「松井章圭-文章圭」

過去、松井館長に関する書籍は2冊発売されています。1冊は松井自身が著者となった半生記(自伝)。もう1冊は他人が書いたノンフィクションもどきの駄作です。
しかし、本作品は既存の作品とは全く異なります。
私と松井館長の友情関係をベースにしながらも、決して「情」に流され「贔屓目」になる事なく、あくまでも客観的、かつ俯瞰的&局所的に見た松井章圭という「人間」を描く本格的ルポルタージユを私は書きたいと以前から思っていました。

話は逸れます。
幸いにも私は最近、元警察庁インテリジェンス(キヤリア官僚)で現在は超一流商社の役員に就いている人物と知己を得ました。私の顧問弁護士・N先生を通じた「早稲田大学閥」の関係です。
仮に某氏としておきます。
顧問弁護士のN先生も、多くの政治家や首相を輩出した「早稲田大学雄弁会」出身の大物で、山崎拓や森善朗らの兄貴分的な存在です。政治経済界にも大きな影響力を持っています。
一方、某氏は警察公安畑を50年以上歩んできた「叩き上げ」のキヤリアです。国内外の政治経済事件に精通しているのは当然の事。俗に「在日」と呼ばれる在日韓国人・北朝鮮人たちについての情報はさすがにプロだと驚嘆するしかありません。
ところで、現在では暴力団員など反社会組織のメンバーの過半数が在日であり、また多くの事件を起こしています。近い例で言えば「和歌山のカレー殺人事件」「公立学校乱入大量殺人事件」…。容疑者はみな日本人!? しかし彼らの氏名は通名に過ぎず実際は在日韓国・北朝鮮人です。にも拘らず「朝日新聞」など自虐的偽善メディアは「人権問題」を理由に、これらの事実を決して明らかにしないのです。
そこで必要不可欠な治安組織が「公安警察」なのです。


話は本筋とは全く違うのですが…。私は、例えば「オウム真理教」の麻原が実名・松本と呼ばれ続けているのか不思議でなりませんでした。松本は通名に過ぎず彼は在日北朝鮮人です。

①何故、「在日」が起こした重大事件は通名でしか発表せず、容疑者の本性をメディアは隠そうとするのか!?

②非合法組織のメンバーは何故増え続けているのか?

③国家行政は「在日」をどう扱いたいのか

④「在日」を巡る韓国の拒否感情と日本の同情

⑤過去、「在日」が通名にて犯した凶行事件~何故、実名は闇に葬られたか?
以上のテーマでルポルタージユを書くのも以前からの夢でした。

それらの疑問が、今回某氏と出会う事で俄に現実味を帯びてきたのです。


余計な話で失礼。
とにかく某氏は自衛隊、国税庁、警察庁・警視庁は自らの「畑」のようなもの。政治家は故・竹下元総理から安倍現総理とも太いパイプを持っています。
一方で、清濁併せ飲むが如く、また公安の宿命として裏社会にも広い人脈を有しています。裏社会頂点に君臨する「菱紋6代目」とは旧知の仲。全国の広域暴力団~暴力組織や反社会組織のトップともツーカーの関係にあります。
それだけではありません。
学生時代から合気道(芦原英幸のSABAKIに多大なる影響を与えた富木流)や柔道をたしなみ、今も尚、現役で逮捕術(乱取り)を若手警官たちに指導する武道家です。各武道・格技団体の役員を歴任し、関係者からは「武道界のドン」とも呼ばれています。




ある日、私は都内のホテルで某氏とN先生を交え、雑談に花を咲かしていました。いつしか話題は、日韓の対中防衛問題になり、そこから大山倍達総裁、松井章圭の話に飛び火していきました。

かつて大山倍達総裁がそうであったように、人間には武道や空手だけでは括れない様々な「顔」があります。松井館長も例外ではありません。近年の松井館長は空手家としてより、実業家としての大成を望んでいるような言動が目立っていました。
しかし私はそれが「悪」だとも「非常識」だとも思いません。何故なら、それこそが人間の本質だと信じているからです。
銭がなくては電車にも乗れず、食う事も出来ないのですから!! 銭がなければ世界組織の極真会館を維持する事など到底不可能です。
「愛さえあれば~」
なんていう能天気なバカ歌を聴く度、私は不愉快な吐き気に襲われます。銭を稼ぐビジネスは最も現代人らしい文化的行為なのです。私は松井館長の言動に疑問を抱いた事はありません。
しかし某氏は松井館長を「隙隙が目立っ未熟なビジネスマン」だと言いました。N先生は「自分のイメージ作りが下手」だと言いました。松井館長とは面識のない彼らですが、前述したように私が驚くほど松井章圭に関する情報を有しています。
勿論、彼らはありがたい事に拙書「大山倍達の遺言」の愛読者です。また某氏は緑健児氏はじめ新極真会のトップとも某政治家を通じて接点があります。だから極真会館の分裂騒動に関する知識は十分に持っています。
しかし彼らは決して松井章圭を嫌ってはいません。「極真空手をまとめるべき人間は松井さんしかいない」と口を揃えます。だから前記した彼らの言葉は「思いやり」であり松井館長への中傷ではないのです。
「ビジネスマンは信用が最も重要です。何故か松井さんは人望がない。目の前の得を取る為に簡単に人を切る。簡単に手のひらを返すと言うんですね。仁義を重んじる向こうの人間もそう私に愚痴を言う。それが松井さん最大の課題ですね。他人を信じないのか、優秀な極言居士を寄せ付けないようです。今では新極真会の緑君の方が人望もカリスマ性もあるみたいですよ」
私は悪友だからこそ、彼らの言葉が他人事ではなかった…同時に、改めて私は「空手家」ではない松井章圭の顔に興味を抱いたのです。
特に某氏が最後に言った言葉が耳に残って離れません。
「松井さんはどこにいっても大物扱いですから。かの許永中さんの懐刀だし、公安では最重要人物に指定されていますからね。小島さん、味方になってやって下さい」


閑話休題。
このような別世界に生きる実力者の迫力には凄まじいものがある。笑いながらも眼は鋭い。芦原先生を彷彿とさせる。
たまたまホテルラウンジで素行の悪い2人連れが騒がだした。某氏は突然立ち上がり、2人の衿を掴んで凄んだ。彼らは早々にホテルを出ていった。
「殴ると罪になっちゃうからね」
席に戻ると某氏は笑った。既に齢70は優に過ぎていると思えるのだが…あの迫力には脱帽でした。
私はこうした力強い助っ人を得る事で、「人間」としての松井章圭について書いてみたいと久々に、かつ現実的に思ったのです。
「松井章圭」を通名にしつつも、かつては通名を嫌い大山倍達総裁に直訴までして本名に拘った理由。未だ帰化せず「在日韓国人」として生きながらも、アメリカ在住許可証(グリーンカード)を自慢し「僕はアメリカ人だ」と言った彼。
文章圭は一体、誰なのだろうか。日本人でなく純粋な韓国人でもなく、かといって正確にはアメリカ人でもない…「本当の素顔」を書いてみたいと思いました。

私にとっては大切な親友の松井館長です。「憎み切っても憎めない愛嬌ある人間」なのです。とはいえ彼は紛れもなく「公人」です。公人である以上、ルポルタージユを超えた最高にジャーナリスティックな作品にまとめたいと…新たに決意した次第です。

最後に…
とはいえ、私は「個人」として何があっても松井章圭の敵にはなりません。
これが私なりの仁義です。


私の執筆意欲はまだまだ消えません。
ある歴史的人物の評伝と、私自身の幼少期から少年時代を描く小説(ブログで触れています。参照を)をかたちにするまで…あと10年は頑張る覚悟です。
その後は「灰」のようになってHawaiiに永住します。

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