) 開発技術者にとっては、みんなと違った経験があり、異なった発想が出来るということはひとつの財産です。例えば新商品の開発会議で、全員が同じ考え方で同じような経験しかしていないメンバーでは、10人で会議しても、出てくる結論は1人で考えるのと大差ありません。異分子がいると議論になり、その過程で誰も気付かなかったようなアイデアが出てくることがあるのです。日本は今、大きな変革期を迎えています。今までと同じやり方ではジリ貧です。これからはますます、みんなとは異なった考え方や経験が必要になるでしょう。 (2) 30年ほど前から株式投資をしていますがその間に、オイルショックやブラックマンデー、バブルの崩壊など、歴史的な大暴落を経験しました。それらを乗り越えて、まずまずの成果をあげることが出来たのは、「人の行く裏に道あり、花の山」という格言を忘れず、自分の判断で売買をしてきたからだと思います。 (3) 「大学生になればおおっぴらにタバコが吸える」ということで、当時(約35年前)の男子の多くは、大学に入ると大人への登竜門のようにタバコをふかしていました。健康に悪いという発想はまだありませんでした。私は「みんなが吸っているなら、止めておこう」と、やりませんでした。卒業して社会人になると、職場の大部分は「禁煙」でした。化学技術のエンジニアなので、引火性の有機溶剤や毒物劇物を日常的に取り扱う職場でした。そういう作業場は、火災や誤飲を避けるため、法律(労働安全衛生法等)上「禁煙」なのです。喫煙習慣のある同僚にはそれが不自由(苦痛)だったようです。私は時間的にも精神的にも優位に仕事をすることができました。 私の中学校の卒業記念文集(寄せ書き)には、大ヶ瀬先生の次のようサインがあります。 巧言令色鮮矣仁 (孔子) ほととぎす今はのきはの一言は 死すとも巧言令色であれ (太宰 治) 右、おおがせみきと ■ 2001/06/11 追記 最近、「合成の誤謬」という言葉を知りました。経済学の用語で、「個々人としては合理的な行動であっても、多くの人がその行動をとると、好ましくない結果が生じる場合」のことだそうです。「だれもがすることはするな」は、合成の誤謬を避けるという点でも、意味のある言葉だと思います。 詳しくはこちらのページを見てください。 →「合成の誤謬」 |
| 「相生ライフ」 2000年1月2日号より だれもがすることはするな 高島俊男 中学生のとしごろというのはこどもが少年になって自我ができてくる時期で、この時期の環境がほとんどその後の人生を決定するのではないかとおもう。 わたしは昭和24年、できてまもない那波中学校にはいった。まだ千尋にあったころである。 あとでかんがえれば戦後の教育制度改革の混乱期だったのだが、先生にはめぐまれた。いまでもなかまがあつまると当時の先生がたのはなしをしてなつかしむ。 わたしがもっともつよい影響をうけたのは、2年生、3年生と国語をおそわり、3年生では級担任でもあった故大ケ瀬幹人先生である。当時はたちをすぎたばかりのわかい先生だった。わたしの人生のおおすじはこの先生にきめられてしまった、とおもっている。 いまでも、先生のいわれたことを何百もおぼえている。いっぺんにはでてこないが、おりにふれてヒョイとうかぶ。無論すべて、国語の授業とは直接関係のないことばかりである。 友人たちが一様につよく記憶にとどめているのは、――あるとき先生が「わるいこととしってわるいことをするのと、しらないでするのと、どっちがわるいか」とたずねた。みんな「しってするほうがわるい」とこたえた。先生は、「いや、しらないでするほうがわるい」といった――という件である。先生は逆説がすきであった。 わたしがもっともつよく影響をうけたのは、「だれもがすることはするな」ということだった。 ただし先生がこのとおりいったかどうかはおぼえていない。むしろ「ベストセラーはよむな」とか、「だれもがいく名所旧蹟へいったってつまらない」とか、「みんなが受験勉強をするのならきみがすることはない」とかの個別のことばを綜合して、「だれもがすることはするな」というメッセージとしてうけとった、ということだろう。 以後50年、このことばにしたがってあるいてきた。しかしこれをひとにすすめる気は毛頭ない。あきらかにソンだからである。 わたしの人生は失敗であったが、なぜ失敗におわったかをかんがえてみると、その出発点にこのことばがある。つまり大ヶ瀬先生は私をしくじらせた元兇であるわけだが、しかし生涯にであったおおくの先生がたのなかで、一番なつかしい先生であることにかわりはない。ひとは、自分にトクをさせてくれたひとばかりをなつかしむわけではないようだ。 高島俊男(たかしま・としお)さん |
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