2014-04-25
趙雲の嫁なんているはずがない
ただの思いつきなんで、適当なこと書いてたらすみません。
趙雲って、びっくりするほど女性関係のイメージがない人物じゃないですか。
もちろん趙雲には趙統趙廣という息子がいますから、当然夫人だっていたはずです。当たり前ですです。
でもググってみると、たとえば「趙雲は生涯妻帯しなかった」とか「趙統は養子」だとかのイメージが浅からず広まっていることが垣間見れます。
それに身近な話でアレですが、前にいた大学院に『演義』を研究してる先輩がいまして、これが大の趙雲マニアでした。常日頃から「趙雲に奥さんはいない、結婚してない」って言うのです。趙雲研究で学会発表をしたほどの方がそうゆうのですから、きっとやんごとない根拠があるのだと思います。たぶん。
そういう僕も、例の関樾のネタに「趙雲の娘」が登場することには違和感を覚えました。だって娘がいるとなると、それを産んだ「趙雲の妻」が存在することになるから。
それくらい、趙雲の人物像には女性の影が全然ないと思うのです。
でも、こういうイメージはもしかしたら現代日本だけのもので、中国では少し違うのかもしんない。というのも中文サイトをちらほら見てて気になったのですけど、考えてみれば中国由来の物語だと結構「趙雲の妻」が出てくるんです。
たとえば孫軟児。
趙雲の最期にまつわる民間伝承に登場する妻です。由来はわかりませんが、そこそこ広まってる話っぽい。あらすじはむじんさんのところで紹介されてます。
ある日、妻が戯れで趙雲の身体を縫い針で突いたら、、、というお話です。どっかで聞いたことありませんか?
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20060612/p2
次に李翠蓮。
「青鋼剣」という河北梆子(戯曲の一種)に登場するそうですが、詳しくは全然わかりません。下記の中文サイトが関羽、張飛、趙雲の女性話をまとめており、その中で見かけたものです。
あらすじはこんな感じ?
長坂の戦いで劉備とはぐれた趙雲は、四川に迷い込み、そこで李翠蓮と出会う。惹かれ合ったふたりはすぐに結婚する。しかしやがて劉備の元へ戻らなくてはならず、そこで自分の青鋼剣を証として残して去る。のち翠蓮は趙雲の子を産み、全定と名付ける。そして劉備が四川を得た時、趙全定は青鋼剣を携え父を訪ねる。しかし趙雲は諸葛亮と賭けをし、それに勝たねば母子と認めないという(ここ意味よくわかんない)。のち趙全定は功績を立てたので、諸葛亮らの勧めのもと、無事趙雲に我が子と認知された。
https://twblog.org/essay-69843-1-1.html
それに馬雲騄。
これは有名な『反三国志』のオリジナルキャラクター。馬超の妹であり、のち趙雲に嫁ぎます。
本作は馬超と趙雲を主人公格としているので、こういう人物を創作したんだと思います。
『反三国志』が書かれたのは民国時代、ちょうど『吉川三国志』の10年ちょい前です。
そして何より樊氏。あの趙範の兄嫁です。
趙雲の女っ気のなさを象徴する存在なのに、「龍鳳呈祥」なる京劇ではなんと趙雲と結ばれるんだそうです。人物像も趙雲と渡り合うほどの女傑とされ、樊玉鳳という明らかに趙子龍と対になる名前までもらって。
豪傑が女将軍と戦った末に結ばれる、ってのは多くの類話があり、いわばお決まりの型ではありますけど、それが趙雲と樊氏にも当てはめられたというのは驚きです。一体いつ頃に創作されたものなんでしょう?
http://www.asahi-net.or.jp/~ts6r-mtfj/critique/0111kyougeki.html
http://baike.baidu.com/view/1279931.htm
この他、近年撮影された映画「三國之見龍卸甲」(邦題「三国志」)やドラマ「三国志 Three
Kingdoms」などでも普通に趙雲の妻が出てきます。とくに「Three
Kingdoms」は幅広く視聴されたこともあって、日本の趙雲マニアをすこぶるがっかりさせたとかなんとか。
趙雲の清廉潔白というイメージ自体は、もともと樊氏のエピソードなどもありますから、その点では日中ともに変わらないはずです。でも現代の日本はそこからさらに、女性関係が皆無というとこまで膨らんでる風に感じました。
その原因はだいたい想像できますけど、これも現代日本「三国志」の特徴なのかもって思いました。