4月28日、この日発売のスピリッツ22・23合併号に掲載された「美味しんぼ 604話」の内容があんまりという事でネット内で炎上騒ぎとなり、それに対してスピリッツ編集部から、以下の様なコメントが発表されました。
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この内容に対しても早速このようなtogetterが作成され、炎上の炎は鎮火する気配もなく、それはとうとう新聞各社の報道でも取り上げられるほどの事態となりました。
ツィッターでは今だに書き込みが行われている状況ですが、これについては私も色々思うところがあるので、改めて今回こちらで取り上げる事と致しました。
編集部コメントには、
これを確かめようとコンビニに寄ってみたらまだこの号がありましたので、早速立ち読みして中身を確認してきましたが、正直の所、読み終えた後は大きな不快感を覚えてしまいました。
コメントに該当する場面は以下の部分で、そこでは鼻血を出した山岡が医者に診てもらって、
「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません。」
と言われ、山岡自身が
「うっかり関連づけたら大変ですよね」
と語っています(以下画像はネットより流用)。
確かにここまではスピリッツ編集部が言う通り
「作中登場の実在の医師について問う展開」
であり、放射線によるものとの「断定」はなされていません。しかし、
問題はこの後です。
ここから話の展開は、山岡が一安心と思った所に「実は私も〜」と山岡と同じ体験をした地元住人からの声が上がり、そして海原雄山さえも「私も〜」と語り出し、
そして最後のページでは双葉町前町長の井戸川氏本人が登場して、
「私も鼻血が〜、疲労感が〜」
「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。」
と語り、皆が呆然としたところで〔次号へ続く〕となる訳です。
もう一度編集部コメントを見てみましょう。
そこでは、【取材先の皆様の実体験や作者の実体験について、作中登場の実在の医師に見解を問う展開】とありましたが、実際は医師に見解を問うているのは山岡(作者)本人だけであり、取材先の皆様の実体験について医師に見解を問う場面などはどこにもなく、それどころか安心した山岡を再び不安に陥れるという内容となっています。
私が問題とするのは、今回のテーマに関して、果たしてこういう展開で〔続く〕はありなのか、編集部は何の問題意識も持たなかったのかという事です。
確かにマンガなどでは、続きを見たくなる様主人公が危機の場面や新たな展開となる所で〔以下次号〕とするのは極めてオーソドックスな手法ではあります。
しかし、通常ならばこれでも許されましょうが、今回のテーマの場合は果たしてどうでしょうか。
こういう話の展開ですと、これはどう見ても読者に対し、実は鼻血は放射線の影響ではと思う様に『誘導する』ものと言われても仕方がありません。
そして不安を煽ったところで〔続く〕として、次号を購入させようとするこの誌面構成。
私はここに、それまで安心させておいて最後に不安のどん底に叩き落し、
「安心するにはぜひこれを!」
と言って商品購入を勧める不安商法と同様のいやらしさとえげつなさを感じてしまうのです。
原発事故から3年、様々な機関による研究により、放射線の健康への影響は極めて小さいとする報告が次々と提出され、人々の間にはようやく安堵の気持ちが生まれつつあります。
しかしそんな中で突如、
「でも本当のところは分からない。」
などと語って人心をかき乱す心無い言説に、福島の住民はもううんざりしているのです。
福島県では今も尚、「風評」に苦しんでいます。
そして危険・安全の区別がはっきりしない中での、漠然とした不安感(漠たる不安)がこの様な風評を生み続けています。
この「漠たる不安」を拭うため、福島の農家の方や漁業者・医師らはこの3年の間、膨大な努力をかけて「確たるデータ」を積み重ね、それを提供し続けてきました。
しかしそれでも相変わらず外部からの「漠たる不安」を唱える声は絶える事なく、その度に福島の人達の心は傷付けられています。
そんな中での今回の「美味しんぼ」です。
この内容に対して多くの方が批判の声を上げていますが、掲載前に編集部では、こうなる事を予測出来なかったのでしょうか。
これまで作品中で福島の「風評」を問題視してると言いながら、結局それを作り出すのと同じ手法で今回の誌面が作られたという事に、果たして編集部では誰も気が付かなかったのでしょうか。
次号の展開がどうなるのかは知る由もありませんが、仮に鼻血が放射線のせいではないとか、皆で風評を無くそうとなってめでたしめでたしという展開になろうとも、こうして不安を煽って次号へ続くとする誌面構成は、とても被災地の住民感情を考慮したものとは見えず、はっきり言って無神経という他ありません。
コメント内で言われている『綿密な取材に基づいた』ものであるなら尚の事、掲載に当たってはもっと被災地への配慮があってしかるべきなのに、その様な配慮の欠片も見られません。
こんな所に私は、被災地の人と中央の人の感覚のズレというのを感じてしまうのです。
今回の様なデリケートなテーマを扱う場合は、おかしな所でタメを作ってじらす様な続き物とするのではなく、増ページによる「前・後編一挙掲載」という形にすべきだったのです。
編集部コメントではさらに、
今回問題視されているのは食品の安全性への評価ではなく、「低線量放射線の人体への影響」についてであり、これにより湧き上がった福島県差別が、その後の「風評」へと繋がっていったという事を、編集部ではまるで理解されていないという事がよく分かるのです。
鼻血や疲労感が放射線によるものと断定する意図は無く、
「断定する」のではなく、それとなく「示唆する」のは構わないと言うのでしょうか。
今回の「美味しんぼ」の炎上についてはとうとうテレビのニュースでも報道がなされましたが、これは作者自身をどうこう言う前に、この様な構成で誌面に掲載を許した編集部こそが、一番責を取るべき問題であると私は思うのです。
ご理解いただきたく、何とぞよろしくお願いします。
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この内容に対しても早速このようなtogetterが作成され、炎上の炎は鎮火する気配もなく、それはとうとう新聞各社の報道でも取り上げられるほどの事態となりました。
ツィッターでは今だに書き込みが行われている状況ですが、これについては私も色々思うところがあるので、改めて今回こちらで取り上げる事と致しました。
編集部コメントには、
鼻血や疲労感が放射線の影響によるものと断定する意図は無く、とあります。
取材先の皆様の実体験や作者の実体験について、
作中登場の実在の医師に見解を問う展開となっております。
これを確かめようとコンビニに寄ってみたらまだこの号がありましたので、早速立ち読みして中身を確認してきましたが、正直の所、読み終えた後は大きな不快感を覚えてしまいました。
コメントに該当する場面は以下の部分で、そこでは鼻血を出した山岡が医者に診てもらって、
「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません。」
と言われ、山岡自身が
「うっかり関連づけたら大変ですよね」
と語っています(以下画像はネットより流用)。
確かにここまではスピリッツ編集部が言う通り
「作中登場の実在の医師について問う展開」
であり、放射線によるものとの「断定」はなされていません。しかし、
問題はこの後です。
ここから話の展開は、山岡が一安心と思った所に「実は私も〜」と山岡と同じ体験をした地元住人からの声が上がり、そして海原雄山さえも「私も〜」と語り出し、
そして最後のページでは双葉町前町長の井戸川氏本人が登場して、
「私も鼻血が〜、疲労感が〜」
「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。」
と語り、皆が呆然としたところで〔次号へ続く〕となる訳です。
もう一度編集部コメントを見てみましょう。
そこでは、【取材先の皆様の実体験や作者の実体験について、作中登場の実在の医師に見解を問う展開】とありましたが、実際は医師に見解を問うているのは山岡(作者)本人だけであり、取材先の皆様の実体験について医師に見解を問う場面などはどこにもなく、それどころか安心した山岡を再び不安に陥れるという内容となっています。
私が問題とするのは、今回のテーマに関して、果たしてこういう展開で〔続く〕はありなのか、編集部は何の問題意識も持たなかったのかという事です。
確かにマンガなどでは、続きを見たくなる様主人公が危機の場面や新たな展開となる所で〔以下次号〕とするのは極めてオーソドックスな手法ではあります。
しかし、通常ならばこれでも許されましょうが、今回のテーマの場合は果たしてどうでしょうか。
こういう話の展開ですと、これはどう見ても読者に対し、実は鼻血は放射線の影響ではと思う様に『誘導する』ものと言われても仕方がありません。
そして不安を煽ったところで〔続く〕として、次号を購入させようとするこの誌面構成。
私はここに、それまで安心させておいて最後に不安のどん底に叩き落し、
「安心するにはぜひこれを!」
と言って商品購入を勧める不安商法と同様のいやらしさとえげつなさを感じてしまうのです。
原発事故から3年、様々な機関による研究により、放射線の健康への影響は極めて小さいとする報告が次々と提出され、人々の間にはようやく安堵の気持ちが生まれつつあります。
しかしそんな中で突如、
「でも本当のところは分からない。」
などと語って人心をかき乱す心無い言説に、福島の住民はもううんざりしているのです。
福島県では今も尚、「風評」に苦しんでいます。
そして危険・安全の区別がはっきりしない中での、漠然とした不安感(漠たる不安)がこの様な風評を生み続けています。
この「漠たる不安」を拭うため、福島の農家の方や漁業者・医師らはこの3年の間、膨大な努力をかけて「確たるデータ」を積み重ね、それを提供し続けてきました。
しかしそれでも相変わらず外部からの「漠たる不安」を唱える声は絶える事なく、その度に福島の人達の心は傷付けられています。
そんな中での今回の「美味しんぼ」です。
この内容に対して多くの方が批判の声を上げていますが、掲載前に編集部では、こうなる事を予測出来なかったのでしょうか。
これまで作品中で福島の「風評」を問題視してると言いながら、結局それを作り出すのと同じ手法で今回の誌面が作られたという事に、果たして編集部では誰も気が付かなかったのでしょうか。
次号の展開がどうなるのかは知る由もありませんが、仮に鼻血が放射線のせいではないとか、皆で風評を無くそうとなってめでたしめでたしという展開になろうとも、こうして不安を煽って次号へ続くとする誌面構成は、とても被災地の住民感情を考慮したものとは見えず、はっきり言って無神経という他ありません。
コメント内で言われている『綿密な取材に基づいた』ものであるなら尚の事、掲載に当たってはもっと被災地への配慮があってしかるべきなのに、その様な配慮の欠片も見られません。
こんな所に私は、被災地の人と中央の人の感覚のズレというのを感じてしまうのです。
今回の様なデリケートなテーマを扱う場合は、おかしな所でタメを作ってじらす様な続き物とするのではなく、増ページによる「前・後編一挙掲載」という形にすべきだったのです。
編集部コメントではさらに、
また風評被害を助長する内容ではないか、とも述べられておりますが、これこそまるで無理解のコメントそのものである訳です。
とのご意見も頂戴しておりますが、そのような意図はなく、
すでに掲載済の「美味しんぼ」作中でも、
きちんと検査が行われ、安全だと証明されている食品・食材を、
無理解のせいで買わないことは、
消費者にとっても損失であると述べています。
今回問題視されているのは食品の安全性への評価ではなく、「低線量放射線の人体への影響」についてであり、これにより湧き上がった福島県差別が、その後の「風評」へと繋がっていったという事を、編集部ではまるで理解されていないという事がよく分かるのです。
鼻血や疲労感が放射線によるものと断定する意図は無く、
「断定する」のではなく、それとなく「示唆する」のは構わないと言うのでしょうか。
今回の「美味しんぼ」の炎上についてはとうとうテレビのニュースでも報道がなされましたが、これは作者自身をどうこう言う前に、この様な構成で誌面に掲載を許した編集部こそが、一番責を取るべき問題であると私は思うのです。
ご理解いただきたく、何とぞよろしくお願いします。