経済【国際ビジネスマンの日本千思万考】近くて遠い「反日チンパンジー・中韓」より、遠くて近い「親日・インド」を大事にすべし…パール判事の「知性」を思い出そう+(5/5ページ)(2014.4.19 07:00

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経済

【国際ビジネスマンの日本千思万考】
近くて遠い「反日チンパンジー・中韓」より、遠くて近い「親日・インド」を大事にすべし…パール判事の「知性」を思い出そう

2014.4.19 07:00 (5/5ページ)国際ビジネス
2007年にインドを訪問した際、東京裁判で判事を務めた故パール判事の長男プロシャント・パール氏(右から2人目)と握手する安倍晋三首相(当時も首相)。日本人はパール判事を思い出し、親日国家・インドを大事にすべきだ=インド・コルカタ(代表撮影・共同)

2007年にインドを訪問した際、東京裁判で判事を務めた故パール判事の長男プロシャント・パール氏(右から2人目)と握手する安倍晋三首相(当時も首相)。日本人はパール判事を思い出し、親日国家・インドを大事にすべきだ=インド・コルカタ(代表撮影・共同)

 パール判事の別の語録(日露戦争後の心境を語ったもの)も引用しておきます。

 「同じ有色人種国である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たと言う報道は、われわれの心をゆさぶった。私たちは白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに、毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。私は日本に対する憧憬と祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いに胸がいっぱいであった。私は、インドの独立について思いを致すようになった」

 まさに日本人としても永代忘れるべきではないインド人こそ、この人なのです。

日本がアジアに自由と独立の喜び与えた

 もう一点、特筆すべきは、「日本国がアジアに自由と独立の喜びを与えた」とする植民地解放、白人の有色人種差別撤廃運動に対する日本の国際的貢献をインドの人たちがたたえてくれていることです。1943年秋、日本の呼びかけで、アジア7カ国首脳が東京・帝国議事堂に結集して催された、世界初の有色人サミット「大東亜会議」での、共同宣言の採択です。

 この会議にインドを代表して参加されたのが、仮政府首班・チャンドラ・ボースでした。大戦中から戦後、このチャンドラ・ボースをはじめ、マハトマ・ガンジーや、独立後のネール首相らに代表されるインド各界のリーダー・有識者の多くが世界へ向けて日本をたたえ、感謝の念を伝えました。その無数のメッセージは、いまだにインド政財界・文化人に継承されているというのです。

 こうした観点から思い至るのは、むずかる中韓とは、しばらく距離を置き、インドを代表とするアジアの友好的諸国との心情的・政治外交的距離感をもっと短縮化すべき努力が、今こそ問われているのではないでしょうか。「近くて遠い反日国」より、「遠くて近い友国」をもっと、大事にすべきだと確信する次第です。

(上田和男)

=随時掲載します

上田和男(こうだ・かずお)
昭和14(1939)年、兵庫県淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8年(1996)カナダへ渡り、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。

このニュースの写真

東京裁判の被告ら。インドのパール判事は裁判官11人の中でただ一人、「全員無罪」を主張した=昭和23年(AP=共同)
ガンジス川には、ヒンズー教の儀式のため何千もの人々が集まる。人口大国・インドを象徴する光景で、満員電車並みの混雑ぶりだ(AP=共同)
ヒンズー教の儀式のため、ガンジス川に集まった人々。河岸は人で埋め尽くされている(ロイター)
ヒンズー教の儀式のため、ガンジス川に集まったヒンズー教徒たち(ロイター)

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