野球を変えた一人の男の死(第635回)
プロ野球1試合に使うボールはどれくらいなのだろうか。具体的なデータはないが、アグリーメント(試合協定事項)によると、セ・リーグが3連戦また2連戦の開始日までに正規の統一球を15ダース(180個)。一方のパ・リーグは各試合7ダース(84個。ダブルヘッダーでは12ダース)を用意する決まりとなっている。最近ではイニングの終了時に、野手がそのままスタンドに投げ込むケースも多くなり、1試合当たりは50球前後のボールを消費してしまうのではないか。もちろん、屋外球場での雨中の試合では、その2割増しくらいになるようだ。
さて、現在はボールの変更を申し出る事は出来るし、球審も自ら交換する。しかし、このルールが出来たのは一人の選手の死がきっかけだった。1920年8月16日、ニューヨークのポロ・グラウンドで行われたニューヨーク・ヤンキースとクリーブランド・インディアンス戦。午後4時を過ぎ夕刻を迎え始めた5回表、走攻守三拍子そろった遊撃手として知られたインディアンスのレイ・チャップマンが、右横手投げのカール・メイズからの内角に向け投じられた速球を左側頭部に受けた。投手のメイズは大きな音と自分の前に転がったボールがバットのグリップに当たったと思って処理、一塁に送球。右打者のチャップマンは、その後の調査でボールに対し、避ける仕草もしなかったという。実際に3、4歩一塁へ向かうところで昏倒。ナインの肩によりそいながら、自ら球場を後にして病院に搬送されたが、翌日の午前4時30分過ぎに死亡が確認された。
試合中のアクシデントによる死亡は1909年、アスレチックスのドック・パワーズ捕手がファウルフライを追ってフェンスに激突し腹部を強打。その試合では出場し続けたが、翌日から体調を崩し2週間後の26日に亡くなったのに次ぐ、2人目(その後は出ていない)の悲劇だった。しかし、スター選手だったチャップマンの死去は衝撃的だった。ケネソー・マウンテン・ランディス初代コミッショナーは、ボールの汚れも関係なく使用し続けていたボールの交換を審判団に指示。開幕前にボールにキズをつけたり、ツバをつけるスピットボールの禁止(スピットボールを武器にしていた17投手だけはその後も容認)とともに、打者にとって、この大きなルール改正は、それまでの投手力全盛から、ベーブ・ルースを中心にした打撃の時代への変貌の大きな要因となった。
彼の死はまた、その後のヘルメットの開発にもつながった。野球殿堂入りは果たしていないものの、彼の死去後に正遊撃手となったジョー・スーウェルが殿堂入りを果たすことになる。インディアンスの歴史を作ったヒーロー。彼を称える額は、一時忘れ去られていたが2007年2月に再発見され、現在は再製された新しい額がインディアンスの本拠プログレッシブ・フィールドに掲げられている。野球には多くのルールがあるが、成り立ちを考えて見るのも一考だ。
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