MOON BABY

赤い月が輝く夜には綺麗な花束を。

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友達の唄

2005-12-08 01:17:50 | 徒然
僕は売春婦みたいな輩  青い街に悲惨な過去を売った  
稼いだ金で信頼と同情を買った事なんか僕しか知らない  
嘘でも僕が語れば現実になる   闇の苦しみと恐怖は僕を狂わせた
金欲しさに信頼と同情を売る事にした
そして悲惨な未来を調合して薬を作った
僕は自ら作った薬と酒に溺れた  もう悲惨な過去なんか売れない
僕は暴れて心配と同情を手に入れようと思った  

大きい猿を殴り続け罵声を浴びせた  小さい猿を泣かして痛めつけた
僕はそれを自虐的に自慢した  
それから皆に深い森の大きい杉の木の下に来るように言った
僕は大きい木の下で待った   誰も来ないから少し笑った 
そして一人で『達磨さんが転んだ』をやった、、たった一人で 
僕は怒り狂い皆を集めて裏切りだと主張した
皆は白い眼をして黙っていた
僕は発狂して皆の宝物を全て壊してやると脅迫した
大きな音を出し暴れた  知ってる限りの中傷と罵声を浴びせた 
皆は楽しくお喋りを始めた   楽しそうだな 
僕にはそんな笑顔作ってあげられないよ 

気付いていた
少し前から緑の猿が手招きしている
諦めるしかないんだ
僕は泣きながら硝子の破片の上を緑の猿の方へ歩いた
辿り着くと緑の猿は優しく微笑んで僕を台の上に乗せて 
天から垂れ下がった縄を無理矢理僕の首に結び付けた
そして優しく台を退かした
緑の猿は僕のもがき苦しむ様を写真に撮っている

向こう側から皆が走って来た  今ならきっと「仲間」と呼べるのかもしれない
何で気付かなかったのだろう悪いのは僕だった
僕の仲間は暴れ苦しむ僕の足を掴み下に引っ張った
皆は本当に優しい人達だった
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キリスト狂徒 <Pt.3>

2005-12-05 00:47:11 | 徒然
神の悲鳴が聞こえる  それは微かな音  到底聞き取れない

神は何万年も不眠である 
人類が誕生してからというもの 絶え間ない  罵声と悲鳴を聞いている 
弱者は時に批評を、時には願いを続け神を眠らす事はしなかった 
容赦ない弱者は救いを求め、崇めるが決して休ませようとはしなかった 
眠る事など許される訳もない  寝ようものなら莫大な量の罵声を浴び 
時には拷問を受けた 
何故なら神だから  弱者はこう言う

「神に不可能はない。神に栄光あれ。我々に救いを」

傲慢な結論を押し付け、求め続けた 
そして神は精神崩壊を起こした   世界は荒れ果て、戦争が続いた 
神は震える手足を釘で止めた 誰も助けてはくれはしない 
神の上に神はいない   聞こえる声は罵声と悲鳴

神の悲鳴が聞こえる  それは微かな音  どうかもう眠らせてあげては貰えないだろうか?
そうすればきっと楽になる。
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報告

2005-12-05 00:45:00 | 徒然
最近、あまり更新が少ないのはここを少し改造しようかと思ってまして。

色々考えています。

何よりここの秘密を明かそうか明かさまいか悩む次第であります。
そろそろ本気でやろうと思います。
もうそろそろ出来るかと思います。
それまで私の若かりし頃の文を載せたいと思います。
しばしお待ちを。


もうお気づきの事かも知れないのですが、ちょっとした秘密があるのです。
2ではなく3なのです。
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始まり

2005-12-01 15:11:23 | 徒然
12月ですね。
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「今」の定義〜連絡〜

2005-11-30 23:57:37 | 徒然
僕も「今」を見失った事がある。

今とはいつなのか、今は何者なのか。
逆に「今」というのは「過去」や「未来」に比べて最も明快でない物な気がする。

過去というのは「今」を基準にしてさかのぼり、枠に入れて「過去」として処理する事が出来るだろう。
「未来」というのもまた「今」を基準にして、「ソコから始まるであろう事」という枠に入れて処理する事が出来るだろう。

しかし「今」とは過去からの延長であり、単一の「今」というのは存在しえない。
例えば、今という物を枠に入れようとした時、過去が終わった時から未来が始まるまでの枠に入れてしまえば良い思うかもしれないが、それは無理である。
先ほど言った様に「過去」とは「今」を基準にして枠に入れるだから、「今」が定まっていない状態では過去同様に未来も存在し得ないのである。
その為「過去が終わった時」など存在し得ないのである。


では「今」とは何か。それは自分が存在している場所である。
私達は「過去」そして「未来」には存在していない。
今、此処に存在しているのだ。
「今」とは存在場所なのだ。

たまに、私は「過去」の住人を見る事がある。
勿論、その者達は存在場所を間違えている為、今ひとつ「今」に適応出来なかったりもする。

だから私達は存在場所を常に「今」に設定しなければならない。
何故か、それはそれこそが「今」の定義だからである。
それに背けば「今」は存在出来なくなってしまうのである。

「今」を掴んでおかなければ「今」を見失い、定義に背く為に遂には無くなってしまうのである。

勿論、「過去」に住む者は自分が「過去」に住んでいるとは気付きにくいし、その時の「今」は当人は「過去」に住んでいる為に、そこから見た「未来」に存在している事になる。

その為、「過去」に生きる人にとって「今を生きる」という事は「未来を生きる」という事になるのである。



簡単に言うと、12月になりました。ブックマークが11月分のだけになっていると、12月の分の文が見れないので、画面左側のカレンダーの下にある「翌月」というところをクリックして12月以降へのブックマークをお願いします。

今は12月なのです。いつまでも11月の状態でブックマークしていると、貴方も「過去」の住人になってしまいます。
そうなると貴方は「今」を「過去」に設定してしまい、「今」の定義に背く為、今を見失い、、、、、、、、、、、、、、
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ある日

2005-11-30 23:03:51 | お話
クリスマスイブに青年は恋人と賑やかな街へデートに来ていた。
緑や赤の華やかな外装を施した店。
てっぺんに星の付いた大きなクリスマスツリーのある大通りには沢山の人が楽しそうに歩いている。
風船を持って走り抜ける子供達の後ろで彼らの父親らしき人が、大きなリボンのついた赤い箱を二つ持って忙しそうに追いかけている。
そんな温かい光景は寒い夜に肩をすぼませて歩く大人を少し楽にした。


緑色や赤色の光を着た、もみの木の下で4人ばかりのジャズバンドが演奏していた。
その横で青年は一大決心を決めようとしていたのだった。

「じゃあまた」と手を振って帰ろうとする彼女を青年は引き止めた。
「どうかしたの?」と不思議な顔をする彼女に対して青年はポケットの中にある小さなリボンの付いた箱を強く握っていた。
そして彼は覚悟を決めて言った。



「先週、就職が決まったんだ。IT企業の仕事なんだけれど、ある企業の社長さんが僕を気に入ってくれて、最初は雑用みたいな仕事だけだが、しばらくしたら大きな仕事を任せてくれると言うんだ。何億っていう凄いでかい金が動く仕事だ。やっと僕も一人前の人間になったんだ、、だから僕と、、」



「そんな、、、」青年の恋人は何か言いかけてためらった。
そして頭を少し下げると人ごみの中へ消えて行った。



残された青年は彼女の心情が解らないわけではなかった。
最初は観客が少なかったジャズバンドも徐々に人が増えて行き最後は大きな拍手でラストを迎えた。
それを見ていた青年は悔しさからか、また他の何かからかは解らないが手を強く握っていた。


明日また彼女に電話してみよう。
この指輪を渡すのは大分あとになってしまいそうだが、いつか必ず渡そう。


かくして少年は、「また」動きをみせた。
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叫び

2005-11-27 03:05:37 | 徒然
僕は最低な人間だ。


そんな「言葉」を発して自分の「居場所」を設けた。


相手より速く喋って相手の言葉をさえぎって自分を「正当化」した。
そんな自分に僕はずっと騙されてる。

「死にたい」と言った。
別に死のうなんかそこまで思わない。
ただ、「今」よりマシかなって思うくらいさ。
そうやって僕は手っ取り早く自分の人生に転機を与えようとして、
また失敗した。


「自分が動かなきゃ何も変わらないよ」


僕はこの言葉が大嫌い。
「何か変えようとして動く」のは辛い。
「動いてたら何かが変わってた」のが楽さ。

僕の人生の歯車は狂ってしまっている。
もう10年近く。
これで良いと思ってた。
人は言った
「君は特殊なんだ。人と違うんだ。天才なんだ」

僕はコレを聞いて安心した。


でも他の人は言った。
「君は自分が特別だと思ってるね。そんな人山ほどいるよ」

僕はコレを聞いて落ち込んだ。


僕は人がいる場所に住んでる。
学歴とか収入とかその他色々。
ヘンテコな物が沢山住んでる。

僕は一つも持っちゃいないよ。
全部捨てたんだ。
皆何でも出来るから。僕は何も出来ないから。
そんなに頑張れないから。
何度も人生をやり直したけど。
やっぱり、ついて行けないよ。

明日が来なければ良い、そしたら皆も止まるんだ。
差が開かなくなるんだ。

でも明日は来てしまう。
だから必死に明日は変わろうって思うんだ。
毎日。毎日「明日は、明日はきっと」って思うんだ。

何でかって。
僕には夢があるんだ。
とっても大きな夢が。
それは出来るだけ多くの人に
「ありがとう」って言われる事なんだ。
皆に「ありがとう」って言われて死にたいんだ。







そして最後に僕は自分に「ありがとう」って言われたいんだ。
それだけなんだ。







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銀色の月  〜第四章〜

2005-11-26 18:20:40 | 徒然
ある家の台所にサンドイッチの残りが入った
「ちょうど猫の顔にハマリそうな大きさの」ビニール袋がありました。

僕の家には一匹の猫がいます。
その猫は眼がくりくりしていて大変可愛いのですが、食に関しては外道です。
ご飯をあげようとすると、もうすでに一人で「はぁはぁ」しています。

そんな猫がサンドイッチの残りなんかが入った袋を見つけたら大変です。
いや、見つけました。
例によって「はぁはぁ」しながらそのビニール袋に近寄っていきました。



そして中に顔を入れる!舐めまわす!息を吸う!ぴたっ!へばり付く!




顔に!ビニールが!




結構猫というのは頻繁にゲロを吐きます。
だから今回も吐いちゃいました。

顔とゲロしかないという完全な密室。

もがいてもビニールは取れず、
結局、死を覚悟したようでして自分の一番のお気に入りの場所に行こうとします。


そこで人間に見つかります。
人間もびっくりしたでしょう。
頭にビニール袋を被った猫が廊下で倒れているわけですから。



慌てて袋を取られ九死に一生を得た猫はそこでぐったりと倒れこみました。









そして僕が1時間程して心配して様子を見に行くと、

もう猫は新たなごちそうを求め台所に向かって「はぁはぁ」している所でした。
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音  (後編)

2005-11-25 16:55:00 | 徒然
私は前回、最初からある物や、本当に微小な段階を踏んで来た物は気付きにくい、というよりまず気付かないという事をつらつらと書い

ていた。
勿論、それは必ず存在する。

私達が聞き慣れた音が。










それが「悲鳴」ではないかと私は疑問に思って仕方がない。





それは、ペットという名の監禁だったりもする。
これは私達が生まれる遥か昔から存在する。だから何の疑問も抱かないのは当然かもしれない。
別にペットを批判するわけではないのだが、ここで言いたいのは、彼らは私達と同じ生物なのだ。
「自分がされて嫌な事はしない」という基盤の元、考え直すべきではないのかと私は思う。
ペットショップが増える中、保健所は満員だそうだ。
血統書付きの犬が欲しいからといって、今にも殺される犬を無視してペットショップに駆け込む必要などあるだろうか。
どーせ、その者達は「この犬は血統書付きの犬でしょうか?」と犬を出されて聞かれても答えられないのである。
そんなもの「気持ちの問題」なのだ。
いつも血筋など気にしていないではないか。







「君、何処の家系?」







聞かないではないか。











ハーマイオニーに対して、「汚れた血め」と言ったマルフォイと同じではないか。




私も捨て猫を飼っている為、たまにペットショップに行くことがあるのだが、
あそこはいつでもヘドの出る空間だ。

その時も、いまどきの若い女の子が小さな檻にいるブルドックをガラス越しに見ていた。
またあの甲高い声が響く。



「見て見て!!ほら、ブルドック!!!キャー!!!キモカワEー☆」














キモカワEー☆のはお前である。



話はそれたが、
とりあえず、そんな風潮に惑わされないで保健所に犬を見に行ってやって欲しい。
今も多くの犬が殺されているのだから。



そして最後に鳴れた音を感じる方法が一つだけ存在する。

それは「思考」をする事である。

別にこの意味を説明するまでも無いだろうから、
今日はここで失礼します。

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音 (前編)

2005-11-24 14:33:28 | 論文
白の中に白がある。
それは物として立体になっている。 

「この場所」なら分かることの無い事。 

「あの場所」なら分かる事。 

冷蔵庫の音が消えた。 
鳴ってた事は知らなかった。 
やけに静かだ。


冷蔵庫の音が消える様に、音が消えてから音が鳴っていた事が分かる時がある。
音が止まる前、それは当然の環境だった。
言い換えるならば、「初めからあった」もしくは「徐々に発生した」。

前者は「初めから其処に存在していた為、異変に気付かなかった」という事である。
本来、人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないし、
実際の所は変化の無い物など存在し得ないのだ。
それは


1「人間にとっての時間の概念」

2「我々は時間という枠の中に存在している」

3「人間にとっての現実は脳が考え得る範囲だけである」

という事からそう言えるだろう。
「時間」とは「動き」だからだ。
時間は動きを伴い、そしてその中に住む者も動きを伴うのだ。
逆に動きがあれば時間が存在する。というのが人間の脳が考え得る範囲なのである。そしてそれが人間の現実なのだ。

簡単に言うと、人間は時間の中で生きている為、全てに動きがある。
かといって「全て」は「全て」ではない。人間の中での「全て」である。
変化の無い物は「時間」の無い物である為そんな物想像し得ない。
これは「3」より、人間の世界には変化の無い物は存在しないという事になる。

そして人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないというのは人間が時間の無い物は想像出来ないという事から言えるだろう。

一つ言っておきたいのだが、ここでは「真理」については触れていない。
あくまで「人間の世界」という事についてである。


今ひとつしっくり来ない人はこう考えてみると良い。


宇宙が始まる前、言いかえるならば、時間の始まりについて考えると良い。
それは始まる前に時間の無い状態で何かが始まったという事である。
ようは準備がない。あったとしても時間を使っていないのである。

我々は時間を使わないで「動」を成す事が出来るだろうか。
それは出来ない事である。
何故なら人間は知らぬうちに「動」と「時間」を全く同じ物として認識しているからである。


動けば時間が生じ、時間が経てば「時間」が動くのである。



そして何度も言うが、人間が認識できない物は人間の世界に入れないという事を再度確認しておく。
人間が認識した世界こそ人間の世界だからだ。
そこに人間の限界が見られる。と私は思う。


そして後者は少しづつ変化を遂げる為、なかなか気付きにくいという事である。
最初の音量は1で2、3、、、とゆっくり音量を上げていくと最大になったとしても慣れてしまって気付きにくくなってしまう状態である。
無論、最初から音量が最大ならば気付くのである。
それは、人間が突然の大きな変動を嫌うという習性と密接に関係があるのだ。
もしかすると、我々の聞きなれた音とは人間の習性、あるいは本能という所まで達するのかも知れない。


つづく
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