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経済
【国際ビジネスマンの日本千思万考】近くて遠い「反日チンパンジー・中韓」より、遠くて近い「親日・インド」を大事にすべし…パール判事の「知性」を思い出そう
パール判事の別の語録(日露戦争後の心境を語ったもの)も引用しておきます。
「同じ有色人種国である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たと言う報道は、われわれの心をゆさぶった。私たちは白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに、毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。私は日本に対する憧憬と祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いに胸がいっぱいであった。私は、インドの独立について思いを致すようになった」
まさに日本人としても永代忘れるべきではないインド人こそ、この人なのです。
日本がアジアに自由と独立の喜び与えた
もう一点、特筆すべきは、「日本国がアジアに自由と独立の喜びを与えた」とする植民地解放、白人の有色人種差別撤廃運動に対する日本の国際的貢献をインドの人たちがたたえてくれていることです。1943年秋、日本の呼びかけで、アジア7カ国首脳が東京・帝国議事堂に結集して催された、世界初の有色人サミット「大東亜会議」での、共同宣言の採択です。
この会議にインドを代表して参加されたのが、仮政府首班・チャンドラ・ボースでした。大戦中から戦後、このチャンドラ・ボースをはじめ、マハトマ・ガンジーや、独立後のネール首相らに代表されるインド各界のリーダー・有識者の多くが世界へ向けて日本をたたえ、感謝の念を伝えました。その無数のメッセージは、いまだにインド政財界・文化人に継承されているというのです。
こうした観点から思い至るのは、むずかる中韓とは、しばらく距離を置き、インドを代表とするアジアの友好的諸国との心情的・政治外交的距離感をもっと短縮化すべき努力が、今こそ問われているのではないでしょうか。「近くて遠い反日国」より、「遠くて近い友国」をもっと、大事にすべきだと確信する次第です。
(上田和男)
=随時掲載します
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