【1】
パーティーから数日。シンたちはまだバルメルにいた。『氾濫』の後始末の手伝いである。
シュニーの【ブルー・ジャッジ】やシンたちの【灰燼掌】で消し炭になったモンスターも多いが、それ以外のモンスターの亡骸が平原に散乱していた。パーティーの前にも片付けは進んでいたのだが、何分数と範囲が尋常ではないのでここまで時間がかかったのだ。
「にしても、すげぇよな。ここに広がってたモンスターの死体全部レッドってやつがやったんだろ?」
「ああ、俺は城壁の上にいたからな。ばっちり見たぜ。他にも見たやつは大勢いる。黒い波みたいな群れをたった1人で倒しちまったんだ。ほんとすげぇよ」
シンの耳にそんな会話が届く。
最後の死体を片付け、門の方へ歩く集団。その中の何人かは、同じように謎の人物『レッド』について話していた。城内では様々な噂が飛び交い、その正体について意見を交わしていた。
近い、といえるものから、なんだそれはというものまで、その内容は多種多様だ。
曰く、ハイヒューマンの配下の1人である。
曰く、この世界に残った英雄の1人である。
曰く、炎神イーラスーラの化身である。
シュニーやシュバイドなら同レベルのことができなくもないので、ハイヒューマン配下説が有力らしい。
その鎧の色から、神話に登場する神が下りてきたという話もあるようだ。炎神イーラスーラは戦いの神の1柱でもあるので、このあたりも意外と信じられているという。
(神が下りてくる、か。こっちの世界だとボスモンスター的な立ち位置だしな)
ゲーム内では試練という名目でその現身と戦うこともできた。そのせいか、妙に身近なようだ。
しいて言うなら、イーラスーラのボスモンスターとしての姿は長大な炎剣を持った人型。武器は違うが確かに近いかもしれない。
「でもなんでレッド?」
「赤いからじゃね?」
「それは安直すぎるだろ。偽名にしたってもうちょっといいのがあったんじゃないのか?」
(ぐふっ!)
地味にダメージを受けた。
適当にその場で考えたのだが、そんなにセンスがないだろうかと思ってしまう。
「(レッド、へん?)」
「(変じゃない、と思うんだけどなぁ)」
頭上のユズハが聞いてくる。変ではないはずだ、安直といわれれば反論しようがないが。
レッドもパーティーに招こうという話もあったらしいが、連絡が取れないのでその話は流れたようだ。シュニーにも問い合わせが来たようだが、話を合わせて居場所までは知らないということにしてもらった。
「それにしても、戦うより片付ける方が大変っていうのがな」
「いやいや、そりゃ贅沢な悩みってもんだぜ。あんだけの戦いで死人が出てねぇんだ。これ以上何か言ったら罰があたっちまう」
「それはそうだけどさ。こうも多いと気が滅入るだろ。てか、おやっさんはほとんど戦ってないだろうが。何のためにいたのかわからなかったって言ってたやつもいたぞ」
「ばれたか。はっはっはっ!」
シンは連日ともに作業をしていたため仲良くなった中年冒険者、ラル・ラットと軽口をかわす。最初は敬語だったのだが、気に食わないと言われてからは砕けた口調で話している。ちなみにラルは冒険者ランクBなので選定者という言葉は知らない。前線で戦っていたのは上級クラスの冒険者だと思っているようだ。
シンの言うとおり、遊撃にあたる予定の冒険者はほとんど出番がなかった。騎士団のように連携がとれるわけでもないので、モンスターの群れにおいそれと突撃はできない。その上、戦闘での集団の位置が全体の左端、つまりはモンスターがシュニーとガイルの魔術で一網打尽にされる、まさに目の前だったのだ。
突撃しようものなら巻き添えで吹き飛ぶだけである。一応、ガイルたちの護衛として移動はしたようだが、結局ほとんど戦いと呼べるようなものはなかったようだ。
「いやしかし、ほんとにシュニー・ライザーってのはすげぇな。俺たちじゃ逆立ちしたってまねできねぇぜ」
「一般人から見たら化け物だからな。やろうと思えば国だって消せる。おやっさんは怖いって思うかい?」
「そりゃ相手にはしたくねぇわな。つっても、あんな別嬪さんならやられてもいいかと思っちまうけどよ!」
「……まあ、気持ちはわからなくもない」
「だろう? 女神だ聖女だって言ってたやつらを、何を大げさなって思ってたもんだが、実物を見たらうなずくしかねぇわ。若ぇやつらなんて、魂が抜けたような顔してやがったからな。開戦直後の魔術見て、別の意味でも魂抜けたが」
見ものだったぜと喉を鳴らして笑うラル。騎士団も呆けていたのだから、若手が言葉を失うのも無理はないだろう。
シュニーは何やらシンの知らないところでファンを増やしていたらしい。これが強面の大男なら恐れられるのだろうが、シュニーだとむしろ魅力の一つになるようだ。
「それに、強さだけじゃそいつの価値は測れねェ。この歳までいろんな奴を見てきたが、もってる力と中身次第でそいつは英雄にもクソ野郎にもなれる。強いか弱いかだけでそいつの全てを知ってるようなことは言えねぇな。それによ、力があっても必ずしもいいことばかりじゃないってのを、俺は知ってるからな」
重ねてきた年月に見合う経験をしてきたのだろう。ラルの言葉はありきたりではあったが、同時にしっかりとした重みをもっていた。
「そんなことを聞くってこたぁ、知り合いに同じような奴でもいるのか?」
「まあ、そんなとこ」
「そうか。なら、あまり怖がらねぇでやれよ。俺はそれで失敗しちまったからな」
陽気なラルには珍しく、少ししんみりした顔で言う。
「肝に銘じておくよ」
「おう、そうしとけ。さて、そろそろ門だな」
モンスターの死体を乗せた台車を門の横に止め、報酬をもらうためにギルドへ向かう。
ギルドは冒険者に片付け作業を依頼として発注していた。
報酬を受け取って仲間と待ち合わせているというラルと別れる。
シュニーやティエラはシンとは別の作業場を担当しているので、合流するためにシンはギルドに留まる。終わる時間は同じくらいだったので、待ち合わせすることにしていたのだ。
「申し訳ありません。シン様、これから少々お時間を頂けませんでしょうか?」
「はい? あーっと、連れがくるまでならいいですけど。ユズハもつれて行って大丈夫ですか?」
「問題ありません。暴れたりしないことは、ここ数日でよくわかっていますから」
時間を潰そうとギルド内に併設されていた酒場の隅で果実水を飲んでいたシンに、エリザが話しかけてきた。『氾濫』が終息し、バルメルは平時と変わらぬ状態になっている。シンには呼び出しをされるような理由は思い当たらなかった。
「無理を言って申し訳ありません。お連れ様は、着きしだい我々が対応させて頂きますので」
こちらです、と促すエリザの後を追う。多少周囲の注目を集めていたが、今さらなので気にしないことにした。選定者として前線に出たことで、一部の冒険者には名が知れ渡りつつあるのだ。
エリザが向かった先は、ギルド長の部屋だった。中に入ると、バレンとリオンが待っていた。
「急に呼び出して申し訳ない。君に指名依頼がきているんだが、あまり人前で話すわけにはいかなくてね」
横にいるのがリオンの時点で、内容が予測できてしまうシンである。
「……もしかしてなんですが、リオン様の護衛ですか?」
「ああ、そうだ。そう言えば、君はリオン様と親しいんだったね。依頼の内容はリオン様のベイルリヒトまでの護衛だ」
『氾濫』が終わったのだからすでにバルメルを出たと思っていたのだが、どうやらまだ残っていたらしい。パーティー以降会う機会もなかったので、リオンがどこにいるのかも把握していなかったのだ。
「シンには転移させられてからいろいろと助けてもらったからな。報酬も用意させるぞ」
城に送るついでに報酬の受け渡しもするということらしい。現段階ではリオンからシンに渡せるものがほとんどないので、護衛の報酬と合わせて渡すという。
「あー……すいません。その依頼、受けられません」
「王族の依頼を断るというのかね?」
「ギルドの規定では、指名依頼を受けるかどうかの判断は冒険者に委ねられると聞いていますが?」
ギルドでは依頼を特定の冒険者に受けてもらうための指名制度がある。しかし、これは受ける側である冒険者に判断の優先権があった。もちろん、断ってもギルドからペナルティが科せられることはない。
以前は指名依頼は半ば強制だったらしい。しかし、これを悪用して特定の冒険者を罠にはめるといった事件が発生した。依頼自体は簡単だったらしいが、そこに金で雇った刺客を潜ませモンスターに襲われたように見せかけて殺すという悪辣なものだったという。
だが、刺客を返り討ちにした冒険者がギルドに報告したことで事件が明るみに出る。調査によって同じような事件があったことがわかり、指名依頼を断ることもできるようになったのだ。
ただ、指名した側が貴族や大商人といった冒険者個人では逆らえないような相手の場合もあるので、そういう場合はギルドが間に入ることになっている。
「ダメなのか?」
「そう言われましても、俺にもやることがあるんですよ」
「どうしてもか?」
「その上目遣いとポーズ、誰に習ったんですか……」
リオンのキャラじゃないだろ、と若干のあきれを混ぜてシンは言う。
「確かに指名依頼を受けた冒険者がそれを断ることがないわけではないが、いいのかね? 王族からの指名など、高位の冒険者くらいしかされないのだが」
「構いません。むしろ下手に親しくしすぎると周りからのやっかみが怖いですし。それに、俺たちはこれから皇国へ向かうんです。方向が正反対ですよ。もう準備もしてますし」
「むむむ、シンには父に会ってほしかったのだが」
「会いませんよ? そのまま我が国に、とか言われそうですから会いませんよ?」
「むぅ」
「むくれてもダメです」
シンはベイルリヒト上層部から上級冒険者と目されているが、必ずしも歓迎する者ばかりとは限らない。リオンは王族であり、周りにいるのは貴族だ。特権階級の人間は、時に国の利益よりも身分のようなあってないようなものを理由に攻撃してくるのである。
というのはシンの勝手な妄想だが、リオンの護衛よりも皇国に向かい、シュバイドと合流して聖地の調査をしたいというはっきりとした目的もあった。
シンが断ったとしてもベイルリヒトから迎えが来るなり、他の冒険者に依頼がいくなりするというのもある。さすがに一国の姫を1人で返すようなことはないだろう。
加えて言うなら、リオンに護衛が必要とは正直思えなかった。
「なんというか。仲が良いようだね」
「私とシンの仲だからな!」
「周囲の目が怖いですよ……」
若干あきれたようなバレンから視線をそらしてシンは言う。
「残念だが仕方ない。無理強いするつもりはないからな。だが、またベイルリヒトに来た時は私を訪ねて来い」
「……善処します」
リオンの態度から考えるに、受けてくれたらラッキーくらいの気持ちだったようだ。シンとしてはしつこく迫られても困るので助かった。邪険にするつもりはないが、一応旅の目的があるのだ。
「こちらの用件はこれで終わりだ。時間をとらせて悪かったね」
「いえ、こっちも時間が空いていましたから。では、失礼します」
部屋の隅で待機していたエリザを伴い、ギルド長の部屋を出てホールに移動する。
シンがホールに着くと、酒場の一角にどこかで見たような人だかりができていた。
「……またか」
人だかりの中心は、考えるまでもなくシュニーとティエラだ。気配で分かる。毎度のことなので、シンも慌てることはない。なぜこんなにも人が集まるのか、理由はすでにエリザに聞いていた。
当たり前といえば当たり前だが、冒険者になるのはその多くが男性だ。女性もそれなりにいるのだが、シュニーたちのような美人でスタイルがよく、おまけに実力もあるという者はほとんどいない。
そういう者たちは大抵女性だけで固まるか、貴族の目に留まって召抱えられるというパターンが多いらしく、お近づきになれることはまずないのだそうだ。なのでバルメルに来てからは2人で行動することが多いシュニーとティエラをパーティに誘う冒険者や、自分の館に招こうとする貴族の使いが群がるという事態になっていた。
「今日はまた、一段とすごいな」
「お二人は、バルメルではかなり名前と容姿が知れ渡っていますからね。女性だけのパーティを組んでいるわけでもありませんし、仕方がないかと」
「で、パーティ唯一の男である俺に殺意と嫉妬が集まる、と」
「……仕方が、ないかと」
さしものエリザもフォローのしようがないようだ。
「というか、そちらで対応してくれるって話では?」
「はい、職員を待機させておくように伝えてあったのですが……」
エリザは周囲を見渡しながら他の職員を探す。しかし、受付には職員の姿はない。
「おかしいですね。受付は最低1人は待機する決まりなのですが」
「……いや、どうやら仕事をしようとはしてくれたみたいですよ」
いつまでも眺めているわけにはいかないので、溜め息一つついてシンは人だかりに近づいていく。
男どもが群がっていてわかりにくかったが、集中して気配を探ればシュニーとティエラの他にもう1人分の気配があった。
「おーい、ユキ! ティエラ! そろそろ行くぞ!」
シンに気づいた男たちから負の感情が込められた視線が飛んでくるが、今となっては慣れたもの。すべて無視して2人の名前を呼ぶ。
声をかけられるのを待っていたのか、少し間を空けて人だかりが割れる。シュニーの後ろにティエラ、さらにその後ろにギルドの制服を着た女性がついてきた。
「お待たせしました」
「いや、むしろ俺が待たせた。さきに着いてたんだが、ちょっとな。詳しいことは歩きながら話す。それで、その人は?」
シンに向けて笑顔を見せるシュニーに見惚れる者と、シンに嫉妬の視線を向ける者。そんな彼らを視界の外に追いやり、シンは2人の後ろで小さくなっている女性について問う。
「え、ええと、わ、私は冒険者ギルドバルメル支部しょじょ、し、所属のフランと申します!」
慌てた上にかみかみだった。
かなり小柄な女性で、150セメルあるかないかといったところだろう。ボブカットされた茶色の髪と、くりくりした同色の瞳がシンの方を向いていた。
外見的には中学生、ともすると小学生に見えなくもない。
「フラン、他の職員はどうしたのですか? 新人1人に受け付けを任せることはそうないはずですが」
「せ、先輩は、さきほど上級冒険者の方がきてその対応にあたっています。他の方も手が離せず、私も頑張ったんです、けど……」
「詰めかけた方々が多すぎて、彼女1人では対応しきれなかったんです」
「……そう、なんです」
シュニーの言葉にがっくりと肩を落としながら同意するフラン。とはいえ、新人に2人に群がっていた男たちの全員の相手をしろというのも酷だろう。シンが同じ立場なら、正直に言って近づきたくもない。
経験のあるベテランなら別なのだろうが、それは言っても詮無いことだろう。
「申し訳ありません。こちらの不手際でご迷惑をおかけしました。お詫びといってはなんですが、何かご要望があればお申し付けください。できる範囲で対応させていただきます」
「も、申し訳ありませんでした!」
「えっと、なあユキ」
「はい、今回はタイミングが悪かっただけですし、実害を受けたわけでもありませんから気にしないでください」
シンの言葉にうなずきながらシュニーが言う。
人だかりができるのはいつものことなので、半ば諦めているのだ。そのことで一々フランを責めようという気にはならなかった。
「そう言っていただけると、私どもとしても助かるのですが」
申し訳なさそうなエリザとフラン。業務である以上、一度請け負ってできませんでしたというのは信用にかかわる。いくらシュニーたちが良いと言っても、忸怩たるものがあるようだ。
頭を下げるエリザとフランに再度気にしていない旨を伝え、シンたちはギルドを後にする。
「悪かったな。俺がすぐ合流すれば、あんなことにはならなかったんだが」
「何かあったんでしょ? 呼び出されてたみたいだし」
「そうですね。何かあったのですか?」
なんとなく察している風の2人に、シンはバレンと話した内容を話す。
それを聞いたシュニーは若干笑みを深め、ティエラはなるほどねと納得していた。
「普通に考えたら、シンを自分の国のものにしたいって考えるわよね。あの人は王族だし、シンの正体はともかく力も少しは知ってるんでしょ?」
「少しだけな。ま、俺もむこうの立場なら確保しておきたいって考えるだろうけどさ。なんつうか、頭じゃ理解してても俺の考え方とはやっぱ合わんわ」
そう言いつつもリオンは少し違うかもしれないけど、とシンは心の中でつけたした。
「本当にそうでしょうか?」
「シュニー?」
今回のような特殊な事態でなければ、ここまで好意は向けられなかっただろうとも考えるシンに、シュニーが疑問を口にした。
「シンの考え方や態度は、この世界では珍しいです。プレイヤーの方もそうですが、やはり平民にとって王族とは天上人なのです。なので、リオン様のような性格ならば気負うことなく接してくれて、背中を預けられるだけの力をもつ相手に惹かれることもあると思います。シンはそのどちらも満たしてますから、可能性はあると思いますよ」
「まあ、リオンじゃなきゃ、この無礼者! とかなりそうだしな」
「そうですね、なんといいますか。リオン様は王族よりも平民に近い思想を持っているように思います」
「そこは同感だ」
リオンの話では、王族よりも戦士としての教育に力を入れていたというから、王族らしくないというのもある意味当然なのかもしれない。
「といっても俺はリオンと婚約するつもりなんてないし、諦めてもらうしかないな」
「正体を明かしたら、むしろ押しかけてきそうですけどね」
「今までの言動を見ると、否定しきれないな」
友好のためとでも言って押しかけてきそうだとシンは思った。ハイヒューマンを味方につけられるなら、国も喜んで姫を差し出すだろう。
「とりあえず、今はシュバイドたちと合流するのが先だ。正直、リオンについて行ったらそのまま王様との謁見コースしか考えられん。バレンさんには悪いが、国とのあれこれはギルドに投げる」
どこまでやってくれるのかは分からないが、シンは一般人とは違う。それを考えれば、ギルドもそれなりに頑張ってくれるだろうと思うことにした。
リオン本人がいたこともありギルドが間に入らなくとも、無茶なことはしないだろうと他力本願な気持ちもなくはない。
紹介状もあるしと、そこまで考えて、シンは紹介状について何も知らないことに気付いた。もらったままアイテムボックスに放り込み、バルメルで使うまで半ば存在を忘れていたくらいだ。初めて効力を示した際にいろいろとイベントが発生したせいで、無意識に出すことをためらっていたというのもある。
シュニーと会うための手掛かりのはずだったのだが、使うよりも先に出会ってしまったので使いどころがなかったのだ。シンとてTHE NEW GATE内にあるアイテムをすべて知っているわけではないので、そういうアイテムもあるのか程度に考えていた。なにせ、一定条件下で効果を発揮するアイテムなど、プレイヤー次第でいくらでも作れるからだ。言い方は悪いが、月の祠の紹介状という強力なネームバリューがなければ、ただの光る紙である。
「なあシュニー。いまさらなんだが、例の紹介状ってどうやって作ってるんだ?」
月の祠に紹介状のような効果を及ぼすアイテムを作る機能は、シンの知る限り存在しない。となれば、シュニーのオリジナルということになるが。
「紹介状ですか? 月の祠で使っている、生成機から出てきた紙を使っています。あとは錬金術の応用ですね。発光のエンチャントです」
「生成機で作れる紙にそんな耐久力あったか? あれはエンチャントに使えるような特殊な紙じゃなかったはずだが」
「私も動けるようになってだいぶ経ってから気づいたので、詳しくは……。たしかにゲーム時代はただの紙だったと思いますが品質は最高のものですし、この世界の変化に合わせて魔力が宿ったのだと思います。もちろん、悪いものではないことは確認済みです」
月の祠にある生成機。これは様々な素材をだしてくれるホーム、もしくはギルド用の設備の1つだ。
月の祠には紙以外にも素材や金属といったアイテムをだす生成機がある。ただ、現在月の祠で起動しているのは紙をだす1つのみ。
シンが月の祠を出る際に、生成機の置いてあった部屋を閉めていったのだ。紙をだす生成機が使えたのは、設置場所が他の生成機と別の場所にあったので忘れていただけである。
「確かめてみるか」
自分の担当するギルドホームもまだ確かめていないので、この際だからとまとめて確かめることにした。
皇国に向かうのも、シュバイドに会うのも早いに越したことはないが、自分のホームや担当するギルドホームについて調べておくのもやっておいて損はない。
「それでしたら、例の林で大丈夫だと思います」
「そうだな。行くか」
もうじき日が暮れる時間帯。シンはシュニーとティエラ、ユズハを伴い、姿を隠して門をくぐると以前切り開いた林に向かう。
月の祠を具現化させて中に入ると、シンはまず生成機を見ることにした。まとめて置いてあった部屋を開けて中に入る。中には鉱石や食材、モンスターから取れる素材など種類別に分類された生成機が並んでいた。
見た目は30セメル四方の箱としか言いようのないそれは、この世界ではその価値が古代級の武具にも匹敵する設備である。今では手に入らない、もしくは手に入れるのに多大な苦労が必要となる素材を、時間さえかければ無限に手に入れることができるのだ。現実となった今では凄まじいの一言である。
生成されたアイテムはカード化され、生成機内のアイテムボックスに収納されている。
「なんだこりゃ……」
シンはまず鉱石と素材の生成機を確認する。アイテムボックス内のリストを表示してみると、大量のアイテム名が羅列された。その数は100や200ではきかない。アイテムの種類によってかなりの差があるが、少ないものでも1000を超え、多いものでは何十万という数に上っている。
アイテムボックスは同種のアイテムを999個までしか収納できないはずだが、上限がどうなっているのかシンにはわからない。
「あいてむたくさん、くぅ」
「たしかにな。オリハルコン、ミスリル、アダマンティンの塊に精製済みのヒヒイロカネ。バハムートの牙に爪、ベヒモスの肝……おいおい界の雫がすごいことになってるぞ! 古代級の武器が打ち放題じゃん……」
ユズハの声にうなずきながら、項目をスクロールしていく。
ゲーム時代なら現実時間で半年に1つしか生成されないような、運営馬鹿だろと罵ったアイテムまでおかしな桁数になっていた。500年分ということなら理解できなくはないが、まじめに鉱石堀をしていたのは何だったんだという気になってしまうのはゲーマーの性か。
「食材の方も同じのようです。最高ランクの食材が、すごい数になっています」
「見たことも聞いたこともないようなアイテムばっかり。なんなのこれ?」
食材の生成機のリストを確認したシュニーもその内容に驚いていた。軽く100年は引きこもれそうである。
ティエラは知識が足りないせいで、アイテムそのものよりその数に驚いているようだ。
せっかくなので、シンはアイテムの一部を自らのアイテムボックスに移す。自分のアイテムボックスに入っていたものと、生成機のアイテムに違いがないか検証するのだ。
「ちょっと一振り打ってくる。そっちも素材が使えそうか試してみてくれ」
「わかりました。夕食を用意します」
「私も簡単な回復薬くらいなら作れるけど」
「頼んだ」
ティエラに一通りの錬金術セットを渡し、シンは鍛冶場へと向かった。
炉に火を入れてオリハルコン鉱石のカードを取り出す。
「ん?」
カードを具現化させようとしたところで、シンはカードから何かオーラのようなものが出ていることに気づいた。
陽炎のようにゆらゆらと揺れるそれをじっと見つめる。すると、しだいにカメラのピントが合うようにカードから出ているものがはっきりと見えるようになった。
「魔力、だよな?」
「きらきら~」
魔剣の放つオーラに似ているそれは、薄い銀色だ。これは生成機から出したものである。
比較するためにシンがもともとアイテムボックスに入れていたオリハルコン鉱石のカードをだすと、そっちは薄い紫色だった。ただ、こちらは常に同じ色をしているわけではないようで、黒っぽい色になったり薄い青になったりと変化している。
ジラートの装備を直すときや、シャドゥたちの装備をバージョンアップするときは出ていなかったはずだが、とくに気にしていなかったので見逃したのだろうか。
「ふうむ。わからん。とりあえず打つか。ユズハはちょっと離れててくれ」
「りょーかい!」
細かいことはいったん置いておき、鉱石を具現化させる。こちらもオーラの色以外はとくにおかしなところはなかった。多少鉱石の量は違うが、もともと一定ではないので問題はない。
炉に火を入れ、オリハルコンを精製していく。不純物を取り除いたオリハルコンはオーラの色が濃くなっているようだった。
金床に置き、鎚を振り下ろしていく。
まったく同じ工程で打たれた刀は、2本とも伝説級中位。見た目もほぼ同じで、違うところといえば、その刀身を覆うオーラくらいだろう。
試し切りをしてみるが、こちらははっきりとした違いがでた。複数の色のオーラを纏う刀の方が単色のオーラを纏う刀よりも切れ味が良い。
「くぅ? おんなじなのに、ちがう?」
「素材は同じでも、威力がここまで違うのか。魔力の色が関係してるのか? ……そういえば、ティエラが俺の魔力がなんかへんっぽいことを言ってたような」
初めて会った時に、複数の種族の魔力を感じるといった感じのことを言っていたなと、当時のことを思い出す。
「シンのまりょく、みんなとちがうの?」
「どうなんだろうな。まだ魔力操作は完璧じゃないから、いまいちわからん」
何かヒントになるかもしれないと、シンはティエラのいる母屋の方へ移動した。
ティエラはテーブルの上に機材を広げて、回復薬を作っている。集中しているようなので話しかけずにいると、数分ほどで回復薬が完成した。
「ふぅ」
「終わったか?」
「ひぅっ!?」
シンは作業が終わったところを見計らって声をかけた。しかし、ティエラはまったく気づいていなかったようで、小さな悲鳴を上げながらビクゥッ!! と擬音が出そうなくらい驚いていた。
「あー……悪い。驚かそうとしたわけじゃないんだが」
「気配を消して後ろに立たないで! ほんとにびっくりしたんだから」
ティエラは胸元に手を当てたままシンを睨んでくる。驚いたところを見られたのが恥ずかしいのか、頬が赤くなっていた。
シンにそのつもりはなかったのだが、無意識に気配を消していたらしい。
「ほんとにすまん。集中してるようだったから、邪魔しないようにしたつもりだったんだ」
「……はぁ、ほんとに気をつけてよね。危うく回復薬を落とすところだったんだから」
シンが頭を下げたことでティエラも溜飲が下がったようだ。
「それはそうと、一応素材別に回復薬を作ってみたわ。鑑定スキルがないからいまいち違いがはっきりしないんだけど、見てくれない?」
ティエラが話題を変えて回復薬を渡してくる。見た目はどちらも同じだが、詳細を詳しく見てみるとシンのもっていた素材を使った方が効果が高いことが分かった。ただ、生成機で作られた素材を使って作った方も、通常のものより2割は効果が高い。どうやら、素材に魔力を宿したものはそれを材料にしたときに作ったものの効果なり、威力なりを上げるようだ。
「効果が上がってるの? 予想はしてたけど、すごいわね」
「予想してたのか?」
鑑定結果を聞いたティエラが言った言葉に、シンは理由を尋ねた。
「そうね。見たところシンは知らないみたいだけど、物に魔力が宿るっていうのはつまるところ持ち主の生命力とか特性とか、そういう形のない力みたいなものが付与された状態をいうの。私も現物を見たことなんてほんの数回しかないけどね。見えるのはエルフかピクシーくらいだから、シンにはわからないかもしれないけど」
「へぇ、っと、そういえばちょっと聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
「ああ、初めて会ったときに、俺を見ていろんな種族の魔力がどうとか言ってただろ? それについて聞きたいと思ってな」
「え? あ、えっと……そんなこと言ったかしら?」
シンの質問に、ティエラは言葉を濁す。あらぬ方向に視線を向けるその表情は、いかにも何かをごまかそうとしている者のそれだった。
「? ……まあ、言いたくないなら無理に聞く気はないさ。じゃあ、シュニーにも何か変わった感じはしないか聞いてくる。そのポーションは持ってていいぞ」
「え!? ちょ、ちょっと!!」
誰にだって言いたくないことはある。魔力のことは気になるが、なんとなく理由は予想できる。無理に聞き出すのもどうかと思ったので、シンは一旦シュニーのところに行こうとしたのだが、ティエラは驚いたようにシンを引きとめた。
「どうしたんだ。そんなに慌てて」
「だ、だって、普通聞き出そうとしない? 一緒にいるのに、その、あからさまに隠し事、してるじゃない」
「でも、言いたくないんだろ? そりゃ言ってくれなきゃ命にかかわるとか、そう言うことなら放置はできないけどよ。魔力のことについてなんとなく予想はつくし、強制するのもな。ティエラのようす見れば、事情がありますっていうのすごく伝わってくるし。一緒にいるからって、何でもかんでも話さなきゃならないってのは、なんか違うと思うんだよ。俺だって話してないことは結構あるしな」
「それは、そうだけど……」
「話してもいいって、思えるようになってからでいい。その時は――――」
シンがそこまで言ったところで「ぐぅ」と腹が鳴った。それもはっきりと聞き取れるほど大きい音で。
「……お、俺が話してないことも教えてやる、よ?」
腹の虫のおかげで真面目な雰囲気が消し飛んでしまったが、一応言おうとしていたことは最後まで言うことにした。
「シン、おなか減った?」
シンのセリフが終わった直後、それまで傍観していたユズハの絶妙な一言が炸裂する。
「……ぷっ」
「うおい! 真面目なこと言ってたのに!」
「だって、その時はぐぅって、ぐぅって」
「ノォオオ! く、なぜこのタイミング!」
ツボにはまったのだろう。ティエラは顔を真っ赤にして必死に笑いをこらえている。
顔を伏せているのでシンにティエラの表情はわからなかったが、少なくともさっきまでのような顔ではないはずだ。
場の空気を変えたかったシンとしてはこの状況は喜ばしいことなのだが、もうちょっと別の方法がよかったと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
「ごめん、真面目に話してたのに。で、でも、ぷふっ」
「こいつ滅茶苦茶ツボってやがる! まあいいこの際だ。言えないことがあるからっていちいち気にするの禁止な。それとこのことは誰にも言うなよ! 絶対だからな! ユズハもな!」
若干捨て台詞っぽいものを残して、シンは台所へと向かった。
瞳の端に涙を浮かべながら、ティエラはその背を見送る。その涙の原因が、笑いをこらえているからというだけではないことに、シンは気づかない。
声に出さなかったごめんなさいという言葉は、誰にも届かなかった。
シンが台所に着くと、すでにいくつかの料理が出来上がっていた。ティエラと話していたときから匂いはしていたので、この匂いがなければとつい考えてしまう。
「くぅ~、いいにおーい」
「ああ、いいにおいだ。いいにおいなんだ……」
「シン? 難しい顔をしていますが、何か問題でもあったんですか?」
「いや、何もない。うん、何もない。それより、うまそうな匂いだけど素材はどうだった?」
「こちらはとくにこれといった問題はありません。鮮度も良好です」
シュニーは包丁についていた水滴を拭いながら言う。魔力について聞いたが、調理段階では違いは感じなかったようだ。刀や回復薬のことを考えれば、違いが出るとしたら味だろう。
「こっちは俺のアイテムボックスに入ってた方が性能が良かった。ただ、生成機から出てきたやつも普通のより質は上みたいだ」
「なるほど、ではこちらも検証するとしましょう。ちょうど片付けも終わったところですし。ティエラはどうしていますか?」
「ああ、もう回復薬作りは終わってるから、むこうにいるはずだ。呼んでくる」
「それには及ばないわ」
ティエラを呼びに行こうとシンが振り返ったところで、本人が顔を見せた。
多少時間がたっているからか、顔色は元通りだ。若干目が赤い気もしたが、それを見てシンは涙が出るくらい笑ってたのかと微妙な気分になった。
「なに?」
「いや、なんでもない。料理はできてるから早速食べ比べてみよう」
料理をテーブルに並べて席に着く。今回はユズハも人型だ。『いただきます』と合掌してから料理を口にする。
シンが最初に食べたのは生成機から取り出した素材を使った料理だ。ロールキャベツやポトフ、ピラフなど、リアルでも食べなれた料理を次々に口へ運ぶ。
「ファミレスとは段違いの美味さなんだが」
「いつもの師匠の料理より、美味しい」
「くぅ、うま!」
食べなれているからこそ、その美味さがよくわかる。今まで食べていたものも決して質が低いわけではないのだが、それでもはっきりと差がわかるほどに美味かった。まだもう一方の料理も残っているので、意思の力で箸を止める。
「じゃあ、次はこっちか」
次はシンのアイテムボックスに入っていた素材を使った料理。比較のために内容や調理工程はすべて同じだ。
箸でロールキャベツを二つに切り、口へ運ぶ。
『っ!?』
味を知覚した瞬間、シンとティエラの動きが、止まった。
最初に思ったのは、これは本当にロールキャベツなのか? だった。
「なんだこれ。ぶっちゃけ美味いしか感想が出てこないんだが、何が違うのかって聞かても説明できん」
「同感だわ。美味しい以外に何を言えばいいのかわからない……」
「くぅ、うまうま、うま~」
ユズハだけ平常運転だった。どちらの料理も、にこにこ笑顔で実に美味そうに食べている。
料理に対する反応としては、ある意味これが正解なのだろう。
シンはシュニーと再会した時にアイテムボックスから出したアイテムをいくつか使ってもらっていたが、やはりカードから魔力は出ていなかったように思う。普通の食材と一緒に使ったはずだが、今回のロールキャベツほどの衝撃は受けなかった。やはりアイテムボックス内の素材だけで作ったが故のうまさのようだ。
「とりあえず、俺のアイテムボックス内のアイテムは使用注意だな。まえはこんな状態じゃなかったと思うんだが」
「そうですね。生成機のアイテムでも十分すぎます。元々入っていたもの以外には何か影響は出ていますか?」
「いや、そっちはとくに変化はないな。時間がたつと変わるかもしれないから、いくつか検証用にしとく」
シンのアイテムボックスに入っているアイテムはかなりの数になる。それらすべてを検証することはできないので、使う前にしっかりと確認しないといけないだろう。
食事を終えると、シンたちは生成機のある部屋の隣、転移装置のある部屋へとやってきた。ギルドハウスがどうなっているか調べるのだ。
「見たところどこか壊れてるとかはなさそうだな」
「はい。念のためラスターにも確認してもらいましたが、問題ないと聞いています。」
ラスターは建築家でもあるカインの配下だ。月の祠を作る際もカインに手伝ってもらったので、配下であるラスターも整備は可能だった。
そのラスターが言うのだから、問題なく機能するだろう。
「じゃあ、とりあえず選択画面を出してっと……ん?」
「どうしました?」
疑問の声を上げたシンにシュニーが近づく。これを見てくれとシンが横にずれ、移動場所を選択する画面がシュニーの前にくる。
そこには一式から六式までのギルドハウスの名前が列挙されていた。ただ、それぞれの場所を選択しようとすると、『ブブッ』というくぐもった電子音がなる。これは使用できないアイテムを使おうとした時や、移動不可能の場所を選択した時になる音だ。
どうやら、現状ギルドハウスには転移できないらしい。
「どういうことだ?」
「こちらの装置は正常なのですから、ギルドハウスの方に何かあったのでしょうか?」
「いや、ラスターのいるラシュガムまで選択不可ってのが気になる。他はわからないが、少なくとも整備のできるラスターがいるラシュガムに問題があるとは思えんし」
「しかし、そうなると原因がわかりませんね。少し待ってください。ラスターにメッセージを飛ばしてみます」
「ああ、頼む。こっちも少しいじってみるわ」
転移場所を指定する以外にも、端末でできることはある。とりあえず、どの機能が生きているのか確かめることにした。
「施設内の機能は問題なしか。転移装置にもエラーはない。となると転移先に原因があるか、あるいは……」
端末を操作しながら、シンは一つの仮説を考えた。それは転移系のアイテムやスキル、施設などは使用する本人が移動先に実際に行ったことがなければならないのではないかというものだ。
メッセージカードもリストが初期化されて使えなかった。
以前、月の祠跡地に転移できたのはすでに訪れていたからと考えると、納得できなくもない。
「こいつは、こっちから出向くしかないかね」
「シンの仮説が正しければ、そうするしかないと思います。ラスターはこちらに来たことがありますが、転移装置は使えませんし」
話を聞いたシュニーが、シンの漏らした言葉に同意した。現状ではそれしかないだろう。ゲーム時代はシュニーをはじめとしたサポートキャラクターに転移を付与した結晶石などもたせていなかったので、ラシュガムに行ったことのあるシュニーの転移に同行するという手も使えない。転移ポイントを登録していないのだ。
「転移を使うのが当たり前のセリフが飛び交ってる。慣れてきてる自分が怖いわ」
「そうやって染まっていくのだよ」
どこか遠い目をしているティエラに、シンはいい笑顔とともに親指を立てた。
「やめて、うなずきそうになったじゃない」
「体は正直である、と」
「う、否定できない……」
むしろ染まらないと気が休まらないような気さえしたティエラである。
その後はまたいくつかの検証を行った。つい熱が入り、時間が遅くなってしまったのでそのまま月の祠に泊まることにした。
◇
「……ふぅ」
月が高く上るころ、シンは1人、月の祠の裏手にある縁側に座っていた。その手にはジラートとの戦いで折れたままの真月が握られている。
「さて、どうしたもんか。……ん?」
真月を脇に置いて月を見ていると、よく知る気配が近づいてくる。
「眠れないのですか?」
「っ! あ、ああ、真月を打ち直そうかと思ったんだが」
寝巻姿のシュニーに一瞬思考停止したシンだったが、なんとかすぐに答えることができた。
自然に隣へと座るシュニーに、シンは脇に置いてあった真月を持ち上げて見せる。
「ジラートと戦ったときですね。見たところ、あの時のままのようですが」
「これまでも、何度か打ち直そうとは思ったんだ。ただ、なんというか、何かが足りないような気がしてな。ただ復元するならすぐにできるんだが、鍛冶師としての勘がそれじゃ駄目だって言ってるんだよ。……まあ、俺の勘が当てになるかはわからんけどな」
そう言ってシンは困ったように笑う。
丁度よかったので今日は鍛冶場でいろいろと試してみたのだが、結果は芳しくなかった。素材は揃っている。鍛冶師を極めているシンの技量不足もないだろう。おそらく、それ以外の何かが足りないのだ。
「少し、貸していただいてもいいですか?」
「ん? かまわないが」
シンが真月を手渡すと、シュニーはそれを胸の前に持ってくる。
「っ!!」
どうするのかとシンが様子を見ていると、シュニーの両手のひらで支えられた真月がゆっくりと輝きだす。
まるで月の光を注ぎこまれたように発光する真月。シンがその輝きに目を見開いていると、しばらくして発光は止まった。
時間にして数十秒程の出来事だったが、シンにはそれよりもはるかに長く感じられた。
「どうぞ」
「あ、ああ。なあシュニー、今のは一体」
「真月に私の魔力を込めました。こうした方がいいような気がして。少しはシンの助けになればいいのですが」
「いや、むしろ礼を言わなくちゃならないくらいだ。足りなかったものが埋まったのは間違いない」
真月を見ながらシンは言う。
今のシュニーの行動に間違いはない。シンは直感していた。
そして同時に理解する。あと3つだと。
「まだ完全じゃないが、どうすればいいのかはわかった。ありがとな」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
優しく微笑むシュニーは、本当に綺麗だった。
「――っ、えっと、シュニー、はこの後どうするんだ?」
その微笑に、シンは息をのむ。
人を惹きつけてやまないのに、触れることを躊躇わせるような、言葉にできない美しさがあった。
「できるなら、一緒に月を見ていたいです」
「……まあ、そのくらいお安い御用だが」
「では」
「っ!」
シュニーはそう言って、シンに体を寄せてきた。
肩に重さを感じるのは、シュニーが密着した状態で頭をのせているからだろう。
「……あー、シュニーさん? これは」
「少しだけ、こうさせてください」
「……了解だ」
シンが肯定すると、その身にかかる重さが増した。
シュニーがその身の全てを、シンに預けてきたからだろう。最初からすべてでなかったのは断られるかもしれないと思ったからか、それとも照れか。
『…………』
月が空から降りていくまでのほんの一時、そのわずかな間だけ、2人は無言で月を見上げていた。
降り注ぐ月明かりが、縁側に影を形作る。
2人が部屋に戻るまで、寄り添い合う影が離れることはなかった。
◇
翌朝、シンたちは皇国へ向けて出発した。
ひびねこたちにも挨拶をして回ったので、他の商人や冒険者よりも若干遅い出発だ。おかげでシンたちの馬車の周りにはほとんど人がいない。
「なんて言うか、すごくゆっくりに感じるわ」
「さすがに街の近くでかっ飛ばすわけにはいかないからな」
「本来はこのくらいが普通なんですけどね」
「シンと会ってから、ほんとに感覚が変わってきてるわ……」
カゲロウのひく馬車は一般的な馬車と大差ない速度で走っている。ゆったりとしたその進みは、馬車による高速移動を体験したティエラにとってかなり遅く感じられたようだ。
シュニーの一言にティエラの肩が若干落ちる。
「ええと、そこは落ち込むとこなのか?」
「あれが普通と思うのはだめでしょ」
一般に普及している馬車では不可能な速度を、普通と考えてはだめだろうとティエラはシンにあきれの混ざった視線を送る。
シンも「ですよねー」とつぶやきながら飾りでしかない手綱を握り直した。
目指す先は皇国『キルモント』。
シュバイドと合流するため、シンたちの旅が始まろうとしていた。
「人通りもないし、少しだけスピードアップを……ってメッセージ? ヴィルヘルムから!」
しかし、そんな一同の思惑とは関係なく、一通のメッセージがシンに届く。
ヴィルヘルムが些細なことでメッセージを飛ばしてくるとは思えなかったシンは、すぐに内容を確かめる。
「マジか!?」
「シン? どうかしたのですか?」
シュニーの声を無視して、シンは素早くアイテムカードを取り出しメッセージカードに添付する。
「つかえ」と、ただそれだけを書いて即座にヴィルヘルムに送り返した。
「シン?」
「どうしたのよ」
「くぅ?」
慌てた様子のシンに、シュニーだけでなくティエラやユズハも声をかけてくる。
シンは額にしわを寄せながらヴィルヘルムから届いたメッセージの内容を告げた。
ラシアが刺されたと。

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