昨日、かっこいいバカの一例として「パッチ・アダムス」をあげました。
愛とユーモアによる治療で医学会の常識をくつがえす医師を、ロビン・ウィリアムズが演じた名作中の名作です。また「アダムス医師」は実在の人物であり、この映画も実話に基づいて作られたものです。親友が恋人になっているなどの違いはありますが。
10代の頃に心を病み精神病院への入院を繰り返し、その体験から他人への愛や他人を喜ばせることに目覚めたミスターアダムス。今日はそんなパッチ・アダムスことハンター・キャンベル・アダムス氏の言葉をいくつか紹介したいと思います。
長いよ!!ってか、本を読んでくれ!!
幸せでない日は作らない
「この世界はひどいことでいっぱいだ。ぼくはもう死にたい」と言うのはやめて「世界はひどい。ぼくがそれを変えるんだ」と言い続けることにした。あれから四十年になるが、毎日がずーっとよろこびの連続だ。
ぼくは、一日として幸せでない日は作らない。「ぼくは幸せだ」と決めたのだから。自分の人生を自分でつくるって、こういうことなんだ。
カッコイイ。カッコ良すぎるわ。幸せになるってのは、自分の責任で幸せでいることを断固として決断することなんだと思う。
生きてるかぎり笑えなくなることはない
つづいて、インターン時代に出会った、顔の半分に醜い腫瘍ができて、もう長くない女の子との話。
「なぜ私の両親はここに来るときいつも泣いているの?私は何をしたというの、そんなに悪い子なの?どうして友達は訪ねて来ないの、病院の人はどうしてさっさと出て行ってしまうの……」彼女の心はやさしいのに、まわりの人々は彼女を怪物のように扱っていたんだ。
その夜、ぼくは道化の格好で病室に行き、彼女の顔にも道化の化粧をして、病院中を練り歩いた。ぼくは死の床にある人と、みじめな気持ちになるのではなく、生きていることをよろこびたい、お祝いをしたいんだ。
(中略)
ぼくは排泄のコントロールができなくなった友のために、目の前で垂れ流してみせたこともある。化学療法で髪の毛がなくなってしまった友がいると、みんなで坊主頭になって訪ねて行った。黄疸が出て顔が黄色くなったら、みんな揃って顔に緑や黄色のペイントをすればいい。
病気や死は悲しい面がある。でも、だからといって、生きてるかぎり笑えなくなることはない。笑うと楽しくなるのは、死ぬその日だって変わらないのさ。
もう言葉もないっすわ。
世界の美しさにもっと夢中になっていい
つづいて、日本の俳句には「イノセンス(信じる気持ち)」に通ずる大切なもの、世界がどんなに素晴らしいか、その無限に広がる大きさを気づかせてくれる、と語ったあとの言葉。
大人になっても、ぼくらはこの世界の美しさにもっと夢中になっていいんだ、まわりからは子供っぽいと言われても、気にしないで。
もし、あなたがおもしろくない人間で不満だらけでグチをこぼしてばかりいるとしたら、それは大人になったせいなのか?そんなわけないじゃないか。人生を愛し、楽しむことをそう簡単にあきらめてはいけない。
グサリときましたね。昨日私が書いた記事への最高の回答かもしれない。うーん、子供の頃ほど人生が楽しくないのを「大人になったから仕方ない」と思ってるなあ、自分は……
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愛すると世界が変わる
愛とは降参すること。自分自身を無条件で差し出すこと。中途半端な腰抜けにはなるな。人生をまるごと全部愛してごらん。
(中略)
交差点や地下鉄、エレベーターの中で、友達に会ったらどうする?同じことを見知らぬ人にしてごらん。まわりに全然ちがった世界が開けてくる。これは素晴らしい体験だよ。ぼくはいつもそんなふうにしているから、世界中に一六〇〇もの友だちがいて、手紙をやりとりしている。この幸せは愛と笑いがぼくにくれたものだ。愛と笑いを使って友達をたっぷり楽しませてあげることだよ。
幸せになりたければ、愛することだ。すべての人に対して、友達として接することだ。そうすると、世界が変わる。
私はけっこう知らない人にも話しかけるんですよ。楽しいし、そこから仲良くなれたりするからね。10代の頃はホント世界中の人が友人のような気持ちでいた。だけど、最近はそういう事もやめちゃっていたな。心が狭くなった気がする。
この話はアランの「幸福論」に通ずるものがあるな……
愛することは希望を持つこと
あまりに悲惨な現実を前にすると、豊かな国の若者は圧倒されて何もできなくなってしまう。18歳のぼくがそうだったように。あるいは、罪悪感を帳消しにするために平和のための奉仕活動を始めるケースも多い。でも、罪悪感から行動を起こすのはあまり関心すべきことじゃない。
大切なのは、人生を生きる意味を自分でつくりだすことだとぼくは思う。モチベーションを高めること、人生に生きる目的を持ち、人びとの役に立つ何かをすること。罪悪感にうじうじ悩むヒマがあったら、もっともっと本を読むことだよ。もっともっと学ばなくては。
愛することを選んだものは決して悲観主義者にはならない。愛するとは希望を持つことに他ならないからだ。仕事を愛する、家族を愛する、人生を愛する。これに情熱を傾けるかぎり、夢に向かって進むことができるだろう。
ぼくらが決して希望を失うことがないのは、自分の夢に情熱を傾けているからだ。人々を愛すること、誰かの支えになるよろこびに身を捧げるということに空しさの入り込む余地はなく、おまけに、あきらめるとか、もうこれで終わりということもない。
読んでいて、忘れかけていた熱い「イノセンス」な感情が蘇ってきました。
やっぱり、いくら笑われても、青臭いと言われても、熱く明るく幸福に生きたいね!愛をもって生きたいね!!
これが人生のゆるがぬ目標だな。
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