(都内にあるパチンコを改築したドラッグストア)
いま、首都圏では急速にパチンコ店が減っている。
東京のターミナル繁華街を歩いていても、パチンコ店はあまり見かけなくなっている。
神奈川県内も同様で、たとえば藤沢駅前にあった「ガイア」はドラッグストアに改装オープンしている。茅ヶ崎駅の北口にもパチンコがラーメン屋になった場所があるし、市内郊外の住宅地の幹線道路沿いでも、老舗パチンコがスーパーや洋服店になっている。
とある駅前では大学のキャンパスに生まれ変わったパチンコもある。
首都圏に限らず、関西などの他の大都市圏でも全般的にパチンコの衰退傾向があるようだ。
しかし、地方ではパチンコは減っていない。むしろ巨大店舗の出店が2000年代以降急速に拡大しまくっている。
おおよそ日本人の美意識と逸し、ましてやふるさとの原風景なんかブチ壊したようなパチンコの数々である。建物は体育館や公会堂のように広大で、立体駐車場を併設し、なおかつ周囲は平屋の駐車場が滑走路のように広大に広がっていて、第2、第3の臨時駐車場まで周辺に持っているのが当たり前だ。
店舗の数を比べるとより、わかりやすい。
首都圏の場合、人口24万人の茅ヶ崎市のパチンコ数は7店舗である。人口22万人の川崎市宮前区も7店舗。人口21万の東京都文京区は5店舗。だいたいこんなものである
ところが地方だと、人口25万の長崎県佐世保市で33店舗。23万人の青森県八戸市で30店舗。それどころか、人口10万を割っている鹿児島県薩摩川内市でさえも12店舗もあるから、驚きである。
さらに、これも首都圏では考えられないことだが、地方には「パチンコ併設ショッピングモール」だって、今やいくらでも存在している。
高知県高知市の「はりまや橋」交差点には、西武百貨店が長らく構えていた。
名物の路面電車も通り、高知を代表する観光地にして中心街一等地の立地だったのだが、2000年代になって閉店。ここも、巨大パチンコに生まれ変わった。
地方でテレビを付けると、特に視聴者の多い夜の時間帯はローカルCM枠がとにかくパチンコだらけになっていることがわかる。
どれもその辺からかき集めたような女の子が並んで踊ったり、消えたエンタ芸人が出てくるようなB級脱力系のセンスで作られていることが特徴だ。だが、本来の地元企業が軒並み低迷してCMを打てなくなっている裏での繁栄を考えると、地方におけるパチンコ産業の存在感はけっしてバカにできたものではない。
キング観光 AMEMIYA 切なる願い28名 21 - YouTube
MEGAコンコルド1020刈谷知立店 コンコルド愛知エリアテレビCM - YouTube
極め付けが、「コロナワールド」の躍進だ。
首都圏や関西圏には店舗も存在していないので馴染みは薄いが、東北から九州まで17店舗存在するパチンコを核にした娯楽界の帝王的存在だ。「巨大パチンコ屋をさらにでっかくした規模」を有しており、存在感はかなり大きい。
ここにあるのはただのパチンコだけではない。
ボウリング、シネコン、ゲームセンター、フードコート、マンガ喫茶、スポーツクラブにカラオケボックス、果てはスーパー銭湯やビジネスホテルまで併設している。どれも本格的で、まさに地方農耕社会密着型のリゾート施設といえよう。
ちなみに場所によっては、至近距離に「ラウンドワンスタジアム」があったりする場合もあるそうだ。ハシゴすれば1日遊びつくすことができる。
ここまで見てきて気付くのだが、地方の娯楽は、その中心にはパチンコが存在しているということだ。もっというとコロナワールドを頂点とした地方式レジャー構造が確立されているのである。
コロナワールドがない自治体だって、国道沿いにいけば巨大パチンコ屋がいくらでも並んでいて、その合間合間にあるのはカラオケボックスだったり、マンガ喫茶だったり、ゲーセンやらスポーツクラブやら、結局はコロナの担う娯楽ばかりなのである。
ちなみに首都圏では、道路沿いにカラオケやマンガ喫茶がある光景はほとんど存在していない。
しかし、こうした娯楽に共通している特徴がある。それは、「すべてが屋内空間に閉じ込められている」ということだ。
巨大な壁に覆いつくされており、窓や吹き抜けはほとんどない。そんな空間で耽る娯楽というのは、健やかそうには思えない。
地方ではバブル崩壊以来、遊園地やテーマパークは閉園する一方だった。いまでは「遊園地がそもそも存在しない地域」がいくらでもあり、自然環境は豊かだというのに皮肉にも「青空のもと楽しむレジャー」というものがほとんど存在しなくなっている。つまり、ここでは子どもたちは、高度なアトラクション体験や花鳥風月を愛でるゆとりも知らずに育つのだ。
パチンコ屋が、ある日突然ジェットコースターができることはありえない。ドンキの観覧車やハーフパイプ計画も人も資本も集中する都心だから成り立つことだ、今後いくら景気がよくなろうとも、人口が減る一方で既存の基幹産業が破綻している地方には、未来永劫できる見込みはないだろう。
コロナワールドの店内には、繁栄がありながらも、これ以上の娯楽はここにはありえないんだという「限界」も見せつけている。東京の常識と断絶したムラ社会で、ひたすら消費社会に煽られながら、時間とカネを無駄遣いするサイクルの縮図がそこには存在し、私にはそれが空しいように思えてしまう。