沖縄:28日「屈辱の日」 奪われた土地、金網の向こう

毎日新聞 2014年04月27日 09時14分(最終更新 04月27日 10時43分)

強制接収された土地を前に「自分が生きているうちに返ってくるのか」と語る伊波さん=沖縄県北谷町のキャンプ瑞慶覧前で2014年4月24日午後0時49分、佐藤敬一撮影
強制接収された土地を前に「自分が生きているうちに返ってくるのか」と語る伊波さん=沖縄県北谷町のキャンプ瑞慶覧前で2014年4月24日午後0時49分、佐藤敬一撮影

 沖縄が日本から切り離され、米国統治が合法化された1952年のサンフランシスコ講和条約発効から28日で62年になる。本土が主権を回復し、経済成長を遂げる中、米国支配下の沖縄では土地が奪われ、基地が拡張された。沖縄本島の18.3%は米軍基地だ。そして今、県民の多くが反対する米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を、政府は推し進めている。「4月28日」を「屈辱の日」と受け止める県民は言う。「沖縄にはいまだに主権がない」【佐藤敬一】

 「新たな基地建設に反対しても沖縄の声は全く政府に届かない。米軍関係の事件事故が毎日のように起こるのに、不平等な日米地位協定で基地に逃げ込んだ米兵は逮捕されない。沖縄に主権はあるのか」。沖縄本島中部、米空軍嘉手納基地から約250メートルの北谷(ちゃたん)町上勢頭(かみせいど)に暮らす伊波興信(こうしん)さん(70)は憤る。

 今年も巡ってくる「4・28」を前に、伊波さんに「銃剣とブルドーザー」の記憶が蘇(よみがえ)る。米国統治下の55年7月、小学6年だった伊波さんは父興亀(こうき)さん(故人)と農地の小屋に泊まり込んだ。基地建設に向けた米軍による土地の強制接収を警戒していたのだ。

 米兵が小屋に押し入ったのは翌日の明け方。寝ていた伊波さんらは銃剣を突きつけられ、追い出された。鉄条網が張り巡らされ、目の前でブルドーザーが約3000坪の田畑を押しつぶした。「やめれー、やめれー」。伊波さんはそう叫ぶしかなかった。

 興亀さんが戦前にサイパンに渡り、懸命に働いてためた金で手に入れた田畑。「あきさみよー」。興亀さんが悲しい時や驚いた時に出てくる沖縄の言葉を泣き叫んだ光景が忘れられない。「なんで人のものを勝手に奪っていくのか、沖縄は自分たちの島ではないのかと悔しかった」

 伊波さんはその後、中学教諭となり、10年前に退職してからは市民団体の共同代表として米軍輸送機オスプレイの配備反対などの活動に取り組んでいる。父の仕事を手伝い、川で魚を捕るなどして遊んだ土地は今「キャンプ瑞慶覧(ずけらん)」となって金網の向こうにある。

 政府は昨年4月28日に「主権回復の日」の式典を開催したが、沖縄では抗議集会に約1万人(主催者発表)が集まった。伊波さんも会場で拳を突き上げた一人だ。

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