今日はちょっと怖い話を書く。
言語論の中に言葉が全ての物を在らしめているという説がある。
それは我々人類は言葉によって全ての物事を認識している。という事だ。
例えば、まず我々は言葉を使わずして物事を考える事が出来ない。
それは私が思うに、”苦しい”という言葉が無ければ、
我々はその苦しみを実感する事なく過ごすのではないかという事である。
勿論、苦しみは言葉無しに存在するだろう。
言葉を持たないとされている動物も狭い所に閉じ込め、
拷問を与えれば逃避という事が頭に浮かぶであろう。
しかし、それは人間の持つ苦しみとは別の物であろう。
言うならば、言葉の持つ重み、それは十分皆様も自覚しているであろうと思います。
他人から浴びせられる言葉に傷付けられた方も大勢いることでしょう。
「死ね」「消えろ」「うざい」
等は言葉が発達して来なければ伝えられなかった表現とも言えるのです。
また、目に見える物、これらは全て言葉によって決められている、
言い換えるならば、言葉が発達したせいで見え方が変わっているとも言えます。
そして言葉に関連した苦しみに過敏に反応する病気、すなわち脅迫神経症等も
人間の持つ言葉の特徴とも言える。
 
言葉の支配というのは、あまりにも多くの論者の主張と被るので、
ここでの説明は「結果」だけにしておきます。
ご要望があればまた別枠にて説明いたします。
結局何が言いたいのかと申しますと、
言葉は現実を形創るらしいのです。
そうなると、此処に一人の嘘の天才がいたとします。
彼はきっと支配者でしょう。