カンブリア宮殿【ヒット連発、サントリー!「やってみなはれ経営」の裏側】 2014.04.24

昼下がりの東京銀座。
表通りから少し入ったところに一軒の和食の店がある。
中に入ってみると満席だ。
ここはミシュランの星を7年連続で獲得している知る人ぞ知る名店
名物の焼きゴマ豆腐は中がぷるっぷる。
お椀は…今が旬のあさりのしんじょう。
焼き物はサクラマス。
こだわり抜いた旬の味を最大限に引き出して楽しませてくれる。
そんな料理とあわせて評判なのがこの生ビール。
皆さんおいしそうに飲んでいる
一流の料理人が絶賛するこのビールとは…
一方こちらは仕事帰りのビジネスマンでにぎわう洋風居酒屋。
ここでも同じ生ビールが大評判だ
(一同)乾杯!
よく見ると…。
ザ・プレミアム・モルツ!サントリーの高級ビールだ
このビールを扱う店は全国にすでに5万店。
急速に扱い店舗が増えている
これが今大人気のプレミアム・モルツ。
金色と青の高級感のあるデザインが特徴だ
原料は麦芽とホップと水だけ。
他のビールは味を調えるためこれ以外の原料を使うこともあるがこれは混じりっけなしビールの原点に戻った。
その原料にもこだわりが!通常の麦芽にヨーロッパの希少な品種ダイヤモンド麦芽を加える。
タンパク質が多いのでうまみが増す。
ホップもチェコとドイツの限られた地域でしか採れない香りの強いものを使っている。
そして水は天然水100%。
スーパーの店頭で見てみると…。
値段は普通のビールより高いがものすごい勢いで売れている
ビール市場全体は落ち込んでいるのにプレミアム・モルツの販売量は10年連続で過去最高。
高級なビールに限ればシェアは実に6割
そんなプレミアム・モルツを軌道にのせた立役者がこの男
うまい!
ここはサントリー最大のビール工場。
この春生産能力を2割も引き上げた
プレミアム・モルツの好調で
サントリーは100年以上にわたって日本の洋酒文化をリードしてきた
創業は1899年。
鳥井信治郎が日本人の手で洋酒を造って広めようと会社を興した。
最初のヒットが赤玉ポートワイン。
ワインに慣れていない日本人向けに甘い味に仕立てた。
大正時代になると信治郎は無謀ともいえる挑戦に乗り出す。
国産ウイスキーの製造だ。
貯蔵された膨大な樽は戦火をまぬがれ戦後花開く。
それが終戦の翌年発売された
サントリーウイスキーの黄金時代を迎える
またケンカした。
今度は私が悪かったと思う…。
待ちわびてやっとかかった電話に向かって…。
あら生きてたの?あ〜ぁ…また。
そんな絶頂期創業者の信治郎と次男で後の2代目社長佐治敬三はウイスキー一辺倒からの脱皮の道を模索していた
1960年のある日。
敬三は静養中の父にあたためていたある構想を打ち明けた
信治郎は考え込んだ。
ビール市場はすでに大手が握っていて苦戦は目に見えている。
しばらくして信治郎はたったひと言こう言った
やってみなはれ。
このひと言から実に半世紀に及ぶサントリー苦闘の歴史が始まったのだ
しかし当初まったくと言っていいほど売れなかった。
売れない時代のビールとともに歩んできたのが
入社したのはビール参入2年目の64年。
飛び込みで営業をかけてもろくに相手にしてもらえなかったという
例えばウイスキーの営業マンが酒屋さんに行くと…
と歓迎されたがビールの担当者が行くと…
と追い返されたという。
ビール市場はキリンやアサヒなど既存の大手3社が握っていて新参者のサントリーに入り込む隙はない。
シェアはなんと1%台。
当然事業は赤字だった
生産現場も必死にもがいていた。
ここは50年前からあるサントリー最初のビール工場
1967年には高温で熱処理をしない生ビールを業界に先駆けて発売。
86年には麦100%をうたったモルツで濃厚なコクを打ち出したが赤字は続いた。
20年以上ビールの生産に携わり醸造技師のトップまで務めた猪澤も唇を噛みしめる日々が続いた
営業や生産の現場が踏ん張るなか歴代オーナーたちも陣頭に立ち続ける。
ビールを絶対に諦めないという強い姿勢を示し社員を引っ張った。
だが3代目鳥井信一郎の時代も…。
4代目佐治信忠の代になってもビール部門の赤字は続いた。
ライバルに勝つにはこれまでにない突き抜けたビールを造るしかない。
現場は知恵を絞った。
これはビール造りの最初の段階。
麦芽にお湯を加えて造る麦汁だ。
ここでひと手間加えてみた。
まず麦汁の一部を隣のタンクに移し替える。
これを数分間沸騰させるとコクとうまみが出る。
それをまた元のタンクに戻すのだ
手間と時間がかかるので一般的なビールでは1回やるかやらないかだがこれをあえて2回やることでコクとうまみを強くした
更に香りをつけるホップの投入。
2回にわけると香りが増すがそのタイミングが難しかった
その味に世界が注目した。
世界的な品評会モンドセレクションで3年連続最高の賞を受賞。
これで人気に火がついた。
味だけではない。
ハレの日や週末にじっくり味わって飲むという新しい飲み方の提案で今までとは違う市場を開拓したのだ
プレミアム・モルツのヒットで
そして2008年ついに黒字化を果たす。
ビール参入以来46年目に迎えた春だった
途方もない逆境を乗り越えたサントリー。
グループの売り上げは2兆円。
従業員は3万人。
今夜はその巨大企業の全貌が明らかに
プレミアム・モルツで悲願の黒字化達成を果たすわけですけども…。
45年間ビールがなかなか売れない時代があったとありましたけど…。
相場さんご自身のご苦労したエピソードってその当時ありますか?苦労というより悔しい思いを相当してますね。
お客さんに勧めても…。
ずいぶんはっきり言うお客さん…。
ホントにこんなおいしいビール…。
売れない時代というのは社内での風当たりみたいなのが強かったんですか?プレミアム・モルツが今ブームみたいになってますけどお酒っていうのは基本的に以前は集団というか会社だったり町内会とかが共同体の中で親交を深めるような酔えばいいみたいなお酒の時代が続いたと思うんですね。
でもだんだん成熟社会になってくると個の時代というか個人的あるいは1人だったりカップルだったり気のおけない仲間だったりするとおいしい酒をじっくり飲もうというような日本の社会の成熟が深まったと思うんですよ。
それに僕ぴったりだったと思うんですよね。
サントリーは120年近くにわたって創業家が代々社長を継ぐオーナー企業だ。
創業者の鳥井信治郎は日本初のウイスキーを製造。
2代目佐治敬三はビールへの参入を果たす。
3代目鳥井信一郎は清涼飲料事業を軌道に乗せた。
現在の4代目佐治信忠は経営の近代化のためホールディングス制に移行。
グローバル展開を進めている。
ホールディングスのもと多岐にわたる事業を展開しているがこの巨大企業のバックボーンが創業者から綿々と続くやってみなはれの精神だ
この番組見て「ああそうか」と思って勘違いする経営者とか業者の人がいるかもしれないですけど問題なのはやってみなはれというのはレスポンスの言葉で要するに誰かが提案してこないかぎりやってみなはれって言えないですよね。
言いたくても。
提案するほうもほとんどなんて言うの。
自分が先頭と中心になってもう必死の覚悟でやりますっていうような思いでいかないとたぶんやってみなはれって言ってくれないですよね?
東京蒲田のとある居酒屋でちょっとした異変が起きているという
なんとお客の大半が女性のグループ
ボトルの酒をグラスに注いでそのままグビッと。
そんな彼女たちのボトルよく見るとどれも同じ。
「ふんわり鏡月」と書いてある。
焼酎にフルーツの味をつけたもの。
アルコール度数は普通の焼酎の半分。
割らずに飲める手軽さも人気の秘密
女性客の間にこんな現象も起きている
かつては呑んべえのお父さんの専売特許だったボトルキープだ
女性のボトルが棚を席巻
女性に新しい酒の楽しみ方を提案したふんわり鏡月。
サントリーは昔からこれまでにない新しいものを打ち出してきた
サントリーが社会に与えたインパクトを村上龍はこう解釈した
例えば81年に発売した
肥満への意識が高まるとともに浸透した。
発泡酒を最初に作ったのもサントリー。
100円台という圧倒的な安さはバブル崩壊後の節約志向の高まった消費者をとらえた。
最近ではハイボールの復活。
大きな専用ジョッキでビール感覚で飲むスタイルを仕掛けるとこれが大当たり
だが実はこうしたヒット連発の裏には大きなピンチがあった
売り上げの大半を稼いでいたウイスキーの市場が1983年をピークに急降下。
25年間でなんと5分の1に。
なかでも絶対的な人気を誇っていたオールドは円高で安い輸入品が出回ると売り上げが激減。
俗に言うオールドショックだ。
こんなピンチをバネにサントリーは次々とヒット商品を生み出す。
その力はどこから生まれるのか?
今若い世代に評判の飲み物がこれ
(2人)オランジーナ。
オレンジの果汁が入ったフランス生まれの炭酸飲料だ
これがおととしの発売以来年間900万ケースという異例のヒットを飛ばしている。
その裏には若手社員の活躍が。
彼女はある場所に目をつけヒットを飛ばす
サントリーのヒットを生み出す力。
それはやってみなはれの精神で若手にも任せることだ。
入社6年目の久米。
商品企画をしたいと志願したら3年目からオランジーナのブランドマネージャーを任された。
ブランドマネージャーともなれば
あらゆる面で先頭に立たなければならない
久米が販売戦略の中心に据えたのが女性好みのオシャレなカフェ
忙しいところすみません。
こんにちは。
本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
カフェの女性客に売り込むことを考えたのだ
味だけでなく目でも楽しんでもらえるようカフェ専用のボトルを作った。
裏の成分表示を見るとボトルの形。
なんとバーコードまで。
こうして久米は1,000軒を超えるカフェにオランジーナを展開。
オシャレでちょっといい飲み物というイメージを作り上げ若者の心をつかんだ。
若手に任せる。
異例のヒットはこうして生まれたのだ
世の中にないものを生み出すサントリー。
川崎にあるここは全国に4つある研究施設のひとつ。
ここで常識破りの方法から生まれた商品がある。
開発担当者が取り出したのは液体窒素
それにレモンを漬ける。
温度はマイナス196℃
取り出すとカッチカチに凍っている
それを粉々に砕く。
柑橘類のいい香りは実は皮にある。
皮まで全部凍らせて香りを閉じ込めたまま酒に溶かすというこれまでにない製法を開発したのだ
こうして生まれたのが缶入りチューハイマイナス196℃シリーズだ。
こちらは大阪にある研究施設
ここでは文字どおり世の中にないものを開発していた。
それがこの
自然の交配ではできない青いバラを遺伝子組み換えによってなんと14年もかけて生み出したのだ。
しかも研究はまだ続いていた。
青いバラを半年かけて
完成したはずなのにいったいなぜ?
できるかどうかわからない研究も惜しまないのがサントリー
学生の頃にサントリーオールド木箱入りっていうのがあって。
ありましたよね?贈答用の。
あれもらったらどんだけ嬉しいだろうと思ったんですよ。
6本も入って。
学生だからオールドなんてなかなか買えないんで角瓶とか飲んでたんですけど。
オールドの木箱入りをいつかお歳暮とかでもらえるような人間になりたいなと思ってた。
なるほど。
思ってたんですよ。
オールドショックというかサントリーオールド基幹商品の長期にわたる低調傾向というのは今から考えるとですけどサントリーの再生というか新しいサントリーになるのに必要だとは言いませんけどいい契機だったのかもしれないですね。
僕大きいなと思うのは創業者の鳥井信治郎さんから研究所を作られてそれから佐治敬三さんは財団法人の食品化学研究所。
研究開発のために財産を残しておかれたんですね皆さんが。
だから鳥井信治郎創業者も結局自分の力でワインとかウイスキーをつくってきたわけでそのときにいかに技術とか知識とかが必要かってことをお二人はわかってたと思うんですね。
その精神がずっととにかく続いててそれをやっぱりオールドショックのときにそれがほんとに活きたってことですよね。
格式のありそうな飲食店
集まっていたのは小売りや飲食店のバイヤーたち
お目当ては…。
サントリーのウイスキーだ。
サントリーはこの春からウイスキーの「山崎」と「白州」を
この日はお披露目のイベント。
ウイスキーの本場のプロたちに日本のウイスキーを認めさせようというのだ
そこにいたのはサントリーウイスキーの味の設計士
1月にサントリーはアメリカのウイスキー大手ビーム社をおよそ1兆6,000億円で買収すると発表。
ウイスキーなどの蒸留酒では世界3位となる。
ビーム社の販売網を使ってサントリーウイスキーの世界進出を加速させる考えだ
その山間にひっそりと世界攻略になくてはならない施設があるという
撮影禁止の施設に特別に入るとそこには大量の木材が積んであった
よく見るとこの木材はアメリカから。
これはスペイン。
世界中から木を集めている。
実はここ
なんとサントリーは樽から自前で作っているのだ!
こちらは
ロンドンで評価された香りはこのミズナラによるところが大きいという
樽作りの工程を見てみよう
まず干してあった木材を機械で削る
すると…。
きれいな木材になって出てきた
それを板状につないで機械にセット
これはフタになる部分だ
今度はそれを窯に入れて焼く。
焼く時間は企業秘密
窯から出てくると…
鉄のタガをはめているのは樽づくりひと筋この道40年の匠。
更に機械でタガを強くはめる。
ゆるいとウイスキーが漏れるし強いと木が割れる。
匠が頼りにするのはこの音
世界に挑む樽はこうしてつくられている
出来上がった樽が日本ならではの味を生むため仕込みのときを待っている
一方日本最古のウイスキー工場
創業者の鳥井信治郎がこの地を選んだのには大きな理由があった。
それは良質の湧き水があったから。
ここ山崎をはじめサントリーの工場は優れた地下水が出るところにある。
4月岐阜県の山深く。
降りてきたのはサントリーの社員たち。
ある事業に3年間で6,000人もの社員が駆り出されるという
はい皆さんおはようございます。
(一同)おはようございます。
いったいなにがはじまるのか
岐阜県の山奥にサントリーの社員たちがやってきた。
大事なミッションのためだ
はい皆さんおはようございます。
今後3年で6,000人を動員。
いっせいに急斜面で作業を始めた
木の苗を植えている
実はここからずっと下ったところに木曽川工場がある
サントリーは古くから工場の水源となる森を育て整備している
この事業の責任者が三枝
元々は営業マンだったが今や週に2回はどこかの森に入っている
100年先を見据えた壮大なミッションだ
サントリーの工場は必ず水のいい場所にあるっていうふうにおうかがいしたんですけどやはり水に対するこだわりっていうのは相当なものが…。
そうですね。
その水を守るために社員の方々総出で整備されてるってうかがったんですけど…。
グローバルに挑戦っていうやり方もいろいろあるとは思うんですけどもいわゆるジムビーム社のM&A。
M&Aとかっていう戦略も結構これからはサントリーは使っていくんでしょうか?そうですねケースバイケースで…。
やってみなはれっていう有名な言葉もですねなんかこう関西弁なんでのほほんとしてるように感じるんですけど結構シビアな言葉なんですよね。
そうですね。
我々は…。
相場さんこうおっしゃってますよ。
結果を恐れてやらないことが悪だと。
でなさざることが罪だと。
これやってみなはれの精神に重なる…。
もうまさにこれ…。
染み込んでるんですねそれが。
収録を終えて村上龍はこんなことを考えた
2014/04/24(木) 22:00〜22:54
テレビ大阪1
カンブリア宮殿【ヒット連発、サントリー!「やってみなはれ経営」の裏側】[字]

「ザ・プレミアム・モルツ」「伊右衛門」「オランジーナ」…次々とヒット商品を放ち、世界も視野に入れる巨大企業・サントリー。その「やってみなはれ」精神とは?

詳細情報
番組内容
グループ売上2兆円、酒類・飲料の巨大企業、サントリーの快進撃が止まらない。高級ビール「ザ・プレミアム・モルツ」のヒットで、ビール事業は参入以来45年間続いた赤字から脱却を果たし、サッポロビールを抜き業界3位に。その後も、ビール市場の縮小にもかかわらず、年々売上を伸ばしてシェア拡大を続けている。市場が25年で5分の1に縮小したウイスキーも「ハイボール」ブームを仕掛けて復活。
番組内容つづき
清涼飲料では「伊右衛門」「オランジーナ」など立て続けにヒットを放っている。今年1月には米ウイスキー大手ビーム社の買収を発表、世界に本格的に打って出る体制を整えつつある。そんなサントリーの強さの裏にあるのは、創業者・鳥井信治郎から受け継がれた「やってみなはれ」というチャレンジ精神。115年の歴史を持つ巨大企業でありながら、常に挑戦者であろうとし続けるサントリー。その全貌に迫る!
出演者
【ゲスト】
 サントリー酒類社長
 サントリーホールディングス副社長
 相場康則
【メインインタビュアー】村上龍
【サブインタビュアー】小池栄子
関連情報
【ホームページ】

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