富岡製糸場の世界遺産登録内定を祝い、社会経済史の普及を希う

富岡市の竜光寺にある、富岡製糸場の工女の墓に建てられた案内板
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 既に各メディアで大々的に報じられており、やや時機を逸しつつありますが、富岡製糸場の世界遺産指定が内定したというニュースについてやはり触れておきたいと思い、思いつくまま一筆しておきます。

 富岡製糸場については、当ブログの記事で過去に訪問記事を書いています。

 富岡製糸場見学記(1) / (1)の2 / (2) / (3) / (4)

 大まかなところは以上の記事で書いたとおりで、それほど継ぎ足すことはありません。今回の記事は、上掲の記事で掲載しなかった写真をお蔵出しで引っ張り出しつつ、思い付きをいくつか足していこうかと。

 富岡製糸場の世界遺産としての価値については、小生思うに、ある産業分野での近代的工場生産が非西欧の国に導入された記念碑であり、しかもその産業が導入された国で発達して世界の市場を制覇するに至ったという、近代化における一つの模範的な例として、世界史的な価値があるといえましょう。さらに、産業構造が変化して、日本の製糸業自体が最後はなくなってしまうのですが、富岡はそのほぼ最後まで現役で働き続けたという、一世紀以上の厚みを持った存在であることも、大きな価値です。
 今回、詳しいイコモスの判定を小生は読む余裕を得ていませんが、「世界史的な普遍性」という点では、京都の寺社や姫路城より上であると個人的には考えます(個別性はまた普遍性とは違う意味合いの価値と思います)。日本でこのような近代遺産といえば、他には・・・あと百年ぐらいしたら、東海道新幹線が指定されるかもしれない!?

 とまあ、こういった近代の社会経済史に注目が集まることは、まことに喜ばしいと思います。そして、できれば一過性のものに終わらず、これからも歴史へ幅広い角度から眺めるような、そんなきっかけになれば・・・・・・と、思ったのですが、「地獄インターネッツ」(@Beriya 氏お得意の台詞)では早速明後日の方向に話が盛り上がっていたようでございます。
 そのきっかけは、評論家?のちきりん氏(どうでもいいことですが、小生はこの方と荻上チキ氏を当初混同しておりました)の以下のツイートでした。
 で、これに刺激されて、「事実誤認だ!」という非難が沸き起こりました。そのまとめが以下のものです。

 ちきりん「富岡製糸場って“元祖ブラック企業”じゃん」(togetter)

 さらにはネットメディアも便乗しています。

 ・富岡製糸場はブラック企業だったのか? 世界遺産に登録される理由とは
(The Huffington Post)
 ・世界遺産登録、富岡製糸場は「元祖ブラック企業」 ちきりん氏の指摘ははたして正しいのか
(J-CASTニュース)
 もっともこう並べてみると、togetter や J-CAST の阿鼻叫喚な内容と比べハッフィントンポストの記事が良くまとまっているなあと、彼我の格差に嘆息せざるを得ません。ハッフィントンが紹介している、

 日本のおカイコさん-2/富岡製糸場への疑問(蝉の日和見)

 も、歴史の語られ方、地域や観光との歴史的遺産との関係について考える手がかりとなる、良い記事だと思います。それにひきかえ、ツイッターはメディアの特性とはいえ、もう製糸だろうが紡績だろうが区別もなしに炎上させているという感じです。
 小生は繊維産業史についてはさほど明るくはないですが、当初の富岡製糸場が近代製糸普及のモデル工場だったため、一般の労働状況とは隔絶した存在であったこと、従って当初の製糸場の労働環境は先進的であっても、まったくそれは一般例とし得ないこと、民間払い下げ後の労働環境はより一般例に近い方向へ悪化したであろうことは容易に想像できます。それだけに、ちきりん氏のツイートはきわめて乱暴ではあっても、慎重に考えればまったく的外れ、とも言い難い面があります。
 然るに、togetter まとめの、コメント欄の阿鼻叫喚たるや。炎上のための炎上と化し、官営時代と民間払い下げ時代との差異を指摘する声はごくわずかで、上掲「蝉の日和見」さんの記事に対しても「左派的な視点」などとレッテルを貼ったりす徒輩がいたりする有様。さらには「歴史や軍事は詳しい人がツイッター上には沢山いる」ので、こういうのはボロが出るから「ネットに感謝」みたいなことを書いている手合いもいますが、このコメント欄でもまったくの頓珍漢なことを書いている輩も目に付きます。そんな中で小生知己の ‏@bando_alpha 氏が、まっとうに時代による変化を指摘していたのには、ホッとしましたが。

 一つ、あまりに酷いのを指摘しておきます。
 このコメントは、こちらのコメントへの返信ですが、元のコメントの紡績と製糸をごっちゃにしているのも大概ながら、この指摘も何が言いたいのか意味不明です。
 そもそも、富岡製糸場をパイロット・プラントとして始まった近代的な器械製糸業が民間で広まっていくときには、諏訪地方など繭産地を中心に、比較的中小の工場が多数生まれました。一方、紡績業では、富岡同様の国によるモデル事業として、二千錘紡績というのが明治10年代に行われます。これは政府がイギリスからプラントを輸入して民間に工場を起こさせるものでしたが、国産の綿花が機械に合わないなどの事情で、どこも経営不振に苦しみます。それに対し、1882年に渋沢栄一はじめ民間主導で大阪紡績が創業します。同社は1万錘の大規模工場を建設し、輸入綿花を使用して、昼夜二交代操業を行って成功を収め、日本紡績業成長のきっかけとなりました。

 つまり、製糸業は巨大な官営モデル工場→地方のより小さな工場、という発展形態だったのに対し、紡績業は比較的小型の官設モデル工場→都市に大規模な民間工場、という逆の形態ですね。なるほど紡績は国の後押しではない会社が成功しましたが、それは「大規模にやったから」です。紡績会社は戦前の日本を代表する大企業たちです。
 生糸を工場で作るのは「器械」製糸といいますが、紡績は「機械」紡績です。紡績の方がプラントの設備がややこしく投資費用がかかるので、地方で小型の工場を分散してやるよりも、大規模工場でやった方が採算が取りやすいのです。さらに、高い機械の元を取るにはフル操業、というわけで昼夜二交代で女工さんを酷使したのは事実ですから、ここはまあ元祖「ブラック企業」かも知れません。夜業だけに。
 あと、製糸業の原料の繭は国産なので、地方に立地するメリットがありますが、国産の綿花は繊維が短く機械紡績に向かないのも、輸入に便利な大阪で成功した理由の一つです。国策としては原料を国内で自給できれば都合が良かったので、政府主導の二千錘紡績は国産綿花にこだわりましたが、大阪紡績はそれをやめたのが成功の一因でした。紡績業が外貨を稼げなかったのは「国内需要対応」というよりは、設備のみならず原料が輸入だったからで、綿糸自体は明治末に輸出産業になっております。

 ざっと検索してみたら、だいたい上記の程度の、門外漢でも聞きかじった程度のことはちゃんとネット上で情報提供されているようです。ですが、ネットで拾った断片的な情報をうまく取捨選択するのは、みんなで炎上の炎に燃料を注ぐよりかは、難しいのですね。
 あと、J-CASTニュースの方も、民間払い下げによる変化の可能性について「識者」のコメントを一応最後に載せていますが、それがなぜ「社会学者」の古市憲寿氏なのでしょうか? 経済史で適任の識者は、研究の厚いこの分野、何人もおられます。誰が識者なのかすら判断できないメディアの記事、程度が知れようというものです。あ、ネットの炎上事件としての識者? それでももっといい人がいそうな・・・。

 まあとにかくその、富岡製糸場は突如フランスからやってきた巨大工場なので、当時としてトンデモない巨大工場だったのはもちろんで、日本製糸業全体としてもかなり立派な建物に属するのではないかと思われます。このことは以前の富岡探訪記の(3)でも紹介しましたが、富岡で後年建て増しされた工場は、レンガ造りではなくもっと簡素な木造です。
おなじみの立派なレンガ造りの建物と、建て増しされた木造の建物が連結されている
(この写真はクリックすると拡大表示します)

後年建て増しされた工場の内部(上掲写真のとは別の建物)
木造で天井もかなり低いことに注目

 以前の富岡見学記の(3)にも写真がありますので、ぜひあわせてご覧ください。

 で、小生思うに、先にも書きましたが、富岡製糸場のスゴいところは、「日本製糸業(それは一時世界を制覇した)の発祥から終焉まで」を一つに体現しているところではないでしょうか。一世紀の歴史が重層的に積み重なっていること、これが世界史的な価値に通じると思います。
 だから、ブラックだホワイトだと白黒つけてネット上で勝利宣言するよりも、レンガのごときややこしい積み重ねの一つ一つの層に思いをはせることで、世界遺産から汲み取れることも大きくなるのではないでしょうか。逆にそれがないと、「世界遺産だからすごいんだろう、すごいんだから世界遺産なんだろう」と表面的な判断に終わってしまい、ただ地図上のマークをめぐるスタンプラリーのハンコへ「世界遺産」が堕してしまうでしょう。・・・日本の世界遺産関係の反応を見てると、もう手遅れな気もしますが・・・。

 最後に、製糸女工についてもっとも重要であろう先行研究を一点紹介して、門外漢による解説に代えます。

東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度
 本書の内容については、たとえばこちらの紹介サイトなどをご参照ください。ネット上でも書評論文などを見つけられると思います。この研究は、製糸女工が勝手に工場を移ったり、引き抜き合戦などが起こらないようにと工場側が連合して設けた女工の登録制度を通じて、近代における「人格」とは何か、というところまで見通した、壮大な研究です。告白すれば、小生は学部生の頃、東條先生の本を読もうと取り組んで挫折した苦い思い出があります。いつかはリベンジしたい古典、の中に自分では入っています。
 で、先のネットの騒動に戻れば、「ブラック企業」の話題でいつも出てくる、働くことを通じての社会とのかかわりや承認、という問題については、東條先生が四半世紀前に女工を題材として論じてますよ、ということであります。検索してすぐ手に入る知識は便利ですが、時にはこのような体系とがっぷり取り組まないと、手に入る知識も判断できないのではないか、学部生時代の失敗を思い起こして、自戒を込めて結びとします。

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by bokukoui | 2014-05-01 23:06 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

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