FC東京の不動のサイドバックに起こった9年目の“初体験” 世界にも羽ばたけたはずの男は今、何を思うのか
Soccer Magazine ZONE web 5月1日(木)17時23分配信
10年も前の話だ。FC東京で驚くような出来事が起こった。一人の大学生が当時の現役日本代表SB加地亮からポジションを奪い、周囲をアッと言わせたのだ。そのころFC東京を率いていた原博実(日本サッカー協会専務理事兼技術委員長)は、その大学生だった徳永悠平をこう言って評した。
「あいつは目が良いんだよな。何かギラギラしていて格闘家みだいだよね」
だが、その後の“あいつ”は周りが期待したキャリアを歩んだとは言い難い。
徳永ほど実力を高く評価されながらも自己評価の低い選手をほかに知らない。早稲田大学在学中に特別指定選手としてFC東京で鮮烈なJリーグデビューを飾ると、04年にはアテネ五輪に出場した。翌年、スペイン1部のバレンシアに練習参加して高い評価も得た。
その後は単発で日本代表に招集されても、世界と名のつく大会とは縁遠いキャリアを過ごすようになっていった。すると、徳永自身は、高い舞台から目を背けるようになった。指導者たちは、その背中を押そうと試みたが、決まって「オレは楽しくサッカーができればいいんすよ」とうそぶき、尻込みしてきた。
ただし、06年の正式加入から東京で毎年公式戦30試合以上に出場し、ポジションを守り続けている選手はほかにいないのも事実だ。その徳永が、思いがけない言葉を口にしたのが2年前のことだ。
「負ければたたかれる。責任も重い。でも、注目の集まる中で今の自分がどれだけできるかが知りたい。だからロンドンでチャレンジしたい」
自らのサッカー人生と向き合い、関塚監督からの打診を受けてオーバーエイジ枠での五輪出場を決断した。
出発前、丸刈りになった頭に視線を移すと、「これ、意識したわけじゃないッスよ」と照れ笑いを浮かべた。
華々しい活躍を見せた大学時代と同じ髪形で挑んだ2度目の世界の舞台。初戦でスペインを破り、その後も高い守備能力を生かして四強進出までチームを支え続けた。
世界の空気を思う存分に吸った徳永は、「一度は、海外でプレーしてみたかったというのが本音ですね。今、たくさんの日本人が海を渡ってプレーする姿をテレビとかで見てると、自分もやってみたかったなと思う。オリンピックや、国際大会を経験すると、そういう気持ちが増すんですよね」と飾らぬ言葉を吐き出した。彼には、重くなった腰を上げる刺激が必要だったのかもしれない。
最終更新:5月1日(木)17時23分
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