富岡製糸場:女子工員育てた「模範工場」
毎日新聞 2014年04月26日 21時29分(最終更新 04月26日 22時43分)
富岡製糸場の操業開始時、女子工員の労働時間は1日8時間に満たなかった。産業近代化の模範としての官営工場で、利益最優先ではなかったためだ。富岡製糸場総合研究センターの今井幹夫所長は「過酷な労働であったのは間違いないが、休日制度や福利厚生は整備されていた」と指摘する。
製糸場では、女子工員たちが寄宿生活を送りながら、フランス人指導者の下で働いていた。能力別の月給制度や細かい就業規則などがある「模範工場」で、女子工員たちは製糸場で身につけた技術を地元に持ち帰ったと言われている。
その後、各地に民間経営による製糸場や紡績工場ができた。筆舌に尽くしがたい重労働を課す工場も多く、厳しい実態は細井和喜蔵のルポ「女工哀史」(1925年)や、山本茂実のノンフィクション「あゝ野麦峠」(68年)で克明に描かれている。【塩田彩】