まったく個人的都合ですが、私は「残」が付く言葉が好きではありません。「残」と言えばよくても残高、いくらお金が残るかを心配する後ろ向きの言葉です。残念や残飯となればもうマイナスの意味しかありません。
「残業」はビジネスマンの日常用語になっています。実態としても残業しない人はいませんし、残業の収入に頼っているビジネスマンもいれば、残業の業務に頼っている企業もあります。残業を無くせば大半の日本企業が成り立たなくなると思うのですが、私の言いすぎでしょうか。
十数年も前から残業を批判してきた私ですが、やっと「出口」が見えてきました。経済界の提言で政府が「残業を無くす」法案を準備しているようです。しかし、残念ながらその出口の先にあるのは道路ではなく、崖のようです。
サービス残業が横行し、経済運営が残業に頼る社会から「仕事は成果だから、もう残業代を払いませんよ」と急に言われても、残業が無くなったり、仕事の効率が上がったりすることはあり得ません。そのことを誰よりもよく分かっているのが提言した経済界の方々です。久しぶり給与アップを行った今年に限ってこのような法案を提案してくるのはまた何ともいえない厭らしさを感じます。
だいたいの日本企業は成果主義に失敗しています。万年経営者や管理職がいる企業では、そもそも業務の標準化と成果定義ができていないのです。総合職やゼネラルマネージャーと評して一定年齢を超えた社員の業務をコロコロ転換させ、スキルも上がらず頑張る精神と忠誠心で評価を行っているはずです。
成果主義が大嫌いで大苦手の社会に「成果主義」との言い訳の下で残業代だけを止める考えは社員を搾取するだけではなく、経営の近代化とグローバル化にも反するのです。残業の実態が蔓延るくせに残業代を払わない企業で女性がどうやって活躍するのでしょうか。外国人、特に優秀な外国人がそんな会社に入る訳がないでしょう。
女性が活躍しやすい会社は「残業文化」のない会社です。会議を平気で夜7時以降にする企業では優秀な女性は働けません。重要な会議にも出られない社員に管理職を含め重要な仕事を任せる訳にもいかないからです。
個人スキルと家族を重視する外国人は退社後にスキルアップのための勉強会や活動に時間を使ったり、子供や奥さんと出かけたりする。そんな生活スタイルを守るには、企業における重要会議にも出られず、昇進の機会を失うのであれば、その企業に一日もいないでしょう。
日本人の社員達も残業が好きな人はいません。給料の足しのためか、上司と周りに気を遣うためです。もし、日本企業も退社後に第二の職業を許すようになれば、給料が足りないと思う人は別の企業の仕事に従事すればいいのです。しかし、副業を許す企業は日本にどのくらいあるでしょうか。残業代ゼロとは食料が足りない社員に残飯を食べさせてきたのに、急に残飯も止めるようなものです。
日常的に見える残業という現象ですが、実は日本的ワークスタイルや企業経営と雇用形態に大きく関わる現象です。その実態の改革には大変な社会的、法的、精神的変革が必要ですが、それを避けて単なる残業代だけを止めることはまさに癌にシップを貼るようなもので、残念ですわ。
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知的生産性には、集中と緩和の時間のバランスが重要な要素となると思います。
学生時代に90分とか120分の試験で疲れ果てていたことを考えれば、年を重ねたときに集中力の持続性もわかりやすいでしょう。
残業ができるというのは、ペース配分を「遅く」して調整していることだと言えます。たくさん仕事をしているのではなく、同じ仕事にたくさんの時間を費やしているということ。
チームで仕事をすると、個人個人が連動して仕事に時間がかかってしまう。
このスパイラルで生産性の低下に苦しんでいるのが日本の会社です。
知的生産で世界と勝負をするつもりであれば、重症にならないうちに治療しないといけませんね。
政治家や頭の良い人達の「言葉の巧みさ」を一刀両断していただき、ありがとうございます。
成果主義と語りながら、目標のはっきりしない。そして、短期的な結果を追い求めるあまり、会社の業績を悪くした会社が、今更ながら給料カットの為に思い付いた末の施策。
一見、子育てのためと称して、僅かなベアアップ分を大幅にカットするやり方。
スローガンではなく、日本人のワークスタイルを変える為の根底の仕組みづくりが、この日本は遅れています。
残業カットは、まず霞ヶ関から!
そうすれば、未来の為のアイデアが生まれてくるはずと、感じます。
3つの「残」の記事、全く宋さんに同感です。私は個人派遣業みたいなことをやっているのですが、今手伝いに行っている会社にもほぼ毎日(平日は早朝から深夜まで)出社している社員がいます。それが当たり前となっている会社がまだまだたくさんあります。歳を取ってからの若いころの残業自慢をする人がいますが、聞いていてみっともなくて、まだ幼稚なままの社会が続いていることは残念です。
残業を減らすためには残業代を倍以上にして別個新しく人を雇った方が安上がりというような法整備が必要かもしれませんね。
確か、政府案では残業代ゼロは年収1000万以上の社員だと聞いています。
現在サラリーマンの平均年収が500万前後だと思いますので、ほとんどの人は、残業代ゼロ規制にひっかからないと思います。
また、日本の企業の9割が年商100億以下の中小企業ですが、その中小企業のほとんどで既に残業代ゼロの状態だと思います。
宋さんが仰る話は一部の大企業の話だと思います。
ですから今回の政府案はそれほど騒ぐほどのことではないと思います。
私はサービス残業という言葉が嫌いです。
仕事をするのは自分の為だけではなく、日本社会の為にやるものだと思います。
自分だけ良ければいいという利己主義の人がサービス残業という言葉を使うのだと思います。
これは経営者の問題でもあります。経営者自身が自分のことしか考えない利己主義者が多くなったので、社員も同じ考えになったのだと思います。
欧米流の利己主義の考えが浸透してしまったのでしょう。
その考えの行き着く先がリーマンショックでありサブプライムローン問題なのだと思います。
欧米流の利己主義の考えを捨て、従来の日本社会の為に働くという考えに回帰すれば、残業代ゼロなどというのは、あえて叫ぶほどのない、何の問題もない話になるのです。
私は入社時の挨拶で、残業をしない社員になりたいと言ったら、先輩社員が目を白黒させていました。というのも生活残業が常態化している会社だったからです。でもその後紆余曲折を経て、1部上場する会社にまで成長し、生活残業をする必要が無くなったと思いましたが、社員(社風?)に染みついた残業根性(敢えて根性と書きます)が抜けきらず、仕事が遅れても、残業すれば何とかなると思っているのか残業が一向に減りません。
それに輪をかけているのが、残業して仕事をやり遂げる社員の方が、時間内に仕事を終わらせ定時に帰る社員より、評価される風潮です。だから多くの社員は仕事の効率化を考えません。
働くことを厭わない日本人は立派だと思いますが、その一方で周囲の環境に安住し、唯々諾々として効率化を目指さない人たちが少なからずいるのも確かです。特に大企業に多いような気がします。
ということで逆説的ですが、大企業主導で設定される残業代を払わないことも、良い方向(効率化を目指す)に動いてくれることを願っています。でも中小企業も一色単にというのは、最初に述べた通り無理がありますね。
加えて、日本の組織人(とりわけ年配男性)は趣味の文化が希薄で、
職場以外のコミュニティが貧弱すぎますよね。
平日5時以降の居場所がなくて、会議や飲み会を設定する管理職すらいます。
70代の実父も義父も、退職した途端に認知症を発症し、施設で暮らしています。
少なくとも一歩職場を出たら、職場以外のコミュニティで過ごすほうが、仕事にもプラスで、
介護保険や医療制度など、社会保障にも有益なはずです。
「仕事量が増えても限られた時間でこなそうとするからこそ工夫もするし知恵も出るんだよ」と言って、本人も我々にも残業をさせませんでした。
残業が常態化していた会社の中で、我々が定時に帰り、かつ成果を挙げることができた(からこそ定時に帰れた訳ですが)のは、上司の「残業しないから能力が上がる」「能力を上げることで残業しない」という強い信念と、それを実践したからでした。
宋さんがおっしゃる通り「残」という言葉にロクなものはありません。
残業しないからこそ能力が上がる・・・という信念(実際、その通りですし)を、企業のトップが自覚してもらえれば、日本企業はもっと変わると思うのですが。。。
おはようございます。
また、ご無沙汰をしております。
残業へのご意見、手放しで大賛成!
仕事には、繁閑が付き物ですが、そのために経営計画・リアルタイムのデータの変化分析が有るのでしょう。
わが家では、子ども達に人生で「仕事と休養」、「学習と遊び」この四つは、どれが欠けてもバランスが崩れる、等量等価のものだと教えて来ました。これは各自が自分の意志で「時間のマネジメント」をする事を意味しています。企業は、給料はくれてもヴィジョンはくれないからです。
残業を当てにしている人は他で働ければWIN−WINになる