どうだろう、SFファンの皆さまは、この1年を──正確にいうならジュンク堂書店池袋本店でのSFフェアオープニングイベントがあった2012年10月6日からの14ヵ月を──充実したものとして感じていただけただろうか?
この1年で日本SF作家クラブはたくさんのことをやった。書店のSFフェア、プラネタリウム番組の製作協力、宝塚手塚治虫記念館や明治大学を始めとする各種の展示会、アンソロジー企画、雑誌特集への参加、国際SFシンポジウム、ロゴマークの作成やTシャツの販売……この一年でSF作家クラブは多数の他流試合もおこなった。小説現代や小説新潮といった雑誌でのSF特集は、一流の直木賞作家らと肩を並べて雑誌を彩る体験を若手作家にもたらした。書店フェアのように予想以上の反響があったものもあれば、国際SFシンポジウムの一部のように人が集まらなくて閑散としたものもあったと聞く。私は残念ながら、会長職を辞したことと、後で述べる理由によって、そうしたイベントに自ら足を運び、きちんと成果を見届けることはできなかった。しかし私自身はそれぞれの企画を最適のクラブ員に任せることができたと思っているし、それぞれの責任者は嬉しいことに最後まで見事にやり遂げてくださったと思う。そうした責任者のごく一部にいわゆる「お友だち感覚」で事を運ぼうとする兆候が見られたときにはしっかりと注意し、そのことでその責任者と私の間に強い確執が生まれることもあったが、私はそうした人々のプライドさえも重視し、自ら会長職を退くことで彼らに物事をやり遂げる自由とプライドを与えたつもりである。
そして、こうしたすべての結果を受け容れたうえで、この1年でSF作家クラブは、自身が掲げる「未来を想像し、未来を創る」のテーマの通りに、己自身の未来を創る最初の一歩を踏み出せたのだと私は考える。そしてこれが東野会長、北原事務局長のもとでさらに次の一歩、二歩が刻まれてゆくことを私は望んでいる。
そして大切なのはSFファンである皆さまのお気持ちだ。皆さまは楽しんでいただけただろうか?
私はこの1年を次のように総括する。すなわちこの2013年は、いままで見て見ぬ振りをしてずっと溜め込んできた日本SF作家クラブの膿がついにどうしようもないほど広がり、溢れて、抜本的な意識改革が為されない限りクラブ自体が近いうちに沈没することが明らかになり、ついに次の50年に向けて動き出した年だったのだと。その改革のためには多少の犠牲もやむを得ないことで、私が会長を辞めることは日本SF界における一種の宿命だったと思う。私は2012年の3月、すなわち大森さんの入会推薦がだめになった前後に「きみに読む物語」というSF短編を書いている。この時すでに私は会長を辞任し、クラブを退会することを決意していた。あとは時期の問題だけだった。
そして SFファンの皆さまにとっても、この1年はある意味で、辛い思いをさせることになったはずだ。日本SF作家クラブがもう沈没するかもしれないという事実を、はっきりと皆さまにも分かっていただく必要があり、SFファンダムそのものにもある種の意識改変を求めなければならなかったからである。SF業界は何か問題が起こったとき、極力その真相を隠して黙り込み、内に閉じこもって、嵐が過ぎ去るのを待とうとする。決して差別的な意味で使うのではないが、それは「SF」の精神性というより、お友だち感覚による「おたく」の精神性に因るところが大きいと私は感じる。だから私も自分のいいたいことはなかなか公表できなかった。
昨日のエントリーで、日本SF作家クラブにはふしぎな「不文律」があり、入会に際して「一冊以上の単著があること」もそのひとつだと述べた。しかしよく調べれば、この「不文律」に当て嵌まらないのに入会している方々を見つけることもできるだろう。イラストレーターや声優さんなどはどのように判断すればよいのだろうか。
なんのことはない、日本SF作家クラブはこうしたとき「親睦団体」という大義名分を掲げ、自分たちの好きな人は入れ、そうでない人は弾く。「会則」や「不文律」は、そうしたときクラブにとって都合のいいように利用される、その場限りのいいわけに過ぎない。嫌いな人を弾くときには「会則」や「不文律」を持ち出し、好きな人を入れるときにはそれらを無視するだけのことだ。規則よりも「その場でみんながなかよくすること」という刹那性の方が重視されるに過ぎないのである。
これは「SF」の精神だろうか、というのが私にとって以前からの疑問だった。そして数年前から私は思うようになった。SFコミュニティは昔から「SFの精神性」と「おたくの精神性」を区別せず(あるいは区別できず)、その場に応じて都合よくそれらを使い分けたり同一視したりしてきたのかもしれない。その矛盾が50年経って、そろそろ限界に達しつつあるのではないか、ということだ。もっというなら、いままで「SF」と思われていた作品の一部は「SF小説」ではなく「おたく小説」なのかもしれない。「日本SF作家クラブ」の実態は、いつからか「日本おたく作家クラブ」になっていたのかもしれない。プロもファンもそれらをずっと混同してきたことが、多くの問題の原因だったのではないだろうか。
もし日本SF作家クラブを本当に「親睦団体」にしたいなら、自前で運営さえできなかった日本SF大賞や、応募者がすっかり減ってしまった日本SF評論賞はすぐさまやめて、外部との接触も断ち、内輪だけで楽しめる会に変えるべきだ。時折パーティをして、温泉旅行をして、親睦を深める、それだけの会にすればよい。
だが一方で、SFに何らかのかたちで関わるプロの方々にとって、いまなお「日本SF作家クラブ」という団体はどこかで憧れの対象であり、「日本SF大賞」は輝かしいものではないだろうか? 出版業界全体で見れば日本SF作家クラブや日本SF大賞など聞いたこともないマイナーなものかもしれないが、SFを創っている人ならば、一度は「日本SF大賞」を獲ってみたいと、本音では思っている人はいまもたくさんいるはずだ。そうした人たちの気持ちを日本SF作家クラブは今後も受け止める必要もあるのではないか? そのためにはまず日本SF作家クラブが組織としてしっかりしなければならない。こうした世間の「SFの精神」を、日本SF作家クラブはきちんと受け止め、発展させることができているだろうか?
本当はこの辺りのことを詳しく論じようと思っていたが、すこし疲れたので簡単に書くに留める。そして最初の問いに戻りたい。SFファンの皆さまは、この1年を楽しんでくださっただろうか? そして自分たちが変わり、次の未来に向けて一歩踏み出す勇気や想像力を、私たちと共有していただけただろうか? 私はすでに会長職を辞したので現在の詳しいデータはわからないが、少なくとも私が企画に携わった50周年記念プロジェクト関連のアンソロジーや雑誌特集は、どれも日本SFの歴史から見れば画期的なものだったと思うが、さほど反響もなく、売れ行きも決してよいものとはいえなかったように思う。『日本SF短篇50』の第1巻は増刷されたが、それ以降の増刷の話は聞かない。
本当はこのような企画ではなく、もっとお友だち感覚の、内輪の企画をたくさんやった方がよかったのかもしれない。その方が多くのSFファンも安心して楽しんでいただけたのではないかと、いまでも思うことがある。私も最近はアイドル業界用語がすこし分かるようになってきたので引用するが、アイドルのイベントに足繁く通うファンのことを「おまいつ」という。「おまえいつもいるな」の略だそうだ。もちろんアイドルの売り上げはこうした熱心な「おまいつ」の皆さんの大量購入によって支えられており、いつもよい席が用意されている。だが一方でそうした人々がいることが、新規のファンを怯えさせることにもなる。SFのイベントでも業界の方々や「おまいつ」の方々がたくさんいらっしゃる。だがここから先のことを仕掛けていかないと、SFはいつまでも仲間内へのサービスで終わってしまう。SFのイベントではその後に会場の参加者と登壇者がいっしょに飲み会をすることが多い。むしろそうした飲み会の方がイベントのメインである。オンとオフの感覚が通常の社会常識とは逆なのである。これでいいのだろうか。そうしたジレンマを、私は会長職のときにいつも抱え、悩んでいた。私が外部の企業や団体にいくら働きかけ、SFを拡げようとしても、結局は「お友だち感覚」や「親睦」が勝利するのではないか。改革と親睦は決して二項対立するものではなく、両者をともに充実させることはできるはずだが、うまい方策が私には見つけられなかった。
この2013年が、皆さまにとって多くの意味で実り多い1年であったことを願う。そしてそれが実現されているのなら、それは現会長の東野司さんと現事務局長の北原尚彦さんの不断の努力のおかげである。任期半ばにして会長職を辞任し、同時に退会せざるを得なかったことについて、改めて私は皆さまにここでお詫びを申し上げるとともに、東野さんと北原さんをはじめとする日本SF作家クラブの皆さまに御礼と感謝を申し上げる。
私自身は会長職辞任後、中編「ミシェル」を書き上げたころから体調を崩し、ほとんど原稿が書けなくなってしまった。環境の変化と、日経「星新一賞」に関する諸問題での疲弊が、心身に出たのだろう。約束していた岩崎書店の「21世紀空想科学小説」も結局書けず、辞退することになってしまった。今年は予定の半分も原稿が書けなかった。
仲間は必要ない。少しずつ自分を取り戻していきたいといまは考えている。次の長編小説は1997年の『BRAIN VALLEY』以来、17年ぶりのバイオサスペンスとなる予定だ。それに取り組みながら、作家としての瀬名秀明を取り戻してゆきたい。
どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。
【2013.12.31追記】
朝起きてみたら、前事務局長・増田まもる氏と日本SF作家クラブ公式のTwitterが、私を批判している内容のツイート(akapon氏という方)をリツイートしているのを見つけて、大笑いさせていただきました。一昨日、現会長の東野司さんから、来年2月1日の祝賀会の出席を打診されたばかりでした。たくさんの会員が瀬名に感謝の気持ちを伝えたいと思っているからぜひ出席を、というお話でした。残念ながら当日は別件があって出席できないので皆さまによろしくと返信したところ、それならせめて協賛各社の方々へメッセージを、とのお話もありました。
でも日本SF作家クラブの一部の本心がわかったので、やめることにしますよ。もっと私を嫌って、今後も団結して下さい。
あとakaponさんは新井素子さんのファンの方らしいので、私の文章の中に新井さんに対する発言があったことにわだかまりを感じていらっしゃるのかもしれません。いままで日本SFコミュニティでは新井さんは聖域のような方でしたから。
でも私は「変革への高い志」はあったけど、日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトと、クラブの改革については、別に実現できなかったとは思っていません。自分は退会はしたけれど、それは実現への道筋だったと本心で考えていますよ。それに都合の悪いことを黙っているより、50周年の最後に際して、しっかり物事を記録しておくのは大切なことだと思います。それから父のことは別に批判していません。世界についての違和感を表明し続けている、というのはよいご指摘で、一部の作品群ではまさにそれがテーマであるとは思います。
朝から爆笑できて、よい年末でした。ありがとう。
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