論文不正問題をめぐるモヤモヤ
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作成日時 : 2014/04/29 08:42
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それにしても、なんだかなあって話。
昨日(4月28日)、山中伸弥教授が、自身の古い論文に持ち上がった「疑惑」について会見を行った。
この会見で、山中さんは「心より反省し、おわび申し上げます」と語っている。
うーん……
これに先立って、STAP問題の調査委員長だった石井俊輔上席研究員も、平成20年(2008年)に発表された論文に、画像の加工があると指摘されて、結局、調査委員長を辞任した。
正直な感想をいわせてもらえば、両人ともこれは謝りすぎだと思う。
サイエンスの観点からすると、STAP論文は結局、論文の体を為していない、新規性のない無価値なものだったことは、専門家からすると火を見るよりも明らか。
笹井芳樹さんのいう、「合理的で、検証に値する仮説に戻った」てな言葉はようするに論文は全然ダメでした−というのを、オブラートにくるんでいっているだけなんだよね。
そういうものと、この石井、山中両人に降りかかった出来事とは全く質の違う話。まあ、ほぼ言いがかりと言って良いものだ。
石井さんの論文には切り貼りはあったが、まあざっくりいって、このtweetのようなもので、STAP論文で行われていたものとは質が違う。
しかも、6年前の論文であっても、直ちに実験ノートを開示して潔白を証明できているわけだ。
一方、山中さんのほうは、ネットで出された疑義というのが、そもそも完全に見当違いの言いがかりで
@Yuhki_Nakatake @kumikokatase これ、プロファイルを見てみましたが、全くの別物です。 pic.twitter.com/wKLWQUmcM4 — FSPACE おかも〜っ (@okamo41) 2014, 4月 28
その上、この実験については世界的にも繰り返し検証されているうえに、樹立された細胞は今も実際に使用されているとのこと。
それにもかかわらず、14年も前の実験ノートを、段ボール5箱分も提出したんだけど、その中には当時の共同研究者の実験ノートが含まれていなかったため、生データとは照合できなかったことに対して、「心より反省し、おわび申し上げ」ることになっちゃったわけだ。
一つの論文について、実験ノートが段ボール5箱分以上あって、一部が欠けたとしても、それを14年も前のものでも出してこれるというのは、なかなかできることじゃないと思う。
また、実験ノートはそもそも研究者本人の所有物ではなく、研究機関の所有でそこで管理されるべきものという意見もある。
いちおう、実験ノートの保存は、世界的にも5年くらいが目安らしいけど、厳密なルールはないらしい。海外の論文検証サイト「PubPeer(パブピア)」では5年以上前の論文についても議題にあがってくることはあるんだって。
STAP騒動のきっかけは、ネットでの画像加工の指摘だったわけだけど、自分も同じような糾弾をしてみたいというお調子者が出てくる事は、まあ、当然あることだろうとは思う。
科学コミュニティ内で、科学の健全性を保つため、匿名の専門家が問題を指摘したというのがSTAPでの出来事だった。
しかし、これだけ話題が世間に広まると、単に騒ぎを引き起こしてやろうという薄汚れた動機しかない輩がノイズをばらまくことは、残念ながら今の世の中では避けがたい。
昨日の山中さんの会見の様子は、オレはニュースで流れた断片的なものしか見ていなくて、どういう風に話し始めてどう展開したのか解らないけれど、いつになく負の感情が表に出ているように見受けられた。
その感情は、怒りなのか悲しみなのか、どういう思いからその感情がわき上がっているのかは、文脈がわからないのでよくわからないけれど、とにかくそういうネガティブで激しいものを感じた。
山中さん本人も言っているように、STAP騒動を契機に、スタッフたちに実験ノートの重要性を徹底している矢先に、こういう言いがかりがおきて、それに対する完璧な反証まではできなかったことに忸怩たる思いがあるのだろうか。
まあ、オレ的には、14年前の段ボール5箱をさくっと提出できるということだけで、十二分に実験ノートの重要さを身を以て示せているとは思うんだけどね。
石井さんのほうも、科学的には全く問題は無いんだけど、おそらくは法廷闘争を想定して、ある意味、過剰に潔い辞任をしたんだろう。
石井さんは2004年に発覚した、理研での論文不正の際も、調査委員をしていて、サイエンスとしては真っ黒だったんだけど、法廷闘争では苦杯を喫したという苦い経験がある。
だから、今回のSTAP騒動でも、かなり慎重に証拠を固め、抑制的に振る舞ってきた印象がある。だから、この辞任も、痛くない腹を探られないようにという、予防的な判断があったんじゃないかな。
そういう意味では、石井さんも山中さんも、こういう過剰な行動を取らざるを得なかったんだろうということは想像に難くない。
道理もへったくれもなく、とにかく話題の人ならなんでも揚げ足を取ろうとしてくる昨今の風潮からすると、そうするしかなかった言うことなのだろう。
それでも、結果として、反理性的に振る舞う世間にエサを与えてしまったなあというかんじの、モヤモヤは残るんだよなあ。
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