年金を受け取っている方々は「とんでもない」と思うかもしれない。だが、いまの年金の水準は本来の姿よりも高くなっている。

 前回(21日付)の社説で紹介した通り、少子高齢化にあわせて年金水準を抑える仕組み(マクロ経済スライド)は、賃金や物価の下落時には適用しない決まりだからだ。その分、将来世代の年金を下げざるをえない圧力がかかっている。

 人の体にたとえれば、生活習慣病の状態である。手をこまねいていれば、いずれ致命傷になりかねない。

■将来世代に影響

 年金制度は5年に1度、「財政検証」という健康診断を受ける。年金水準はその重要なチェック項目で、「所得代替率」で診る。受け取る年金が現役世代の手取り収入に対し、どのくらいの割合かという数値だ。

 今の制度は、サラリーマンと専業主婦の世帯が年金を受け取り始める時点で「所得代替率50%」を下限としている。何かと物入りな現役世代の半分くらいの収入で生活してもらうというイメージだ。

 日本では老後の平均所得の7割弱は公的年金で、年金しか収入のない人も6割いる。老後の生活を支える水準を確保しないと、社会が成り立たない。

 それを、代替率50%に設定したわけだ。このラインを下回ると、年金を増やす検討に入ることがルール化されている。

 一方、代替率が高すぎるのもまずい。今の年金受給者には良くても、年金のお金の入りと出を調整する積立金を多く取り崩したりしなければならず、将来世代が受け取る年金が減ってしまうからだ。

■国民に「痛み」迫れず

 04年の年金改革の時点で、代替率は59・3%。これを5年で57・5%に引き下げる予定だった。ところが、09年の健康診断では逆に62・3%へと上がってしまった。

 一番の原因は、前述したように、現役世代の収入が下がったのに、それに見合って年金を下げられなかったことにある。

 年金は高齢者を社会全体で扶養する「国民仕送りクラブ」のようなものだ。支える側の現役世代の暮らしぶりと、年金という仕送りでの生活とのバランスが崩れれば長続きしない。

 国はこの問題の是正に手を付けないできた。

 いずれデフレが解消され、マクロ経済スライドも機能し始めるという立場だったが、内実は「将来世代のために今の年金を削る」というつらい措置について、国民を説得する気構えも体力もなかったといえる。

 体力を奪ったのは、04年以降に相次いだ旧社会保険庁の不祥事だ。年金記録ののぞき見や「宙に浮いた年金」など、ずさんな運営が露呈するなか、厳しい見通しを示して痛みを迫れば不信感を増幅する。そう恐れたのかもしれない。

 「抜本改革」を求める声が強まった背景には、こうした年金不信の高まりがある。その流れを振り返ってみよう。

 厚生労働省は09年5月、野党だった民主党の求めに応じ、賃金や物価などの経済前提を「過去10年の平均」にした場合、年金の先行きはどうなるかという試算を公表する。

 結果は衝撃的だった。マクロ経済スライドが機能しないために、所得代替率が72%まで上がり、2031年に積立金が枯渇するというものだった。

 もっとも、試算の前提となった「過去10年」は、長期の景気拡大時を含んでいたとはいえ、平均すれば実質経済成長率も賃金・物価もマイナスだった時期だ。これがずっと続けば、年金どころか日本の経済や社会自体が立ちゆかない。

■政権交代からの教訓

 民主党は「破綻(はたん)しかけている年金を抜本改革する」と主張。最低保障年金の創設を掲げ、国民全員に月7万円以上の年金を約束して政権の座についた。大胆な外科手術の提案である。

 しかし、与党としての3年3カ月、民主党案は実現の兆しすら見えなかった。制度変更に伴う国民の負担が重くなりすぎるからだ。結局は自民、公明の両党と話し合い、漸進的な修正に立ち戻るしかなかった。

 生活習慣病には、食事制限と運動を地道に積み重ねるしかない。経済全体の体力を回復させつつ、将来世代も考えて妥当な給付水準を設定する。それが年金をめぐって、政権交代から得た貴重な教訓だろう。

 安倍政権のもと賃金や物価は上昇基調に転じ、マクロ経済スライドの発動開始も視野に入ってきている。

 ただ、長期にわたり年金額を抑制していく措置には相当な反発があるはずだ。将来世代への責任を果たすため、政治には強い覚悟が求められる。

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 来月上旬の最終回では、公的年金の足腰を強くする具体策について検討する。