第七十八話 親善訪問団。
「親善訪問団ですか?」
「うむ。某も十年前に参加したのだが、今回はバウマイスター伯爵も指名されているのである」
結婚式を挙げてから約二ヶ月後、バウルブルクにある屋敷において、導師から隣国アーカート神聖帝国に送られる親善訪問団の話を聞いていた。
「俺も参加ですか?」
「バウマイスター伯爵は有名人だから、陛下から必ず参加せよとの命令があってな。あとは、カタリーナ殿もそうであるな」
「私もですか? ご期待に沿えるように頑張りますわ」
親善訪問団は、十年に一度二百名規模で双方から派遣されるそうだ。
ヘルムート王国側は前回が十年前で、アーカート神聖帝国側は五年前。
共に十年ごとだが、夏と冬のオリンピックのように五年ごとに、どちらかがどちらかを訪問するシステムになっているらしい。
そういう行事があるという事は聞いていたが、昔のうちの実家では話題にもなっていなかった。
うちが呼ばれるはずがないので、関係がなかったと言われればそれまでであったが。
きっと父も母も、頭の隅でも認識していなかったはずだ。
「もう戦争はしないから、共に仲良くしましょう的な物ですか?」
「それもあるが、ある意味戦争とも言えるのでもある」
互いに優れた産品や新技術などを持ち込んで、『うちの方が発展しているだろう。羨ましいか。ほら』という展開を双方が狙っているそうだ。
ある種の、国威発揚行事でもあるらしい。
交易交渉の改定などもあるので、これも政治交渉という名の戦争と呼べなくもなかった。
「当然、優れた魔法使いの披露もあるのである!」
ブロワ辺境伯家との紛争を見てもわかる通りに、広域上級魔法が使える魔法使いは時に戦況をひっくり返す。
実際に両軍がぶつかると、双方にほぼ同数・同質の魔法使いがいるのでそう簡単に片方が無双を出来ないようになっているが、優秀な魔法使いが多ければ戦況が有利になる。
その実力を披露して、相手に軍事的な圧力をかけて戦争を防ぐ狙いもあるらしい。
「前回は、某が魔法使い達を率いたのである!」
導師の実力を考えれば当たり前というか、彼の実力を見れば戦争を躊躇うと考えられたからであろう。
何しろ、この大陸では最高の抑止力なのだし。
「ブランタークさんは出た事が無いのですか?」
「勿論呼ばれたさ。アルが生きていれば奴が呼ばれただろうが」
導師と一緒に屋敷に来ていたブランタークさんが、俺の質問に答える。
基本的に魔法使いは、貴族自身か貴族のお抱えになっていないと呼ばれないそうだ。
ブランタークさんは師匠の代わりにブライヒレーダー辺境伯家に雇われていたので、それで呼ばれて導師と三週間ほど一緒だったそうだ。
「思えば、ブランターク殿とはその頃からの知己であるな」
「(その前から顔くらいは知っていたんだ。アルは友達だったみたいだし……)」
そして実際に親善訪問団で顔を合わせ、当時は導師のキャラの濃さに絶句したのだと、ブランタークさんは小声で俺に事情を説明していた。
「今回も、お抱えの俺は呼ばれたわけだ」
「そんなに魔法使いばかり抜けて大丈夫なんですかね?」
「今までは大丈夫だったな。それに、こういうのは国家の意地があるから」
簡単な魔法合戦や特殊魔法の披露も、歓迎会の席で行われるらしい。
その席でお互いの軍部が、現在仮想敵国に所属している魔法使いの数と実力を測る。
民間で稼いでいる魔法使い達は面倒臭がって来ないので、王国や貴族に雇われている魔法使いはほぼ強制らしい。
宮仕えは安定しているが、こういう命令に逆らえないのが弱点かもしれない。
「一種の戦争とも言えるわけだな」
「大変なんですね」
「とはいえ、今まではトラブルとか無かったからな。なあ、導師?」
「そうであるな。適当に魔法を披露して、あとは観光がメインであろう」
魔法使いなので、他の商工業関係の役人や貴族連中よりは暇なのだそうだ。
彼らには技術交流や輸出・入に関する協定の更新などがあるが、魔法使いは魔法だけを披露すればいい。
あとは観光でもして、ほとんど遊びがメインだと導師が説明していた。
「一種の観光旅行とも言えるのである。バウマイスター伯爵も、奥方達を連れて遊びに行くくらいの感覚で良いのである」
「家族連れで良いのですか?」
「貴族ならば、全く問題ないのである!」
約二百名の随員とはいえ、みんな部下やら秘書やら護衛を連れて行くので参加人数が増える。
特に大物貴族は、奥さんやら家臣まで連れて行くので数が増えるそうだ。
「それを見越して、大型魔導飛行船を二隻チャーターするので問題ないのである!」
国家的な行事なので、その辺には抜かりは無いようだ。
予備の魔導飛行船を動員して、親善訪問団を運ぶ事になっていた。
「新婚旅行にちょうどいいか。みんなもそう思うだろう?」
「そうですね。アーカート神聖帝国行きは貴重なキップですから」
みんなの空になったティーカップにマテ茶を注いでいたエリーゼが、俺の問いに答える。
まだ停戦中という事もあり、双方の人員は首都からは出られないが、唯一存在する外国への旅行なので親善訪問団は密かな人気を誇っていた。
民間ベースの交流が国家が一本化している交易だけなので、貴族や商人で行きたがる人が多いそうだ。
既に二十回以上も行なわれているが、特にトラブルなども発生していない。
安全に海外旅行が出来るというわけだ。
「ですが、随員には制限かかかるのでは?」
誰もが数十人も連れて行けないので、まずは申請を出してから随伴人数が決定されるそうだ。
大貴族ほど多くの人を連れて行けるらしいが、あまり自分ばかり多く連れて行くと周囲から白い目で見られる。
その辺の匙加減は、面倒なのでローデリヒに丸投げしておく事にする。
「某など、それが面倒なので前回は一人であったぞ」
「(それは、導師が一人旅を楽しみたいからでしょうが)」
外国に行くので、解放感を求めてなのかもしれない。
その前に、『究極単体戦闘兵器である導師に護衛が必要か?』という根本的な疑問が出てくるのだが。
「うちは、いつもの面子でいいと思うけどね」
順調に進んでいるが、未開地とヘルタニア渓谷の同時開発なので護衛だけでもあまり人を持って行くと、任せているローデリヒに負担がかかる。
俺とエルと妻達で十分であろう。
「そうですね。簡単な家事くらいなら私達でやってしまいますし」
冒険者として時には野宿までする俺達なので、無理にメイドを連れて行く必要は無かった。
ドミニクも新婚なので、今は暇な時間を増やしてあげた方が良いであろう。
ここのところ、大分迷惑をかけているし。
新人メイドであるレーアが行きたそうな表情を浮かべていたが、いきなり新人を外国に連れていけば他のメイド達との間に軋轢が起こるかもしれない。
それに、今回は特にメイドなど必要ないであろう。
「ヴィルマは、どう思う?」
「食事が楽しみ」
「それはあるな」
少し寒い北の国なので、この国とは違う料理や食材に出会える可能性が高かった。
「海の魚貝類は、アーカート神聖帝国産が圧倒的に優れているからな」
他にも、何か良い食材や料理があるかもしれない。
食べて気に入れば、輸入交渉をしてもいいだろう。
「ルイーゼは?」
「新婚旅行だね。護衛はボク達がいるから問題ないよ」
最近、強さが導師に類似してきたルイーゼがあまり無い胸を張りながら答える。
それでも、結婚してから少しは大きくなっているのだが、親しい人でも気が付いていない人が多かった。
「カタリーナは?」
「親善訪問団に選ばれるとは栄誉ですわ。私の魔法を存分に披露しましょう」
カタリーナなら、間違いなくそう言うと思った。
一度は没落したヴァイゲル家の当主が、普通の貴族ではなかなか指名されない親善訪問団の一員に選ばれたのだから。
「イーナ。何かいい観光スポットとかある?」
「ケルン大聖堂とか、下町の大朝市とか、他にも細かい観光スポットがボチボチね」
イーナは、ブランタークさんが持参した『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』という本を見ていた。
前回の親善訪問団のメンバーにはブライヒレーダー辺境伯も選ばれていて、彼が見聞きした情報を独自に本に纏めた物らしい。
中身は、なかなかに良く出来た観光ガイドになっている。
ブライヒレーダー辺境伯は、やはり文系の人間のようだ。
「楽しみだなぁ」
「そうね」
「あのよぉ。一応、これって仕事なんだけど……」
珍しく唯一真面目な事を言っているブランタークさんであったが、留守の間の事もあるのでローデリヒと共に真面目に打ち合わせや必要な土木工事なども行なう。
特に、ヘルタニア渓谷の道路整備や採掘の手助けなどでは奮闘している。
これも、楽しい海外への新婚旅行のためだ。
参加者は、いつもの面子だけにした。
自分達の身の周りの事は自分で出来るし、船に乗れる人数も決まっているのであまり増やすわけにもいかない。
護衛一人でも、うちは人手不足なので出来れば避けたかったのだ。
「エルとルイーゼとヴィルマがいれば、ただの警備兵なんて不要だろう」
「だよねぇ」
「いない方が、新婚旅行っぽい」
あとは、うちの随員を増やすと他の貴族が割りを食うという物もある。
ヘルタニア渓谷から出るミスリルをメインとした鉱石でまた潤ったうちが新参者なのに随員を増やせば、『成り上がり者が生意気な!』と言われかねないという事情もあった。
本当に、貴族とは面倒な生き物なのだ。
基本的に護衛無しの提案をすると、ローデリヒは渋々ながら認めていた。
「何かがあったら、他の貴族など無視して魔法で逃げて来てください」
「それは、ありなの?」
「ありです。だから、人様の随員枠まで使って護衛を増やす貴族もいるのですから」
貴族の生死は自己責任で、自分の主君が死んで他の貴族が生き残った時に、それに公で文句など言えないらしい。
『お前達の護衛の手配が駄目だったからじゃないか』と逆に非難されて終わるそうだ。
「多少増やしても、アーカート神聖帝国側がその気なら全滅は必至だけどな」
敵中に孤立しているので、多少の護衛の差など無意味とも言えた。
それに、今までトラブルなどは一切発生していないそうだ。
「それでも、歴史のある大貴族はプライドがあるので随伴を増やそうとするものです。まあ、お館様とカタリーナ様は必要無いのですが……」
陛下の指名で参加しているし、俺が今まで挙げた功績をアーカート神聖帝国側が知らないはずもない。
本人達が来れば、向こうで勝手に騒いでくれるであろうとローデリヒは説明していた。
「そんな。何かが起こるかもというのは万が一だろう?」
「あくまでも万が一ですね。両国とも、一部の勢力を除いては停戦していた方が得ですから」
いつの世でも、戦争で利益を得ようとする人達は存在するそうで、そういう連中を除けば今の停戦状態は好ましい状態のようだ。
ギガントの断裂を超えて占領地を持つと、防衛でコストがかかり過ぎる。
何かあった際に緊急で兵を輸送しないといけないので、常に大型魔導飛行船を動かせるようにしないといけないからだ。
「アーカート神聖帝国としても、ギガントの断裂を超えた南部の領地を失ったのは採算的には都合が良かったのです。ただ、敗戦なので、軍部の一部には感情的な出兵論者が一定数いるみたいですな」
「どうせ、うちの国にもいるんだろう?」
「そういう輩は、どの国もいます。北方に領地を持つ貴族にもいますし、軍中央にも。出兵を王国が判断するほどの勢力ではありませんが……」
いつの世でも、そういう極端な意見を持つ人達など珍しくない。
気にしても仕方があるまいと考えた俺達は、急ぎ出発の準備を始めるのであった。
「おおっ! スタッドブルクにも劣らない大きさだな」
それから一週間後、俺達は王国政府が準備した大型魔導飛行船の甲板上でアーカート神聖帝国の首都バルデッシュを一望していた。
資料によると、バルデッシュはスタッドブルクよりも広さも人口も少しだけ上であった。
見える建物などはヘルムート王国風の物が大半で差異は少なかったが、一部に地球で言う所のイスラム風の建造物や、インド風、中華風、そして和風に見える建物などもある。
どうやら、アーカート神聖帝国は色々な文化がごっちゃになっているようだ。
「多民族文化なのかな?」
「みたいね。アーカート神聖帝国は、沢山の小国が統合して成立したと本には書いてあるわ」
隣にいたイーナが、『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』に書いてある内容を教えてくれる。
「選帝侯の称号を持つ七公爵家からも皇帝が選出されるのは、その名残りみたい」
一応中央にも皇族家が存在しているが、皇族家出身の皇帝が生まれるのは三~四回に一回くらいだそうだ。
あとは、貴族議会に所属する議員による投票で、立候補した選帝侯の中から選ばれる。
一部に選挙制度が存在しているわけだが、これはヘルムート王国ほど中央の力が強くない事の証明でもあった。
「国によって色々と事情があるってか。まあ、俺は自分の領地の事で精一杯だから気にしないけどね」
それからすぐに、大型魔導飛行船はバルデッシュ郊外にある港に到着していた。
船を降りると、アーカート神聖帝国からの出迎えを受ける。
軍楽隊がヘルムート王国の国歌を演奏し、多くの貴族達が次々と歓迎の言葉を述べる。
こういう部分は、地球の国家とあまり変わりはないようだ。
「今回は、魔法使いが強化されているようですね。アームストロング導師殿」
「若い才能が芽吹き始めたというところであろうか。ブラットソン殿」
「竜殺しの英雄殿ですか。お若いですな。おっと失礼。アーレイ・ブラットソンと申します。一応、この国の筆頭魔導師をしております」
俺を含めた魔法使い二十名ほどのグループに、アーカート神聖帝国側の魔法使いが声をかけてくる。
灰色のローブを着た、ロマンスグレーの髪をオールバックにした六十歳くらいの痩せ型の老人で、自分を帝国の筆頭魔導師であると自己紹介していた。
魔力の量は、ブランタークさんよりも少し多いくらいであろうか?
見た感じでは、かなりの実力を持っているように見える。
彼もブランタークさんと同じく、『器用で上手い』魔法使いなのであろう。
「しかし、魔法使いの数が多くないか?」
ブラットソンの視線は、俺と一緒にいる妻達に向いていた。
俺からしたら妻達の魔力が増えたせいで、実は行きの魔道飛行船の中でも一部の魔法使い達が五月蝿かったのだ。
『さあ? なぜなんでしょうかね? 俺が知りたいくらいですよ。普通に器合わせはしましたけど』
こう言って誤魔化していたが、やはりエリーゼが上級の中、カタリーナが少し前の導師にも迫る魔力量に、ルイーゼですらブランタークさんとほぼ同等に、イーナとヴィルマですら中級にまで魔力の量が増えている。
その謎に魔法使い達は興味津々なようであったが、わざとはぐらかして誤魔化していた。
どうせ強引に検査などできないのだから。
『(絶対に墓場に持って行ってやる)』
なぜなら、随伴の魔法使いの大半が男性である。
俺は彼らの尻など掘りたくもないし、無理にそれをして効果が無かったら道化も良いところである。
それに、教会から異端扱いされるのも問題だ。
この件をそっとホーエンハイム枢機卿に相談したら、『適当にはぐらかしておけ。あと、女には注意するように』とありがたい忠告を貰っていた。
エリーゼの祖父としても、俺が手当たり次第に女性に手を出す、出さざるを得ない状況は好ましくないのであろう。
彼も、『墓場まで持っていく』と断言していた。
「実は、妻達も混ざっていますから。正式な団員ではありませんので」
「そういえば、奥方に『聖女』殿と『暴風』殿がいましたか」
やはり他国とはいえ、有名な魔法使いの情報くらいは事前に調べているようだ。
「魔法使いの方々への出迎えや滞在中のフォローなどは、私が実務責任者になっておりまして」
忙しい文化・技術交流や通商関連の団員達は、専門の役人や貴族達が行なうようだ。
彼らは時間が惜しいらしく、すぐに移動を開始していた。
「我らは、明日の魔法のお披露目以外は暇ですからな。それほど急ぐ必要もありませんし」
「ブラットソンよ。そろそろ妾も紹介してくれぬか」
「これは失礼しました。テレーゼ様」
「妾は魔法は使えぬが、お飾りでも最高責任者なのでな。そなた達の来訪を心より歓迎するぞ」
ブラットソンさんの後ろから姿を見せた女性は、誰が見ても高貴な身分である事がわかる人であった。
喋り方がその物であったし、服装や見た目もそうだ。
身長は百七十センチほどで、多民族国家であるアーカート神聖帝国らしく、ヘルムート王国では見た事が無い褐色の滑らかな肌が特徴の肉感的な美女である。
くすんだ金髪を肩まで伸ばしている彼女は胸はエリーゼに負けておらず、結婚して久しぶりに色欲に塗れた俺からすると、『是非一度お相手願いたい』などと不謹慎な事を考えてしまいそうな魅力的な美女であった。
「妾は、テレーゼ・ジークリット・フォン・フィリップ公爵と申す。一応選帝侯ではあるが、皇帝には興味が無いの」
「女性当主なのですか?」
「然り。我が国では、認められておるからの」
アーカート神聖帝国では、女性の皇帝や貴族家の当主が認められていた。
これは、イーナが持参した『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』にも書かれている事実だ。
「そういう文化の違いを楽しんでこその親善訪問であろう? もしかすると、バウマイスター伯爵殿はそういう風習が許せない口かな?」
「いえ。そういう事は無いですね」
前世で勤めていた商社にも、女性社員など沢山いたのだから。
というか、性別など関係ない。
要は、当主として務まっていれば問題ないのだから。
「簡単な考えとして、魔法使いは魔法が使えればよいわけでして」
「領主は、領地の統治が出来れば良いと?」
「性別や年齢は関係ないでしょう」
「それもそうじゃの。じゃが、それ故に妾はここの担当になったわけじゃが……」
選帝侯の中では女性当主はフィリップ公爵だけらしく、他の男性主体の我が国の団員の担当にすると、予想外の軋轢が起こるかもしれない。
そう考えられて、こちらの担当に回されたそうだ。
「魔法使いは、魔法が使えないと意味が無いですから。そこに、男も女もありません」
「そうじゃの」
魔法使いは、本能的な部分で性差別をする人が少ないと言われている。
ただ、生まれた家柄が高いとそうでもないし、実際に王国で雇われている魔法使いには男性が多い。
今回の親善訪問団の魔法使いの大半は男性であった。
実はもう一つ、女性の方が実利に聡いので、給料や社会的な身分が安定しているだけのお抱えよりも、稼げる冒険者稼業に進む人が多いという理由も存在しているのだが。
女性魔法使いの多くが、結婚するまでなるべく稼いでから、あとは子育てをしながら出来る範囲で仕事をするという選択肢を取る事が多かった。
「ここで話ばかりをしていても時間の無駄じゃの。宿舎に案内するから、暫く休んでから昼食会に招待したいと思う」
彼女の案内でバルデッシュの中央部にある皇宮近くの迎賓館へと馬車で移動するのだが、なぜか彼女は俺達と同じ馬車に乗り込んでいた。
「あの……。導師やブランタークさんの馬車でなくて問題ないのですか?」
「年寄り連中は、詮無い腹の探り合いや募る思い出話もあろうからの。若い者は、若い者同士の方がよかろうて」
「(ぶっちゃけてるなぁ……)」
フィリップ公爵のあまりの言いように、ルイーゼがボソっと本音を漏らしていた。
「あの二人は、前回も参加していたからの。ブラットソンは前回も筆頭魔導師であったし、色々とあるのであろう。そこに、まだ若い妾が入るのもなんじゃしの」
「(まだ若いか……)」
女性に年を聞くのはどうかと思うので聞かないが、彼女は幾つくらいなのであろうか?
二十歳くらいに見えるのだが、それだと前回の親善訪問団の様子を知っているのはおかしいという事になってしまう。
「妾も、当時はわずか十歳でフィリップ公爵家を継いだばかりでの。子供なので飾りではあったが、前回もこの役目を果たしておる」
父親の急死で、一人娘であった彼女がフィリップ公爵家を継いだばかりの頃であったそうだ。
「そうですか」
「でなければ、いくら女性当主が認められているとはいえそう簡単には公爵にはなれぬよ」
結局のところ、アーカート神聖帝国でも男性の相続が優先されるそうだ。
女性の相続が認められるのは、養子や婿入りした者に任せると血が薄れるという考え方に基づくかららしい。
他にも幾つか家によっては特例があるそうだが、その辺の詳しい事情はテレーゼ様は語らなかった。
俺も、初対面の人に聞くのはどうかと思って聞かないでおく。
「しかし、あの導師は相変わらずじゃの」
「まあ、ああいう人なので……」
この話題に関しては、全員の気持ちが初めて一致していた。
「十年前と、まるで変わっておらぬ」
しかも、見た目もあまり変わっていないそうだ。
昔から筋肉達磨で、ヤクザも逃げ出すような容姿をしていたのだろうと予想できる。
「そろそろ到着じゃの」
馬車が迎賓館に到着し、出迎えの使用人や執事達によってそれぞれの部屋に案内される。
俺は伯爵であったので、かなり広くて豪勢な部屋に案内されていた。
ただ一つ気になる事は、全員隣同士ではあるがエリーゼ達にも個室が与えられた点である。
「夫婦なら同室じゃないのかな?」
「そこは、歓迎の表れだと思ってくれて構わないぞえ」
部屋に荷物を置いて暫く休んでいると、フィリップ公爵自身が昼食会が始まると言って迎えに来ていた。
「それは光栄ですが、フィリップ公爵様じきじきに?」
「妾は、そなたに興味があっての。多少嫁き遅れではあるが、そう邪険にしないで相手をしてくれると嬉しいかの」
「いえ……。フィリップ公爵様は、お美しいではないですか」
「そう言ってくれると嬉しいの。では、参るとするか」
「えっ!」
そう言うや否や、突然彼女は俺の手を引いて食堂へと移動し始める。
当然、普通の公爵がするような行動ではないので、エリーゼ達も絶句していた。
「そうそう。妾の事は、テレーゼと呼ぶがよい」
「それはさすがに……」
「構わぬ。選帝侯で、皇帝陛下に継ぐ力を持つ妾の願いである。表だって非難をする人間などこの国にはおらぬ。陰口などは気にするに値せぬの」
普段はその身分に比べると気さくである彼女が、こういう時に限って選帝侯の身分を口にして名前で呼ぶ事を強要する。
間違いなく、俺など比べ物にならないほど貴族や皇族としては有能な人物のはずだ。
「わかりました。テレーゼ様」
「別に様もいらぬがの。まあ、周囲の目もあるが故に仕方が無いかの」
どうやら俺は、この女性公爵様に物凄く気に入られているらしい。
昼食会での席順も、主催者で所謂お誕生日席に座っているテレーゼ様の隣の席であった。
反対側の隣には導師が座り、その隣はブランタークさんのようだ。
「(いいの? この席で、俺はいいの?)」
「(おかしくはないです。ヴェンデリン様の序列を考えますと)」
テレーゼ様とは反対側の隣の席に座るエリーゼが、そっと俺に教えてくれる。
魔法使いの中では、伯爵である俺は導師に次ぐ身分を持っている。
なので、導師と同じくテレーゼ様の隣でも何の問題もない。
導師は子爵なのだが、こういう席では王宮筆頭魔導師の身分は公爵にも匹敵するそうだ。
「(私も、教会では有数の治癒魔法使いという扱いですから)」
それもあって、正式なメンバーではないのに俺の隣なわけだ。
続けてカタリーナが座っているのも、彼女が名誉付きとはいえ爵位持ちであるからであった。
「それでは、乾杯するとしようかの。両国の永遠の友好を願って。乾杯」
「乾杯!」
テレーゼ様の指揮で乾杯が取られ、あとは話をしながらの食事の時間となっていた。
メニューは魚を使った料理のフルコースで、これは海の幸が豊富な北方の料理であったはずだ。
「妾のフィリップ公爵領は、北方に存在しておる。故に、北の海の魚を使った料理が有名じゃの」
魚を食べ慣れているだけあって輸送や処理も完璧であり、全く生臭くなくて美味しかった。
「気に入って貰えたかな? バウマイスター伯爵」
「はい。私は、魚も好きですから」
わざわざ高い金を払って輸入しているくらいなのだから、そこは元日本人の業という他はなかった。
「それは良かった。しかし、導師は変わらぬのぉ」
「某はまだ未熟な身故に、年など取っておれませんからな」
普段はアレであったが、さすがは法衣子爵家の当主。
完璧なテーブルマナーで料理を食べながら、テレーゼ様と話をしていた。
「テレーゼ様は、お美しくなられましたな」
「ブランタークは、よもや妾を口説くつもりかえ? 新婚の身で相変わらずよのぉ」
「いえいえ。そんな大それた事は」
「ブランタークが結婚するという驚愕の変化に比べれば、妾の成長など自然の摂理であろうよ」
「テレーゼ様は相変わらずですな」
十年ぶりだと言うのに、この三人はかなり親しく話をしている。
何か思い出深い出来事でもあったのであろうか?
「十年前は、妾も子供での。公式歓迎行事以外は暇なので、この二人に遊んで貰ったのじゃよ」
二人が護衛役を務めて、普段テレーゼ様が行けないような観光地などに連れて行って貰ったそうだ。
「随分と無茶をしましたね」
「言っておくが、俺は最初は止めたんだからな」
「何となく想像はつきます」
こういう遊びでノリノリになるのは、間違いなく導師の方であろう。
ブランタークさんは止め切れないので、ならばせめて安全を確保しようと護衛に付いたのが真相だと思う。
「おかげで、妾は安全に遊びに出かけられたというわけじゃ。本当に、魔法使い様々じゃの。ところで、一つ尋ねてもいいかの?」
「何でしょうか?」
「この中で一番魔法に詳しいであろうブランタークに聞くのじゃが。前に不思議な出来事があっての……」
それは、テレーゼ様がいつものように領内の視察に出かけた時の事であったという。
「ここ数年、北方の海の幸が全国で大人気での」
鮮度を保つ保存方法の普及に、輸送効率のアップもあって、バルデッシュも含めて取引量が増えているそうだ。
「輸出も好調での。じゃが、ただ獲ってばかりいれば漁獲量が減ってしまう」
獲って良い魚の大きさの制限や、禁漁期間の設定、魚礁の設置や簡単な養殖技術の開発に、密漁者の摘発など。
力を入れて行なっているので、現場の視察を良く行なっているそうだ。
「あれは、船に乗って沿岸の漁場の視察を行なっている時であった」
突然、テレーゼ様の下着が忽然と姿を消してしまったそうだ。
「(ヤバい……)」
「妾が脱いだのを忘れたのなら問題ないのじゃが、生憎と、妾はまだボケが始まる年でもないからの」
「不思議な事もあったものですね……」
完全に、あの魔導ギルドが試作した召喚魔法陣で呼び出された謎の下着の件であった。
確か、ベッケンバウアー氏もその下着が特注された高級品で、付いていた家紋がフィリップ公爵家の物だと証言していたはずだ。
「……」
ブランタークさんの方に視線を送ると、彼は一瞬だけ『やっぱり』という風な表情を浮かべ、すぐに慌てて元に戻していた。
ところが、他の随員には魔導ギルドの所属者も存在している。
ブランタークさんほど場慣れしていない彼らは、その件を思い出して表情を目まぐるしく変えていた。
「(動揺するな! バレるだろうが!)」
まさか彼らに文句を言うわけにもいかず、俺は自身の平静さを保つのに必死であった。
「まさか船の上で換えの下着も持っておらぬでの。帰りはスースーして堪らなかったわ。どう思う? ブランターク」
「何か転移か召喚系の魔法ですかね?」
『全く知りません』と言うと疑問を持たれる可能性があるので、ブランタークさんは本当の答えをわざとボカして答えていた。
「やっぱりの。ブラットソンもそう言っておったわ。しかし、不思議な事もあるものじゃの」
「本当に不思議ですね」
「そうだな。伯爵様の言う通りだ」
俺とブランタークさんでわざとらしい会話を交わす。
何とかこれ以上は追求されないままに昼食会は終了したが、あの動揺した魔導ギルド職員達のせいでバレてしまったかもしれない。
そう思うと、これからどうなるのか不安を感じてしまうのだ。
「あの時の下着ねぇ……」
部屋に戻ると、そこには端の席で話を聞いていた事情を知るイーナとルイーゼが待っていた。
前に俺の召喚魔法のせいで、ウサギ刺繍のバックプリントパンツを履いていたのがバレたイーナが苦い表情を浮かべていたのだ。
「ちなみに、コレです」
「ヴェル。実際に出さなくてもいいから」
同じく、無い乳なのに黒いアダルティーなブラジャーをしているのがバレたルイーゼが、魔法の袋から下着を取り出した俺を非難する。
「伯爵様。その危険なブツは仕舞え」
「了解」
ブランタークさんの命令で再び魔法の袋に紫の下着を仕舞ってから、四人で顔を近づけて密談を始める。
もしこれから、テレーゼ様による追求があったらどうするかを決めるために。
「とにかくだ。シラを切り通すしかない。証拠の下着とて、取り出せるのは伯爵様のみ。帰るまでに見付からなければ問題ないのだから」
「ブランタークさん。あの時点で気が付かなかったんですか?」
「あのようぉ。いくらフィリップ公爵家の家紋入りとはいえ、あの家に女性が何人いると思っているんだよ」
「それもそうか……」
物凄い年寄りでも貴族だとああいう下着を着けたりするので、実はテレーゼ様の物で良かったと、俺は無意味な安堵感に襲われていた。
「というか、俺の記憶の中のテレーゼ様は子供だったんだ。あんな下着を見てもイメージが湧かない」
「確かに……」
十歳の子供が紫色の下着はどうかと思う。
テレーゼ様とていつまでも子供ではないので、その辺はブランタークさんの想像力の欠如であろうが。
「魔導ギルドのバカ達のせいで怪しまれているが、どうせ証拠なんてないんだ。シラを切るぞ」
「真面目に密談しているけど、内容はしょうもないなぁ……」
「ルイーゼの嬢ちゃんよ。そんな事はみんなわかっているって」
あまり長いと怪しまれる可能性もあるので、密談はこれで終わりとする。
魔法のお披露目は明日の午前であり、皇宮主宰の歓迎晩餐会も明日の予定で、今日は寝るまで自由な時間になっていた。
そこで、エリーゼ達を連れてバルデッシュ観光に洒落こもうと決めていたのだ。
「何を集まって話されていましたの?」
「ちょっとした観光スポットの話」
カタリーナには悪かったが、秘密は知る人が少ないほど漏れ難い。
そこで、魔導ギルドでの事件を知る四人だけの秘密にしていたのだ。
「観光に行こうぜ」
「そうですわね。楽しみですわ」
「ヴェル様。お腹が空いた」
「ヴィルマさん。先ほどあれだけ召し上がったじゃないですか」
「魔力量が上がったら、少し食べる量が増えた。食べないとすぐに痩せてしまうから」
「羨ましいですわね……」
増えた魔力の行使により、ヴィルマは前よりもカロリーを必要とする体質になってしまったようだ。
その代わりに、地上戦闘ではルイーゼにも対抗可能な戦闘能力を保持するようになっていたが。
「カタリーナは、別に太っていないだろう?」
「そのわずかな油断が、あとで必ず後悔を生むのです」
カタリーナは常にそう言ってプチダイエットに励んでいるのだが、あまり効果があるようには見えなかった。
多分、間食でチョコばかり摘んでいるからであろう。
「魔力を使うとカロリーを使うじゃないか」
一部の例外を除き、魔法使いに太った人がいない原因であった。
「もう少しクビレがですね」
「そうか?」
「ヴェンデリンさん!」
実際にカタリーナのウエストを両手で触るが、俺には十分に細いように見える。
いきなりウエストを触られたカタリーナは、驚きと抗議の混じった声をあげていた。
「いいじゃん。俺が触りたかったからだし」
「別に触るのは構いませんが、事前に相談をですね……」
あと、やはり咄嗟のこういう行為には弱いようであった。
「ヴェンデリン様。いきなりではカタリーナさんも驚いてしまいますよ。それよりも早く出かけましょう」
「それもそうだな。さてと。どこから行こうかな?」
珍しく積極的にエリーゼが俺の手を引き、迎賓館を出て町中へと移動していく。
どうやら、先ほどのテレーゼ様の積極的な行動に少しヤキモチを焼いたらしい。
「まずは、この近くで評判のジェラート屋に行こうか」
「はい」
二人で手を繋ぎながら本に記載されていた店へと向かうのだが、突然二人の人物によって進路を塞がれてしまう。
改めて見ると、それは導師と商家の娘が着るようなワンピース姿のテレーゼ様であった。
「伯父様?」
「テレーゼ様が、久しぶりの町での散策を希望なされておってな……」
導師は普段と違って言葉が弱々しく、その視線も泳いでいるようだ。
姪の新婚旅行を邪魔したくはないのだが、テレーゼ様の願いを断る事も出来ない。
導師なら余裕で断りそうな気もするが、若い頃は陛下のお忍びに同行するのが常であった彼からすると、同じレベルで普段は籠の鳥であるテレーゼ様の願いを断れないのであろう。
導師は見た目に反して、実は女子供には優しかったりするのだ。
「(まだ時間は一杯あるから)」
「(わかりました)」
どうせ遊びの時間の方が長い親善訪問団の旅なので、今日くらいは仕方がないとエリーゼを説得して、二人も観光に同行する事になった。
「新婚なのにすまぬの。妾はこういう時でもないと、自由に町に遊びに出る事など叶わぬからの」
テレーゼ様がすまなそうに言うが、言われた側のエリーゼは沸き上がる怒りで顔を半分引き攣らせていた。
なぜなら、テレーゼ様が反対側の空いている俺の手に腕を絡ませていたからだ。
「(この公爵様。なんで俺に興味津々なの?)」
俺の腕にテレーゼ様の豊満な胸の感触が伝わって嬉しいのと、反対側のエリーゼも対抗して腕を組んできたので同じく豊満な胸の感触が嬉しかったりするが、同時に二人の視線が激しく激突して火花を散らしていたので逃げ出したい気分になってくる。
「さあ。参りましょうか? ヴェンデリン様」
「夫婦なのに、他人行儀な呼び方よのう。そうは思わぬか? ヴェンデリンよ」
「(えーーーっ!)」
なぜか、テレーゼ様の俺への呼び方が『バウマイスター伯爵』から『ヴェンデリン』へと変化していた。
突然の事態に俺はうろたえるばかりであったが、エリーゼの方も反撃の狼煙をあげていた。
「テレーゼ様。格下の伯爵とはいえ、他国の貴族を軽々しく名前などで呼ぶべきではないと思います。そうは思いませんか? あなた」
この瞬間から、エリーゼは俺を『あなた』と呼ぶ事にしたようだ。
俺に決定権などはないらしいが、前の堅苦しい『ヴェンデリン様』よりは良いと思う。
「では、参るとするか」
「(導師! この責任の一端は導師にも!)」
「(すまん! 今日だけ、我慢して欲しい!)」
俺は、導師の懇願に根負けしてしまう。
こうして始まったバルデッシュ観光であったが、グループは既に二つに割れていた。
俺と腕を組んでいるテレーゼ様とエリーゼと、そのフォローに入る導師に。
あとは……。
「イーナちゃん。このオレンジのジェラートは美味しいよ」
「キャラメルのも美味しい」
「もう一つ欲しい」
「食べても太らないなんて羨ましいですわ」
「ジェラートか。魔法の袋に入れれば嫁さんの土産に出来るかな?」
「ブランタークさん。もう尻に敷かれているんですか?」
「結婚もしてないエルの坊主には言われたくねえ」
「俺には運命に人が現れるんですよ。綺麗なお姉さん。俺にはリンゴ味のジェラートを」
巻き込まれるのはゴメンだと感じた他の四人の妻達と、エルとブランタークさんは俺達を視界から外して、ただの観光に切り替えていた。
その素晴らしいまでの切り捨て能力は、さすがは一流の冒険者というわけだ。
「ヴェンデリン。妾のイチゴ味のも美味しいぞ。食べるか? ほれ、あーーーん」
「あなた。メロン味も美味しいですよ。はい。あーーーんして」
俺は双方から、ジェラートを食べさせて貰っていた。
いや、この場合は食べさせられていたであろうか?
「バニラを十個」
「十個ですか?」
「うむ。ジェラートは、オーソドックスなのが一番美味しいのである」
そして導師は、次第に加熱する二人の争いから現実逃避するかのように大量のジェラートを購入して食べていた。
観光は続き、ケルン大聖堂やポトマック運河などの見物をするが、やはり二人は俺の腕を組んだままで激しく火花を散らしている。
エリーゼは、最近増えた魔力が体内で激しく蠢いている。
攻撃魔法が使えないのでテレーゼ様に何かするはずはないが、感情が高ぶっている証拠であった。
「(こんなエリーゼは初めてだな)」
もう一方のテレーゼ様も、エリーゼに対抗して形容し難いオーラで対応している。
もしかすると、名前の最後に『ゼ』が付く人は情熱的な人が多いのかもしれない。
皇帝になるかもしれない家の娘なので、下々を従えるオーラが半端ではないのだ。
王者の品格というか、元が庶民の俺では到底纏えない雰囲気であった。
「そうそう。買い物に行こうではないか」
「買い物ですか?」
「左様じゃ。行きつけのランジェリーショップが近くにあっての。いきなり消えた下着もあって、少し数が心許無くての」
「そうですか……」
どうやらテレーゼ様は、俺に疑いを持っているらしい。
下着を買いに行くのに付き合えとは、露骨な探りとも言える。
「(あくまでも冷静に……)エリーゼも何か買う?」
「そうですね。何か良い物があれば」
未婚で恋人関係でもないテレーゼ様の下着を買いに行くのは厳しいが、妻の下着を選びに行くのはセーフである。
俺は、動揺を隠しながらテレーゼ様行きつけのランジェリーショップへと向かう。
高級なお店が立ち並ぶ一角にあるランジェリーショップは、大物貴族・皇族御用達らしく豪華な造りになっていた。
「いらっしゃいませ」
「今日は、お忍びじゃ」
出迎えたオーナーらしき人物にテレーゼ様が告げると、店内から人の気配が消える。
恐ろしいまでに店員の教育が行き届いているようだ。
「さて。どれが良いかの……」
と言いながら、テレーゼ様が見せた下着は紫色であった。
前に俺が召喚した下着に良く似ているので、俺の反応を伺っているのかもしれない。
「似合うと思いますよ」
俺は、努めて冷静に返事をする。
ここで下手に動揺すれば、テレーゼ様に確信を持たせるだけだ。
「あなた。試着するので見ていただけますか?」
「奥方殿よ。妾が先に聞いているのじゃが……」
「テレーゼ様はまだ未婚。婚約者でも夫でもない男性に肌を曝してはいけません」
間違いではないのだが、明らかにテレーゼ様を挑発しているようにも見える。
二人の間に火花が飛び散り、俺が助けを求めて周囲を見回すと、エルとブランタークさんは店の外で無難に護衛役に徹していた。
「(確かに、男性がランジェリーショップには入り難いけどさ!)そういえば、導師は?」
導師に至っては、いつの間にか姿を消していた。
自己防衛本能が働いて、ランジェリーショップに入る前に逃走したのであろう。
「(導師。この人を連れて来たのはあんたでしょうが……)なあ……」
最後に、一縷の望みを託してイーナ達に視線を送ったのだが……。
「イーナちゃん。もっとセクシーなのにしたら?」
「ルイーゼこそ、何でそんなに黒とか好きなの?」
「だって、お色気を加算しておかないと。ヴィルマは、シンプル過ぎない?」
「動きが阻害されないのがいい。でも、最近胸がキツイ」
「ヴィルマは成長しているからだよ。ボクとは違って。うん……。こんな予感はしてた……」
「カタリーナは、こういうのが良いと思うわ」
「イーナさん。赤はさすがに……」
「そうかしら? 似合うと思うわよ」
「貴族たる者、貞淑さも必要ですわ」
「ヴェル以外見ないじゃないの」
「だからですわ」
「良くわからないけど、拘るわねぇ……」
こちらを無視して、四人で下着談義に花を咲かせていた。
普段はエリーゼにベッタリのヴィルマですらそうなのだから、今の彼女に近付くのは危険だと本能で察知しているのであろう。
「ヴェンデリンよ。これは、どうかな?」
「あなた。今度はこれを試着しますね」
結局、ランジェリーショップを出てからも二人の鞘当ては続き、初の海外旅行初日は散々な結果に終わるのであった。
「酷いですよ。二人とも」
夕食後に導師とブランタークさんに苦情を言うが、二人は『すまん』とは言いつつも上手くはぐらかしていた。
「テレーゼ様は、普段は選帝侯として苦労しておるが故に」
十年前に遊んであげた可愛い少女に保護欲でもあるのか?
二人は、テレーゼ様に甘いような気がするのだ。
「十年前は可愛い少女でも、今は女で露骨に誘惑されている節がありますが……」
「さすがに、あり得ないだろう。テレーゼ様は、からかっているだけだと思うぜ」
血統の保持のために公爵家当主に就任した彼女に、普通の恋愛など許されない。
子供を産むために婿を入れる必要があるのだが、その選定作業は膨大な手間と時間がかかるそうだ。
「下手な婿を入れると、旦那の実家絡みで混乱するからな。だから二十歳でも独身なんだよ」
外戚の専横の可能性というやつであろう。
そのせいで些か不自由な思いをしているから、少しくらいは大目に見てやれとブランタークさんは言う。
「それ、エリーゼにも言えます?」
「努力する」
努力するという事は、努力した結果駄目でも仕方が無いとも取れる。
溜息をつきながら自分の部屋に戻るが、今日は初日で疲れているからエリーゼ達とのそういう事は無しという風に決めていた。
それに、ここがよそ様の家という事情もある。
気にしないで奥さんや愛人と楽しんでいる親善訪問団員も多いそうだが、俺は根が小市民なので翌日ベッドメーキングをするメイドの事などを考えて遠慮していたのだ。
家に戻ればいつでも出来るのだからという考えもあった。
「(明日から、テレーゼ様は自重するのかな?)はい」
などと考えていると、部屋のドアがノックされる。
返事をするとドアが開き、すぐに誰かが部屋の中に入り込んできた。
「ヴェンデリンよ。酒でも飲もうではないか」
「(出たぁーーー!)」
部屋に入って来たのは、やはり自重していなかったテレーゼ様であった。
白い絹製のナイトガウンを纏った彼女は、酒瓶を手に部屋のベッドの上に座る。
風呂上りのようで、ナイトガウンの襟から見える褐色の肌が色っぽい。
「(誘惑されているのかも……)テレーゼ様。嫁入り前の女性が、あまり感心できる行動ではありませんよ」
「世間的に言えばそうなのであろうが、今この迎賓館はフィリップ公爵家の支配下にある。余計な噂を流す輩はいないので安心せい」
「はあ……(そういう問題じゃないし!)」
とは思っても、相手は選帝侯で公爵様なので何も言えない。
どうにか上手く切り抜ける必要があった。
「我がフィリップ公爵領特産のアクアビットじゃ。毒など入っておらぬから安心して飲むが良い」
「いただきます」
フィリップ公爵領は、アーカート神聖帝国の最北端にある帝国直轄領に次ぐ広さを持つ領地で、主な産業は麦とジャガイモと魚貝類、鉱山なども多く金属加工業も盛んだそうだ。
勿論この知識は、『ブライヒレーダー辺境伯バルデッシュ紀行』から得た物であったが。
地球で言うと、ドイツ北部や北海道に似ているのかもしれない。
実際に、ジャガイモで作る焼酎アクアビットが存在しているのだから。
「成人したばかりなのに、普通に飲めるようじゃの」
「それなりにですね」
部屋に置いてあるグラスに水を注ぎ、魔法でお湯にしてからアクアビットを適量注いで飲む。
味は、商社員時代に試飲した輸入サンプルや、国内でもジャガイモ焼酎は存在するのでその味と良く似ている。
「スッキリとした味わいで美味しいですね」
「最近では、輸出もしておるぞ」
何とか貴族らしい話題に転換できたが、それもいつまで続くかわからない。
ここは、気を引き締めなければいけないところだ。
「しかし、魔法とは凄いのぉ」
俺が作ったお湯割りのジャガイモ焼酎を飲みながら、テレーゼ様は感心していた。
部屋には水しかなかったので魔法で暖めてお湯にしたのだが、俺はそれほど凄いとは思わない。
このくらいなら、フィリップ公爵家で雇っている魔法使いなら誰にでも出来るであろう。
「確かに、我が家のお抱え魔法使いならば誰でも出来る。じゃが、みんなお湯を沸騰させてしまうのじゃ」
焼酎をお湯割りで飲む時に、一番してはいけないのが沸騰したお湯を注ぐ事だ。
適温は七十五度とか言われていて、水をお湯にする時には微調整をして温度を調節していた。
このくらいのコントロールが出来ないと、ブランタークさんから怒られてしまうのだから当然だ。
「次に、先にお湯をグラスに注いだの」
これも、商社員時代に焼酎の蔵元を尋ねた時にそこの人から口を酸っぱくするほど言われた事だ。
大した違いには見えないが、これだけでも味と香りが全く違ってしまうのだから不思議だ。
「細かいようじゃが、意外とそれを知っている者はおらぬぞ」
「ブランタークさんから教わったんですよ」
勿論嘘だが、まさか前世で教わったとも言えないのでそれで誤魔化す事にする。
「あの男は酒好きじゃが、飲めれば良いみたいな部分もあっての。十年前はお湯の方を後に注いでいたが、進歩を遂げたというわけじゃの」
「(まずい……)」
生まれながらにしての大貴族とは、こうも油断ならない存在らしい。
十歳の頃の、ブランタークさんの細かな行動を覚えているのだから。
「ヴェンデリンは、ただ魔法だけの男というわけでもないようじゃの」
「いやあ。魔法だけですから」
「その割には、領地は順調に開発が進んでいるようじゃが」
「家臣が優れているからです」
「それも含めてそなたの功績じゃ。それが貴族という物でな。結果が全てとも言う」
本人が大バカでも、任せている家臣が上手くやれば評価される。
その代わりに、家臣がバカな事をすれば自分が優秀でも一緒に非難される事もある。
それが貴族という生き物だと、テレーゼ様は語っていた。
「とは申せ。ヴェンデリンは、全て己の力で貴族にまでなったのじゃ。生まれた頃から将来が決まっていた妾とは違う。妾はただ小賢しいだけにしか過ぎぬ」
「テレーゼ様」
「妾は一人娘だと言われておるが、実は妾腹ながら兄達がいたのを知っておるか?」
「いえ。初めて聞きました」
「なのに妾が選ばれたのは、この肌の色のせいじゃからの」
フィリップ公爵家の起こりは、北方の異民族国家を中央から派遣されたフィリップ伯爵率いる軍勢が討伐した事から始まるのだそうだ。
「北方の主要な民族であるラン族は、妾のように肌が褐色なのが特徴でな」
征服者であるフィリップ家が、地元の有力者から婿や妻を受け入れながら、千年以上もかけて同化を進めて今がある。
だからこそ、後継者の条件に肌の色という物も存在しているのだと。
「兄達は母親が中央の貴族の出での。妾とは違って肌の色が白い。兄達では、領地に視察に出ても領民達から無視されるであろう」
だから、テレーゼ様がフィリップ公爵となった。
その子供が跡を継げるのかは、その子の肌の色も関係する。
継げなかった兄達の妻は地元有力者の娘で、子供達も肌が黒い。
もしかすると、その子達の誰かが次期フィリップ公爵になるかもしれないのだと説明する。
「肌の色だけで選ばれた妾からすれば、次が誰でも別に構わないのじゃ。選帝侯にして公爵など、言うほど素晴らしい物でもないからの」
「それはわかります」
生活の苦労もない癖に贅沢だと言われるかもしれないが、それほど素晴らしい物でないのも確かであった。
「妾の婿選びも難航しておってな。主に兄達の妨害じゃが」
テレーゼ様が地元の有力者から婿を取ると、子供の肌の色は間違いなく褐色である。
次は自分の子供をと考えている兄達が、色々と妨害しているのだそうだ。
「妾も結婚して子供くらいは産みたいのでの。別に地元の者でなくても構わぬわ」
加えて、自分の子供にこんな苦労を背負わせたくないのだそうだ。
「ええと。大変なのですね」
「ああ。大変じゃ」
二杯目のお湯割を飲み干しながら、若干顔を火照らせたテレーゼ様が話を続ける。
状況はいつの間にか、年上の女上司の愚痴を聞く年下の男性の部下という感じになっていた。
「それで、今回の歓待役のついでに婿探しをさせているのじゃが、碌なのがおらぬ」
フィリップ公爵家の権力と金目当ての、ひ弱な貴族のボンボンばかりであるとテレーゼ様は溜息をつきながら愚痴を溢す。
「政略結婚なので、ある程度は仕方が無いのでは?」
「それなりに妥協できる者すらおらんのじゃ。見付けても条件が合わぬとか、先約がいたりとかな。こうなると、もうあの手しかないの」
「あの手ですか?」
「結婚せずに子を産むのじゃ」
実は、アーカート神聖帝国の女性貴族当主にはよくある手なのだそうだ。
父親の名と存在を隠すか、子種だけ貰って子供を生む。
なぜそうするのかと言えば、やはり外戚の専横を防ぐのが目的らしい。
「(子種だけ提供して殺された奴がいそうな……)」
ゾっとする話ではあるが、俺には関係ないので気にしない事にする。
伯爵である俺が、無理に種馬などする必要はないのだから。
「子種だけ提供して殺される者もかなりおるの。父親不明で、ただ女領主の子供という扱いにするのだから、当たり前と言えば当たり前じゃ」
「(怖っ!)」
だが、それなら俺は関係ないという安堵の気持ちも浮かんでくる。
「あとは、優れた男に秘密と引き換えに金銭やそれなりの地位などを条件に子種の提供を頼む事もあるの」
「えっ」
まさかと思うのと同時に、テレーゼ様が目を潤ませながら俺の肩に手を回していた。
「魔法の才能は遺伝しないとはいえ、貧乏騎士の八男から成り上がった度胸のあるそなたの子種ならば、妾の子の父親に相応しいと思うての。許可するので、妾に欲情したならば遠慮なく種付けをする権利を与えるぞえ。妾はこういう家の娘なので処女で病気の心配などない。いつでも好きに抱くが良い」
「……」
わずか二十歳の娘とは思えない発言に、俺はその場で絶句してしまう。
「その子を盾に、バウマイスター伯爵家の相続権なども要求せぬ。そなたの正妻殿はなかなかにおっかないが、上手く間男を演じてくれよ。さてと、今日は帰るとするかの。いきなり抱かれるのも良いと思うが、こういう事は徐々に進めた方が男は燃えると聞いておる。まあ、あまり時間は無いのじゃが」
三杯目のお湯割を飲み干したテレーゼ様は、静かに部屋を出て行く。
そして残された俺は、この国から帰るまでの苦労を想像し、酒の影響もありそのまま気絶するように就寝するのであった。
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