第二十一話:不屈の精神
注意! 注意! 注意!
この話には
グロテスク描写・拷問的性描写、並びに主人公が悲惨な目にあいます
そういった方が苦手な人は、後半部分は見ないように注意してください
それにしても、随分と暴れましたねえ。
力無く吊り下げられているマリーを眺めていた九丈は、そう、呟いた。
「まさか小娘一人を始末する為に、苦労して用意した手下のほとんどを失うことになるとは……おかげで私の計画が全て台無しですな」
しゅるりと、着物から伸びた幾つもの細い触手が、マリーの顎を持ち上げるようにして撫でる。目を瞑っているからこそ栄える美しくも愛らしい顔立ちに、にゅるり、と透明な粘液がコーティングされる。
にゅるり、にゅるり、にゅるり。瞬く間に粘液まみれになったマリーの身体を這い回る様に、ドレスの裾から触手が潜り込む。それを見た二人が飛び出す前に、「動くな」九丈は二人を睨みつけた。
「そこから少しでも近づいて見なさい。お二人の攻撃が私に届く前に、この子の首をへし折ってあげましょう」
そう言いながら、九丈は触手の動きを止めない。ウィッチ・ローザの明かりに煌めくマリーの姿は、血と粘液と泥にまみれても変わらない美しさと、淫靡な気配を覗かせていた。
「……は、それがどうしたのじゃ」
練り上げた魔力が、イシュタリアの身体からふわりと立ちのぼる。『時を渡り歩く魔女』として畏怖された伝説が見せる、本気の眼光。隣に立つ無憎が思わず慄く程の迫力……それを、イシュタリアは全く手加減せず九丈へと放った。
「首でも何でも、へし折るがよい……その瞬間、貴様を殺し尽くしてやろう。その後、私の魔法術で治せば済む話じゃ」
「おほほほ、怖い怖い……さすが『時を渡り歩く魔女』と呼ばれた御方の言う事は違いますねえ」
「――ほう、私のことを知っているか……感心じゃのう」
じゃがな、そうイシュタリアは言葉を続けた。
「それならば、私の言葉がただのハッタリでは無いことぐらい分かるじゃろ?」
ぼこっ、と隆起した地面から作り出した手斧を二本、構える。隣に立つ無憎も、イシュタリアの反応を見て片手剣を構えるが……九丈は、それらを前にしても余裕を崩さなかった。
「そうですね、あなたの言葉がハッタリではないことは分かります」
おほほほ、九丈はあの笑い声をあげた。
「ただ、全てが本当ではないことも分かります」
しゅるりと、触手の一本が動く。それに気づいたイシュタリアが飛び出す――しかし、その足は直後に止まった。それを見た九丈は、にやにやと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「おや、来ないのですか? 私の首はここですよ?」
「…………っ」
とん、とん、と己の首を叩く九丈を、イシュタリアは無言のままに睨みつける。次いで、その視線が……マリーの頭にへばり付く鋭い肉の凶器へと向けられた。
それの見た目は、肉茨の兜と言ってよかった。色合いは触手と同じだが、頭を囲うようにして伸ばされた、鋭い硬質な刃。分厚くも欠けた部分が見当たらないそれが、傷をつけない程度にマリーの額に食い込んでいた。
「私自身、『魔法術』に関しては聞きかじりでしてね。知識だけを考えれば、あなたの足元にも及ばないでしょう……ですがね、何も知らないわけでは無いんですよ」
ぼこん、と地面から飛び出した新たな触手が、イシュタリアたちを個別に囲む。斑と焔の驚愕の叫び声が響く中、その身をくねらせていた触手が、びくん、と痙攣する。
そして、その痙攣を数回程繰り返したと思ったら、それらの先端がぬちゃりと粘液の糸を引いて割れ……中から覗かせた大きな眼球が、ぎょろりとイシュタリアたちを捕らえた。
「例えば、どんな大怪我でも治せる魔法術は有っても、死者を蘇らせる魔法術は存在しないということとか……ですかね」
「――っ」
「おや、反応を見せない……大したものです。ですが、どうやら図星だったようですね……少しだけ、斧を握る手に力が入ったのを見ましたよ」
つぷっ……マリーの額に食い込んでいた先端から、血の玉が浮かぶ。それは瞬く間に重力に耐えられなくなって鼻筋を伝い、唇を伝って顎から滴り落ちる。それを見ていたサララが、憤怒の表情で立ち上がるが……。
「おっと、動かない方がいいですよ」
触手の眼球がぎゅるりとその身をくねらせ、サララを威嚇した。
「その目は全て私に繋がっております……だから、何時までも気絶したフリをしていても無駄ですよ、金髪のお嬢ちゃん。そこでまともに動けないでいる人間の真似をしても……私にはバレておりますよ」
「……っ!」
その言葉に、ナタリアと源の肩がわずかに動く……それだけで、九丈には十分だったようだ。源の傍を離れようとしないテトラの様子を確認してから、九丈は改めてイシュタリアへと目を向けた。
「あなたたちが少しでも変な動きをした瞬間、私のコレが、この子の頭を貫きますよ」
「貴様……!」
ふわりと、イシュタリアの黒髪が逆立つ。感情の高ぶりが、そうさせている。そうしてしまうのを、イシュタリアは抑えられなかった。
「死者蘇生の魔法術を習得しているのであれば、どうぞ、私の首を取りに来なさい……その時は、私が大馬鹿者だったということだけですからね」
つぷっ、つぷっ、マリーの額に付けられた新たな傷から、血が滲む。それを見やったイシュタリアたちは、肉体が燃え尽きてしまいそうな程の怒りに歯軋りをする。得物を握り締める指に、ギリギリと力が入る。
それが、九丈には堪らないのだろう。「いいですよ、その顔」キツネ顔を歪に歪ませながら、その瞳に心からの歓喜を滲ませていた。
「その顔が好きなんですよ、その顔が……」
しゅるり、しゅるり。イシュタリアたちを焦らすように、マリーの前で触手を愚鈍にくねらせる。二人のみならず、少し離れた所でこちらを睨みつけていた彼女たちの視線を確認した九丈は、にやりと笑みを浮かべた。
「武器と、その肩に掛けている袋を下ろしなさい。この子を殺したいのなら、そのままで結構ですよ」
静かに、それでいて肯定以外の返答を許さない命令。一瞬、イシュタリアと無憎は互いに視線を交差させる。マリーの命には代えられないが、ここで武器を失えば……どうなるかは考えるまでもない。
かたん、と嫌な音がしたのを耳にして、イシュタリアは九丈を警戒しつつ振り返る。眼球触手の向こうに見える、もう一つの触手の檻。今の音は、そこに囲われたサララが、『粛清の槍』とビッグ・ポケットを地面に捨て置いた音であった。
項垂れているサララを他所に、しゅるしゅると、触手が『粛清の槍』を掴む。ずるずると槍が外に引きずられ、槍の柄に数本の触手が絡み付く。そして、しばしそのまま時間が流れた後……フッと、槍は放物線を描いて彼方の陰を転がって行った。その直後、槍を追いかけるようにビッグ・ポケットが放物線を描いた。
……これで、サララはまともに戦えなくなった。固く唇を噛み締めているサララと、イシュタリアの視線が交差する。無言のままに懇願の眼差しを向けるサララに、イシュタリアは血が出る程に唇を噛み締める。
イシュタリアとて、分かっていた。この状況で命令に背くことがどういうことになるのかを。無憎もそれが分かっているからこそ、イシュタリアの判断を仰ぐように得物を下ろしているだけで、放してはいなかった。
武器を捨てるのは簡単だ。時間にして5秒も掛からない……だが、それをすればマリーのみならず、サララもナタリアもドラコも……生き残る可能性が潰えてしまう。確実に始末される……まだ体力を残し、かつ死に難いイシュタリアを除いて。
(せめて、こやつらだけでも……!)
その僅かな葛藤が、イシュタリアの手から力を抜くのを迷わせる。探究者として、長き時を生きる者として、命の引き算を意識せずに行ってしまう。冷酷なまでに、命を数で捉えてしまう。
……イシュタリアは知らず知らずの内に動揺していた己に気づいていなかった。今、彼女の眼前に立つ化け物が、そういう葛藤を見逃す相手ではないと言うことに、思考が行っていなかった。
「……ふむ、そういう顔も好みですが」
ジッとイシュタリアたちの顔を眺めていた九丈が、ポツリと呟く。ハッと我に返ったイシュタリアが、慌てて九丈に振り向く。
「まっ――」
しかし、遅かった。イシュタリアが反応するよりも前に、死に掛けたヘビのように愚鈍であった触手が、弾丸が如き勢いでマリーの胸部を叩いた。
「――ごぉ!?」
聞くだけで肩を竦ませてしまいそうな、鈍く、重苦しい打突音。その一撃は、失っていた意識を瞬時に叩き起こし、苦悶に顔を青ざめさせる程の威力があった。
かはっ、けはっ、意識外から与えられた特大の苦痛に、マリーは拘束されたまま涎と涙を流して悶絶する。脂汗が一気に噴き出した横顔を見やった九丈は、おやおや、と驚きの表情を袖で隠した。
「骨の二、三本は砕いたと思ったのですが……これが、『ドレス』というやつの効果なのですねえ……少々驚きましたよ」
ぐりぐりと、今しがた攻撃した部位を摩りながら九丈は目を瞬かせる。何度も咳き込んでいたマリーは、途切れそうになる意識を持ち上げた。
「だ、誰だてめえ……」
混乱の極みにあったマリーの赤い瞳が、九丈を捉える。「……お前が、九丈か」しばし思考を働かせた後に出された答えに、九丈は満面の笑みを浮かべて――。
再び、触手がマリーの胸部を叩いた。「――ごぉ!?」あまりの衝撃に半ば白目を剥きかけたマリーは、反射的に唇を噛み締めて意識を保つ。鮮血が滴るあごの下を、ぬるりと触手が撫でる。
「お前、呼ばわりされる覚えはありませんね。特に、苦労して用意した手下を壊してくれた『お前』みたいなやつには……」
肉茨の兜から零れたマリーの髪を、九丈はまるで雑草を引っこ抜くかのようにグイッと持ち上げる。「さて、と」涎と、涙と、鼻水と、鮮血。この四つで汚れた顔を、九丈はイシュタリアたちに見せつけた。
「まだ、答えは変わりませんか?」
「……っ」
誰に対して言っているのか、分からないイシュタリアでは無かった。判断を仰ぐ無憎の視線もそうだが、背後から感じ取れるサララの懇願の眼差しが、何よりも心を締め付ける。
「イシュタリア……お願い。私の一生のお願いだから……」
普段のサララからは想像できない、か弱い声。それに込められた思いを嫌がおうにも感じ取ってしまう……握りしめた手斧の柄にヒビが入る。
ピクリと反応を見せた九丈を精一杯睨みつけたイシュタリアは、固く目を瞑ってゆっくりと手の力を抜き、そしてビッグ・ポケットを下ろす。それを見やった無憎は同じように武器を地面に置いた。
「そういう素直な人は好きですよ」
イシュタリアたちの荷物を、サララの時と同じように全て彼方に放り捨てる。イシュタリアたちから向けられた殺気を心地よさそうに受け止める。「それじゃあ、両手を私に見える様にあげていてください」、と告げられた九丈の指示に、イシュタリアたちは大人しく従った。
「おっと、そこの魔女。『何でも凍らせる手』で私の触手を凍らせても、意味はありませんよ」
キセルの先端が、イシュタリアへと向けられる。
「全ての触手は私に繋がっていますが、何時でも切り離すことも出来ると忠告しておいてあげましょう……余計な事をして、この子を殺したくはないでしょう?」
「…………」
イシュタリアは、何も答えなかった。反応しようとも、思わなかった。
「……てめえ、イシュタリア……」
ただ、マリーだけは違っていた。己の耳が捕らえた声にイシュタリアはおもむろにマリーを見つめる。「マリー……!」サララの涙声を背中に受けたイシュタリアは、睨みつけるマリーの赤い瞳に唇を噛み締めた。
「い、今がどういう、状況なのか分かって、いるのか……」
「分かっておる。お主のためなのじゃ」
「ばか……やろう……分かってねえ、じゃねえか……」
顔色は青を通り越して白くなっており、脂汗がびっしりと噴き出している。息も絶え絶えで、呼吸するだけでも辛いのだろう……それでも、マリーはイシュタリアを怒鳴る。出来る限りの、大声で。
「今すぐ、武器を作れ……てめえ、俺一人のために……全員、殺す気か……」
「言うな」
静かに、イシュタリアはマリーから視線を外した。
「お、俺のことなんて、考える……な……俺ごと、こいつを殺せ……」
「頼む、何も言うな」
「お前は……お前のやれることを、やるんだ……」
「それ以上、何も言うな……私に、そんな考えをさせるな……そんな選択をさせるでない!」
一瞬だけ、イシュタリアは激情に表情を歪めた。しかし、イシュタリアはそれをすぐに引っ込める。「情というものは、本当に厄介じゃのう……」そう言って、口を噤んだ。
それを見やったマリーは、しばしの間黙ってイシュタリアを見つめる。「……済まない」とだけ呟いた後は、それ以上何も言わなかった。ただ、己を拘束する九丈を睨みつけると、ぶっ、と血反吐交じりの唾を吐きつけた。
だが、九丈は全く気にしなかった。むしろ、顔に浴びた血反吐を指で掬うと、これ見よがしに舌で舐め取った。楽しくて仕方がない……そんな感情が、顔中から滲み出ていた。
「おほほほ、いいですねえ。そういうのを見たかったんですよ、そういうのを……ねえ!」
笑みを浮かべた九丈の触手が、三度目の攻撃をマリーに与える。ごほっ、と吐き出された鮮血を、マリーは歯を食いしばって耐える。そしてマリーは、張りつめた顔のイシュタリアから、離れた所で座り込んでいるサララへ視線を向けた。
びくん、とサララの肩が震える。マリーの視線から逃れる様に、肩を縮こませる。それを見たマリーは、大きく咳をして塊を一通り吐き出すと、血で汚れた歯を見せながら歪な笑みを浮かべた。
「そんな顔するな……なあに、すぐに逆転してやるさ……」
「おほほほ、言うだけならだれでもできますねえ」
ずどん、と直撃した触手に、マリーは血飛沫を噴く。痺れて感覚が無くなるまで奥歯を食いしばって、零れた呻き声ごと口内に溜まっていた血反吐を吐き出す。
「よかったですねえ、『ドレス』を着ていて……でないと、まともにお喋りも出来ませんでしたよ」
まあ、その我慢もどれぐらい続くのやら。そう続けた九丈の、勝ち誇った笑みを、マリーは横目で見やる。喋れる程度にまであらかた吐き出してから、大粒の脂汗が滴った顔で笑みを作った。
「九丈……俺は今回の件について、ある程度読めてきたぜ――っ!?」
そう言った途端、キセルの先端がマリーの頬に当てられた。じゅう、と焦げる音と共に、マリーの目じりがピクリと引き攣る。キセルが離れた後には、小さな火傷痕がくっきりと焼きついていた。
「口の聞き方には気を付けるべきですよ。あなたの命は私の掌……殺そうと思えば、何時でも殺せるのですよ」
そう言って頬を歪ませた九丈に、へへへ、とマリーの唇が弧を描いた。
「お前には出来ねえよ」
「なに?」
九丈は眼を瞬かせた。
「俺をさっさと始末せずにこうやって人質に取ったのは、俺を逃がさないためと、俺を殺せば自分がどうなるか分かっているからだ」
はっきりと、マリーは言い切った。
「このまま俺を連れて逃げようとしないのも、何か逃げられない理由がお前にはあるからだろう? 実の所、追い詰められたのはお前の方だというのが俺の考えだ」
「……おやまあ、この期に及んでもその減らず口……大した根性ですねえ」
「事実さ……現に、お前はこれだけ俺に言われても殺そうとしない。お前は俺を殺す為だけに入口を封鎖して、持てる戦力のほとんど費やし、そして失った。そうやってデカい顔出来ているのも、俺という人質があるからこそだ……それに、今のお前の頭には……」
マリーの赤い瞳が、九丈を見つめた。
「『どうにかしてこの状況を切り抜けよう』。お前の手札と計画をぐちゃぐちゃにした俺をどうするよりも前に、お前が今考えているのは、それだろ?」
「…………」
「ついでに言わせて貰えば……俺を殺そうと決めたのは、お前の後ろにいる誰かだろ? お前自身は俺を殺すことに関してそれほど御熱心じゃない……これまでお前が戦力を小出ししたり、閉じ込めたりと回りくどいやり方をしたのも、俺らを弱らせた後に、少ない労力で事を終わらせようと思っていたから……違うか?」
「…………」
それに関しても九丈は何も答えず、無言のままに灰を落とした。懐から取り出した新しい煙草をぽとりとキセルにはめ込んだ。
動揺を隠せただろうか。虚空へと解けて消える煙を見やりながら、九丈は内心冷や汗を掻く。『あの方』から頂いた『超小型トーチ』を使って火をつけて、ぷかりと煙をくゆらせる……心が少し、落ち着いた。
(なんとまあ、恐ろしいやつだ。誰よりも危険なその状況で、誰よりも冷静に状況を見ている……やはり、こいつを弱らせることだけを考えて出し惜しみしなくて良かったですねえ)
実際のところ、残っている『手下』の数は片手で数えられる程度しかないのは事実である。それに何より、マリーの推測の大半が的中していたことに、九丈は驚きを抑えきれなかった。
己が実はそれほどマリーに興味を抱いていないということ、少ない労力でどうにかしたかったということ、どうにかしてこの状況を切り抜けたいと思っていること……大方当たっていた。
しかし、だ。いくつかマリーが勘違いしていることがある。
(入口を封鎖したのは私では無いんですけどねえ)
それが、まず一つであった。『地下街』に来た夜に『手下』をぶつけたり、『ツェドラ』に連行したりしたのは、確かに九丈が実行したことだ。だが、それ以外は違う。
しゅるりと、マリーたちに気づかれないように触手眼球で辺りの様子を確認する。視界に映る範囲では全く変化を感じないが……しゅるりと、監視をイシュタリアたちへ戻す。
(変身したこいつの戦闘能力には目を見張るものが有りましたけど、それももう使えない。『手下』は残っていますから、最悪それを囮にして逃げ隠れるだけなら出来そうですが……)
とはいえ、ここまで来てそんなことをしてしまったら、『あの方』に怒られそうだ。いや、怒られるだけでは済まない……『あの方』の性格を僅かではあるが把握できている九丈は、カリカリと頬を掻いた。
(入口の件は、おそらく『あの方』がやったのでしょう……どうやったかは知りませんが、『あの方』は今もこちらを監視しているとみて間違いないでしょうねえ)
こうしてマリーを拘束し、イシュタリアたちを抑えつけることに成功しているのに、まだ『あの方』は姿を見せようとしない。それは九丈を恐れているからなのか、それとも高みの見物をしているのか……いまいち、九丈には分からなかった。
『マリーをこの地に連れて来て殺せ、私を楽しませろ』
その命令を『あの方』から受けたのは、かなり前のことになる。バルドクたちを使い、『あの方』からある程度の情報を集めていたものの、九丈自身はもう少し時間を掛けて取りかかろうと思っていた。
それを無理やり早め、わざわざマリーをこの地に呼び寄せたのも、先日、ついに『あの方』から最後通告を受けてしまったからに他ならない。
なぜこんな小娘を狙うのか……元々マリー個人に覚えも無ければ恨みも無い九丈にとって、それらの疑問を考えなかったと言えば、嘘になる。尋ねてみようと思ったこともある。
ただ、『あの方』の機嫌を損ねたくなかったから、結局口には出さなかった。『あの方』の機嫌を損ねねば、自分もどうなるか分からなかったからだ。
(おそらく『あの方』は気づいている。私が『あの方』に黙って全てを己の物にしようとしていることも、その為に『三貴人』である斑と焔を捕らえようとしていることも、『あの方』は承知のはずだ……なのに、どうして私に何も言ってこない? なぜ私を泳がせたままにする?)
亜人は遅かれ早かれ、『ツェドラ』に押し込まれたアレに行き着いてしまうと『あの方』から聞かされたのがそもそもの始まりであった。その話を信じている九丈にとって、この世界に固執する理由を見いだせなかった己の現状を、『あの方』は全て変えてくださった恩人であった。
『あの方』のおかげで九丈は己の中に眠っていたモノを知り、その使い方の一部を『あの方』から教えてもらえた。大勢の内の一人でしかなかった自分が、ここまでの力を手に入れることが出来たのも、全て『あの方』のおかげだ。
どうせ長生き出来て50年そこそこ。元々度胸の無い性分だから、地上に出てみようという根性など無いと、九丈は己を理解している。だからこそ、最初の内は『あの方』の言うとおりにだけ動いていた。
(まあ、すぐに余計な事を考える様になりましたが……)
己に仄暗い野心が眠っていたことに気づいた時、三日三晩眠れなかったのを昨日のように覚えている。しかし、九丈は己の野心を抑えきれず、『あの方』に無断で薬を使用し、『手下』を増やして『あの方』に対抗できる力を用意しようと計画していた。
だが……九丈は溜息すら零せず、内心の苦々しい思いを抑えつける。入口の落盤を知った九丈は理解させられた。気付いていないわけがなかったということを、あんな形で思い知らされた。
(地上への出口を閉ざしたということは、『地下街』の亜人のほとんどを私の『手下』に変えていたことも、あの方に対抗しよう練っていた私の計画も、全てバレていると思った方がいいでしょうねえ)
九丈は、その計画の大前提をぶち壊したマリーを見上げる。変身した時の姿を思い浮かべ、煙草が不味くなったのを実感した。
(バルドクからの話では、この小娘は『乗り物』で危険な状況に陥っても変身しなかった……それに、『手下』をぶつけてみた時も変身しなかった。確証は無いですが、おそらくその力はここに来てから習得したと見た方がいいかもしれませんねえ……)
腑に落ちない。九丈はぷかりと煙を吐く。
(もしかしたら、『あの方』が力を与えたのでしょうか……ですが、もしそうだとしたら何の為に? 私には殺せと命じておきながら、小娘にはそれに対抗する力を与える……『あの方』の思惑とは、いったい……!)
取り留めも無く、確証も無い推測が脳裏を過る……が、すぐに九丈はそれらの思考を切り捨てた。そんなことを考えるよりも前に、『あの方』から授かった仕事を達成する方が重要である。
(『マリーを殺せ、私を楽しませろ』、ただそれだけが『あの方』の命令。おそらくただこの小娘を殺すだけでは駄目なのでしょうねえ。この事態を利用して、『あの方』を満足させる何かをしろというのが、『あの方』の本当の目的なんでしょうか……)
どうせもう自分の計画は壊されたのだ。ならば、この命尽きるまで『あの方』を楽しませてやろうじゃないか。まだ生き残っている『手下』に信号を送りながら、九丈はぷかりと煙を吐いた。
内心を億尾にも出さずに、九丈は裾から伸びる触手をくねらせた。目的が変わったということを悟られる素振りは、見せない。
「その身体でよくもまあ強気になれる……正直なところ、称賛してやりたい気持ちはありますねえ……少しばかり、気が変わりましたよ」
しかし、それが何時も正しい結果を生み出すわけではないですけど。そう続けた九丈の言葉に連動するように、刃のように研ぎ澄まされた触手の一本が『ドレス』の前を一直線に切り分けた。
「――っ!」
マリーが殺されると思ったのだろう。しかし、ごきり、と奥歯を噛み砕いたイシュタリアの足が、「動くなと言ったはずですよ」九丈の一喝で止められる。飛び出しかけたサララとナタリアを嘲笑うかのように、彼女たちの眼前を触手眼球がぐるぐると蠢いた。
切られた『ドレス』が広げられれば、露わになったのは汗濡れの白い肌に浮かぶ、淡い桃色の頂点が二つ。女には決して持てない、意識の片隅を惹きつける妖しさが、ふわっ、と香る。
白い肌だからこそ目立つ青痣と擦り傷が痛々しいものの……いや、違う。むしろその傷があるからこその、何とも言えない色気がそこにはあった。
ほう……九丈の目じりが、ピクリと震えた。しかし、それ以上は何も言わなかった。生地に編み込まれていた魔術文字式が分断されたことで、『ドレス』の機能が失われる。先ほどよりも明らかに脆くなったそれを、鋭き触手はこそぐように裂いていき……マリーの肌を守る物は、股を覆う一枚だけとなった。
その一枚を、九丈は無造作に引きずりおろして破り捨てる。直後、九丈の目が大きく見開かれた。驚愕の表情を、露わにした。
「……男?」
ポツリと零れた九丈の言葉に、マリーは何も言わずに視線を逸らした。九丈は目を瞬かせながら、視線を何度も上下させる……そして、イシュタリアたちに驚いた反応が無い事に気づき……ふう、とため息を吐いた。
「……『地下街』に入った当初から、ある程度あなたのことを見張ってはいましたが……こう言っては何ですが、男とは思えない程に綺麗な身体をしていますねえ」
改めて、上から下へ、舐めるように九丈は視線を上下させる。本当に、綺麗な身体をしていると九丈は素直に思った。これまで見てきた女たちの誰よりも綺麗で、誰よりも儚さを感じさせる、その裸体。九丈は思わず胸中に熱が灯るのを実感した。
……しかしその直後、マリーから向けられる余裕ありげな笑みに気づいて、かちり、と頭の中で何かが破裂した感覚を九丈は覚えた。『お前のやることなど、何の意味も無い』と言わんばかりのその笑みを前に……にわかに浮かんだ獣欲が消し飛び、仄暗い何かが顔を覗かせた。
つぶっ、と鋭き触手がマリーの肌の上を滑った。痛みに表情を歪めるマリーを他所に、触手の刃は左右に動きを変える。握りしめた拳から血が滴り落ちているイシュタリアたち……彼女たちの視線を感じながら、九丈はぺろりと己の唇を舐める。
消し飛んだ獣欲の代わりに姿を見せたもの……それは加虐心であった。
この状況でも涙一つ見せないマリーの顔を、絶望に塗り変えてやりたい。
この状況でも砕けないマリーの心を、粉々に打ち砕いて辱めたい。
そんな思いが九丈の脳裏に、ごう、と燃え上がる。だが、すぐに九丈は軽く頭を振って思考を切り替える。しゅるりと伸ばした触手と、眼前の白い裸体を見比べる……面白くない、そう九丈は率直に思った。
普通にやるだけでは、意味が無い。当たり前のように辱めるだけでは、意味が無い。もっと別の、別のやり方があるのではないか……眼前の美しい少年の心を砕く、えげつないやり方が――。
「……いいことを思いつきましたよ」
瞬間、九丈は自然と笑みを浮かべていた。思いついたからには行動は速く、地面に落ちていたマリーのビッグ・ポケットを彼方へ放り投げ、そこにマリー跪かせる形で叩きつけた。
「くっ――」
いくら下が土とはいえ、無理やりそんな体勢を取らされれば膝やら掌やらを傷つける。じわりと滲む痺れと痛みに唇を噛み締めたマリーに、九丈は軽く頭を下げた。
「おやおや、済みません。少し性急すぎましたねえ」
「……何を企んでいるんだ?」
低姿勢になった九丈に、マリーは視線を強める。しかし、九丈はそれに答えず……タイミングよく到着した『大男』という形をした化け物を、傍まで呼び寄せた。
「――っ!?」
まだ生き残りがいたのか。新たな化け物の登場に身構えるイシュタリアたちを他所に、九丈はちょいちょいと……ナタリアを手招きした。
「来なさい、ナタリアちゃん。この子の命が惜しいのであれば……ねえ?」
警戒を露わにして目つきを鋭くするナタリアであったが、マリーの姿を見て覚悟を決めたのだろう。己を囲う触手を掻き分け、疲労で震える足をどうにか動かして、九丈たちの前に立った。
ねっとりと、九丈はナタリアの全身を見つめる。いくらナタリアとはいえ、憎悪を抱く相手から明け透けな視線を向けられるのは嫌なのだろう。その視線は、初めてマリーたちと出会った時以上に冷え切っていた。
「脱ぎなさい」
そんな視線を物ともせず、九丈はそう命令した。当然、ナタリアだけでなく、イシュタリアたちの目に憎悪とは別の色が浮かんだが――。
「忠告しておきますが、私は首を切り落とされたぐらいでは死にません。それと、不用意にそれを外そうとすれば、そのまま串刺しになりますよ。その結果どうなるかを試したければ、御止めはしません……加えて、横のこいつが見えないわけではないでしょう?」
そう言われてしまえば、ナタリアはもちろん、イシュタリアたちも何も出来なかった。ただ一人、マリーから「止めろ!」という声があがったが、九丈がその声に耳を貸すはずも無い。少し迷いを見せたナタリアであったが、すぐに抵抗することなく身に纏っている衣服を下ろし始めた。
する、する、するり。あっという間に下着一枚となったナタリアは、その体格からは二回りは大きいパンツに指を掛ける。一瞬ばかり躊躇を見せた後、一息に足首まで下ろす。「驚きましたねえ……あなたもですか?」興味あり気に目を細める九条をしり目に、ナタリアは履いていた下着を傍へ投げ捨てると……仁王立ちになった。
「おほほほ、これはまたデカいですなあ」
伸ばされた触手眼球が、ナタリアの股間をあらゆる方向から見つめる。しかしナタリアは羞恥心の一切を表に出すことなく、憎悪の眼差しを向けるだけ。
それを確認した九丈は、にっこりと満面の笑みを浮かべ……マリーを指差した。
「その一物でこいつを辱めなさい」
……瞬間、空気が凍った音をナタリアたちは確かに聞いた。何を言われたのかが分からず、呆然とする。徐々にナタリアたちの脳裏に理解が深まっていくに従って――。
「従えないのなら、こうしますよ」
ずどん、と響いた鈍い音に、ナタリアたちは我に返った。「――がはっ!」触手の一撃で咳き込むマリーを見て、ナタリアたちが飛び出さなかったのは、ほとんど奇跡に近かった。
「どうしますか? なんなら、コレにやらせてもこっちはいいんですよ?」
「貴様、何が狙いなのじゃ?」
コレ、と指差された化け物を見て、イシュタリアが目を細める。けれども、「そんなの、わざわざあなたたちに教える理由がどこにあるのですか?」九丈にはどこ吹く風であった。
「そやつのソレは、常人よりも大きい。やるなら私にするのじゃ」
「駄目ですよ。それではつまらない」
そして、取りつく暇も無かった。
「それで死んだらどうするつもりかのう?」
「死んだら、それまでですよ」
「……そうじゃな。その時は、私がお前を八つ裂きにするときじゃな」
イシュタリアたちの表情を見て九丈はますます笑みを深めると、ナタリアの背中を叩いて、マリーへと押し出す。ボロボロになったマリーと目があったナタリアは、じんわりと涙を滲ませた。
「ま、マリー……」
カタカタと、ナタリアの全身が震えているのをマリーは見上げる。眼前にて垂れ下がったナタリアのそこに目をやれば、かわいそうと思ってしまえるぐらいに縮こまっているのが見えた。
……マリーは、覚悟を決めた。
「そんな顔するんじゃねえよ……いつもの元気はどうした?」
「そんな、そんなの……できるわけがないじゃない……」
「おいおい、前に『ラステーラ』で俺に言ったことを忘れたのか?」
「あん、あんなの、酷いこと言ったことへの嘘に決まっているでしょ……もう、あなたには絶対しないって約束したじゃない……」
ポロポロと、大粒の涙を幾つも零すナタリアを見て、マリーは苦笑した。苦笑してしまうことが出来るぐらいに現状を受け入れられている自分が、マリーには不思議であった。
「はは、ご丁寧にそういう姿勢を取れる程度には拘束を緩めてやがる……九丈、てめえも中々の変態だな」
「褒められても、何も出しませんよ」
「……死ねよ、糞野郎」
満面の笑みを返す九丈を見て、それ以上マリーは何も言わなかった。己の後頭部に張り付く鋭き触手の刃を感じながら、苦労して四つん這いになる。それを見たナタリアは、嫌々と首を横に振った。
「出来ない……私、もう出来ないわよ……」
しかし、現実がそれを許さなかった。つぷっ、とマリーの頭に食い込んだ触手の刃を見て、ナタリアは慌ててマリーの後ろに膝をつく。そして、震える手でどうにか位置を合わせようとするが……無理であった。
えぐっ、えぐっ、喉を引き攣らせ、涙で濡れた顔を腕で拭いながら、ナタリアは必死に位置を合わせようとする。けれども、無理であった。胸中に浮かぶこれまでの思い出が、邪魔をした。
マリーの顔が、イシュタリアが、サララが、ドラコが、館の女たちの顔が、次々に浮かんでは消えていく。脳裏を過る彼女たちとの約束と笑顔を前に、ナタリアは涙を止めることが出来なかった。
「……あまり待たせられるのは嫌いなんですけどねえ」
そう九丈が零した直後、手足を拘束する触手の締め付けが増し、思わずマリーは呻き声をあげる。「――待って! すぐに準備が終わるから!」それに気づいたナタリアは一旦マリーから離れる。痛みを伴う程に強く扱くが……一向に固くなる気配が無いそれを見て、固く唇を噛み締める。
どうして、どうして、どうして……!
ナタリアの頭は、その言葉で埋め尽くされていた。脳裏に、これまで己が食べてきた男たちの姿をいくつも思い浮かべてみるが、快感はおろか反応すら感じ取れない。力無く垂れ下がっているそれを見て、ますますナタリアは零す涙を増やし――。
「ナタリア、ちょっと手を離せ」
その手を、マリーに止められた。するりと外された己の手を見て、あっ、とナタリアが声をあげる前に――。
「――っぁぁぁ、ま、マリー……」
痣と泥と血反吐まみれのマリーの顔が、股間の根元にぺったりとくっついた。直後、もごもごと温かくも柔らかい粘膜が敏感なそこをこそいでいく感触に、びくん、と肩を震えさせた。
「ま、マリー……だ、駄目、汚いから……!」
鋭くも温かい快感に、ナタリアの背筋が震えた。反射的にマリーの肩を押さえて腰を引こうとするが、マリーの頭に取り付けられた肉茨の兜が気になって、押し返すことが出来ない。
高まっていく熱意に合わせて、どんどんそこに集まって行く血流。信じられない事態、信じられない感覚に、ナタリアはただその身を震わせるしかなく、イシュタリアたちは歯を食いしばって見つめることしか出来なかった。
「――あーはっはっはっは!! こりゃあ面白い! なんて傑作な光景なんでしょうねえ!!!」
九丈の笑い声が、『地下街』に響く。よほど面白いのか、涙を目じりに滲ませながら、膝を叩いて腹を押さえている。「――おっと、うふふふ、動くと、この子を、ふふ、殺すことになりますよ!!」それでも監視の目は緩めていないようで、イシュタリアたちの舌打ちがさらに笑い声を深めた。
「――うぇほ! えほっ! えほっ!」
時間にして、ほんの一分少々だろうか。許容面積を上回ったサイズを強引に吐き出して、マリーは大きく咳き込む。粘着質な銀の糸が立ちあがったソレとマリーの唇を繋ぎ、千切れて途切れた。
「えほっ……はあ、はあ、はあ、はあ……こ、これでいけるだろ」
己の粘液で汚れたそれを見上げながら、マリーは改めてナタリアに背を向けて四つん這いになる。それを見てようやく覚悟を決めたナタリアは、せめて痛みを軽くしようとマリーの尻房に顔を近づける。
しかし、触手の刃が食い込んだのを見て、慌てて止める。「ごめん、ごめんなさい、マリー……!」諦めて、粘液に塗れたそれを掴んで位置を合わせると……おもむろに、腰を突き出した。
「――っぐ、ぅぅぅぅぅ……!!!」
びくん、とマリーの身体が震える。肉茨の兜からこぼれた銀白色の髪が、ふわりと舞った。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
あまりの激痛に声すら出せずにいるマリーの背中に、ナタリアは何度も何度も謝り続ける。許容量を大幅に上回ったそれによって切れた部分から、鮮血が滲み出る。
かつてはマリーが涙を流し、ナタリアが呻き声をあげた。しかし今は、ナタリアが涙を流し、マリーが呻き声をあげる、逆の光景。無憎たちが、もうこれ以上見ていられないとマリーから顔を逸らした。
「ほら、いつまでも止まっていないで動きなさい」
しかし、九丈は容赦しなかった。いや、むしろその程度は序の口だと言わんばかりに、ナタリアの手を無理やりマリーの腰に宛がった。ギリギリと、ナタリアは奥歯を噛み締め……幾つもの涙をマリーの腰に零した後、ゆっくりと……静かに、腰を動かし始める。
「いいですねえ……それじゃあ、制限時間は5分ですから頑張ってくださいね」
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」
何の制限時間かを、説明されるまでも無かった。マリーを殺させない為に、マリーを助ける為に、ナタリアは徐々に、徐々に、腰の回転を上げていく。
腰と尻がぶつかるたびに上がる苦痛の呻き声。ナタリアは涙を流し、鼻水を垂らして、何度もマリーに謝り続ける。何度も、何度も、ごめんなさい、ごめんなさい……と。
そして、何時しか腰の動きはかなりの速さと強さになっていた。それも、致し方ない。せめて少しでもマリーの身体を傷つけないように、その背中に抱き着いて、衝撃を押さえるぐらいしかナタリアには出来なかった。
「おほほほほ、愉快愉快、実に愉快!!」
九丈の笑い声が、『地下街』に響く。誰もが言葉を無くして見つめることしか出来ない中、真っ青を通り越して真っ白な顔色となったマリーは……静かに、笑みを浮かべていた。
当然、九丈がそれに気づかないわけが無かった。いや、むしろそうなるのを待っていたように、わざわざ二人の前に回ってマリーの髪を掴むと、グイッと引き上げた……だが。
「……んん?」
露わになったマリーの顔を見て、九丈は目を丸くした。そこにあったのは、九丈が望んでいたモノでは無く……いけ好かない、あの笑みであった。
「……何が可笑しい?」
まず真っ先に九丈の心に浮かんだのは、疑問であった。絶望という言葉をそのまま体現したかのような状況に陥っているマリーが、なぜそんな顔でいられるのか……本気で、九丈には理解出来なかった。
「いや、なに……あんたが如何に無駄な努力をしているのかと思ってなあ」
「……なに?」
腰の動きに合わせて脂汗を幾つも地面に落としながら、マリーは喋り難そうに声を詰まらせる。直腸を削られる痛みに歯を食いしばりながらも……マリーは……笑みを向けた。
「お前がどういう意図でこれをやったかは知らんが……たかが尻を彫られたぐらいで、俺の何かが変わると思っているのかい……」
「……口では何とでも言えますが、あなた、ご自分が今どういう姿になっているか、分かっているのですか? ご自身が、どれだけ情けない姿になっているか分かりますか?」
グイッと、掴んだマリーの髪を引っ張った。それは嫌がらせが半分、おそらくは見ているであろう『あの方』への配慮であった。「なんて無様な恰好だ……本当に、私ならいっそ死にたくなりますねえ」にやりと、九丈は現実を突きつける。
「そりゃあ、俺だって死にたくはなるさ……だが、結局のところ、俺にとってはこの程度さ……」
しかし、マリーはあっさりとそう言いかえした。
「九丈……てめえは、痩せ細って餓死したガキを見たことがあるか?」
「なに?」
「ハエの集った残飯の隣で、蛆を沸かせているガキの死体を見たことがあるかと聞いているのさ……ね、ねえだろ。そこらのゴミと同じように、郊外に捨てられる年老いた浮浪者の死体なんて見たことねえ……だ、だろ……」
最奥を突かれた激痛に、うっ、と息を詰まらせる。けれどもマリーは笑みを崩さなかった。
「亡骸となったそいつらの顔を見たことがあるか? ねえだろ……教えておいてやるよ……そいつらの顔にはな……大抵、涙の痕が残っているのさ……」
「……何が言いたいのですか?」
「現実っていうのはな、泣いたって何も解決しないのさ。涙を流してどうにかなる世界なんて、そんなの誰かが用意した世界だけだ……本当の世界はな、泣いたところで、本当の意味では誰も助けちゃくれねえのさ」
ぎゅうっと、地面の土を握り締めた。
「十回泣いたら飯を恵んでもらえるか? 百回泣いたら家を用意してもらえるか? 千回泣いたら奇跡が貰えるか? 貰えるわけがない……特に、俺のように後ろ盾のないやつにはな……相応の代償を払わねえと、誰も、何も、与えてはくれねえのさ」
「…………」
「尻を掘られて塞ぎ込む……ああ、そうだな。確かに辛い出来事だ。死にたくもなるし、相手を殺したいと恨みもするさ……だがな、そんなこと、俺にとってはそういうこともあった、という程度のことさ。なにせ、俺はまだ死んじゃいないからな……また、立ち上がることができるんだ」
「…………」
「そうさ、それがどうした。こんな姿になろうとも、その結果こうなっても、俺の答えは何時も一緒……それがどうした、だ。ケツを掘られた? 今までどれだけのウンコをそこから捻り出してきたと思ってんだ。人生生きて50年。恨みを晴らすのも自由だが、恨みつらみを抱えて生きるのも、寂しい話だと思わねえか?」
「…………」
「俺は今、こうして生きている。死んだわけじゃねえ。殴られようが、ケツを掘られようが……まだ、死んだわけじゃねえ。意識が飛びそうで死にかけているが、それでもまだ死んだわけじゃねえ……まだ、抗うことが出来る。生きることが出来るのさ」
はあ、はあ、はあ。どんどん息と腰の動きが荒くなっていくナタリアの手を、マリーはそっと摩る。それに気づいたナタリアが、真っ赤になった頬を涙で濡らしながら、ラストスパートに入る。
ぱんぱんぱんぱん、肌と肌が激しくぶつかり合う。もはや痛みが強すぎてどれが痛みなのか分からなくなってきたマリーは、血が出る程の強さで再び唇を噛み締める。辛うじて保たれた意識の中、改めて……九丈を見上げた。
「まあ、結局のところ俺が何を言いたいかっていうとだな……」
プッ、とマリーは口内に溜まっていた血反吐を九丈の顔に吐きつけた。その直後、甘く蕩けたナタリアの嬌声と共に、断続的に背骨を揺らしていた衝撃が止まる。腰の奥に広がっていく、粘つく熱さを感じ取ったマリーは……べー、と九丈に舌を出した。
「俺をさっさと殺さなかった時点で、お前の負けなのさ」
「――っ!?」
「上手くいかなかったら、地獄で再開しようぜ」
「――なに」
を、そう続けようとした直前、九丈は背中に衝撃を受けた。瞬間、九丈はコンマ何秒という短い時間の間に、素早くイシュタリアたちの姿を確認する……それが誤った選択であったということに、このとき九丈はまだ気づかなかった。
彼女たちのことなど警戒する前に、マリーを始末すれば良かったのだ。マリーの頭を捉えている肉茨の兜に信号を送れば良かったのだ。
最悪、身体の半分を失っても己なら大丈夫だという考えがいけなかった。心のどこかで自分だけは死なないという根拠のない考えがいけなかった。
動けるのはイシュタリアだけだという先入観に囚われず、己の命を惜しまなければ、最低でもマリーだけは仕留めることが出来たのだ。
けれども、仕方が無いのだ。生まれてからこれまで、一度も危険らしい危険に遭遇したことが無いアマチュアの九丈に、突発的なアクシデントを前に、何度も正しい選択など出来るわけが無かった。
(――なんだ、その顔は?)
触手眼球から送られてきたイシュタリアたちの様子を見て……九丈は思考の中で困惑した。
誰も彼もが、驚いたようにこちらを見ている。呆然と、何が起こったのか分からないと言わんばかりに大口を開けている……何だ、何を見ている?
そう九丈が思考を巡らせた途端、脳天から走った違和感に九条はたたらを踏む。マリーたちの監視を続けながら、触手の一本を制御して新たな触手眼球を作り出す。
背中に感じる軽い重量に少しばかりの焦りを抱きながら、慌てて形成したばかりの触手眼球を背後に向け……九丈は息を呑んだ。
ぷつり、と鮮血に濡れた『プッシュ・パス』を引き抜く小柄な影と、覚えのある匂い。ふわりと揺らいだ銀白色の間から覗く、その横顔を見やった九丈は、声なき声をあげる。
九丈だけでなく、イシュタリアたちもその姿に言葉を無くしていた。彼ら彼女らの視線を一身に受けた小柄な影は、赤い目を勝気に細めながら素早く九丈の背中から降り立って――。
「ほいさ」
ナタリアに抱き着かれたマリーと全く同じ顔をした『マリー』は、マリーの頭に装着されていた肉茨の兜を彼方へ放り投げた。そこでようやく九丈が我に返った時には、もう遅かった。
放物線を描いて飛んでいく肉茨の兜中で、かしっ、と刃が空を貫いたのが九丈の視界に映る。彼方に小さくなっていくソレを呆然と見つめていた九丈の身体に、幾本もの手斧が食い込んだのは、その直後。
『マリー』が横たわっているマリーとナタリアを抱えてイシュタリアたちの元へ飛んだのと、ほぼ同時であった。
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