ドラねこ日記

一人旅と読んだ本をお茶を飲みながら感想をまったり語るブログ

「戦争犯罪者・昭和天皇」に騙されないための昭和の日

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

おもしろい漫画について語ろう4

ちわ!わしです。(=´▽`=)ノ

みなさん楽しく漫画読んでますかー?

 

久しぶりのこのコーナー。

天皇がいなくなる?!皇室存続の危機とは?から引き続き、

今回は先日が「昭和の日」だったということで、

昭和天皇について語って見たいと思います!

 

あなたの知らない貴重な昭和天皇のお姿が見られる

漫画を紹介していきますよヽ(=´▽`=)ノ

昭和天皇論 小林よしのり

わし自身、昭和天皇のことをほとんど知らなかった。

 

むしろ、中学の頃習った左翼の歴史教育のおかげで

昭和天皇=極悪人だと思い込んでいた。

 

わし以外にも多くの人が昭和天皇は先の戦争を起こした

張本人だと思い込んでいるだろう。

 

しかしその認識は違った。

昭和天皇ほど、

あの敗戦の混乱の時、国民とともに寄り添った人はいなかったのだ。

 

 知られざる偉大な立憲君主

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

 

没後、21年を経て、昭和天皇が甦る。

失いすぎた我々が今、求めているのは、まさにこの巨人ではなかったか―。

大ベストセラー『戦争論』の続編にして『天皇論』の前編であるばかりでなく、日本と日本人を束ね、戦後65年をゼロからやり直すよすがとなる「象徴」を描ききった、小林よしのり畢生の巨編

この本を読んで驚いた驚いた。

 

まるで知らなかった昭和天皇のエピソードが驚くほど出てくるw

 

戦後、マッカーサーとの対面で

「戦争の全責任を私が負う」

という全責任宣言を行ったこと。

 

  • 玉音放送」で天皇自らが矛を収めるために朗読したこと。
  • その裏で繰り広げられた終戦のための「聖断」のこと。
  • そして「人間宣言」に込められた本当の真意

 

など、今まで知らなかった昭和天皇にまつわるエピソード

これでもかと詰め込まれている。

 

これを読まずにして昭和天皇を語ることはできない。

昭和天皇は決して先の大戦の責任者ではないのだ。

 

そうした天皇観を語る者は、ただ天皇というものを解体したい左翼

天皇を「錦の御旗」として利用しようとしている右翼でしかない。

そのどちらも本当の尊皇心とはかけ離れたものなのだ。

 

真の尊皇心とは、

国民に寄り添い続けた陛下のお姿に感動する人の事を言うのだろう。

そんな姿に感動した、わしもその一人であるw

 

御巡幸に見られる昭和天皇の本当の姿

特にこの昭和天皇論の中でわしが一番好きなエピソードは、

第7章・昭和天皇の御巡幸に出てくる陛下と被災地の方々との交流だ。

 

東京大空襲の翌日、陛下は焦土と化した東京をご覧になり、

「胸が痛む。東京もこれで焦土と化してしまった」

と仰せになって、断固として戦争を終結させる決意を固めたという。

 

それから敗戦を迎え、陛下は全国御巡幸に向かわれる。

最初、GHQ高官たちの間ではこの御巡幸を

「旅先で石でも投げられて惨めな姿でも晒せばいい」

という思惑からこの御巡幸を許可したという。

 

しかし、そうしたGHQの思惑とは裏腹に、

陛下は全国どこへ行っても熱烈に歓迎された。

そして多くの国民を励ました。

 

その時の移動手段にも驚かされる。

天皇の御巡幸といえば、白馬ジープなどに乗って

物々しい警備に守られて行われたと思っていたが、

本当は必要最低限の警備で汽車などにも乗られて行われていたという。

 

そして誰も来ないような辺鄙な田舎の村にも

急造のでこぼこ道でジープが入れないので、

なんと徒歩で歩いて尋ねられたという

 

陛下はどんな小さな村にも足をお運びになられたのだ。

これには心底驚いた。

 

昭和天皇にとって、

辺境の地に住んでいる者でも、全ての民草は宝だと慈しんでおられた。

 

昭和天皇はよく

「この世に雑草という草は存在しない

と仰せになられて、宮中の草むしりもさせなかったという。

 

この世に生息する一本一本の草たちにも、

みんな名があり、命があるということを知っていたのだ。

 

そうした大御心を体現する天皇にとって、

どんなに遠くに居ようとも、国民一人一人が大事な宝なのだ。

それほどまでに陛下は国民を愛しておられ、全国を回り、

励まし続けた。

 

こうして、陛下の御巡幸は沖縄を覗いて全て行われた。

期間にして前後8年半、総日数165日

全行程3万5千kmに及んだ壮絶な御巡幸だった

 

 

志半ばで倒れられ

陛下は壮絶な戦場となり、死者20万人以上が亡くなられた

沖縄をご訪問することを強く望んでいた。

 

しかし、代わりに沖縄を訪問した皇太子殿下(今の今上天皇)夫妻が

過激派に火炎瓶を投げつけられるという前代未聞の事件が起こり、

警備上に責任が持てないということで沖縄への御巡幸は

毎年見送られ続けた。

 

昭和62年、沖縄国体が開催にあわせて開会式のために

沖縄訪問が決まっていたが、翌年慢性膵炎で倒れ、

ついに陛下の沖縄訪問が実現されることはなかった。

 

思はざる

病となりぬ 沖縄を

たづねて果たさむ つとめありしを

 

陛下はそう詠まれて、最後まで沖縄行きの強い意思を示されたが、

昭和64年1月7日、崩御なされた。

 

その時の陛下のご無念を思うと、

胸が締め付けられる。(-_-;)

 

こうした復興のために昭和天皇が全国津々浦々、

国民を励ますために御巡幸をなされたという歴史が、

今、忘れ去られようとしている。

 

わしは改めてこの「昭和の日」に、

この「昭和天皇論」を読み返して当時の陛下のお姿を思い出し、

今現在、自分が平和に暮らせていることを改めて感謝した。

 

それぐらい、してもいいだろう。

わしは所詮「戦争を知らない子供たち」なのだから。

 

この日本のために散っていった英霊たちや、

その英霊たちが生命をかけて尽くした昭和天皇について、

もう少し知ってみても悪くないだろう。

 

そんなことを、つい思った。

 

 

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