- >同志を誹謗中傷する方は
貴様の事だろ
- >>38847
カスは黙っとけ
- 過日、小説新・人間革命にイギリス人の気質をモチーフとして
このような指導が掲載されていました。
◎『一人の時は勤行しよう。二人集まったならば教学の学習をしよう。
三人となったならば広宣流布のために語り合い、実践する』
どうか、この気概で進んでいただきたい」
【 激闘26 2014/4/21付聖教新聞 】
この指導はネット上でも創価学会員としてのあるべき姿ではないかと私は思います。
実際に会ったことのない見知らぬ方とでも、同志として集まれば教学の学習
をするというのはとても大事な事だとおもいます。「求道の姿勢」です。
またマグマグ殿のように都合で海外に在住の方や、聖教新聞や、書籍をすぐ手にとる
ことができない状況の方もおられるでしょう。
そういった読者の方の為にも、後学の方の為にも教学研鑽の場合は「引用」の基本
である、どの書籍のどの部分からという出典先の明記は大切だと考えます。
もちろん「自分はこうおもう」と発言することは大事ですが、元となるもの(文証)
がなければ、ただの主観や感情論にながされてしまいます。
ちょうど大白蓮華5月号23ページに、「教学はダメですが折伏を頑張っています」
と報告された女子部員の方に、『御書を読まない人は、戸田先生の弟子ではありません』
と指導されたことがが紹介されています。
後にこの方は苦手な教学研鑽に励んで教学試験を通り「講師」になったことを報告され
ると、『女子部が講師なのはめずらしいことではありません』と厳しく指導されたそう
です。
いずれも師匠から“ほめてもらおう”という魂胆を見抜かれての指導ですが
他の読者の皆さんやブロガーのみなさんはいかがでしょう。
読者に自分をほめてもらいたいが為の、「唱題時間報告」や「活動報告」「生活の実践」
や、コミュニケーションを通じ読者に物品や金銭的便宜を図って同志に対して自分の株を
あげようと見栄をはっていませんか?
口先では「先生先生」と繰り返し、4/24日会長勇退宣言の日には
「この事実を後輩に伝えなければ」とその場で決意したようにみせかけても、次の日には
他のブログをあいさつまわりし、雑談にふけっている「雪山の寒苦鳥」のような方が
多数いるのがネットの創価カテゴリーの実情です。
ならば、そういった自堕落ブログを憂慮する方々は是非、教学の研鑽を共にし
広宣流布の為になにかを「実践」して模範をしめさなければならないのでは
ないでしょうか。
そういった地道な努力のつみかさねこそ、実証につながるのではないかと
思えてなりません。
幸いにして、立宗宣言のよき日に、「御本尊さまと信心」について語り合う
機会をすすめる事ができたのではないかとちょっと喜んでいます。
ただし、これだけはお約束です、
『学会に対して反逆をする者、ならびに邪義に対しては一歩も引いてはいけません』
(大白蓮華五月号22ページ)
反逆者や邪義をかまえるものを黙認し個人の享楽にふけっている二乗の境涯方の
ご参加は遠慮ねがいます。
また富士宮ボーイ掲示板の投稿ルールに反し、同志を誹謗中傷する方は、書き込みを
削除される事もありますのでご注意ねがいます。
あべひ拝
>>38845
>>
>>沖浦さんの(趣意)という記憶に任せた解釈ではなく、ご覧の学会員のみなさんが
>>同じ教材を用いてタイムリーな教義展開を拝見できるよい機会じゃないですか。
>>
若鷹の、んっ?様が、過去の記録をとてもタイムリーにご提示です。
(若鷹の掲示板、2014年4月28日11時31分「全ては52年前の勘違いから」ご参照)
一大秘法が題目に続いて「人本仏迹」が出ています。どうかご一読下さい。
で、人本仏迹は、学会が沖浦さんに与えた教学的な影響となっているのがミソです。
って、そんなわけないでしょうが(笑)、ご本人はそう証言しておられます。
昭和30年代にまでさかのぼってお勉強してもらわねばならないでしょうね、笑。
我々にいつになったら追いつくんでしょう?(^O^)(^O^)(^O^)
ともかくご参考まで。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- ※普段私が書いていることが書いてあります。御本尊ば鏡とありますね
※先生ご本尊のお話は納得されましたね
(沖浦さん談)
あはは「鏡」という文字があったから道具だなんてのは、連想ゲームじゃあるまいし
どのように書かれているのか、いつものように引用して「本迹」を述べてみてください。
なぜそんなに話を急がれるのか不自然ではないでしょうか。
御本尊様のとらえ方については創価学会員の信心の上でとても重要なことでは
ありませんか?
沖浦さんの(趣意)という記憶に任せた解釈ではなく、ご覧の学会員のみなさんが
同じ教材を用いてタイムリーな教義展開を拝見できるよい機会じゃないですか。
師匠の指導の「鏡」の部分を引用するとマズイことでもあるのかと、予備知識のない人が
勘違いするかもしれませんよ。
- >>38841
>>覚えておられないかもしれませんが、富士宮ボーイ掲示板がかつてYAHOOのサービスを
>>利用されていた時代に、やはり『利用規則』に縛られ掲示版が公開休止になったことから
>>管理人殿が、プライベートのサーバーを構築されたといったいきさつもありますから
>>より宗教的な突っ込んだ内容はむしろ富士宮ボーイ掲示板のほうが向いているように
>>考えます。
>>
過去に名誉棄損等々で訴えられた挙句
強制的に閉鎖されたサイトがありましたよね
ゴルゴとマリアです
この事を 管理者さんは よく考えてください。
阿部日様
早速のご回答有難うございます。よく了解致しました。
今後のご健筆を心よりお祈り致します。
=============================
沖浦さん
私は、あなたが書いていることがちっとも理解出来ない、と何度も書いております。
それが立場であり、見解です。まあ、2008年暮れから書き続けておりますが。
ああ、それとも昔ア法華連がよくやってた「質問返し」ですか。。。笑。
お答えにならないのはあなたのご勝手です。もういいですよ。お気になさらずネ。
==============================
皆様
今回もこんな結果です、笑。どうか次回をお楽しみに!マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 沖浦さんは功徳が書けない人の話は空論だと全否定するわりには
功徳を書かない人の話題に沿った記事しかあまり書けませんね。
けっこう楽しんでおられるのでしょう(笑い)
さて白馬のご自宅に大白蓮華の五月号が届いたとのこと。
では、池田先生の御本尊様に関して信心の上でのとらえ方が106ページ
から115ページにかけて指導されているとおもいます。
これらの指導をお読みになって、人が本で御本尊は迹などといった序列(優劣)論を
導き出し、その根拠となせる文章がどこにあるのかを提示できますでしょうか?
- >>38835
※従来は転載でなく、こちらの板に合わせたバージョンでした。
今後は「特別寄稿」、要は転載として掲示下されば、皆様のロムも常時可能
となります。
ブログバージョンの記事も転載して欲しいとのご要望ですが、内容が被るもの
も多いので遠慮させていただきたく思います。
そもそも私のブログは「迹」です(笑い)
鯖板での「創価ブログ設立宣揚運動」を批判していた私がブログを始めたのは
彼等が、あべひさんはブログももたず、余所様の掲示版に居候しているだけのに
創価系ブログや掲示版運営について、あれやこれやと意見するのは筋が通らない
といった批判を述べていたからという事と、ブログは管理が大変なのにやっている
との主張が結構あったからです。
【鯖板ブログ運営について語る】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/8831/1290158612/
元々、ジャンル別に分けられるスレッド系公開掲示版が、個人の趣味で装飾できたり
コメント管理、パーツの設定などができるという付加価値がついたに過ぎない
「ブログ」公開サービスになにやら「学会の新潮流」が起こりうるかのような
過度な期待をもっている人の気持ちや、管理の大変さがどんなものなのかが
知りたくなったというのもありますし、学会系ブログを絶賛し推進していた
菊川さんの利用している「エキサイトブログ」また「ブログ村」でどんなサービスが
提供されているのかといった事に興味がわいたからというのもあります。
私事で恐縮ですが、もともと10年以上の間、破邪の論客の先輩方と富士宮ボーイ掲示板
で論陣を張ってきた私ですから、ネット媒体で「記事を公表する」という行為自体は、
なんら抵抗があるわけでなく、ブログの管理などというものは不特定多数の第三者との
新たな「コミュニケーション」目的・・つまり自己宣伝の為でなければ労力も余計な
気力もつかわない、通常の掲示版とブログは同じである事を確認したかったのです。
したがって、ブログ版の記事はそのほとんどがすでにこちらで公開済み、または
余所の掲示版、ブログでのコメントのやりとりを編集しなおしたものであり、
どうしても内容が重複してしまいます。
マグマグ殿のおっしゃるような「特別な記事」はないのです(笑い)
むしろ、興に乗る乗らないの問題で、こちらで投稿してブログ記事に編集していない
内容も多数あります。
覚えておられないかもしれませんが、富士宮ボーイ掲示板がかつてYAHOOのサービスを
利用されていた時代に、やはり『利用規則』に縛られ掲示版が公開休止になったことから
管理人殿が、プライベートのサーバーを構築されたといったいきさつもありますから
より宗教的な突っ込んだ内容はむしろ富士宮ボーイ掲示板のほうが向いているように
考えます。
そちらのほうでは、エキサイトがVPN経由でしかみられないということですが、こちら
富士宮ボーイ掲示板の記事を見ることができれば、問題ないと思いますよ。
長くなりましたが、ご理解いただければ幸いです。
―― 一大秘法に関しては、私自身は25年前に結論が出ているのです。一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。迹ですね。本は本尊である私共の己心の妙法。漫荼羅はそれを顕現させるための道具。本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。(2008年8月2日、沖浦板)――
これを整理すると、一大秘法は本門の題目。題目こそが大宇宙の妙法。この妙法は凡夫の己心にも具わっていて、本尊であり妙法である題目だが、極意(?)からすると、曼荼羅が本尊だが方便で迹。本物の本尊は己心の妙法で、それを顕現させるための道具として本門の本尊がある、ってなところですか?
――技術の差が演奏にでるのです。どう言う優れた楽器でも、弾き手の技術に音は左右されます。御本尊は完全体ですが、祈る人の信力行力に影響されます。御書にありますよ。/略/御本尊はね、飾り物ではございません。私共が信力行力を持って、仏力法力を大宇宙の仏界から涌現させるための道具なんです。(2014年4月24日、沖浦板)――
今度は御本尊が完全体(?)で、方便でも迹でもないってことですか?また完全体なのに、祈る人の力で影響を受ける(左右される?)が、飾り物でなくて、大宇宙の仏界(?)から仏力、法力を涌現させるための道具。で、仏力、法力を大宇宙から供給されねばならないのが、何で完全体なのですか?
――御本尊は物体です。草木なんです。仏法では非情の部類に入ります。/その非情のご本尊を拝むと、自身の仏界が大宇宙の仏界と共鳴致します。そのために大聖人が発明され、末法の全人類を救済されるために武器としてお残しになられました。(2014年4月27日、沖浦板)――
今度は御本尊が物体で草木。しかし、非情の存在でも拝むと自身の仏界が大宇宙の仏界(?)と共鳴する。で、御本尊は大聖人の御発明で、全人類救済の武器。。。上から順に仰っていることが全然飲み込めません。ときに、お宅で拝んでいる御本尊様は一体でいらっしゃるでしょ?ちょっとお考えを整理されたらどうでしょう。
=== ここで質問です。 ==========================
①御本尊は方便、迹の存在なのですか?
②御本尊は大宇宙の仏界(?)と人間を結ぶ道具なのですか?
③御本尊はただの物体だが、拝むと己心の仏界が涌現する武器なのですか?
④大聖人、大宇宙の仏界(?)、御本尊の間にどのような関係があるのですか?
⑤大聖人が御本尊を顕わされる(発明?)以前、みんなは何を拝んで大宇宙の仏界(?)
と交信するなり、功徳を供給されていたのですか?
================== まとめて質問コーナー(終わり) ====
以上、どれでもお好きなのをお選びになり、お答え下されば幸いです。
沖浦さんのお話しに、私はいつも興味津々です。勉強になります。
日蓮仏法、学会の教学にない荒唐無稽な珍解釈の完全体として。マグマグo(*^▽^*)o~♪
追、戸田先生が、大聖人様がそこにおわしていると拝されたのは、間違いですか?
- ※これは、名誉回復の為の反論になる。つまり、許されるということ。
なぜなら、実名に対する侵害を行なってるのがHNだから.
(大勝利さん談 2014/4/26)
あはは。大勝利さん。
名誉回復の目的で「悪人の集団だ」「ネットの害虫だ」等と誹謗中傷をしても
「反論」となって許されるのであれば、権利の侵害の応酬ですよ(笑い)」
仮に双方が悪口の応酬をしているならば、相手に対して名誉毀損を訴える
事はできても損害賠償は過失相殺されて訴えた側が逆に損をする可能性大です。
売り言葉に買い言葉では、民事裁判は難しいでしょう。
-----------------
※どのような権利侵害が貴方には理解できなくとも、
何らかの権利が侵害されたと通報があって削除されたのでしょう。
(大勝利さん談 2014/4/26)
ご心配いただいて恐縮です。
エキサイトからの指摘があったのは、おっしゃるように権利をお持ちの方から
「通報」があったのは確実です。
また、権利侵害等の通報があれば対処しなければならないのがプロバイダー
責任法という法律で定められています。
エキサイトのQ&Aにも、しっかりと申し立てについての通報フォームがあります。
(参考リンク:権利侵害の申し立てについて)
http://support.excite.co.jp/app/answers/detail/a_id/2783/kw/%E6%A8%A9%E5%88%A9%E4%BE%B5%E5%AE%B3/related/1
当初、「著作権侵害」で通報があったものと解釈していましたが再度
投稿した記事を精査すると、“菊川広幸(○○)さん”と表現していた部分の○○が
実名(苗字)のままでした。
随分前に、同様の通報を受けて多数の記事を再投稿しなおしましたが、
ブログ内検索機能をつかって、全部修正したつもりが残っていたのです。、
これは拙の一方的なミスであり、修正しました。
あらためて富士宮ボーイ掲示板に掲載したものは、実名部分を修正した
ものです。
重ねがさね富士宮ボーイ掲示板への配慮に感謝いたします。
興味深いのはハンドルネームと「苗字」だけで名誉毀損の恐れがあると
判断された事だとおもいます。
沖浦さんの掲示版では、時折、特定個人の苗字を書かれた上で、あるHNと
の関連性に言及し中傷などをおこなっておられるようですが、注意された
ほうがよろしいかと思います。
お早うございます。まったく仰せの通りです。
で、少し角度が違いますが、ネットは本当に便利です。
検索をかけて御書や先生の指導を好き放題に引っぱって来て、
適当にパッチ・ワークして相手の攻撃の武器、道具にし、
相手から間違いを指摘されると、次の御文をどこかからまた引いて来る。
一番のメリットは、本当に都合が悪くなるときれいサッパリ消し去り、
記憶にございませんと健忘症を装っても、どこにも証拠が残らない、笑。
ネットの功罪がここにあると、私は考えます。
百家争鳴は結構ですが、言論の権利と責任の線引きの出来ない人が、
どんどんと世の中にあふれて来ていますね。
中には、ある日突然、重大な真理に気づき、相手を消せばすむと思い立ち、
攻撃する一方、相手方にひそかに奸臣を送り込みと、権謀術数に走る輩もいます、笑。
まあ、現実社会とネットと言う虚構に線引きが出来ない人が、
どんなに講釈垂れようとも、真実の正論、人を動かす世論にはなりません。
学問や修養の底が浅い人が壇上に立っても、有用な講義、講演にならないのと同じで、
信心が透徹していない人、教学の基礎がカラッキシな人がいくら御書講義しても、
単なる寸劇、猿まねで、聴衆に共感や感動による現実生活への啓発は与えられません。
そう言えば、今は昔、ネットの大掃除たらがありましたが、
彼らが掃除したのは自分たちのオツムの中の、理性や知性だったのかもしれません。
いつも拝見しております。ご活躍、有難うございます。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 専門医でも何でもないジャーナリストの柳原滋雄さん・・と言う方が
下記の事例に該当した内容の記事を書いて
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/student/prevention_sh/files/11.pdf
先方から何件もの 名誉棄損等による 裁判になった事もあり
また 一部の裁判では裁判官の責任にするような記事を書いた故に
裁判官の心象を悪くしたせいなのか 最高裁までのぼりつめて敗訴している例もあり
また柳原氏が書いた過去の著書の書評に於いても
アマゾンにて 素人の頓珍漢な分析等とクレームがついていた事は
あなたも御存知ですよね
- >>38832
恐らく コレだと思いますよ あなたのブログ
プロフの欄に 人間観察を目的にしている等々 謳い文句にしていましたよね
事例を出しておきますので、よく読んでおいてください。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
アカデミックハラスメント
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/student/prevention_sh/files/11.pdf
阿部日様から既連の通り、エキサイトの不明朗な対応があったようです。
私はご転載に賛同すると同時に、新たな提案を申し上げます。
と言ってもとても簡単なことで、今後も継続してご転載下さることです。
菊川さんの一件だけでなく、阿部日様のブログ記事はとても勉強になります。
が、従来は転載でなく、こちらの板に合わせたバージョンでした。
今後は「特別寄稿」、要は転載として掲示下されば、皆様のロムも常時可能となります。
因みに、エキサイト内のブログは、概して海外から見られないようです。
私事で恐縮ですが、私もVPNを介してでしか開けませんので、とても有難いことです。
以上、歓迎、賛同と提案を申し上げます。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 菊川広幸さんは対アンチのブログを閉鎖したうえでネットでのブログ設立の
意義と趣旨を公開されました。
大幅に意義を美化されたものになったようです。
☆私が48歳の時のこと。
ふと、自分が50歳になるのだと感じました。それまで、50歳というのは意識したこと
はありません。「何か新しいことに挑戦したい」と思い、ある日、創価学会員としてブログ
を作ってみようと考えました。(創価の森ブログの誕生秘話より抜粋引用 )
http://megalodon.jp/2012-0730-0941-04/sokamori2.exblog.jp/18747544/
すでに公開されている部分も多数あり「秘話」とタイトルをつけるような内容もありません。
菊川さんの主張するところでは、ブログ設立の趣旨は二つ。
現場の未活動の学会員さんに学会のすばらしさ(?)を知らしめること
もう一つは、対学会アンチの対策だという事です。
「未活動の学会員さんへの対応」とは初めて拝見しましたが、菊川さんも
失敗を認めているように、学会活動に消極的な人がブログをみている(みられる)
とは限らないはずです。
数年前ブログに、自分の生い立ちや家族の事等を紹介し、ブログ記事製本サービスを
使って数十万円を出費し作成した「ブログ本」を配布し、仲良くなったという事ですが
それは「モノ」を与えて喜ばれたというだけではないでしょうか。
当時の彼は自身の「50歳」池田先生会長就任の50年の佳節を、重ね合わせて
ブログ本を池田先生に贈る事を話題にしていました。
そしてその”地元”の知人、友人とは菊川さん自身のご実家の岡山の同志と
母親、そして職場も含めた知人、茨城の同志とされていたはずです。
※
私は、私の人生50年の勝利をご報告する共に、私の知人、友人にこの本を贈呈し、
新しい気持ちで出発しようと考えています。
(同ブログ 会長就任50周年と私の50周年~抜粋引用)
http://megalodon.jp/2010-0505-1032-13/sokanomori.exblog.jp/14296918/
-----------
※
さて、私、岡山に帰郷し、地元の座談会に30年ぶりに参加して、この本を地元
の学会員さんに贈呈します。親戚や私の友人、知人にも贈呈します。
これからが、また一仕事です。
(同ブログ「創価の森ブログ」の本 より抜粋引用)
http://megalodon.jp/2011-0930-1126-00/sokanomori.exblog.jp/14276833/ ---------
唱題を重ねてブログ本のを作成する事を決意したくだりには
「それは、周囲の人々を幸せでピカピカにすることだ。岡山の母、家族や親戚、
地区の同志の人々。職場の人々や友人たち。」
(同ブログ「100万遍唱題で生まれた新しい決意」より抜粋引用)
http://megalodon.jp/2012-0730-1022-45/sokanomori.exblog.jp/13259943/
と表現されているように、ブログはあくまで「私の人生50年の勝利をご報告する」
(会長就任50周年と私の50周年~)事を主眼としていたのではなかったのでしょうか。
自叙伝を配って対話をしたつもりになっていたり、その内容を現場や知人に読んでもらう
だけで「心が洗われる」かのような効能を自らうたい、さらにはネットで知り合った
学会員さんにまでメールを送りつけ、ブログ本を受け取るように要求していたのでは
なかったでしょうか。
だから当時、私はその軽率な行為を「組織利用」だと批判しました。
そして私は改めて菊川広幸さんに問いたいのです。
その「ブログ本」でどれだけ境涯が広がったというのですか?
なぜ、池田先生の会長就任50周年と自分の50周年の意義を隠されているのですか?
たしかに「学会のすばらしさ」を伝えるには自身の事(体験等)を語るという方法が
あります。
しかしそれとて勝利者としての「振る舞い」が伴わなくては誰も立ち上がらせる事は
できないのではないでしょうか。
より多くの人を元気にしたいという願いは立派だとおもいますが、「身近な1人」
を大事にできていない、救えない人・・つまり高い境涯に至る課程と努力を怠った
ままの状態で、学会員という立場を強調し「勝利者」だと自画自賛したところで、
日頃の何気ない振る舞いや、話題の内容が「活動者学会員向けの内容」をかなり
意識したものである事を自分が理解できていなければ「未活動の学会員さん」に
は永遠に届かないと私は考えます。
また
自分の発言が原因となっているネット上の意見の対立ですら、説明を避け対話を
嫌い、面倒なことは後回しや人任せで、自分が傷つくことをまず恐れている人が
「未活動の学会員さん」を立ち上がらせられるはずがありません。
戸田先生・池田先生が指導され、日蓮大聖人が説いた「慈悲」がないからです。
そして「同苦」は1対1の膝詰めで成立するものではないでしょうか。
これは菊川さんだけ特化した話題ではなく、多くのネット学会員ブロガーが囚われ
やすい「ネット幻想」だと私は問題提起しているつもりです。
「ネット」というコミュニティに過度の幻影をみている人や、はからずもアンチとなった
人、未活動を自負して発言をしているすべての創価学会員さん 。
特に壮年部の方に対して「池田会長」当時の指導を紹介させていただきたいと
おもいます。
※五番目に申し上げたいことは、壮年部は、特に豊富な経験をもっておる人々で
あります。したがって豊富な人生経験を、後輩の指導に十分いかしていただき
たい。特に悩み多い人たちと、ひざ詰めで語り合ってもらいたいのです。
形式などはいりません。
学会はひざ詰めで話し合う民主主義の縮図を実践しております。
何千、何万の人を擁しておる指導者の皆さん方も、そうしております。
それが最良の方法であり、いちばんよくわかる、いちばん尊い実践なので
あります。
何千人、何万人の前で、立派そうな口をきいて「あの人はたいしたものだ」
「この人はえらい雄弁だ」「立派そうだ」などといわれても、それは幻影に
すぎない。
ひざを突き合わせて話し合ったときに、その指導者の真価がわかるのであり、
それをやっていける人は偉大であります。
(壮年部は中核であり重鎮 夏期講習会・壮年部全国大会:昭和41年8月3日)
以上引用
情報通信技術の発達のおかげで、私たちのような無名の一般の人たちが
世界に向けて情報を発信できるという機会を得ることが容易になりました。
しかしそれはまた、不特定の誰かにメッセージを発信すればなにかが変えられ、
自分の置かれた現状が変われるかもしれないといった幻想に浸れる自己逃避の
安息地にもなってしまいました。
対話のミソはまず人の話を「聞くこと」である事は論を待ちません。
ネットでなら人の話を「読む」という事になるでしょう。
ブログなどは自由に発言できる場所というのは「聞く(読む)」側には最適の環境です。
しかし「聞かせる(読ませる)」だけで満足しているのならば価値観の違う人との
コミュニケーションである「対話」が成立するはずがありません。
ネット環境を価値的に利用する方法も、学会活動もまた「対話」形式でしかなく
発言者の真価があらわになるのもまた「対話」によるのではないでしょうか。
- 私と交流したことのある管理者の運営している創価学会系ブログの中で
非常に興味深い人の1人に「創価の森の小さな家」を主催する
菊川広幸(偽名)さんがおられます。
ほぼ毎日閲覧しているのですが、彼のブログの記事は創価系の中では
非常に特徴的で、日常の生活をさらけ出しては記事を削除する事で
体裁を整えようとされる事が多々あります。
例えば直近でも三つの削除予定記事が並んでいますが
残される記事と対照的に、読者に対してなにかを伝える意識が希薄で
なにがしたいのかよく分かりません。
http://megalodon.jp/2011-0713-2310-52/sokanomori.exblog.jp/16594272/
http://megalodon.jp/2011-0713-2311-37/sokanomori.exblog.jp/d2011-07-12/
http://megalodon.jp/2011-0713-2313-49/sokanomori.exblog.jp/16594488/
すでに削除された(される)記事は仕事の事とか,日蓮正宗の批判などむしろ
菊川広幸(偽名)氏のパーソナリティがつまったものが多いように思うのですが
なぜか彼はそれを残すことをせずに、体裁のよさそうな記事ばかりを残そうと
するのです。
しかし残された記事も最近は、小説のあらすじを書き出す事と、畑の話やに
ウェイトが偏ってブログの主題になっているはずの
「創価学会を語る」ことがおざなりになってきているようです。
教学などは月1ペースになり、
http://megalodon.jp/2011-0713-2338-07/sokanomori.exblog.jp/i6
アンチの破折はほとんど削除されるか「ヘンな人」として紹介されるのみで
なにがどう ヘン なのかは語ろうとはしません。
それに比べると、コメントを入れてくれた人には早朝からマメに返信する事は
やぶさかではないようで、むしろそちらのほうに時間を割いているから
記事か浅薄になってきているのではないかと心配になります。
投稿時間をみても、壮年部活動のゴールデンタイムにネットに投稿していますが
結集とか家庭訪問とかされないのでしょうか?
最近も記事削除は「新規閲覧者のため」という事になっていますが
せっかくコメントを頂いた人を足蹴にしています。
エキサイトのブログは記事毎にコメント欄をつける・コメント不可が設定できます。
身内の評判を気にしながらのブログになってしまっては
「本当に書きたいこと」がますますかけなくなるのではないでしょうか。
- 利用規約に抵触するということで、拙ブログの2014/4/24までの投稿が
25日午後から不可視となりました。
サービスの利用規約そのものがあたらしくなっているようです。
http://www.excite.co.jp/info/agreement/
拝見すると、禁止事項の(1)~(5)の規約に
「侵害する又はそのおそれのある行為。」とありました。
24日の投稿にて告知したように、拙ブログの二つの記事が権利者から「権利侵害」の
申請を受けた旨をエキサイト管理者から通知された事を思い出し、ブログへのアクセス
ホストを調べて見たところ、4/21日の段階でエキサイトのブログパトロールさんが
該当の2記事ともうひとつの記事にアクセスした痕跡がありましたので、おそらく
当初は権利者である菊川さんが3記事の「権利侵害」申告をされたのだと思われます。
その後、「創価の森の小さな家」のキャプチャー画像を削除し、本文に引用元を示し
た上で記事を再アップしたのですが、その告知が24日の http://goo.gl/OyUyUe
の投稿です。
しかし、昨晩エキサイト管理者のホスト足跡を調べた結果、25日に修正後新しくアップ
した記事を確認したうえで、全面非表示の裁定を下した模様です。
今回は
2014年04月25日
【投稿記事 非公開処理のお知らせ】
とあっただけで、いつものように、どの記事が規約違反にあたるのかを明確に
指摘されていませんでしたので、エキサイトに対して問い合わせをしております。
内容証明を兼ねて、非表示処理の元となった修正後の二つの記事を富士宮ボーイ掲示板
に別稿にて提示させていただきます。
エキサイトからの返答をまって、後日この二つの記事を拙が用意しておいた別ブログに
転載の上、削除してみようと思います。
今しばらくおまちください。
- ※これを予備知識なしでお読みの方は、沖浦は創価学会の組織にはつかず、
教学も全くやっていないと思われます。
然しながら私は何時御書講義の依頼が組織からあっても困らないよう、
大白蓮華の教材は勉強致しますし、座談会へは出来る限り出席致します。
聖教新聞、大白蓮華は常に購読し、広布部員も長年継続してやっております。
(沖浦さん談 2014/4/25)
なるほど。
予備知識なしで読むかたから誤解をされるおそれがあるという事ですね。
で、常日頃教学の研鑽や座談会には参加されるように努めておられると。
それが「組織に付く」という事だといわれる訳ですね。
私のように、学会活動をしましょうよと言われるとそのように
お答えになっておられるのでしょう。
それが沖浦さんの言うところの「特A」の活動家という事にもなりましょうか。
では、逆に沖浦さんが私に対して
「悪人の集団がこの方々。 恥と言う言葉を知らない、大聖人を全く信じない人達ですね」
という表現は予備知識なしの方が読めばどう思われるでしょう。
結局「誤解されるかもしれないじゃないか」という批判は自分の体裁を優先されている
だけじゃないでしょうか。
ちょうど大白蓮華を勉強されているという事なので、是非4月号の
107ページ 下段七行目を御覧下さい。
他の方にも理解していただくために引用させていただきますね。
(海外のマグマグ殿の手元にはないかもしれないので)
◎絶対的幸福とは、時間がたっても変わることなく、永遠に続くもので、外の条件
に影響されることがなく、生命の内からこみあげてくる幸福感といってよい。
世間的な地位や財産、満足等の一時的なものではない。
「法」にのっとって生き、「法」のうえでいかなる位を得ていくか。
その「生命の位」は、法とともに永遠である。
私どもは永遠の「生命の王者」として生きられるのである。
【SGI会長の指針●リオデジャネイロ総会でのスピーチから:1993/2/13】
沖浦さんは今生の名聞名利を得ることこそが、真の学会員としての義務のように
おっしゃいますが、そういった個人的な栄誉や、生活上の満足度などは一時的な
ものであり、絶対的幸福とは違うと明確に指摘されています。
貴殿はネット上で不特定多数の方相手に、実名で功徳とやらを語る事を強要
されますし、実際に功徳とやらを語られていますよね。
ところが、HNの人がちょっとあいまいな表現をしたり、意に反する事を書かれると
被害者であるかのように主張されます。
それは沖浦さんの現在の「生命の位」に反映されているのではないのでしょうか。
やはり熱原関連なわけ。真偽はともかく営利かどうかで疑惑を持たれ、意見されると名誉毀損で訴えると他人を脅す。ところが訴えることはない。弁護士が言うのはまったく正しく、腹がたつならば訴えればいいが、どっこいそうは簡単に行かない。
名誉毀損が法的に認められると、両難の一方で、事実が自ずと明るみになる。それが何を意味するか、そこからは弁護士の仕事の範疇でない。ともあれ今では古傷となったが、疼くのは我が身だけ。こだわりがあるのは、当たり前に沖浦さん本人のはずだが。
さて、本題。やはり出た。私はこれを求めていた。日蓮仏法の核心問題で、これを見ることで、沖浦さんが御本尊に対して不敬な言説、対物的な信仰観を書き殴るのが分かる。が、教学でない。信心の信をどこにおく、どこにとるかの問題。
――技術の差が演奏にでるのです。どう言う優れた楽器でも、弾き手の技術に音は左右されます。御本尊は完全体ですが、祈る人の信力行力に影響されます。/略/御本尊はね、飾り物ではございません。私共が信力行力を持って、仏力法力を大宇宙の仏界から涌現させるための道具なんです。/貴方や阿部日さんはご本尊無用の人。祈れない、戦えない。そりゃご本尊理解するの不可能ですよ。(2014年4月24日、沖浦板)――
細かいことはさて置き、読者諸賢にご注目頂きたいのが「仏力、法力を大宇宙の仏界から涌現させるための道具」の部分。確か2008年9月に、息子の耕治君も同じことを書いていた。驚いたことに彼らの御義口伝講義と称する話しの中でだ。
どうも沖浦家ではひそかに語り継がれているらしい。耕治君は「御本尊を通して宇宙の仏界を拝む」と、もう少し具体的に書いていた。御本尊は、大宇宙と小宇宙の人間を連絡、疎通させる道具とでも思っているのだろう。何だか笑えて来る。
そう言えば、先生の指導に、唱題が大宇宙に響き渡り、諸天も我々を加護しないわけがないとの大確信の表明がある。これは仏法に照らして当然のことで、大聖人が顕わされた御本尊は事の一念三千の当体。大宇宙そのもの、また現実には宇宙の縮図と言えよう。
端的に言って、御本尊を通じてでは決してない。御本尊を信じて唱題する、その行為を・通・じ・て(受持即観心)、大宇宙の根源の法、大聖人の御命と我が命が一体となる、またその状態そのものを事の一念三千と言うのだ。
――名誉会長 大聖人は「日蓮がたましひ(魂)」と言われている。御本尊の首題には大聖人の不惜の戦いが込められていると拝したい。/戸田先生は、そこに日蓮大聖人がましますがごとく御本尊を拝されていました。/その御本尊を、今度はわれわれが受持するのですが、その受持とは当然、不惜身命の信心でなければならない。(御書の世界、第2巻、177頁)――
もしも沖浦さん父子が正しければ、先生、戸田先生の信心はウソになる。これは単なる精神論でない。先生は「不惜身命の信心」と仰せで、その信心で御本尊を信受せよの意。学会は一貫して御本尊根本とするが、信心の要諦だからだ。
――名誉会長 当然のことながら、御本尊の功力には、この三義が具わっています。/御本尊には、万人の仏性を開く力があります。御本尊には、あらゆる功徳を具え、あらゆる機根を包摂する力があります。御本尊には、いかなる悪業や悲惨をも救済しゆく蘇生の力があります。要するに、御本尊には一切を生かしていく力がある。「活の法門」です。(同、216頁)――
僭越ながら我が身に主体を置き換えて読めば、御本尊根本が更に鮮明となる。我が己心にも仏性があり、功徳を生み出す力があり、悪業、衆生を救済する力がある。しかし己心には限りがあり、己心の一念を三千に開く方途を必要とする。
そこで、大聖人は御自身の御命を一幅一幅の御本尊として顕わされた。大宇宙の仏界か何かしら得体の知れないものを拝んでも、何の意味もない。が、半信半疑でも、御本尊への唱題で功徳に浴すことがある。初信の功徳もその内だろう。
また御本尊が鏡(鑑)は、生活用品の姿見、バック・ミラーのことでない。お手本、模範の意。熱原の三烈士が信心不滅の鏡と言うのと同じ。また大事なのは、沖浦さん父子がどのような対物的な観念でいても、御本尊に三義(妙の三義)が元々具わっている。
功徳、功徳とがなりたてるのも勝手だが、それらこそが御本尊の三義、即ち力用によるもの。まさか宇宙の仏界から頂戴したわけでもあるまい。今後なお「御本尊は道具」と主張するならば、沖浦さん父子では相応の功徳しかなくなるだろう。御本尊様はお見通しですよ、お気の毒ですが。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>38823
>>大勝利さんが根拠を提示されましたよ。
>>たしかに「除名推進運動」と書いていますね。
>>
>>http://goo.gl/yMLGoq
>>
>>菊川さんが沖浦さんを「破門された人ではない(ママ)」と表現された事に対して
>>創価学会では「破門」ではなく「除名」という処分があることを指摘し
>>沖浦さんに対する「除名推進運動(ママ)」が余・所・の・掲・示・版で続いている
>>と紹介されている箇所ですね。
>>
>>大勝利さんは、菊川広幸氏への沖浦氏への認識に対し痛烈な批判の中で
>>「除名推進運動」を引き合いに出している事を指して、マグマグ殿もその趣旨に
>>賛同しているといいたいのではないでしょうか。
阿部日様
ああ、本当にありますですね。私が書いた文章です、確かに。
でも~、私は「私が、いつ、どこで、どのように」除名推進運動したのか?
と聞いているわけでして、、、笑(^O^)(^O^)(^_^)/
それに、賛同する、と、運動する、って、まったく別物じゃないでしょうか?
あたかも、沖浦さんに反感を抱いている、と、沖浦さんの除名運動をする、では、
とても大きな違いがあると思います。
前者は、誰でも、いつでも、どこでも出来ることですが、後者を実際にやった人、
自分の身に覚えがないのと、他でもそんなかたを私はまったく知りません。
ええ、確かに小野さんが掲示板に貼り出しておられました。
で、沖浦さんもそれを自分の掲示板に転載掲示して、
こんなアクドイことをされていると憤慨し、訴えておられましたね。
が、それは、私とはまったく無関係のことです。
私を責めるならば、やはり私に関する直接の証拠が欲しいところです。
ついでに申し上げると、沖浦さんたちがネット上の学会員を訴えると騒いだ時、
私は、こちら富士宮でキャンペーンをはりました。
「学会員が学会員を訴えるなんて、度が過ぎる!」と言った主張の。
連続もので数回に分けて書きました。それは事実です。認めます。
で、それが沖浦さんに対する除名運動推進に相当するならば、
そのキッカケとなった「訴訟騒ぎ」は一体何だったのでしょう?
また、その後「お前(マグマグ)は学会を辞めて、宗門へ戻れ」と言ったのは、
ほかの誰でもなく、沖浦さんその人です。私は全然気にしていませんが、
それは許されるが、私の沖浦さんに対する主張はどうして許されないのでしょう?
大勝利さん、ちょっと一方的すぎやしませんか? 笑(^O^)(^O^)(^_^)/
ともあれ阿部日様には貴重な情報をいつも有難うございます。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 中央審査会 (誤)⇒ 県審査会(正)
四国の某国立大学の教授が、創価学会を相手に訴訟をおこしてブログに推移を掲載
していますが、会則どおりの手順で本人に事情を聞かれていることが読み取れます。
- 沖浦さんは議論が煮詰まると、十把一絡げにして除名推進者という事にしたい
ようです。
会館への苦情電話が事実ではないとしても
長野の幹部が動いたというのは事実のようですね。
だから、滋賀の幹部も電話をすれば動くと踏んだのでしょう。
そんな対応があるのか、ちょっと複数人の幹部に聞けば解ることです。
長野県内の学会員さんや地元のかたからも「熱原公演」について相談が
あったのかもしれませんね。
そういった個々の地域での判断は、遠隔地の私には解りかねますので
あくまで経験に基づく想像です。
ちなみに私は沖浦さんは学会活動と教学研鑽を再開される事を願っています。
除名になればそれも叶いません。
したがって除名の推進などはおすすめできません。
私のしる限り「除名」になる人は、自利(営業行為)の為の組織利用と同時に
組織批判活動を組織的かつ継続的にされているかただけですね。
それも、創価学会の会則にのっとって中央審査会が開かれたうえでの判断です。
- 大勝利さんが根拠を提示されましたよ。
たしかに「除名推進運動」と書いていますね。
http://goo.gl/yMLGoq
菊川さんが沖浦さんを「破門された人ではない(ママ)」と表現された事に対して
創価学会では「破門」ではなく「除名」という処分があることを指摘し
沖浦さんに対する「除名推進運動(ママ)」が余・所・の・掲・示・版で続いている
と紹介されている箇所ですね。
大勝利さんは、菊川広幸氏への沖浦氏への認識に対し痛烈な批判の中で
「除名推進運動」を引き合いに出している事を指して、マグマグ殿もその趣旨に
賛同しているといいたいのではないでしょうか。
正直いってネット上での「除名推進運動」って現場では100%取り上げられない
であろう内容ですし、そのキッカケは小野さんあたりである事も認識しています。
しかし私の記憶では本部のとある部署にタレコミをすると、審査会が開かれるような
ふうに書いておられましたが、その小野さんでもさすがに除名は推進していなかった
でしょう。
沖浦さんはさらに、私のネットでの主張に対して発言を牽制をする目的で滋賀県の
中心会館に電話をして、「○○を信心指導しろ」的な要求を実行されたようですが、
たとえ地方の会館でも学会本部であっても、そういった学会員個人間でのトラブルに
関する「強要」は受け付けていません。
そんな事をすれば、会館に不審電話や声明Faxがじゃんじゃん来て業務に支障
きたします(笑い)
またそういった通信は、発信者ごと報告書で「県」を超えて情報共有されます
のでおすすめしません。
- 1.雷、ヒョウ――「虫払」も散々
宗門の二大行事のうちの一つ「虫払大法会」が6・7の両日、大石寺で開かれた。
初日の6日、御開扉が始まる直前の正午過ぎから、大石寺上空には示し合わせたか
のように真っ暗な雲々が集まり、激しい雷鳴が轟き始めた。続いて大粒のヒョウが
降り始め、御開扉に向かう登山者は逃げ惑うようにして移動することとなった。
気温も8℃までしか上がらず、夜から明け方にかけては氷点下近くまで下がり、
霜注意報が発令された。
行事を行う度に何かが起きる大石寺。2月には16日の「御誕生会」や「(五重塔の)
お塔開き」の前々日と前日に大雪が降り、その後の落雪によって日顕肝いりの奉安堂の
屋根が広範囲にわたってへこんでしまった。3月30日の法華講総会の折には、激しい
風雨が吹きつけ、参加者はずぶ濡れを余儀なくされた。
これらはすべて、大石寺が諸天善神に見放された「魔の山」であるゆえんである。
- 2.「布教講演」でのお粗末な学会批判
支部総登山の参加者相手に坊主が行った「日興上人に学ぶ師弟相対の信心」と
題する「布教講演」の内容が、日顕宗機関誌「妙教」4月号に載っている(話者
は千葉・正願寺住職の鈴木信福)。その内容は、日興上人の振る舞いを通しての
「師弟相対」について触れたうえで、"私たちが師と仰ぐべきは法主である"と
こじつけ、学会を「師弟の道を踏み外した」と悪口しているものだが、噴飯もの
である。
日興上人は「日興遺誡置文」の中で「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を
構えば之を用う可からざる事」と仰せであるが、そんな破仏法の法主が「師」である
はずがない。また一方で日興上人は「我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」
(同)と仰せである。
広布破壊の極悪僧にして法主を詐称した阿部日顕や、その日顕から後を譲られ
た同様にニセ法主の早瀬日如を盲目的に「師」と仰ぐなど、まさに日興上人の
御心を踏みにじる言語道断の所為である。
大金をはたいて、遠路はるばる登山させられて、延々と聞かされるのは、この
程度の与太話なのであるから、法華講員も哀れ極まりない。
私がいつ、どこで、どのように沖浦さんの「除名推進」をしましたか?
私が、学会本部にそんなことを進言したとお思いですか?
教えて下さい。お願いします。
ちゃんと証拠をお出しになった上でね、この件では特に。マグマグo(*^▽^*)o~♪
読者諸賢では何を些細なことをと思われるだろう。が、本当に懲りない人だ、沖浦さんは、笑。で、私が一番気になったのは御書でも教学でも何でもなくて、楽器のピアノのこと。どうしてここまで知ったかぶりをするのだろう。
――御本尊は完全体です。この点は御書に明確です。然しながらそのままではどう言う力用もございません。/ピアノと同じですね。スタンレーの数千万円のピアノでも、誰も弾かないから只の物です。/人が弾いてはじめて楽器です。そして、弾き手の技術にピアノの性能は左右されます。/御本尊も同じですね、祈り手の信力行力に力用は左右されます。/信力行力が、仏力法力を出す。/ご存知ですね?/信力があって、行力が出る、結果として仏力法力がっ涌現する。/ですので、信が無いなら行は起りませんし、ご本尊の前で唱題と言う行をする人間がいないなら、ご本尊の仏力も法力も出ません。/開眼とはそう言う事です。(2014年4月23日、ブログ巖虎独白)――
スタンレー?それを言うなら「スタインウェイ」「スタンウェイ」(Steinway)だ。数千万円するかどうかよりも、有名メーカーの名器は、持っているだけでも価値が高い。いや、実際に触れると素人にも感じさせるものがある。存在の迫力だ。
で、沖浦さんでは仏法と何でもが結合する。何よりも分からないのが、弾き手の技術云々のくだり。では弾き手が最初下手くそでも、練習して技術を身に着ければ、それに伴ってピアノの性能が向上するとでも言うのか。ウソだ、爆笑。
ピアノの性能は工房、工場から出荷されたその日から決まっていて、変化するとすれば低下するだけ。で、その後、改造や補修をすれば向上は見られるが、元々の性能水準を超えることは先ず考えられない。余ほどの改造をしない限り。
で、素人じゃあるまいし(自称ミュージシャン)言いたいところは「慣らし弾き」のこと。で、注意せねばならないのは、これは元々の性能をフルに発揮させるために慣らして行くこと。弾いていると音がよくなるとは、このこと。
結論として、誰が弾く弾かないに関わらず楽器は楽器。何の変哲もない物体が、人によって弾かれることで楽器になるわけでない。沖浦さん、また先生の指導を自己流に解釈している。どんな名器でも置いてあるだけではただの楽器。
楽器で音楽を奏でるのが信心に喩えられ、楽器の性能は弾き手の技術や才能と密接な関係を持つ。車で言う「人車一体」となった時、最高の名曲が奏でられると言った意味。で、御本尊では、その存在自体が力用で至上の価値を持つ。宝の持ち腐れにならないよう、それに見合った信心をしっかりせよとのご指導ですよ、沖浦さん。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- エキサイトブログから以下の通知がありました。
-------------
2014年04月21日
【ブログ記事非公開のお知らせ】
エキサイトブログ管理者です。
お客様の記事について、権利保有者からの
削除依頼が寄せられたため、内容を確認のうえ
利用規約に基づき該当記事を非公開とさせていただきました。
<対象記事>
http://captivated.exblog.jp/15943787/
http://captivated.exblog.jp/13074807/
--------------
確認したところ、
2012年 8/10付けの記事と、2011年 7/13日付けの拙記事内において
「創価の森の小さな家」ブログのウェブ魚拓からのキャプチャ画像を引用した際に、
引用である事を掲示せずまた、必要以上に高画質なものをアップロードしておりました。
お詫びして、記事の訂正を行い、再度投稿しなおしました。
ご確認ください。
「創価の森の小さな家」への違和感:創価の森ウォッチ1
【内】ネット幻想と価値的利用法:創価の森ウォッチ50
何度もご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
あべひ拝
- 富士宮ボーイにしがみついている虫さんは、ありがたい存在だともいえます。
池田大作の指導には欠陥がある。
創価学会には欠陥がある。
日蓮の説法にも欠陥がある。
信心がない人ほどケッカンケッカンと鳴く虫に心を喰われて、自分の主張が欠陥
だらけになって他人の心を打てずに、人格を叩くようになるのですよ。
負けの人生とはどんなものなのか。
それを知らせてくれるアリガターイ虫ですネ(笑い)
単独でいるうちはまだカワイイものですけれど、困った事にニオイを発して
余所から仲間を呼んだりすると調子に乗って増殖するので、その前に処理をする
ことが肝要です。
私個人は余り気にしませんし、皆様も気になさるに及びません。
まあ喩えて言えば「お米のムシ」みたいなもので、
ここのお米を食べている小さな存在と言った感じでしょう。
お米のムシには色んな種類がありますが、幼虫がさなぎになり、
羽化して成虫になってどこかへ飛んで行くのもあります。
それと、美味しいお米ほどムシがつきやすいと言うのは、本当みたいです。
世界のどこでもお米(稲の実)があるところに、必ず生息しているのも本当です。
量が増えると気持ち悪いし、取り除くのに困りますが、
が、ムシたちがエサにしているのは所詮お米です。
害虫なんだけれども、実際に人を刺したり、人に噛みついたりしないのも、
これらのムシたちの特徴です。人にとって見た目が汚いだけ、、、笑。
で、管理人様には本当にご苦労をおかけしますが、どうか除去をお願い致します。
また皆様におかれては生態観察の後、どこかへいなくなるか、除去されるものとして、
気楽にお考え下さればよろしいかと存じます。
しかし、決して口に入れてお食べになりませんよう。
お腹をこわすことがありますので、どうかご注意下さいませ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
巖虎様のところでまだ続いている。沖浦さんは生半可な己義しかないのに、どうして御書の達人の女史に挑むのだろう。今回も今回で簡単に玉砕したが、一番いけないのは、御書の文意や原意を理解する前に、どんどん脱線するところ。
――大聖人が明確に言われています。御本尊は有情と非情に分けると、非情に含まれます。/略/御本尊は私どもが前にいて唱題して、初めて仏としての力用を備えます。この御書にある通りですよ。唱題する人がいないなら、只の物です。/『然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』(諸法実相抄)/この御文も同じ事を示してありますね。衆生がいなくて、経を唱えないなら、どう言う仏像も只の物です。/御本尊と言う仏像は、私共が唱題して初めて仏としての作用が出ます。(2014年4月23日、ブログ巖虎独白)――
大聖人が明確に、は完全にウソなのでとばされたい。次がもっといけない。彼の国語が不完全なので誤解を受ける。御本尊に有情、非情があるのでない。森羅三千を有情、非情に分けると、御本尊は非情に入るだけ。が、注意されたい。
わざと話しを「モノ」へ持って行くが、非情の範囲はモノだけでない。この時点で、沖浦さんは一念三千の草木成仏を知らないことになる。読者諸賢は一色一香無非中道(摩訶止観)を思い出されたい。非情にも十界が厳然と具わっている。
次に諸法実相抄を引いて、要はモノである御本尊の力は、我々の唱題があって初めて発揮されると言いたいらしい。これもお得意の脱線だが、破折は巖虎女史にお任せして再説を避け、肝心の部分だけを取りあげるとこうなる。
―― 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり(草木成仏口決、御書全集1139頁)――
――日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(経王殿御返事、同1124頁)――
沖浦さんは御本尊を単なるモノに仕立て上げたいだけ。先生の指導の「信じなければ(拝まなければ)ただのもの」も理解していない。大聖人が上の御書で何と仰せか、彼は心して拝すべき。偽書?そんな高等なこと、この際、彼に関係ない。
肉眼でなく、信心の目で見れば有情、非情の別もなく、すべてが十界互具、一念三千の当体。ただそれだけでは単なる法華迹門の法門で、大聖人がわざわざ、日蓮が・魂・を墨に染めながし、一念三千の・法・門・を振り濯ぎたるとはされない。
――今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る(法蓮抄、同1050頁)――
ある面、長野に住む普通の人間の沖浦さんがモノと見るのは自然のこと。仏種が純熟していない人だから。で、熟した人はどう見るか。要するに仏では仏と見るわけで、法華経の経巻にせよ、その辺にある仏像にせよ、すべてが仏なのだ。
が、本仏、迹仏の区別があったり、仏にも色んな種類がある。で、大聖人が墨に染めながし、振り濯がれた大曼荼羅は、沖浦さんや私たちのような習い損ないでは仏だと分からないので、ただただ信じなさいと信心を何度も強調されているわけ。
総合すると、沖浦さんに信心の目がまだ見ひらかれていないか、何かの拍子に閉じたままになっているかで、普通の人の肉眼や小さいオツムだけで御本尊を論じるからこうなる。折角学会に入会して信心の環境が整っているのに、本当にお気の毒なところ。
尚、私が上にあげた御書はSOKAnetの「信心の基本」から引っぱった。信心の目とは、信心の基本精神や基本姿勢のことかも。基本がないのに別解や応用が出来るわけない。世間でもそれは常識ですよ、沖浦さん。スポーツでもそうでしょ?マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 沖浦さんは、功徳はネットでどんどん口外すべきだと常々主張されていますよね。
ところが学会幹部の名まで出して評価されたという「特A」の活動とやらがまったく
口外できない。
「賢者は議論よりも行動を重んじる。」
よい言葉じゃないですか。
私はなにも沖浦さんと「特Aの活動・行動」とはなんぞや?を議論したいのでは
ありませんよ(笑い)
長野創価学会の会員さんの評価に興味があるので教えて下さいとお願いしたつもりです。
ところがいつも自分事には饒舌な沖浦さんが口をつぐんでしまう。
なにかあるのかな?と読者は思うかもしれませんが、秘密にしたい理由があるのでしょう。
吉田松陰なら他にもよい言葉がありますよ。
--------------
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。 (吉田松陰)
--------------
学会員さんにあてはめれば、広宣流布への誓願をやぶって日々安穏としている人が
もっともくだらない生き方だということになりましょうか。
我が身の事しか考えられない人(小人)は、自分の評価ばかりを気にして
目先の縁に流されがちになるというのも大志に生きた吉田松陰らしい格言だと思います。
ちょうど池田先生の指導に同じようなものがありますので
少々長いですが引用させていただきましょう。
◎
初めは大理想、大志の大煩悩をもつ―――だんだん小煩悩になって、助師か講師ぐらい
になれば、わたしはもういい。(笑い)
そんなふうにならないでください。
尊い、清らかな煩悩は、永久にもっていってください。
一生成仏をめざし、大仏法を求めて、前進し、成長していくことが大切です。
(略)
世間の人は、とうぜんですが、よく学会員のなかにも、ちょっと社会的に偉いと
増上慢になって“オレはすごいんだぞ。学会の幹部はだめだ”などという人があります。
それが、信心がすすみ、教学の私見でもうけると“なかなかたいへんだなあ”(笑い)
―――こうなります。
こんどは、幹部になると、初めは“オレだったら、もっとうまく指導するのになあ”と
必ず思う。それが自分の番になってくると、冷汗をかいて話す(笑い)
皆さんもそういう経験があるでしょう(笑い)
私たちは、正法の信仰を持っています。
また謙虚な態度です。
(略)
惰性に流され、学会はこんなもんだと、自分で決め込んで、人生に大きいマイナスを
つくるようなことのないように注意していただきたい。
いくら御本尊があっても、信心がなくなれば即座に地獄です。
(指導集 質問に答えて 275~276ページ【煩悩の火を燃やすとは】より抜粋)
よく朝夕の勤行をかかさずやっていることや、長時間唱題していることを
アピールされるかたがおられますが、自由で平和と称する個人活動や、ネット上で
世間話を交わす事でお互い癒やされるのが、創価の三代会長、なかんずく日蓮大聖人
に通じているなどと決め込む「我見の信心」「惰性の信心」は、みなさんの人生に
とって大きなマイナスであり、根本的解決にいたることのない地獄の境涯に通じている
ということを、学んだほうがよいと私は思います。
- 性懲りもなくアク禁者が意味不明の挑発をしながら、スレッドをさげてしまったので、
本日分(2014/4/23日)の投稿のみタイトルとリンクを再掲させていただきます。
● 38794 2014-04-23 12:44:23 阿部日ケ~ン(院政)小さな薪
http://goo.gl/NFlHNn
● 38796 2014-04-23 13:34:53 阿部日ケ~ン(院政)訂正
http://goo.gl/lPJ3Mu
● 38797 2014-04-23 15:08:40 マグマグ 阿部日様。。。o(*^▽^*)o~♪
http://goo.gl/h9KetH
● 38798 2014-04-23 16:04:59 マグマグ
【雑感】日中のはざまで――都知事、議員連の訪中。
http://goo.gl/Zq7xJb