バカになりきれない自分がちょっとカッコ悪いと思う

私が自分のことを「カッコ悪いなー」と思うときは「バカなこと」がやりたいのに、恥ずかしくて出来ないときなんです。

他人のために「バカ」を選択できる男のカッコよさ

本当のバカだったらまずいけど、ちゃんと考えて「バカになるときはきっちりバカになれる大人」ってステキですよね。うちの父親がそんな感じだったんだよな。ふだんは真面目で無口なのに、子どもと遊ぶときは子供マインドになって、酒の席ではバカなことばっかり言ってて。

あえてバカになる人間は、他人を楽しませて人の心を明るくする。真面目なだけの人間には出来ないことだ。「他人のためにバカになれる」大人って超カッコイイと思う。

でも、オレはやっぱりどこかに「バカなことをする」のに「照れ」「恥ずかしい」という気持ちがあって、バカになりきれないんですよ。


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※私が憧れる「他人のためにバカになれるカッコイイ男」の一人。こんな人間になりたいな~。

子供の頃はできたのに~

うーん、いつからこんなに他人の目を気にするようになってしまったのかな。小さい頃は、ホントに周りから「バカだ」「おかしい」と言われてて、そう言われる自分に誇りを持っていたんですけどねー。

ちょうど「個性的」であることこそ「カッコイイ!」って時代だったしな。KYなんて言葉もなかったしね。


今の時代って、昔よりも「周りからはみ出ること」にすごい勇気がいるようになったよね。

この前テレビで新入社員の研修を特集していたんだけど、今の新入社員ってとにかく自分から発言しなくて、発言してもありきたりで無難なことしか言わない、って報道されてた。「浮く」のが昔よりコワイ時代になっちゃってるせいじゃないかな。

もちろん、それを言い訳にしたくないけど……

少しずつ我を捨てて

これから少しずつ改善していけるとは思ってますけどね。欠点で自覚してしまえば直すことは不可能じゃないから。気がついてない欠点は、もうどうしようもないからね。

結局「恥ずかしい」って自分の「我」だからね。恥ずかしがり屋ってわがままなのかもしれないね。我を捨てて、なるべく他人を楽しませることを考えていたら、ちょっとずつかっこいいバカになっていけるかもな、と思っています。


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