建築エコノミスト 森山のブログ

マンガ建築考の森山高至が「たてものと生活と社会と文化」を考えています。
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「俺の屍を越えて行け」という名作ゲームがあります。
通称「俺屍(おれしか)」です。


ゲームデザイナー桝田省治さんの15年前の作品です。


私の著書「マンガ建築考」と同じ技術評論社さんのシリーズで
「ゲームデザイン脳」という非常に面白い著書を出されています。



このゲーム、どこが画期的だったかというと、

通常のRPGではありえない設定。
ゲーム開始早々主人公が死ぬんです。


時は平安、京の都を荒らしまわる朱点童子に帝が送った討伐の勇者はことごとく打倒される中、お輪と源太というひと組みの夫婦が朱点童子に立ち向かうものの奮闘むなしく源太討死にし、お輪と幼子は朱点に呪いをかけられてしまいます。その呪いとは成長を早められ生後1年半から2年で死亡するという「短命の呪い」です。



ゲームのプレイ中に自分があやつっていたキャラが必ず死期を迎えてしまうため、一族の家系図が出来上がっていきますが


上図に並んだキャラクターの8割は既に亡くなった祖先たちですね。

結果として、ゲームをクリアするまでに何人もの勇者の死を迎えなければならない、何世代にもかけてひとつの目的を遂げたときの、達成感や寂寥さといったものがゲームを通じて体験させられてしまうという凄い設定なのです。

そんな「俺屍」を想い出してしまうのが、伊東豊雄先生の作品履歴なんです。

これが伊東先生の最初の作品「アルミの家
(1971年)」です。
さらに、この建築の作者は伊東豊雄さんではありません。
URBOT(アーボット)です。


当時は大阪万博(1970)の頃ですから日本は高度成長期の真っただ中、科学技術への期待や明るい未来に皆誰もが夢を馳せていたころです。
だとしても、
今建てられたとしても非常に先鋭的といいますか、その異形性とアルミ薄板の揺らいだ被覆という質感は本来建築のモノではないです。この光の反射による像の歪みを建築表現に取り入れる手法はこの30年後に現代美術の分野でゲルハルト・リヒターが出て、レム・コールハース達がチャレンジするまで、誰も気づかなかったんではないでしょうか。

さらに言えば、この建築は木造ですからね。
在来木造住宅の工法は踏襲しながら、無理な危険なディテールはうまく避けながらも、まったく通俗的な家のイコンは消しまくってあります。
特に窓は十分にあって最光状支障ないように設計してあるのですが、いわゆる「お家の窓」が、一切視覚的に認識できないようにデザインしてあります。

むしろアポロ着陸船に見られるような最先端のデバイスを搭載し、地球環境の探査に現れたプローブ(宇宙探査機)ともいえるでしょう。
まさに、この例えそのままに、通俗的な「敷地に家を建てて住む」という行為を、「地球という惑星環境の中に生存スペースを確保する」とでも言った方がふさわしい、敷地と家の惰性的マイホームイメージをいったんぶっ壊し、その根源的意味を問うものでもあります。
そのためだけに
、URBOT(アーボット)は地球にやって来て去っていきました。

次も大問題作です。
「White U(1976)」→その後は一般的に「中野本町の家
(1976)」に改称

この建築も日本の建築史の中で特異的な位置を占めています。

普通の木造住宅が並ぶ住宅地のど真ん中に置かれたコンクリートの彫刻です。
コンクリートのU型をした平面形はどこまでもつながって家の中心というものがありません。いわゆる機能主義建築でも都市型の中庭住宅でもない。

これだけアバンギャルドな建築であっても生活のための機能は随所に巧みに配置されており、水回りからリビング、玄関、個室の空間的な連なりにはまったく無理はないのがかえって不思議な印象を与えます。



日本人の普通の住まいを何か未知の文明の知的生命体が分析して再構成でもしたかのようです。デザインの未来性以上に住居解釈に非常にSF的な印象を与え、「惑星ソラリス」のように、家の方が巧みに変形して人が住むことを受け入れてくれているようにも思えますね。

また後程つづきを書きます。




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