MOON BABY

赤い月が輝く夜には綺麗な花束を。

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2006-04-01 00:02:56 | 徒然
チクタク、、、チクタク、、、
チクタク、、、チクタク、、、
チクタク、、、、、、、、、、





僕が死ぬまであとどの位だろう。
時間の流れは、



時計を見てたら酷く遅くて、、、



前を見てたら流れに着いていけなくて、、、




でも、空を見てたらゆっくり流れていく、、、




「眠れなくて苦しい人」へ


「もう人生を止めてしまいたい人」へ


「世界がとても退屈に見える人」へ


「殺したい程憎い人がいる人」へ


「もう希望なんか無くなった人」へ







もうじき春が来ますよ

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連絡先

2006-03-03 05:31:16 | 徒然
trantila@hotmail.com
僕の連絡先。
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a sdgh

2006-02-27 06:33:33 | 徒然
コメントありがとうございます。
えーと、時間は存在します。
時間とは「動」です。動きがあれば時間は生じるのです。それが定義です。
存在は必ず時間に依存します。

あと、脳内宇宙いわゆる世界は脳だというものですが。とりあえず私たちは全てのものと感覚でしか繋がっていないのです。まぁ、私と世界の関係は感覚を通した関係です。インターネットで知り合った人と同じです。得体の知れない物。
男か女かもわからない。人間かどうかも定かではない。
それと同じです。
世界と私は感覚を通じて繋がっている。
なんらかの伝達物質を通ってくる。
だからその伝達する物が異常をきたせば世界が変わってくる。

脳が造り上げた世界の中で私達はその世界を再現する為に感じているのかもしれません。
ようはマトリックスです。
仮想現実。見えてる物も、触る物も聞く物も、、全て脳が操作している。

こんな話はこのブログに沢山あります。
「暗い部屋」とかがそうです。
まぁそうなると物理的観点というのも意識的観点の中に入ってしまいますね。
物理的観点っていうのは伝達機能が在りのままの世界をとらえ、在りのままの世界を脳が感じるというものですが、在りのままって何でしょうね。
それは脳が感じた世界ではないでしょうか。周りはどんなものかは脳が決める事。周りが決める事ではいんですね。
それは脳が世界を作っているといっても良いのではないでしょうか。
だから私は脳内宇宙的観点だと思います。ほとんど意識的観点と同じですが。

最後に。

もはや物質的観点は全否定ですが。存在は感じなければいけない。感じていないものは存在するとは言えない。言うならば関係が無ければいけない。ほとんどは五感を通じた関係です。存在には関係が必要なんです。私と貴方の関係は五感を通じた関係。触って分かる。見て分かる。

貴方は存在していると言える。  








でもそれじゃ困るんです。
「私と私の関係」が無いんです。
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報告

2006-02-13 01:42:01 | 徒然
2月中旬から、と言っていたのですが
3人中一人が受験に落ちたりして、ちょっと予定が変わってしまいました。
まあ私なんですが。

でもここのこどもちゃんサイトを作りました。

死刑論や精神病の話を書いた彼や
物語や詩的なものを書いてきた彼にはちょっと敵いそうにないですが
3人の中のオチこぼれがどこまでガンバルか
覗きに来て下さい。

MOON CHILDREN

http://blog.goo.ne.jp/moonchild-s/


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予告

2006-02-05 01:54:43 | 徒然
早いものでもう2月になってしまいましたが、
私たちのサイトもようやく幕を開けようと
着々と準備が進んでおります。

2月中旬には新しく物語を進めて行く予定です。

日記タイプで頻繁に更新をしていこうと思っていますので
どうぞ皆様も頻繁にお越し下さいませ。


微々ですが予告を・・

お気づきかもしれませんが
過去の記事を書いていたのは少なくとも2人以上・・

物語はその中の一人が進めて行くことになりますので
どうぞお楽しみに。
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叫び

2006-02-05 01:21:44 | 徒然

不協和音が響く 

魅惑の喘ぎ声が響く中 

死の喘ぎ声には耳を傾けない 

罪にならない殺人を止めど無く繰り返し
 
偽善を装う他人と苦悩を盾にする罪人 

それによって生まれた子供は醜い反吐を吐き
 
低音と高音の不協和音で泣いている 


罪人が集団で罪人を罵倒する時代 

馬鹿な音楽家が自惚れを歌っている 

壊そうとして半端に空けた穴が自らを傷つける 

保つ事の出来ない平和を象徴とするもの 


不吉な物を嫌う貴方達から 

不吉な物が生まれている事は知るはずも無い
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第0感〜デカルト編〜

2006-01-25 01:26:28 | 徒然
「我思う故に我あり」

これは、自分は考えてるから存在するというより、
考えている自分は存在すると、デカルトが思ったのだと思う。

これには大きな欠点がある。

存在は勿論、時間と大きな関わりがあるだろう。
「その時、存在していた」という言葉通りである。

問題は、考えている自分はいつ存在していたかである。

ちょっと考えて頂きたい。
自分が考えたと思うのは、考えてる自分を認識しているからである。

次に、考えてる自分を認識している自分を認識するには、考えてる自分を認識している自分を認識する自分が必要である。

こう永遠に続かれると
「考えた瞬間」と「自分が考えたと認識した瞬間」にかなりのズレが生じそうである。
だから、「我思ったと思った時」には我はいないかも知れません。
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第0感 〜2〜

2006-01-23 15:21:40 | 徒然
「私は此処に存在しているではないか」
という言葉は少し変である。


存在というものは場所に存在しているとしたら。
座標上にないものは存在しないという事になる。
無論、原点は「自分」である。



貴方は何処へ行ってしまったのだろう。


「方向が分らないという事は場所が分らないという事と同じ」


方向:左右上下で示されるベクトル
右:「主体」をまたいだ左の反対
左:「主体」をまたいだ右の反対

方向とは客観する為に必要である。「主体」以外の「対象物」は全てに「方向」が存在する。逆に「方向」が失われると「対象物」が消えてしまう。方向が失われたということは「主体」が消えたという事である。


    A「主体」B

主体から見てAは「右」か「左」か「上」か「下」である。

      AB

さて、Aはどこにある。左というのは「貴方」からであり、主体からではない。
主体が消えると方向が無くなる。

「方向が分らないという事は場所が分らないという事と同じ」
ここに「無くなる」を入れても問題ないだろうか。

「方向が無いという事は場所が無いという事と同じ」

場所がないという事は存在がないという事である。
貴方が消えると世界が無くなる。



貴方は何処へ行ってしまったの?

なんだ僕が居なかったんだ。
「主体」がないから方向が無くなって、場所が無くなって、存在が無くなったんだ。

僕は何処へ行ってしまったの?

あれ。僕は誰?

自分の存在を感じる自分さ。

貴方は?

自分の存在を感じる自分を感じる自分さ。。。。。


         







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笑顔

2006-01-18 01:35:05 | 徒然

残念です

貴方の手の平にお花を置く事が出来るなんて  


僕は笑ってる 僕はずっと笑ってる  



道の途中で鹿の剥製に指をさされた

指なんか無いくせに


僕は笑ってる 僕はずっと笑ってる


家の前で犬が吠えてる

口なんか無いくせに


僕は笑ってる 僕はずっと笑ってる



部屋にウサギの着ぐるみを着た物がいた

そして僕にこう言った、、








笑ってんじゃねぇよ
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MOON BABY

2006-01-10 01:07:15 | 徒然

オレンジのお月様に 沢山の花束を

手を合わせる度に何でって

暮れる夕日に雨が降る


月を見て泣く背中 殴り続ける壁に

君の痛みはこんなモンじゃない 僕を許してくれるかい?



僕らの歌は聞こえてる?

そっちの世界はどうだい?

僕もそのうち行くけどさ、、


だからその時まで



手を伸ばせばすぐ合った 最高の幸せも

僕の自らの手で消し去った

これで、これで良かったと

さよならは言いたくないよ

認めれば君は居なくなる

だからさよならは言えない

僕の子を殺さないでよ

僕の初めての子だよ だからもうやめてくれ

こんな僕を許してくれ
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