【コラム】「悪の陳腐さ」見せたセウォル号船長

【コラム】「悪の陳腐さ」見せたセウォル号船長

2014年05月01日17時20分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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  セウォル号のイ・ジュンソク船長にタイタニック号の船長の典範を望んだのは錯覚だったようだ。彼は依然として「よく食べ、よく寝ている」という。「罪の意識」だとか「社会的責務」という言葉は、彼には贅沢なのかも知れない。

  いったい何なのか。自身の主張のように「1年契約の見習船長」という身分の低さが、命の尊厳性に対する認識まで失わせてしまったのか。でなければ「悪が内在化した人間の計算された悪魔的犯罪」なのか。セウォル号の脱出以後に見せた彼の極めて平凡で淡々とした言動は、周囲を当惑させる。

  事件発生の初期、私はイ・ジュンソク船長の平然とした様子を見て「サイコパスかも知れない」という推測までした。「不作為(当然すべきだと期待される措置を取らないこと)による殺人容疑の適用を検討しなければならない」という法曹界の一部の主張に同意した。故意性が、凝縮された法律違反行為だと思った。ニューヨーク・タイムズの報道のように「セウォル号の悪魔(Evil of the Sewol)」という認識を共有し、彼の悪魔性を立証するための行跡の追跡に入った。

  しかし彼の日常は、平凡な市民と大きく異なっていなかった。

  出港前日に船長に会ったという仁川(インチョン)旅客ターミナルの70代警備員をはじめとする何人かの知人たちは「ただの普通の人だった。そんな人がどうしてこんなことをしてしまったのか分からない」と話した。出港前日に酒に酔っ払っていたり、平素から世の中に向けた怒りを吐き出していたりしたかも知れないとの推論は崩れた。

  彼の家がある釜山(プサン)に出張に行った取材記者が伝えた話も、大きく異ならなかった。アルコールや賭博中毒、精神病のような特異な病歴の痕跡を探せなかった。夫人とも平凡な生活を続けてきたという。狂信徒が集まった邪教集団ともあまり関連がないようだった。

  それでは、イ・ジュンソク船長は理性的に理解できない行動を、何故したのだろうか。

  『エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告書』という本が、彼の言動と認識についてヒントを与えてくれる。ユダヤ人出身の政治哲学者ハンナ・アーレント(1906~75)が書いたこの本は、ナチスの典範だったアドルフ・アイヒマンに対する裁判過程と、これを通じた社会病理を扱っている。ユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンは当時の裁判で「そのことは、ただ起きたこと」だと話した。当時の彼を担当した精神科医は「私の状態よりも正常だ」「病理学的に大きな問題がない」と診断した。

  これに基づいてアレントは「悪の陳腐さ(banality of evil)」という、これまでの犯罪とは違った新しい類型の犯罪についての概念を主張した。アイヒマンは、ユダヤ人を虐殺しながらも「考えの無能力さ(inability of think)」により責任を認識できなかったとのことだ。また、何の考えもない状態で仕事をする「思考力の欠如」と解釈できるともした。

  このような論理に従おうとするならイ・ジュンソク船長もまた、他人の立場を考えず、自身が犯した犯罪の結果についてもまともに認知できなくなっていると見ることができる。「専門職になった後、全てのものが無感覚になってしまった」という1人の船長の言葉のように、何の考えもなしで船だけを動かして、社会的責任については考えの門を閉ざしたのかも知れない。

  問題は彼の場合のように「悪の陳腐さ」が染み込んだ人々が、私たちの社会の所々にいる可能性があるというところにある。彼とともに脱出した操舵手は、ある放送局とのインタビューで「(救助マニュアルを)守る状況にならなかった。私は正々堂々と言える」と主張した。また海洋警察幹部は「80人も救助したらすごいことではないのか」とも言った。このような卑劣な言葉の中に「悪の陳腐さ」が含まれているのはでないか。悪と陳腐さという二律背反的な単語の組み合わせが「悪は私たちの生活の中にいる」とささやくようで、背筋が寒くなるばかりだ。

  パク・ジェヒョン社会部エディター

  (中央SUNDAY第372号)

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