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探求大都市のマリー 作者:葛城

第四章:忘れ去られた者たち

第十九話:「開かれた違和感の正体」

けっこうグロい描写と流血描写有り
注意が必要です


 沈黙を破ったのは、源であった。

「テトラ、この壁の分厚さがどれぐらいかは分かるか?」
「……センサーにて確認。土煙によって正確な数値は出せませんが、土砂の分厚さは、最低でも80メートルに達すると思われます」

 80メートル……単純な距離だけを考えても、絶望的な数字であった。

「……それって、掘り進むことって出来るの?」
「質問を承認。答えは、『限りなく不可能に近い』、です」

 ポツリと呟かれたサララの質問。それを、テトラはこんな状況にも関わらず、平然とした様子で首を横に振った。

「掘り進めることは可能ですが、その都度土砂が降り積もる可能性が非常に高く、二次災害によって作業者の命が危険に陥る恐れがあります。また、周囲一帯の壁の強度が落ちているのも確認……下手に手を加えようとしない方が良い、とお答えしておきます」
「……私のゴーレムなら、だいたい何体分で通れるようになるかのう?」

 イシュタリアの言葉に、テトラはチラリとゴーレムを見やった。笑うわけでも無く、バカにするわけでも無い。これまた淡々とした口調で「止めておいた方が賢明ですね」提案を却下した。

「分かりやすく申し上げれば、『自殺願望があるのでしたら、頑張ってみるのもいいかもしれません』、というのが私の答えになります」

 つまり、ココから地上へ戻れる可能性は絶望的ということだ。目の前の現実を受け入れられずに呆然としているサララたちの顔を順々に見やったマリーは、改めて土砂の壁を見上げた。
 ……どこを見ても、隙間らしき部分は何一つ無い。みっちりと土砂が降り積もっている。これでは例えマリーが大男たちを瞬殺した『あの姿』になったとしても、どうしようも出来ないだろう。
 背後の先にある『地下街』から、ざわめきのようなものが聞こえてくる。『強硬派』か、『急進派』か、あるいは『穏健派』か……どちらにしても、この落盤に驚いてやってきたのだろう。近づいてくる気配は無いものの、遠くから様子を伺っているのは何となく分かった。

「斑様! 焔様! ご無事でしたか!?」

 その気配の内の二つが、駆け寄って来た。聞き覚えのある声にマリーたちが振り返れば、こちらに向かってきているバルドクとかぐちの姿が有った。
 颯爽と斑と焔の前に膝をついた二人は、忙しなく視線を彷徨わせる。失礼な所作だが、怪我の有無を確認しているのだろう。それが分かっている斑と焔は、頷くだけで咎めようとはしなかった。

「幸いにもワシらの所は崩れることなく無事でしたから、どこも怪我などしておりませんよ……崩れたのはココだけですか? 『地下街』にも被害は出ておりませんか?」

 前に出た斑と焔が、安否を尋ねる。バルドクとかぐちははっきりと頷いた。確かに特にその恰好には汚れらしきものは見当たらない……本当に何事も無く無事だったようだ。

「……この有様では、もうここは使えませんね」

 チラリと、かぐちの視線がマリーたちの背後へと向けられる。言わんとしていることを察したマリーたちは、「一旦、屋敷に戻りましょう。どうするかを決めるのは、それからでも遅くありません」という焔の提案に従って、マリーたちは歩きだした。

「どう、無憎? 私たちが言った通り、マリーさんたちは別に罪人でも何でもなかったでしょ?」

 ……立ち上がったかぐちの、悪気のない質問。その言葉に、無憎の表情が歪に強張った。

「……そうだな」
「道中、ちゃんと大人しくしていたわよね? ちゃんと、斑様と焔様を御守りして、マリーさんたちに要らぬちょっかいなんて掛けなかったでしょうね?」
「……しておらん」

 口数が異様に少なくなっている無憎に気づいているのか、いないのか。かぐちは笑顔で話しかけ続ける……その横で。

「マリーさんも、斑様と焔様を御守りいただき、ありがとうございました」

 歩きながら、そう、バルドクから声を掛けられたマリーは――。

「……ん、まあ――」

 当たり障りなく返事をしようとした直前、脳裏を走った閃光の如き何かに……マリーの足は、ピタリと動きを止めていた。

「――マリー?」

 マリーの傍を歩いていたサララが振り返り、それに気づいたイシュタリアたちも立ち止まる。先頭を歩いていた斑と焔も止まり、気付けばその場にいる全員がマリーを注視して立ち止まっていた。
 しかし、マリーは気にしていない……いや、気にする余裕が無かった方が正しい。微妙に噛み合っていなかったパズルのピースが、綺麗にはまった瞬間。知覚できる程に思考回路が激しく稼働しているのが、良く分かる。

「あ、やべえ、うっかりしてたぜ」

 瞬く間に晴れていく脳裏の靄の中に現れた、当たって欲しくない予感を前に……気づいたら、マリーは口走っていた。気づいたら、自然と笑みを浮かべていた。

「おい、無憎、お前の口からはっきりと、『俺たちは無実だ』って聞いていなかったよな」

 その言葉に、サララたちが首を傾げた。いきなり何を言い出すんだ、という視線が向けられているのが分かったが、マリーはそのまま笑顔を保った。

「ん、ああ、いや、確かに言っていなかったが……わざわざ今言う事なのか?」

 当然、無憎も困惑を隠せなかった。しかし、マリーは構わなかった。

「駄目だね。お前らは知らんことだろうけど、地上ではこういう事が有った時、ちゃんと手順に乗っ取って皆に発表しないといけないのさ」

 グルリと、マリーは全員の顔を見まわした。

「疑いを掛けた当事者と、その場を管理する人と、疑いを掛けられた人。言い換えれば、無憎に、斑に、焔の3人。すぐに済むから、発表だけでも済ませようぜ……なあ?」

 チラリと向けられたマリーからの笑み。意図は分からなくとも、何かが有ると察することぐらいは……彼女たちなら、朝飯前であった。

「――そういえば、そうだった。ドタバタし過ぎてうっかりしていた」
 ハッと我に返ったサララは、手を叩いて、らしくない笑みを浮かべ。

「――ああ、そうじゃった、そうじゃった。いやあ、私としたことが、うっかりしておったのう!」
 イシュタリアはわざとらしいぐらいに声を出し、頭を掻いて不作法を認め。

「――まあ、仕方がないんじゃないの。ここに来てから落ち着く暇も無かったし」
 ナタリアが、さも気づかなかったイシュタリアを慰め。

「――ああ、あれか。前に教えてくれたやつだな」
 ドラコが、たった今思い出したかのように大げさに頷いた。乱れの無い、合いの手。源ですら口を挟む隙を考えさせないスムーズな流れ……後は、速かった。

「ほれ、お偉方はこっちへ来るのじゃ。あ、バルドクとかぐちはそこで待っておれ。すぐに終わるのじゃ」
「え、あ、あの?」
「いいから、いいから、すぐに済んじゃうことだから」
「え、あ、あの、こんな場所でですか?」

 突然の話に困惑するしかない斑と焔の手を取ったイシュタリアとナタリアが、マリーの前へと引っ張る。付いて行こうとするバルドクたちを、サララが「いちおう、これが地上のしきたりですので」と、武器を構えて通せんぼをする。

「お、おい、いきなり何を――」
「すぐに済むから、ぎゃあぎゃあわめくな。それと、二人はこっちに来い」

 一人取り残された無憎と、呆然と佇む源を、ドラコが連れて行く……無憎の得物も一緒だ。とてとて、と源の後ろを付いていくテトラが立ち止まった時には、薬を取りに行った時のメンバーと、バルドクたちのメンバーとできっぱり別れていた。
 マリーたちが土砂側に、バルドクたちが『地下街』側である。突然の事態に、バルドクたちの後方から様子を伺っていた住人たちが、ゾロゾロと近づいてくる……それを見やったイシュタリアは、クイッと腕を掲げた。

「――こ、これは!?」

 驚きの声が、バルドクたちからあがる。『内』と『外』に分断するかのように、バルドクたちの前に多数のゴーレムが出現したのだ。ゴーレムの数は通路全てを塞ぐほどに数が多く、また大きい。隙間から少しだけ身体を入れたり、マリーたちを覗いたりは出来ても、『内』に入ることは不可能な状態となった。

「――これはいったい何の真似ですか!?」
「しきたりじゃからのう。下手に邪魔をされて中断されるのも鬱陶しい……すぐに終わるから、そこで黙って見ておれ」

 驚いたかぐちが声を荒げるが、イシュタリアはどこ吹く風と言わんばかり。そして、振り返ったマリーにウインクをした。サララも、ナタリアも、ドラコも、マリーへと力強く頷いた。

 ……気が利くじゃないか。

 周りを見やり、『全員』が『内』に集まっているのを確認したマリーは……改めて、困惑しっぱなしの無憎と、斑と、焔の三人へ向き直った。
 欲しいのは、確信なのだ。

「なあ、無憎、斑、焔。始める前に幾つか聞いておきたいことがある」

 少しばかり、声色が固くなっている。それを聞いて分からないなりにも、無憎もマリーに合わせて背筋を伸ばした。

「まず、お前らが地上に出る際は、『乗り物』を使わずに出るようなことはあるか? また、『乗り物』の無断使用は許されているかい?」

 ……その質問をされた瞬間、無憎たち3人は、一様に目を丸くした。マリーの意図が、全く分からなかったのだ。

「……は? それと、発表といったい何の関係が――」
「いいから、重要なことだ」

 聞き返そうとしたが、マリーの真剣な眼差しを見て……無憎たちは互いに顔を見合わせながらも、質問に答えることにした。

「……いや、原則として地上へは『乗り物』を使用してのみ行われる。昔に徒歩で戻ってきた者と、『乗り物』が衝突した事故があってな……徒歩で出る際は、必ず斑か焔に話を通しておかねばならない決まりとなっている」
「『乗り物』を使用する場合も、ワシか焔に連絡が必須となっております。なにせ、あれはご存じのとおり『血』を燃料にして走りますので……」

 無憎と斑が、矢継ぎ早に答えてくれた。

「では、俺たちの前に『乗り物』を動かしたのは何時だ? その時は何の目的で地上に出て、誰がどれぐらいの期間ここを離れた?」

 ふむ、と斑が顎に手を当てた。

「……アレは確か……30日ぐらい前でしょうか。人間たちの目がこちらに伸びていないかの調査の為に、4日程バルドクとかぐちを含めた十名がここを離れました」
「4日? たった4日なのか?」
「はい。『入口』の周辺を調査するぐらいですので……あんまり外に長居しますと、見つかる恐れもありますし……その時は『化け物』の件もありましたから、あまり日数を掛ける余裕がございませんでした」
「……その前は?」
「その前は、確か地上がとても冷えていた時期ですね。その時もバルドクとかぐちを含めた十名で、目的は近隣の町の調査でした……あ、そうでした。確かその時でしたかねえ……マリーさんの話を聞いたと報告を受けたのは」

 ポツリと呟いたその言葉に、焔がハッと顔をあげた。

「ああ、思い出しました。確か、その時に『亜人と共に戦う戦士がいる』とバルドクたちから報告を受けたんでしたね……確かあの時は『ラステーラ』という町で耳にして、マリーさんたちを知ったと……」
「……その前にも、近隣の町の調査は行っているのか?」
「はい、不定期ではありますが、行ってはいます。ただ、町まで出向いたのはかなり前になりますね」
「行き先は『東京』と『ラステーラ』か?」

 まあ、そちらもありますけど……そう言って、焔は首を横に振った

「どちらも大きな町と聞いておりますし、万が一人間に後を付けられたら大変ですから、滅多な事では行きませんし、行かせておりません。『ラステーラ』に赴いたのも、酷い災害が起きたという話をバルドクたちがたまたま耳にして、こちらに被害が伸びないかの確認の為に仕方が無くと聞いております」
「……話を戻すが、バルドクたちは何日間で俺たちをここに連れて来たんだい?」
「だいたい、4日になりますが……あの、この質問には一体何の意味が?」

 そう尋ねられても、マリーは何も答えなかった。ゴーレムの向こうから、「マリーさん、ここも危ないから早く終わらせてくれ!」と叫ぶバルドクとかぐちの声が聞こえているが……マリーは、そちらを横目で確認すると、改めて三人の顔を見まわした。

「それじゃあ、これは最後の質問……というよりは、確認なんだが、その掛かった日数……というか時間は、正確なものなのか?」
「ええ、確かなものですよ」

 はっきりと、焔は頷いた

「あなたたちにはお見せしていなかったと思いますが、この『地下街』には一つだけ、地上の時間を知らせてくれる『時計』があります。それは昔にここを作り上げた『女神』と『三賢者』が用意したもので、私たちはそれを見てだいたいの時間を知ることができているのです……なので、日数は合っているはずです」

 ……そこまで聞いたマリーは、ちょいちょいとドラコを手招きした。「あ、あの、マリーさん?」首を傾げる焔たちを他所に、マリーは手渡された己のビッグ・ポケットから、おもむろにナックル・サックを取り出すと、それを装着した。

「――ひっ」

 思わず、焔は悲鳴をあげる。その焔を庇うように斑は身構え、無憎が前にでた。その無憎が、せめて斑と焔だけは許して貰おうと頭を下げ――る前に、無憎の眼前に武器が突き刺さった。
 それは、無憎が装備していた巨大な片手剣であった。顔をあげた無憎が見たのは、「受け取れ。すぐに使うことになる」厳しい眼差しで剣を指差す、マリーの横顔であった。

「……なに?」

 呆気にとられた無憎をしり目に、サララは無言のままに『粛清の槍』を構え、イシュタリアも手斧を作り出して構える。ナタリアはメキメキと両腕を攻撃用に作り変え、ドラコも同様に意識を戦闘態勢に持っていく。

「――おい! 何をするつもりだ! お二人に何かあったら、いくらあなたたちとて許さんぞ!」

 ゴーレムの隙間から、不穏の空気を感じ取ったバルドクたちの声が響く。ざわめきが、大きくなっていく。けれども、マリーたちは何ら気にすること無く、淡々とした態度を変えなかった。

「――テトラ、万が一の事態を想定しろ」

 それを見た源の判断は、速かった。

「質問の意味が不明瞭です、ディグ・源……ですが、あなたの心拍が激しくなっているのを感知しました。只今より、迎撃プログラムを起動します」

 そして、テトラも早かった。キリキリキリ、とテトラは身体を軋ませると同時に、速やかに源の前に立つ。その視線の先に有るのは……。

「よう、バルドク。お前にも聞いておきたいことがあるんだ」

 先頭はイシュタリアとナタリア。その後ろをドラコとサララ。さらに後ろにマリー、少し離れた所に源とテトラ。そして、一番後方に無憎、斑、焔の順で、マリーたちはバルドクたちと向かい合う形となった。

「マリーさん……冗談のつもりなら、今すぐ止めてください……!」
「そうよ、私からもお願いします……どうか、まずは安全な場所へ!」
「少しばかり質問に答えてくれたら、な。それで、まずは最初の質問だ」

 ゴーレムの『外側』にて懇願するバルドクと、かぐち。しかし、マリーは軽く手を振ってお願いを振り払い――。

「お前らって、なんで俺を選んだんだい?」

 その質問を、ぶつけた。

「……は?」
「お前らがどういう選定で俺に決めたのかは知らないが、まずはどこかで俺のことを耳にしたんだろ? なんで俺を……『ブラッディ・マリー』を選んだのか、それをちょっと聞きたいんだ」

 呆気にとられた。その言葉通りの表情となったバルドクとかぐちを前に、マリーは笑顔と共に話を続けた。

「だってそうだろ? はっきり言って俺は、傍目からは探究者なんて荒事をしているようには見えないし、戦えそうな外見なんてしちゃいない。でも、お前らは俺を選んだ……何故だ?」
「そ、それは、あなたが『亜人と共に戦った戦士』だと噂を聞いて――」

 ぱんぱん、と叩かれた手拍子に、バルドクは言葉を止めた。にんまりと、わざとらしく小首を傾げるマリーは、「そう、そうだよ。その噂だよ」これまた嫌味なほどに可愛らしくバルドクを指差した。

「『亜人と共に戦った戦士』……うん、確かに、それは事実だ。でも、俺が聞きたいのは、その噂をどこで聞いたかってことだ」

 ――ホッ、と、一瞬だけではあるが、バルドクとかぐちの表情が和らいだのを、マリーは見逃さない。

「それは、マリーさんが一番分かっているはずでしょう……ラス――」
「いや、それだとちょっとおかしくなるんだ。お前、嘘ついているだろ」

 だから、マリーはバルドクの返答を遮った。「う、嘘って何のことですか」と声を詰まらせる二人に……マリーの赤い瞳が爛々と輝いた。

「本当に『ラステーラ』へ行ったのなら、間違っても俺が『亜人と共に戦った』……なんて噂が出るはずがないんだ。何かしらの噂が出るとしても、『共に戦った』、なんて部分は間違っても出るわけがないんだ。絶対に、ラステーラからそんな噂が立つわけがないんだ」

 だって、あそこは……。

「共に戦った亜人の、その仲間の手で壊滅的被害を受けた町なんだぜ。恨み言ならまだしも、共に戦ってくれた……みたいな話が住人の口から出るわけがねえんだ」

 そう、マリーが言った瞬間、耳を澄ませていたドラコは静かに顔を伏せ――。

「――っ!」

 バルドクたちの顔色が、はっきりと悪くなった。表情が、凍りついた。驚いたように互いの顔を見合わせるサララたち……けれども、不思議なことに。バルドクの後ろに控えている大勢の『地下街』の住人たちからは、どよめき一つ上がらなかった。

「仮に、仮にだ。その噂が『ラステーラ』では無く、『東京』で聞いたとしても、やっぱりおかしくなるのさ」

 それを見たマリーは、半ば確信めいた気持ちであった。

「俺の見た目は特徴的だし、自分で言うのも何だが目立つ外見をしている自覚はある。だが、『東京』の広さと人の多さは『ラステーラ』の比じゃねえから、そう易々と俺を見つけるのは無理だ。なにより『マリー』という名前はごくありふれたもの……土地勘も伝手も無いお前らが、どうやって俺を……『ラビアン・ローズ』を見つけ出せたんだ?」
「…………」
「言っては何だが、ラビアン・ローズは場所を知っていなければそうそう見つけられないところにある。長年『東京』で暮らしていた俺ですら、最初はサララに案内されるまで気づかなかったぐらいだ……お前ら、どうやって館の存在まで把握出来たんだい?」
「…………」
「4日……お前らが俺をここに連れてくるまでにかかった時間だ。ここから『東京』までは、運が良くても3日間。残った一日も、俺のところに着た後の時間がそうだから……お前らはほとんど迷うことなく俺の所に直行したことになる。それはちょっと、変だと思わねえかい?」
「……それと、今の状況、何が関係あるというのですか。何も、関係ないでしょう……変なことでからかわないでください」
「いや、からかってなんかいないさ。この質問の結果によっては、俺の今後の行動が大きく変わるぐらいに重要なことなのさ」
「……そうですか」

 そう答えたバルドクは、かぐちは、いつの間にか無表情になっていた。怒りに顔を赤くするわけでも無く、不安に青ざめるわけでも無く……能面のように表情を凍りつかせて、ゴーレムの隙間からマリーたちを見つめている。

 ――これは。

 脳裏を走った予感に、誰が最初に冷や汗を流したのかは分からない。マリーの質問を聞いて、徐々に緊張感を増していく中……状況が分からずに様子を伺う事しか出来ない斑と焔だけが、困惑にバルドクたちを見つめるだけであった。

「まあ、ぶっちゃけて言うとだな」

 まだるっこしい、そう思ったマリーは、単刀直入に切り込んだ。

「お前ら、実は九丈と繋がっているだろ?」

 ……その瞬間、音が、止まった。息を呑む斑と焔、そして目を見開く無憎の気配を背中に感じながら……マリーは「でないとさあ」深々とため息を吐くと、後ろ手で斑たちを指差した。

「『地下街』を統括する二人が、あまりに事実を把握していないことに説明が付かないんだ……こんな狭い場所なのにさ」
「……なるほど、言われてみればそうじゃな。よくよく考えてみれば、ここまで閉鎖的な空間で完璧な隠し事など出来るわけがない。多かれ少なかれ、『何かしらを隠している』という噂が立って当然の筈じゃが……それが、全く無い次点で変じゃな」
「そうだよな、イシュタリア。おかしいんだよ……トップである斑と焔に何一つ話が言っていない時点で、変なんだよなあ」

 ようやくマリーの言わんとしていることを把握したイシュタリアは、ジロリ、と目つきを鋭くさせる。

「言われてみれば、『強硬派』である無憎たちが私たちを『ツェドラ』に閉じ込めてすぐにバルドクが来た。まるで事前に話を合わせていたかのようじゃな」
「……そんなの、全て憶測の話だろ!」

 無表情を保っていたバルドクが、突如吠えた。怒りとは違う、苛立ちを隠そうともしないその顔は、マリーたちが初めて拝見する表情であった。

「いい加減なことで、俺らの忠誠を馬鹿にするな! それ以上妄言を繰り返すのであれば、例えあなたであろうと叩き切るぞ!」

 もし、マリーの中身が見た目相応であったならば、震えて怯えるしかないぐらいの迫力ある怒声であった。

「……だったらさあ、一つ答えてくれ」

 しかし……マリーには通用しなかった。

「さっきお前は俺にこういった『斑様と焔様を御守りいただき、ありがとう』ってな」
「~~それがどうした! そんなのただの挨拶だろ!」
「なんでその挨拶を、サララやイシュタリアに言うならともかく、病人だった俺に言うんだい? 自分で歩くことも出来なくなっていた俺に、守って頂きありがとうなんて言ったんだ?」

 ――っ!? バルドクの顔が、目に見えて引き攣った。

「斑と焔はお前にこういったんだぜ。『ワシらのところは崩れることも無く無事だった』ってな。何事も無かったって言っているのに、なんでそんなことを……それも、俺にだけに言うんだ?」

 ……事態を呑み込み始めたサララたちの瞳が、剣呑さを帯び始める。信じられないと言わんばかりに青ざめた顔で口元を手で覆う焔を、斑が力いっぱい抱きしめている。その前に立ちはだかった無憎の顔には……大粒の汗が流れていた。

「……た、たまたまだ! そんなの、もはや言い掛かりに等しい! たったそれだけで、何の根拠にもなりはしない!」
「そう言うと思って、こういうのを用意した」

 バルドクの怒声をするりと受け流したマリーは、小瓶を高く掲げた。しかし、マリーの背丈では到底高さが足りず、隙間からは見えにくい。それに気づいたイシュタリアが指を鳴らした直後、マリーの足元が盛り上がった。
 思わず目を瞬かせるバルドクたちを他所に、マリーは掲げた小瓶を、キラリと光球の明かりで反射させると……ジロリと、バルドクたちを見下ろした。

「これは、とある連中が使っている薬を中和する薬だ。しかも、ただ中和するだけじゃない……もし薬を使っている者がこれを使えば、苦しみのあまりにのた打ちまわった挙句、血反吐を吐いて死んでしまう副作用がある」

 ざわっ、とバルドクたちの後ろからどよめきがあがった。もう、それだけで事実を語っているようなものだが……あえて、マリーは突っ込まなかった。

「ただし、これはその薬を使っていなければ、何の影響も無い薬だ。信じて欲しければ、これを使って見ろ。それで俺からの疑いははっきりするんだ……簡単なもんだろう? 『穏健派』と『急進派』のやつは前に出て、ゴーレムの隙間から腕を差し出せ。それで、全てははっきりするんだ」

 そう告げたマリーが、グイッとバルドクたちに小瓶を突き出す。『内』に居る全員が、バルドクを、かぐちを……その背後にいる全ての住人たちに、審議の眼差しを向けた。

 ……静かになった。

 ……とても、静かであった。

 ……先ほどまであったどよめきが、嘘のように静まり返っていた。

 誰も彼もが、俯いている。バルドクも、かぐちも、住人たちも、全員が口を閉じている。誰も、何も言おうとはしない……誰も、前に出ようとする者はいなかった。

「――み、みなさん、どうしたのですか!? 」

 沈黙に耐えきれなくなった焔が、斑の腕の中で叫んでいた。

「これは私からのお願いでもあります! お願いです、『穏健派』と『急進派』は、前に出てください! 大丈夫、私も先ほど使った薬です! 何ら怪しいものではありません!」

 …………。

「バルドク! かぐち! 前に出てきてください! 私を、斑を、安心させてください! どうか……こ、これは命令ですよ!」

 ……返事を返す者はいない。焔の甲高い声が、空しく通路の中を反響していく。そして、焔の何度目かとなる懇願が終わった後……笑い声が、どこからともなく聞こえてきた。

 ふふ、ふふふ、ふふ……。
 最初は、女の声であった。

 くすくす、くすくすくす、くすくす……。
 次に聞こえてきたのは、男の声。

 うふふ、あはは、あはははは……。
 くくく、くふふふ、くくくく……。
 そして、ついにバルドクとかぐちが笑い出した辺りで……もう、誰のモノかすら分からなくなった。

 噛み殺した笑い声は、徐々に、徐々に、大きくなっていく。最初は耳を澄ませていなければ聞こえていなかった声が、徐々に、徐々に、はっきりしたものへとなっていく。
 広がっていく笑い声はまるで病気のように伝染し、一人、また一人、数を増やしていく。そして、5分も経った頃には……バルドクとかぐちを始め、その後ろに立ち尽くしている住人全員が、笑い声をあげていた。

「……おい、おい、まさか……そんな……!」

 背筋を走る悪寒に片手剣を構えた無憎は、冷や汗を流しながら『外』を睨みつける。異様な空気が立ち籠る中、おもむろに台から降りたマリーは、サララたちに合わせて構えた。
 そして、木霊のように響く笑い声が、喧しいと思えるまでに大きくなったとき……ピタリと、笑い声は止まった。まるで、全員が申し合わせていたかのように、ピタリと彼らは動きを止めた。
 ……沈黙が、辺りを包んだ。ジッと彼らの挙動を見据えるマリーたち。俯いたまま動こうとしない彼ら。そして、信じがたい現実に声も出せない『三貴人』……嫌な風が、流れた。

「……あーあ、なんでこうなっちゃうのかなあ」

 ポツリと、呟かれたその声。ピクン、と肩を震わせたマリーたちは……その声の主であるバルドクを、睨みつけた。

「マリーさんが大人しくしていれば、斑様も、焔様も、幸せに生きられたのに……九丈様の下で幸せになれたのに……全部、マリーさんのせいですよ」

 それが、全ての答えであった。

「……何を、何を言っているのですか!? バルドク……嘘だと言ってください! あんな薬、あなたたちは知らないはずですよね!? そうなんですよね!? かぐちも、そうですよね!?」

 俯いたままのバルドクに、焔は声を張り上げた。今にも零れそうな涙が、目尻に大粒の玉となっている。震える唇が、唾を飛ばしてバルドクを、かぐちを、呼ぶ。

「……やっぱり出まかせなんかじゃなくて、薬の正体、お二人とも知っていたんですか」
「……だったら、もう隠す必要なんて無いですね」
「ひっ――」

 しかし、二人には届かなかった。まさしく能面と呼ぶに相応しい、形作られた笑みを浮かべた二人を前に、焔は息を呑む。その小さな体を包み込む様に抱えた斑は……今までで最も鋭い眼差しをバルドクたちへ向けた。

「お前たち! それがどういう薬なのか、分かっているのか!」
「分かっておりますよ……こんな幸せな気分になれる薬、知らないわけがない……!」

 びくん、と、バルドクの身体が痙攣した。ギョッと目を見開く斑を他所に、もう一度身体を痙攣させたバルドクは……締まりのない笑みを浮かべた。

「さあ、お二人とも……こっちに来てください。俺たちは九丈様から受けている使命は、マリーさんたちを始末することだけ。お二人は、無傷のまま連れて帰るように言われておりますので……九丈様が待っております」
「ほら……こっちへ。お二人も、アレを使えばすぐに分かりますよ……あんな素晴らしいことを、今まで隠していてすみませんでした。九丈様より固く禁じられておりまして……ですが、もういいそうです。私たちと一緒に、幸せになりましょう」
「――貴様らは、ずっと俺を騙していたのか!」

 勝手な事を言う二人に、無憎が怒りを爆発させた。真っ赤な顔で獣耳を立たせた無憎は、ズンズンと足音を立てながらマリーの横を通り、サララたちを通り過ぎ、イシュタリアたちの前に出て……ゴーレム越しに、バルドクたちの前に立った。

「答えろ! 貴様らは何時から九丈と……!」
「そんなの、無憎が九丈様と仲良くなるずっと前からに決まっているじゃないか」
「……なぜ、九丈は『強硬派』の俺に近づいた。俺と一緒に行動した方が、何かを成し遂げるのに動きやすかったからか?」
「え、いや、違う、違うぞ。全然違う……もしかして無憎、お前何か勘違いしていないか?」

 グイッと、バルドクはゴーレムの隙間に身体を押し込み、顔を無憎に近づけた。

「九丈様もそうだが、俺たちは別に強硬派だとか、急進派だとか、穏健派だとか、そんなのはどうでもいいんだ。今までそれで色々と争ってきたフリはしてきたが、そんなのは正直、どうでもよかった」
「なに!?」
「そりゃあ、確かにお前の名前は役立った。お前の下に就くやつは軒並み腕が立つし、さすがに全面戦争にでもなったら面倒だからな。九丈様も、そこら辺りは助かったと仰っていたぞ」

 でもな……。

「ソレとは別に、強硬・急進・穏健、この3派の数なんてなあ……初めから、そう大した数じゃなかったんだ」

 にやりと、バルドクは笑みを浮かべた。

「正直、笑いを堪えるのが大変だったぞ。九丈様の命令で仕方なく仕えてやっているあの二人が、穏健派だ、急進派だ、そう言って代表面しているのが……滑稽で、滑稽で、もう毎日が大変――」

 そこで、バルドクの口上は止まった。なぜならば、咆哮と共に振り下ろされた斬撃が、ゴーレムごとバルドクの身体を切り裂いたからだ。
 パッ、と、砂埃が舞った。飛び散った鮮血が周囲に花びらを広げ、無憎の身体を真っ赤に染める。焔の甲高い悲鳴が通路に響いてすぐに……切り落とされた首が、どすん、と床を転がった。

「……俺も人のことを言えた義理ではないが」

 サラサラと崩れ果てていくゴーレムに、剣から振り払われた血が吸い込まれていく。「おお……ゴーレムごと一刀両断とは、やるもんじゃな」と感心の声を背中に浴びながら、無憎は……物となったバルドクの首を、睨みつけた。

「貴様のようなやつを、友と思っていた日々を恥じ入るばかりだ……馬鹿野郎」

 地下街一の猛者と呼ばれた男の、全力の一刀。その威力は土人形程度で止められるわけが無い。そして、薬によって全盛期の肉体を維持したその身から放たれる威圧感は、言葉無くとも他を圧倒させるモノがあった。

 しかし――。

「これだから年寄りは嫌なんだよ。ちょっと挑発しただけで、すぐコレだ」

 今しがた落としたはずの首が、目を開けて喋り出す。そんな現実を前に、威圧感など何の意味も無かった。

「――なにっ!?」

 さしものの猛者も、驚きにたたらを踏んで飛び退く。驚愕に目を見開く無憎たちをしり目に、首から上を失った胴体が、転がっている頭へと手を伸ばす。血の気が無くなった顔はいとも容易く掴みあげられ……げらげらげら、と笑っていた。

「き、貴様、首を落とされても……!」
「残念だなあーぜんぜーん痛くないんだー」

 ふざけた態度でそう言うと、バルドクはおもむろに首を持ち上げると、ぐちゃりと、切断面をくっ付けた。そして、そのまま角度を合わせるかのように左右に位置を合わせ……手を離した時には、すっかり繋がっていた。
 ……もはや、無憎は言葉が出なかった。今、目の前にいる存在は本当に自分が見知っていた相手なのか……それすらも信じられなくなりそうな現実を前に、無憎はこみ上げる恐怖を前に、剣を向けることしか出来ない。
 けれども、バルドクたちは別だった。

「九丈様から頂いた薬のおかげでな……むしろ、気持ちいいんだ。物凄く気持ちいいんだ……首を切り落とされる快感って、すげえなあ」

 涎を垂らして恍惚の笑みを浮かべるバルドクに、思わず無憎たちは一歩退く。だが、バルドクの隣に立っていたかぐちは違った。

「本当? そんなに凄いものなの?」

 まるで、目の前で宝石を見せられたかのように、その瞳を輝かせていた。

「ああ、凄いなんてもんじゃねえ……首から直接快感が頭に響くっていうのかなあ。身体が繋がっていたら、下を汚しているところだったぞ」
「ええ、そんなに……いいなあ」

 バルドクの袖を、かぐちが羨ましそうに引っ張る。その姿はまるで恋人同士と言ってもいいぐらいに親密なのに……無憎たちは誰一人、その姿をそう捉えなかった。

「……貴様らは、『化け物』になってしまったようだな」
「ん~、いや、それは少し違うぞ」

 自然と無増の口から飛び出したその言葉に、バルドクは笑顔で首を横に振った。

「今から、『化け物』になるんだ……おおおっ?」

 瞬間、バルドクの身体が一気に膨れた……ただ膨れたわけではない。肉体を内側から押し上げたのは、他でも無い。外からでも確認出来るぐらいに蠕動を起こしている、筋肉の塊であった。
 絶句してさらに飛び退いた無憎の前で、変化が始まった。ボコボコと、バルドクの皮膚が盛り上がっては寝込む。まるで全身の血液が沸騰を起こしたかのように脈動を繰り返すバルドクの身体が、一回り大きくなる。
 急激な変化に全身の骨が砕けて変形し、筋肉は断裂して隆起を繰り返し、膨張に耐えきれずに裂けた断面から、また新たな皮膚が形成される。全身の至る所に出来た裂傷から、夥しい量の鮮血を垂れ流しながら、バルドクが最初にあげた声は……。

「ぎ、ぎもぢいいいいいい!!!」

 快楽の雄叫びであった。もはや元の面影が無くなった顔に浮かぶのは……押し寄せる快感に歪む、男の顔であった。

「すげええぎもぢいいいぞおおおぉぉぉぉ……なんでがいがんなんだぁぁぁぁぁぁ……」
「そ、そんなに凄いの?」

 徐々に『大男』へと成っていくバルドクに、かぐちは頬を真っ赤にする。モジモジと何かを我慢するかのように太ももを擦り合わせている彼女に耳に、「すげええぇぇぇぇ……ごんなにぎもぢいいなら、もうもどれなぐでもじあわぜだぁぁぁぁ……」亜人ですら無くなっていくバルドクの声が届く。

「そ、そんなに……そんなに凄いのなら……」

 息を荒げ、衝動の赴くままに己の胸を揉みしだくその姿は、明らかに性的な興奮を覚えていた。その瞳が、うっとりと官能の色に染まりかけた時……かぐちの後ろに居た亜人の男の身体が、一回り膨張した。

「うぁぁぁあああああ、すげえぇぇぇぇ!!!! これすげぇぇぇよぉぉぉぉ!!!」

 バルドクと同じように肉体を変質させていく男の嬌声が、辺りに響き渡る。よほど強い快感が押し寄せているのか、はだけた股間から大量の白濁液を垂れ流しながら、変形した顔で咽び泣き始めた。
 ……そして、一人が暴発すれば、もう、手遅れであった。

「――お、俺ももう我慢出来ねえ……ぐぉぉ!?」
「わ、私も……ぁぁぁあああ、なにこれぇぇぇぇ!!」
「なんて、なんて快感なんだぁぁぁぁ!!!」
「く、くるしぃぃぃ、も、もっとだぁぁぁぁ……」

 次々に、住人たちの姿が変わり始めた。皺が目立つ亜人も、角を生やした亜人も、足が四本の亜人も、みんな、みんな、みんな、人ならざる者へと成り果てていく。
 おぞましい、心からおぞましいと言える光景であった。もはや、彼ら、彼女らは、亜人ですら無い。正真正銘の、『化け物』へとなろうとしている。その身を襲う快楽を求めて、もう二度と元には戻れないと分かっていても……彼ら、彼女らは、躊躇することは無い。

「――かぐち!!」

 そして、ついに残された亜人が、かぐちただ一人になった時、焔は叫んでいた。涙と嗚咽でべとべとになった顔を拭おうともせずに、焔は斑の腕を飛び出して、かぐちの名前を叫んでいた。

「かぐち! 止めなさい!」
「はあ、はあ、はあ……焔、様……」

 胸を覆っていた胸布は取り払われ、濡れた恥草を必死に摩っている。背筋を走る快感に瞳を蕩かせていたかぐちの視線が……焔の方を向いた。

「止めなさい、コレは命令です! 私の最後の命令です!」
「……残念です。もう、コレは止められません。こうしている今も、私の中でどんどん欲望が膨れ上がって来ているのです」
「それでも! それでも止めなさい!」
「無理を言わないでください……ぁああっ!?」

 瞬間、かぐちの肌に血管の線が走った。脈動する血液の循環が、外からでもはっきり分かるぐらいに盛り上がっている。「……ぁぁぁ」それが、堪らないのだろう……かぐちの唇から、一筋の涎が伝って流れ――。

「――お姉ちゃん」
「――か、かぐち!?」

 その瞳に理性が戻り、焔の目に希望が一瞬だけ戻った瞬間――

「――バイバイ」

 ぐるりと瞳が反転した直後、かぐちの身体は筋肉の塊へと姿を変えた。その中から聞こえてくる、快楽の呻き声を確かに聞いた焔は――。

「……ぁぁぁ」

 その瞬間、これ以上ないぐらいに大きく見開かれた瞳から、大粒の涙がいくつも零れた。同時に、老体である斑が焔の身体を後ろから抱え上げると、一気に走り出して、一番後ろへと駆け戻った。その後ろを護衛するように、マリーとドラコも下がった。
 遅れて最後に、イシュタリアとナタリアが後方へと下がる。新たなゴーレムを生み出して『内』と『外』の境界を分厚くしながら、素早く中央へ……マリーの傍へと駆け戻った。

「いちおう聞いておくが、無事だな?」

 マリーの問いかけに、サララたちは力強く頷いた。

「当然じゃろう……しかし、これはまたとんでもないことになったのじゃ」
「俺もさすがにコレは予想外だった……ちくしょう、逃げ場がねえぞ」

 集まった全員の顔を見回し、マリーは唸り声を上げる。戦力が圧倒的に足りない状況に、地団太を踏みたくなった。
 涙を流して呻いている焔と、それを宥めている斑は戦闘員ではないので除外する。戦力は、マリー、サララ、イシュタリア、ドラコ、ナタリア、無憎、源、テトラの8名であり、マリーは万全とは言い難い状態だから、実質7名半といったところだろうか。

「おい、イシュタリア。お前のあの凍らせる魔法術で、一度にどれぐらいのアレを倒せる?」

 チラリと、『大男』へと姿を変えて行く彼ら、彼女らを見やったイシュタリアは、厳しい眼差しで首を横に振った。

「まともに直撃すれば十数体ぐらいなら一瞬じゃな。ただし、球数は一発限りで、当たる角度によっては2、3体しか仕留められないかもしれぬ」
「サララ、ナタリア、ドラコ」

 3人の名前を呼べば、3人はしばし考えを巡らせた後……一様に首を横に振った。

「実際に戦って見ないと分からないけど、おそらく仕留められるのは最初の1体が限界。その後は致命傷を与えるのは難しい」
「私の息吹でも、即死させるのは厳しいと思うわ。足止めぐらいには出来るかもしれないけど……」
「……残念だが、私の力でもやつを一撃では殺せぬ。しかも今回は乱戦……まず殺しきれないだろう」

 やはりか。舌打ちしそうになったマリーは、寸でのところで頭を振って堪える。そして、隣にて短剣を構える源と、その腰に抱き着いているテトラを見やり……源の方から、静かに首を横に振られた。
 予想はしていたが、やはりそこまで大そうな装備はされていないようだ。仕方がないことだ、と軽く慰めを入れてから……マリーは、最後の戦力である無憎を見上げた。

「お前さんは、どこまでいける?」
「この命、尽きるその時まで戦い続けるつもりだ……だが、断言しよう。アレは、俺よりも強い……おそらく、俺はアレを一人仕留める前に殺されるだろう」

 冷や汗を流しながら、黙って『大男』へと姿を変えて行く元仲間たちを見つめていた無増は、ゴクリと唾を呑み込む。そのまま、しばし何かを考える様に視線を彷徨わせた後……マリーへと視線を移した。

「お前たちは逃げろ」

 それは、突然の提案であった。

「は?」
「逃げるんだ。元々お前たちは騙されてここに来たんだ。逃げて当たり前……いや、逃げるべきなんだ」
「逃げるったって、どこへ逃げろっていうんだ。後ろは壁で、前はあいつらが今にも飛び掛ってきそうなんだぞ」
「俺が少しでも時間を稼ぐ。だから、お前たちは少しでも逃げるんだ!」

 片手剣が、壁を指し示す。無憎の言わんとしていることを察したマリーは、深々とため息を吐いた。話を聞いていたサララたちも呆れ、テトラに至っては「死ぬために後退するのと同じです」とはっきり否定された。
 だが、実際の所それしか方法は無いのかもしれない。後数分と経たない内に彼ら、彼女らは『大男』へと姿を変えて、こちらになだれ込んでくるだろう。

 そうなれば、ゴーレムの壁なんぞ何の役にも立ちはしない。瞬く間に破壊されて、ここは戦場になるだろう。しかも、1体がこちらの一人分に相当するというのに、相手の方がずっと数は多い。
 見えているだけが敵戦力の全てでは無いだろうが、バルドクとかぐちの証言から推測する限りでは……おそらく、『地下街』の至る所に『大男』を既に配備しているのかもしれない。
 もし、そうであるならば……逃げ道は、後ろの土砂を突き進むしか方法は無い。可能性は限りなく……本当にこれ以上無いぐらいに小さな可能性だが、それしかないのかもしれない。

「マリーさん」

 呼ばれて、振り返る。悲壮な決意に満ちた斑と、目が合った。

「九丈はワシと焔を殺さずに何かをするつもりです。ならば、ワシがこの命と引き換えにしても九丈に――」
「殺さないようにする理由があるのかも分からんが、無駄だろう。ここまで大掛かりなことをしたんだ……本命は俺の命だろうな」

 ギリギリと、噛み締めた奥歯が軋んだ

「後ろに逃げるのは無理だ……突破するしかない」

 それが、マリーの選択であった。「掘っている途中で追いつかれたら、確実に生き埋めになる」逃げるという選択肢など、初めから選べるわけが無かった。
 ギュッと、マリーはサックを握り締める。一肌に暖められたはずのそれが、ひんやりと冷たい。怯えているのだと、マリーは自覚する。こんなに絶望的な状況になったのは、閉じ込められた時以来だろうか。

(どうせ死ぬならベッドの上が良かったぜ)

 思わずマリーは苦笑をして顔をあげ……目を瞬かせた。
 そこに有ったのは、サララたちの……女たちの、力強い眼差しであった。誰も彼もが死を覚悟しているというのに、何一つ悲観の色は見られない。イシュタリアですら、覚悟を決めた目をしていた。

「……お前ら、怖くは無いのか?」
 怖いに決まっている。

 そう彼女たちは口を揃えた。けれども、それ以上は何も言わなかった。この仕事を受けることに決めたマリーを責める言葉も、何一つ無かった。

「……俺と一緒に、最後まで諦めないで来られるか?」
 死ぬときは、一緒。

 そう口を揃えた彼女たちに、マリーは固く目を瞑った後……目じりを擦ってから、『地下街』の住人である3人を見やる。もう、焔は涙を止められるまでには平静になっていた。

「ここ以外にどこか出口へと繋がる場所を知っているか?」
「……いや、ここ以外には何も……」
「何でもいい。お前らがまだ行ったことが無い場所でも、禁忌として近寄らなくなった場所でも、どこでもいい。どこか無いのか?」

 再度尋ねられて、3人は思い思いに首を傾げた。思考を巡らせ、記憶の彼方のそのまた先まで探り続け……「あっ」と声を上げたのは、焔であった。

「一つだけありました。『清められし祭壇』と呼ばれる場所の先に有る、階段の向こうです」
「『祭壇』!? あそこに人間を連れて……いや、この際仕方がない」

 ギョッと目を見開いた無憎が、思わず声を荒げる。だが、すぐに事態の深刻さを思い出すと、苦虫を噛み締めたかのように表情を歪ませる。それを納得したと判断した焔は、「『祭壇』とはですね」そのまま話を続けた。

「かつてここを作った『女神』が用意した物と言い伝えられています。そこから続く地下へと続く階段の先は『この先には死が待ち受けている』と言い伝えられており、未だ誰も真実を確かめたことが無い場所です」
「その『祭壇』の場所は?」
「……本当に、行くつもりなのですか? 行き止まりの可能性だってあるんですよ」
「行かなければ、俺たちは全員ここで殺される。行き止まりだったとしても、まだ諦めるわけにはいかねえのさ」

 ごくりと、焔は唾を呑み込んだ。しかし、躊躇は一瞬であった。

「……マリーさんたちが泊まっていた屋敷の、地下にある階段を下りた先。そこにある洞窟を進んだ向こうにある、『祭壇』の奥にある階段を下りた先です」
「よし! お前ら、今の聞いたな!」

 顔をあげたマリーが、サララたちの顔を見まわした。全員がしっかりと頷くのを確認したマリーは、大きく息を吸い込み……ふと、隣に佇む源を見やった。

「ん、なんだ?」
「……いや、なに。あんたもこんなことに巻き込まれるなんて、運が悪いやつだなあ……って思っていただけだ」

 そう言われた源は、キョトンとした様子で目を瞬かせた後……ははは、と笑みを浮かべた。監視員としての笑顔では無い、初めて見る、源の心からの笑顔であった。
 それを見て、マリーも思わず笑みを零す。数秒ほど、マリーと源は互いに笑みを交わした後……ふと、真面目な顔になった。

「マリー君。今だからこそ言うけど、最初の頃、僕は君のことを正直……」
「おっと、それ以上はお互い様だぜ」

 軽やかに、マリーはウインクをした。こんな状況にも関わらず、見る者の心を軽くさせる……太陽のような輝きがあった。呆気にとられている源をしり目に、マリーは改めて全員を見回した。

「作戦は簡単だ。変身した俺が正面突破をするから、お前たちは俺の後ろに付いて来い。斑は無憎が背負って、焔はドラコが背負え」
「――いえ、私たちはこのまま捨て置いてください! 邪魔になるだけです」

 焔が、マリーに懇願した。

「馬鹿を言え。さっきも言ったが、九丈にはお前らを殺さない理由がある。言い換えれば、お前ら二人が手元に来ないということが、九丈にとっては何かしらの痛手となるかもしれないんだぜ」

 だが、マリーは取り合わない。ビッグ・ポケットから取り出したロープを無憎とドラコに手渡した。二人を途中で落とさない為の、万が一だ。

「それが分かっている以上、みすみす二人を捨て置いては行けないのさ。お前らがどう思ったとしてもな」
「し、しかし……」
「うるさいよ」

 それ以上、マリーは取り合わなかった。サララたちも、取り合おうとはしなかった。「無理に戦おうとするな、飛び掛って来たやつは受け流して、攻撃する際は足を狙え」それ以上、マリーは問答をする余裕が無かったからだ。

「……マリー、またあの姿になるの?」

 心から心配そうに瞳を伏せるサララへ、マリーは無言のままにビッグ・ポケットとサックを手渡す。同じように瞳を伏せるイシュタリアたちに、マリーは「大丈夫、また倒れるようなことは無いさ」と満面の笑みを浮かべる。そして、サララたちから少し距離を置くと……大きく息を吸って、吐いた。

 途端、カッとマリーの身体が光を放った。放たれた力が白い霧を生み出し、瞬く間にマリーの身体を覆い隠していく。むわっ、と立ちのぼる熱気がサララたちの頬をくすぐり、膨大としか言いようがない魔力が霧の中で凝縮されていく。
 時間にして、数秒程ぐらいだろうか。立ち籠る白い霧が一回り以上大きくなった直後、中から飛び出した白い腕が霧を振り払う。姿を見せた絶世の美しさ……男でなくとも一目で心を奪われる美女へと姿を変えたマリーは、大きく息を吐いた。

「――さて、と」

 サララから受け取った一式を、少々の窮屈さを覚えながらも取り付ける。衣服や靴は魔力でサイズをある程度合わせられるから良いとして、武器もこの姿用に用意しておかないと駄目かなあ……そんなことを冷静な部分で考えながら、マリーは顔をあげた。
 身体が、軽い。どこまでも飛んで行けそうなぐらいに心が落ち着いている。変態を終えようとしている『大男』たちがこちらを見ているというのに……死の恐怖は微塵も無い。

 もしかしたら、あいつらもこういう気持ちになっているのだろうか。
 なんとなく、マリーは『大男』たちを見て考える……けれども、考えるだけであった。

「用意は終わったかい?」

 先頭へと歩み出ながら、一人ずつ目を合わせながら確認していく。無憎に背負われた斑と、ドラコに抱き抱えられた焔は万が一離れないように縛られて固定され、何時でも行けるようになっていた。

「――行くぞ」

 そう、マリーが宣言したと同時に。

 ゴーレムを蹴散らして突入してきた『大男』たち。

 もはや男でも女でも無い個体となった化け物を前に。

 マリーは――。

「死にたくないやつは退きやがれ!」

 迫り来る化け物へと、走り出した!
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