2014年04月30日

キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー/マーヴェル白熱教室

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オフィシャルサイト

ロジャース(クリス・エヴァンス)のメモ帳には冷戦、ヴェトナム戦争、ケネディ暗殺、ウォーターゲート、湾岸戦争、といったリストが記されたページもあるんだろうか。正義というよりは大義の人キャプテンは、自分が眠っている間にアメリカの軍隊がウェットワークスに身をやつしてしまったことと、いったいどう折り合いをつけたんだろうか。と思わず真顔になってしまうくらい政治的なオセロゲームとなっていたことでその種のスリラーとしての妙味は確かに味わえたものの、キャプテンの両義性は相変わらず自身の過去との間にしか横たわっていないものだから、ピアース(ロバート・レッドフォード)の策謀が明らかになるにつれ、修正された歴史思想を育てていないキャプテンは、信じたい/信じてほしいといったアジテーションで鼓舞するゴールデンエイジのシンボルに相変わらずとどまり続け、実質的にはピアースとニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)の私闘における先兵の役割に終始してしまっている。ピアースにしたところで、ラディカルな平和維持行動としての大量殺戮を善悪問答の俎上にのせることでS.H.I.E.L.D.あるいはアヴェンジャーズの存在意義にまで踏み込むのかと思いきや、結局は秘密結社の走狗にすぎないという尻すぼみに、そもそもアメコミの荒唐無稽に何をマジになってんの?と冷やかされたような気もして、それ以外のすべてのアクションが呼んだ昂奮が何だかうまいこと着地しなかったようにも思えるのだ。ナターシャ/ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)は冷戦の代弁者であり、ニック・フューリーの暗殺がケネディのそれをトレースしているのだとすると、冒頭にあげた知っておくべきアメリカ現代史リストの最重要項目であるヴェトナム戦争が、大義なき殺戮マシーンとしてのウィンター・ソルジャー(セバスチャン・スタン)に投影されているのは間違いのないところであるにしろ、アメリカ軍兵士としてのキャプテン・アメリカがその愛国者としての精神を真っ二つに引き裂かれるはずの致命的敗北をわが身に取り込むには、極論すればキャプテン自身がウィンター・ソルジャーとなる必要すらあったように思うわけで、実際にはそれがドラマとしてのセンチメンタルな装置にすり替えられてしまっていたことでキャプテンが深淵の怪物と化すに至らなかったのが少なからず残念であり、『ダークナイト』を欲しがるのであればいっそそこまで腹をくくってみせることも必要だったのではなかろうか。エスタブリッシュ・ショットからいきなり火力が全開になる銃撃シーンでの、モノクロームではない彩色された白と黒の流麗な無骨と跳弾の奏でるハーモニーの陶然はまず文句のつけようがなく、白兵戦においてはコレオグラフのよそよそしさを感じさせないダメージの行き来がスマートであったし、ラストバウトでキャプテンの顔面をきちんと変形させていたのにも少なからず感嘆した。そして何よりもマーヴェル・スタジオズがマゾヒスティックなまでに自らハードルを上げ続けているのが無責任に愉しくてたまらないので、このまままだ見ぬ光景に向かってアクセルを踏み続けるひとりぼっちのチキンレースをやめないで欲しいと切に願っている。それと、悪の秘密結社自体がただでさえ胡散臭いファンタジーなのに加えて年代的にウルトラ怪獣と紐付けされるのが結構厄介なので、もうヒドラはハイドラでいいんじゃないかなとも思った。TOTOのセカンドはハイドラ表記なんだよな。
posted by orr_dg at 00:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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