27日の打ち合わせの夜、みなでアイリッシュパブに行って飲んだ。このとき私の会長時代にクラブが50周年を迎えることを知り、メンバーひとりひとりに50周年で何をやりたいか訊いていった。みな大きな夢を語り、それは実に楽しい会となった。私が後に日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトの実行委員長も兼ねて、このプロジェクトで必ず2013年に日本SF&ファンタジーを盛り上げようと誓ったのは、この夜の楽しさがいつまでも心に残っていたからに他ならない。
(ただし逆にいえば、それまで前会長と事務局は50周年に向けてほとんど何も準備をしていなかったということでもある。後に私は知るが、すでにこのとき徳間書店が日本SF大賞から後援を引き上げたいという話も内々では出ていたようだ。しかし前会長と事務局グループはそれに対する具体的なアクションをとっていなかった。日本SF新人賞がなくなった後、申し訳程度の対策委員会がつくられていたが、徳間書店と早川書房に意見を求めたほかは小松左京事務所と星ライブラリの知り合いの会社に協力を求めて玉砕しただけで、ほとんど何も委員会としては機能していなかった。──クラブ員の多くは、たとえクラブが危機的状況に陥っても誰か外部の有能な人がきっと助けてくれる、と思っていた節さえある。まさに新井会長と事務局長の当時の目標は、もっとクラブを「お友だちグループ」として機能させようということであった。ファンダム出身者がプロ作家の推薦でプロダムに入ってゆく、という構図でSFに関わってゆくことが多いSF業界では、「お友だち仲間」と「ビジネスパートナー」の区別を考えない人が多いように思う。新井会長は図らずも[それが善いとか悪いということではない]そうしたSF業界の抱える深い問題の申し子であったのだと私は思う)
私は2013年3月1日の日本SF作家クラブ総会にて15分のスピーチをおこない、SF業界はいま一見夏を迎えているように見えるが、それは作家個々人の努力の賜物であって、クラブ全体の力によるものではない、むしろクラブは50年来最大の危機に瀕していると訴えた。次の東野司会長の時代にそれを立て直さなければならない、その策は幾つか東野会長とすでに話し合った、あとはとりわけ若いクラブ員に期待する、と述べた。そして会長職を任期半ばで辞任し、同時に退会した。
これで私は完全にSF業界とは縁が切れた。ただ、後にクラブの事務局通信(クラブ員にメールないし文書のかたちで届く通信)が4月1日に発行されることになるが、このとき私のスピーチは事務局側が要約して掲載するのだと思っていたのに、私自身に原稿の依頼が来た。そこで私は新たに原稿を書き、事前に数名の方に内容を確認していただいた上で事務局に提出した。その文章で私は藤子・F・不二雄先生のSF短編「イヤなイヤなイヤな奴」を引用し(このマンガはおそらく某海外SF先行作品が元ネタだろうが、ここでは関係ないことなので省略)、SFコミュニティのようなところは誰かひとりを強く憎み、敵と見なすことによって団結しやすい、いま危機にある日本SF作家クラブに必要なのはそうした団結力であるのだから、今後はいっそ瀬名秀明を共通の敵と見なしてクラブの未来をみなでつくり上げていってほしい、と述べた。
私は東野司さんと現在の事務局長・北原尚彦さんには全幅の信頼を置いている。若いクラブ員を集めて委員会をつくり、今後の日本SF大賞を含めクラブの運営について徹底的に議論し、若い人たちの希望に応えるかたちでクラブを建て直していってほしい、それも1年という期限つきでおこなうのが望ましい、と私は東野さんに伝えていた。その後のクラブ内の詳細についてはほとんど知らない。
昨日、日経「星新一賞」のホームページで、瀬名が初回の最終選考委員も辞退した旨が報告された。以前に書いたように、これは星ライブラリサイドと瀬名の考え方の相違による結果である。私は会長時代、日本SF新人賞に変わる新しい新人賞を起ち上げるため多くの可能性を探った。不景気の世の中であるからなかなかスポンサーが見つからないことはわかっていた。だから学術団体や企業のメセナ活動に期待をかけ、まずは公立はこだて未来大学との連携を図った。その後星ライブラリサイドが自分の知り合いを通して某社に声をかけたため、最終的にはそこが中心となって主催や協賛企業への打診がおこなわれ、いまのかたちになった。
「理系文学」というコンセプトを最初に打ち出したのはその某社であるが、私はすぐにこれに全面的な賛成をし、多くのアイデアを出して協力を続けた。日経「星新一賞」は新しい「理系文学」を目指す賞である。よって最終選考委員も全て理系出身者にすると、ごく初期の段階で合意がなされた。ただし公立はこだて未来大学に協力を正式に求める際、日経という一企業の主催事業に公的機関が協力するかたちを取るのは難しい、だから星新一賞実行委員会を内部でつくってもらい、しかも最終決定権は星ライブラリと瀬名秀明にあるという内々の決めごとをした上で、実行委員会を通すかたちで協力したい、という申し出があった。私たちはそれに応え、星新一賞実行委員会をつくり、私も一時はそのメンバーであった。
しかし星ライブラリサイドと私の考え方の相違は、そのころから顕著になった。星ライブラリサイドはやはりSFコミュニティの抱える一側面、すなわち仲間内やお友だち関係で組織を固めて安心したい、というお気持ちが強かったように思う。日経「星新一賞」はあくまでも全国区(あるいは世界からの応募さえ視野に入れていた)の賞であるが、星ライブラリサイドの求める賞の性格はやはり星新一の亜流作品であり、イベントについても知己の団体に頼みがちであった。星ライブラリは私が会長だった時代から「友だち」として私を捉えることが多くなり、ビジネスと友人関係を混同することが多くなっていったように思う。それが私には問題であると感じられた。率直にいえば、私は友だち感覚とビジネスを混同するSFコミュニティのあり方が大嫌いなのだ。『星新一すこしふしぎ傑作選』の編纂作業は、私や集英社にとって苦労の多いものとなった。
今回、私に代わって新井素子さんが最終選考委員に就いたという。新井さんに悪いところは何もない。実行委員会からの要請を断るのは難しい立場だっただろう。
しかし星新一賞実行委員会は、この賞が理系文学の賞であり最終選考委員もすべて理系とする、という重大なコンセプトを曲げてでも、文系出身の新井さんを選んだのである。このようにSFコミュニティの一部は、友人関係でメンバーを登用するあまり当初のコンセプトやヴィジョンを台無しにしてしまうことが多い。今回の場合、実行委員会のことはすべて最終的に星ライブラリが決めているはずであるから、星ライブラリの決断ということになる。だが日本にはいまも理系文学を開拓しつつある優れた作家がたくさんいる。たとえ狭義のSFコミュニティから外れても、星新一ゆかりの人でなくとも、そうした理系文学の作家たちに声かけをすることはできなかったのかと、遺憾に思う。
ところで牧慎司さんがご自身のTwitterで瀬名の星新一賞選考委員辞任について「くわしい事情はわからないけど」とお書きになっているが(2013/12/27 16:13:14 JST)、もしこれが本当なら、実行委員会は3次予選の選考者に詳しい説明をしていないわけで、これもまた問題があると思う。
1月11日に東浩紀さんと大森望さんでトークイベントをおこなう予定となった。私にとっては久しぶりのSF関係のイベントだ。しかしここで上述したようなことを話して、SFコミュニティの問題を語り合うようなことはなるべくしたくない。だから事前にこのようなかたちで個人的な文章を書いてみた。気が向けばもう少し続けるかもしれないが、本日はこれまで。
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