僕らの音楽 2014.04.25

(草)作詞家秋元康さん。
テレビやラジオ番組の放送作家などを務めながら数々のヒット曲を世に送り出した希代の作詞家です。
常識にとらわれない自由な発想と遊び心で時代を彩る名曲たちを多数生み出してきました
今夜はそんな秋元康さんが作詞を手掛けた楽曲たちを特集します

(加藤)今夜は「僕らの秋元康」と題して秋元さんが手掛けた名曲の数々を特集いたします。
皆さんよろしくお願いします。
(秋元)おかしいでしょ!?そこに座ってるの。
(秋元)すごいおかしいでしょ。
しかもさ…。
(工藤)「ベース持たなきゃ落ち着かない」って言うから。
秋元さんはおニャン子クラブとか「AKB48」っていうイメージがありますけれども実は皆さんの中で最初に秋元さんの楽曲を歌われたのが稲垣潤一さんなんですよね。
(稲垣)僕82年デビューで彼の…。
そうですね。
(稲垣)ほぼ一緒なんですよ。
ALFEEのB面が最初なんですよって言ってるんですけど本当はアニメの『タコローダンシング』っていう。
それは言ってないんですか?
(秋元)言うと「『タコローダンシング』かよ」って言われるんで。
一応ALFEEのB面っていうところから始まって最大のヒット曲は稲垣さんの…。
(稲垣)『ドラマティック・レイン』そのころはデビューしてすぐというか新人の作詞家さんってことですよね。
『ドラマティック・レイン』というのは最初いろんな作詞家さんにお願いをしてたんですがいいのができてこなくて。
(稲垣)それで「秋元君という作詞家がいるんだけどどうだろうね?」ってお話を頂いたんですよ。
(稲垣)じゃやってみましょうかということで出来上がったのが『ドラマティック・レイン』で。
僕の周りのスタッフなんかは…。
スタジオでみんな言ってて。
(稲垣)そのころは手書きの詞をスタジオに持ってきてレコーディングしながら詞を直してレコーディング進めてたっていう。
今じゃ考えられないよね。
(秋元)昔はそうでしたね。
(秋元)稲垣さんぐらいのころから音楽っていうのがメロディーが先になったんですよね。
作曲家の方がデモテープを作ってそれに合わせて僕が詞を書くんですよ。
(秋元)だけど後藤次利さんはそれに…。
(秋元)これが邪魔なんですよ!普通みんな作曲家の先生は「ラララ」とかあるいはシンセサイザーでメロディーだけ入れてくれて。
そうするとそのメロディーで色々思い浮かぶじゃん。
ゴッキーは…例えばさ『ガラガラヘビがやってくる』のときも…。
(工藤)ひどい!ひどーい!
(秋元)ひどくない!?
(工藤)自分の声?
(秋元)自分の声で。
・「タコスはメーキシコ」とか歌ってるんですよ。
(後藤)発言していいですか。
それは作曲家から言いますと8分音符が「タタタタ」ってあるじゃないですか。
あれが「シナガワ」じゃ駄目なときがあるんです。
「シンジュク」じゃなきゃ。
そういう表現をしたいがために…でもたぶん邪魔でしょうね。
すごい邪魔!だってさそれを当時はヘッドホンステレオっていうので聴きながら書いてるわけ。
書いてるんだけどずっと…。
(秋元)ぐるぐる回ってるわけ。
(秋元)そういうのばっかりゴッキーが作るんでそれは大変でしたね。
そして菊池桃子さんにもお話伺っていきますが。
1984年にデビューされて『青春のいじわる』を秋元さんが作詞されて。
そこから5作品連続ですよね。
(菊池)アルバムの曲もたくさん書いていただきまして。
初めて私がお会いしたのはまだ…。
(菊池)当時秋元さん28歳とかそれぐらいでお会いしたんです。
秋元先生って言ったら「『先生』って呼ばないで」っておっしゃってて。
(菊池)20代だったら「先生」は嫌ですね。
(秋元)菊池桃子さんと僕は…。
(秋元)グアムまで行ってダイビングしたの。
海に潜って。
その当時はどういうイメージで書いていたとかってありますか?やっぱりねホントにかわいかったんですよ。
今もカワイイですよ。
まず思ったのが彼女が「意地悪」っていうような言葉を言ったらカワイイなと。
だいたい詞を書くときにこの人がどんな言葉を言ったらいいんだろう?っていうことを考えるんですね。
(秋元)桃子さんの場合は「意地悪」ってのがいいかなと。
へぇ〜!知らなかった。
まゆゆが『夕陽のいじわる』でしたっけ?
(渡辺)私のソロ曲で秋元さんが『夕陽のいじわる』という曲を。
やっぱアイドルつながりだからね。
(秋元)まゆゆは久々の…。
(秋元)AKBっていろんなね…変化球が多いんですけども。
その変化球の中でもストレートなので。
(秋元)あれだよな。
峯岸にもソロ曲書いたよね。
(秋元)君は何だっけ?
(峯岸)私も「意地悪」って言いたかったですよね。
『尺が欲しい』…。
いいタイトルでしょ!?『尺が欲しい』っていう。
(峯岸)びっくりしましたね。
そして『夜のヒットスタジオ』に菊池桃子さんが出演したときのVTRがございますのでそちらをご覧いただきたいと思うんですが。
この『卒業』が秋元さんにとって最初のオリコンシングルチャート1位の楽曲なんですよね。
そちらご覧いただきましょう。
いい歌だよねあの歌ね。
照れくさいですね。
(菊池)あの年は「卒業」という曲が何曲かあったんですよね。
尾崎豊さんの『卒業』と斉藤由貴ちゃんの『卒業』と。
あれ偶然ですよね。
そして1985年フジテレビで『夕やけニャンニャン』が始まりますがその『夕やけニャンニャン』からおニャン子クラブ誕生しました。
そのオーディション受けられたのが工藤静香さん。
どうですか?秋元さんが書かれる詞っていうのはすごくインパクトがあるものじゃなかったですか?
(工藤)おニャン子クラブの詞は…。
(工藤)秋元さんが。
冗談で書いてると思ってたんです私は。
(工藤)『かたつむりサンバ』とか。
何だ!?って思ってたので。
(工藤)『およしになってねTEACHER』とか。
(工藤)ふざけてると思ったんです。
(秋元)ふざけてたんじゃないかな。
(工藤)でもソロの歌はいい詞を書いていて。
大人っぽいし憧れるような詞だったんですよ。
(工藤)私ソロデビューするときにどんな詞がくるのかすごくドキドキしてたの。
『禁断のテレパシー』とかね。
(工藤)そうです。
『禁断のテレパシー』今日いらっしゃらないメンバーにも「秋元さんのおちゃめな素顔を教えてください」とアンケートを取りました。
倉持明日香さんからこんな答えが返ってきたんです。
「分度器」っていうのはどういうことなんでしょうか?意味はないんですけど分度器っていうのは言葉的にセクシーな感じしないですか?分度器とか…。
「二股ソケット」!?
(秋元)ていうことだと思います。
峯岸さんセクシーに聞こえる言葉って何ですか?どうですか?「ちくわ」は…。
やっぱりちゃんと…。
今の使うと思うよ。
はらはらするんですよ。
峯岸頑張れ!お前ここ問われてるぞっていうとこでちゃんと「ちくわ」が出るっていうところが偉いでしょ。
(峯岸)すごい分析されてるんでめっちゃ緊張します。
せっかく秋元さんがいますから皆さん質問したいことをしていただきたいと思いますが水樹さん。
(水樹)私も作詞をさせていただいたりしてるんですけれど。
(水樹)本編を書くよりもタイトルを決める方にすごく時間がかかってしまって。
秋元さんの書かれる詞はタイトルがすごく個性的でインパクトのあるものが多いんですが。
先にタイトルを決めてから詞を書かれるのかそれとも詞を書いてからタイトルを最後に付けるのかいつもどちらなんだろうな?と思って。
そこを聞いてみたくて。
だいたいタイトルって最後になるんですよね。
(秋元)今までたぶん5,000曲近く詞書いてるんですけどその中の1曲だけタイトルが先にできてるのがあって。
それが…。
(秋元)『川の流れのように』だけはいまだに分かんないですけども原稿用紙があってまず1行目に『川の流れのように』って書いたんですよ。
(秋元)あれだけはなぜタイトルから先に書いたのかは分かんないですけどね。
でもあとは書いてからですかね。
『川の流れのように』っていう曲は水樹さんにとっても特別な…。
美空ひばりさん大好きで。
子供のころからひばりさんの歌を聴いて育ってきたので今のお話聞いてちょっと鳥肌が立ちました。
2014/04/25(金) 23:30〜23:58
関西テレビ1
僕らの音楽[字]

秋元康特集「禁断のテレパシー」工藤静香×AKB初トーク!菊池桃子・稲垣潤一・後藤次利・水樹奈々が美空ひばり「川の流れのように」SMAP草