以下の記事を読みました。これを「矛盾」と呼ぶかどうかは別にして人間の主張が変わるというのはごく自然ことです。もちろん意見がコロコロ変わるとその人は信用されないし,場合によってはうそつきと責められることもあります。しかし,一方でかたくなに自分の主張に固執すると「柔軟性がない」「間違いを認めない」と責められるわけです。
人間が変わることなんて当たり前なんだから過去の自分と矛盾したっていい - HYLEにっき
また不思議なことに「あなたの意見は間違っている」という主張を相手が認めると,「よく分かってくれた」と共感を示すのではなく,「だから言っただろ!!」とか「俺が正しかったのがやっとわかったのかwww」みたいな罵詈雑言が浴びせられ,自分の意見を変えた側がとても悲惨な状況になることがあるんです。
これは相手を説得するとか相手に理解してもらうということが目的ではなく,相手を非難することが第一の目的になっているからでしょう。そういうのを周りで見ている人は「意見は変えない方が良い」となって,その意見への賛同者は増えないということもあります。その原因は誰にあるのか明らかですが,原因を自分に求めようとせず相手に求める。これがずっと続いていく…。そんな状況をよく見ました。
そういうことは置いておいて,私自身も自分の過去の主張を振り返り,過去と意見が変わったものを上げてみます。かなりの転向です。決して非難しないでください(笑)。
数学の先生になる⇒文系の研究者
高校時代,数学が好きだったので数学の先生になろうと理系の大学に行ったんですけど,数学難しいんですよね。それであえなく挫折。それで暇だったのでいろいろ本を読んだら,国際政治や政治学の本がとても面白かったんですね。丸山真男やウォルフレンを読んでおりました。
結婚しない⇒結婚した
結婚するまで「自分は結婚しない,このまま独身で研究生活まっしぐらだ」と思っていました。でも人間って一人でいると寂しいんですよ。自分の両親と一緒にいても良い気持ちにはなれないのですが,新しく家族を作るというのは良いもだと今は思っています。
実際に結婚していろいろとおもしろい事もありますし,一人でいた世界とは全く違う世界を体験しています。ただ結婚当初は同棲の延長みたいな感覚でしたし,子供を作らず共働きであれば自分がそんなに稼がなくても良いだろうという安易な考えもありました。
子供いらない⇒子供を持った
そんな感じではあったのですが,なんとかなく子供がいても良いかなと思うようになったんです。倦怠期とかではなく,なんか新しいステージに行こうかと。そもそも子供が欲しくないと思ったのは,自分と同じような人間と付き合えないと思っていたからです(息子は妻に似ているのでラッキー)。しかし,二人の子供で二人で育てた子供なら全然違う人間になるのではないか,そんな考えから子供を持つことになりました。
仕事しない⇒会社作って仕事している
結婚もし,子供も持つと金が必要です。金は必要なだけあればよいと考えていたので,そんなに働く気はなかったのですが,必要な金が増える増える(笑)。会社作って働くことにしました。まだそんなに稼げているわけではありませんが,よく仕事しているなと思うことがあります(実は妻のお母さんには妻の言い値で稼ぐと宣言しているので,その約束を守っているわけです)。
座って小便はしない⇒しっかり座って小便をしている
男は立って小便しないと行かんでしょと思ってましたよ。でも立って小便すると床がかなり汚れるんです。誰が掃除するんだという話になって,あえなく座ることになりました。しかし年齢を重ねてくるとこれはとても楽です。ぜひ皆さんにもお勧めします(笑)。
みなさん,絶対に私を非難しないでください。人間の主張は変わるのが自然なんです!!