2014年04月25日 (金)
昨日、東京労働大学の石田光男先生の講義を受けて来ました。報酬管理なんですが、ほとんど賃金管理で、すごく謎でした。ちなみに、私は佐藤厚さんの講義だけ五城目に行ってて欠席しましたが、初めて途中で帰る人を見ました。7,8人は途中で帰ってしまったのではないでしょうか。二人の男の人たちはついていけない(分からない)という趣旨のことを話していました。私は刺激をもらったので、よかったのですが、あまりにもマニアック過ぎる気が・・・
イギリス調査の話はたしかに単純に面白かったのですが、現状調査というのは切ないなあとも感じました。80年代のイギリス調査と90年代のアメリカ調査と00年代の日本調査を比較して国際比較になるのかという単純な疑問もあります。もちろん、個々人の出来る研究は限りがありますから、致し方ないことではありますが、時に追われるというのは切ないなと感じました。技術革新がありますからね。
内容は、いつもの賃金管理と仕事管理は一体でなければならない、という話と、結論はPDCAを回さなければならない、という話でした。
私には内容的にいくつかの疑問がありました。まず、とても狭く言って、賃金管理という観点でみたときに、人口ピラミッドの問題を考えなくてよいのか、ということです。たとえば、ある年に採用した人が多数の後、しばらく採用を控え、数年前から少しずつ採用を再開した企業があります。大量採用した年の層が全員、仕事が出来れば不満はありませんが、出来る人と出来ない人の処遇差が少なく、かつ自分たちより処遇がよい人たちを見て、若手が不満に思えば、そこで成果主義をいれる契機になります。そういう人口ピラミッドのバランスの話がまったくない。
つぎに、報酬管理ということを考えるときに、賃金だけでよいのか、ということがあります。石田先生の話は賃金の決め方(必ずしも水準ではない)でインセンティブを与え、それがPDCA(改善)を保証するという話ですが、アメリカの人的資源管理研究では、個別の制度ではなく、いくつかの革新的な制度(発言できる機会を与えるとか、福利厚生の充実など)を実施しているところが成績がよい、という研究があります(これは割と共有されている)。また、ミルコビッチのコンペンセーション(アメリカのスタンダードなテキストです)でも、報酬は賃金だけではなく、様々なものがあります。web上にテキストがあったので、貼っておきます。5頁の図1.2をみてください。これで言えば、賃金とはcash compensationのところだけです。
これもまた、思いつきなんですが、基本的に歴史で説明できると思うんですね。アメリカもイギリスも基本的にトレードをジョブに再編したんだなあという印象です。日本はある意味、労務管理がものすごい発達していた。第二次大戦の頃、本当に各工場で共通する労務管理を出来ていたのは紡績と製糸(片倉とかグンゼ)くらいです。それはたくさん工場を持っていましたから。あとは鉄鋼ですが、日本製鉄は少なくとも1939年の時点では共通する労務管理はなかった。これは戦時中にそれこそ、産報のなかで、産報と対抗する意味もあって、発達していくという面がありました。でも、それ以外であったのかなあ。次に、戦後の企業別組合といっても、そのほとんどが事業所別組合です。それはそれだけ工場をもっているような大企業以外、事業所組合の連携の企業別組合になり得ませんから。
日本の組合運動を考えるとき、その始まりから1975年までは基本的にナショナルセンターが強いんですね。戦後の組合運動は誤解を恐れずに言えば、企業別組合とナショナル・センターや産別の戦いでもあった。これは本部と支部の戦いという意味もあったと思います。産別レベルでは、全繊が東洋紡や鐘紡と戦います。東洋紡は当時の労務管理制度では日本の一番ですし、鐘紡は50年代までは日本のNO.1企業です。それでも戦うんだから、全繊はすごい。あとは鉄鋼ですね。鉄鋼は鉄鋼労連をめぐって総評と八幡というか宮田で争うわけです。ただ、これは私の印象では、インテリとたたき上げの戦いだったと思っています。少なくとも宮田さんの回顧録を見ると、そこにアイデンティティがある。難しいことは分からないし、間違ってるかもしれないけど、とにかく自分たち労働者が書かなきゃダメなんだ、といって支持を集めるわけです。この論理にはインテリは逆立ちしたって勝てない。勝てるとしたら、とにかくみんなの意見を聞いて回っていて、それで文書を作るという実績がないと無理です。そんなこと言ったって、あいつは俺たちの言うこと、聞いてくれてたよ、となれば逆転の芽はありますが、それは歴史的にはなかったし、時間がかかりますからね、不可能に近いですよ。
結局、日本の賃金は今まで年功賃金で内部労働市場の論理で決まっていたというようなことが言われますが、それは物事の半分で、その残りの半分は春闘で業界相場というものが出来ていたということがあります。市場化の流れというのは、ある意味、そういう市場機能が効かなくなったこととも軌を一にしているように思います。ただし、成果主義=目標管理という議論を聞くことが少なくないんですが、目標管理自体は経済学ではなく、心理学のなかの発達心理学的な発想であって、個人の成長を促すものというところがもとです。で、この前、組合の方たちの話を伺っていて感じたのは、目標管理自体が悪いのではなく、忙しい中で、上司(とくに現場)が部下を面接して目標設定と到達確認をする時間がなく、やっているところとそうでないところで、公平性が保てない、という話なんですね。うまくやれば、苦情処理と同じように労使コミュニケーションのツールにもなり得ます。ただ、問題点がそこにあるならば、作っていく傍から技術革新で改訂をしなければならなくなって放棄した職務分析のような、いつか来た道になるのでは、と思っています。
組合の話に戻すと、総評は左派の太田薫を見ていても、ちゃんと戦前の右派・総同盟の伝統を受け継ぎ独自に発展させたんですが、連合はそういう意味ではまったくダメですね。なんでダメなのかは研究する価値があると思いますが。企業別組合ではない視点から、あるいは、それを相対化する視点で、ちゃんと労使関係史を書かないと、本当に日本の組合活動は厳しいなあと思います。
イギリス調査の話はたしかに単純に面白かったのですが、現状調査というのは切ないなあとも感じました。80年代のイギリス調査と90年代のアメリカ調査と00年代の日本調査を比較して国際比較になるのかという単純な疑問もあります。もちろん、個々人の出来る研究は限りがありますから、致し方ないことではありますが、時に追われるというのは切ないなと感じました。技術革新がありますからね。
内容は、いつもの賃金管理と仕事管理は一体でなければならない、という話と、結論はPDCAを回さなければならない、という話でした。
私には内容的にいくつかの疑問がありました。まず、とても狭く言って、賃金管理という観点でみたときに、人口ピラミッドの問題を考えなくてよいのか、ということです。たとえば、ある年に採用した人が多数の後、しばらく採用を控え、数年前から少しずつ採用を再開した企業があります。大量採用した年の層が全員、仕事が出来れば不満はありませんが、出来る人と出来ない人の処遇差が少なく、かつ自分たちより処遇がよい人たちを見て、若手が不満に思えば、そこで成果主義をいれる契機になります。そういう人口ピラミッドのバランスの話がまったくない。
つぎに、報酬管理ということを考えるときに、賃金だけでよいのか、ということがあります。石田先生の話は賃金の決め方(必ずしも水準ではない)でインセンティブを与え、それがPDCA(改善)を保証するという話ですが、アメリカの人的資源管理研究では、個別の制度ではなく、いくつかの革新的な制度(発言できる機会を与えるとか、福利厚生の充実など)を実施しているところが成績がよい、という研究があります(これは割と共有されている)。また、ミルコビッチのコンペンセーション(アメリカのスタンダードなテキストです)でも、報酬は賃金だけではなく、様々なものがあります。web上にテキストがあったので、貼っておきます。5頁の図1.2をみてください。これで言えば、賃金とはcash compensationのところだけです。
これもまた、思いつきなんですが、基本的に歴史で説明できると思うんですね。アメリカもイギリスも基本的にトレードをジョブに再編したんだなあという印象です。日本はある意味、労務管理がものすごい発達していた。第二次大戦の頃、本当に各工場で共通する労務管理を出来ていたのは紡績と製糸(片倉とかグンゼ)くらいです。それはたくさん工場を持っていましたから。あとは鉄鋼ですが、日本製鉄は少なくとも1939年の時点では共通する労務管理はなかった。これは戦時中にそれこそ、産報のなかで、産報と対抗する意味もあって、発達していくという面がありました。でも、それ以外であったのかなあ。次に、戦後の企業別組合といっても、そのほとんどが事業所別組合です。それはそれだけ工場をもっているような大企業以外、事業所組合の連携の企業別組合になり得ませんから。
日本の組合運動を考えるとき、その始まりから1975年までは基本的にナショナルセンターが強いんですね。戦後の組合運動は誤解を恐れずに言えば、企業別組合とナショナル・センターや産別の戦いでもあった。これは本部と支部の戦いという意味もあったと思います。産別レベルでは、全繊が東洋紡や鐘紡と戦います。東洋紡は当時の労務管理制度では日本の一番ですし、鐘紡は50年代までは日本のNO.1企業です。それでも戦うんだから、全繊はすごい。あとは鉄鋼ですね。鉄鋼は鉄鋼労連をめぐって総評と八幡というか宮田で争うわけです。ただ、これは私の印象では、インテリとたたき上げの戦いだったと思っています。少なくとも宮田さんの回顧録を見ると、そこにアイデンティティがある。難しいことは分からないし、間違ってるかもしれないけど、とにかく自分たち労働者が書かなきゃダメなんだ、といって支持を集めるわけです。この論理にはインテリは逆立ちしたって勝てない。勝てるとしたら、とにかくみんなの意見を聞いて回っていて、それで文書を作るという実績がないと無理です。そんなこと言ったって、あいつは俺たちの言うこと、聞いてくれてたよ、となれば逆転の芽はありますが、それは歴史的にはなかったし、時間がかかりますからね、不可能に近いですよ。
結局、日本の賃金は今まで年功賃金で内部労働市場の論理で決まっていたというようなことが言われますが、それは物事の半分で、その残りの半分は春闘で業界相場というものが出来ていたということがあります。市場化の流れというのは、ある意味、そういう市場機能が効かなくなったこととも軌を一にしているように思います。ただし、成果主義=目標管理という議論を聞くことが少なくないんですが、目標管理自体は経済学ではなく、心理学のなかの発達心理学的な発想であって、個人の成長を促すものというところがもとです。で、この前、組合の方たちの話を伺っていて感じたのは、目標管理自体が悪いのではなく、忙しい中で、上司(とくに現場)が部下を面接して目標設定と到達確認をする時間がなく、やっているところとそうでないところで、公平性が保てない、という話なんですね。うまくやれば、苦情処理と同じように労使コミュニケーションのツールにもなり得ます。ただ、問題点がそこにあるならば、作っていく傍から技術革新で改訂をしなければならなくなって放棄した職務分析のような、いつか来た道になるのでは、と思っています。
組合の話に戻すと、総評は左派の太田薫を見ていても、ちゃんと戦前の右派・総同盟の伝統を受け継ぎ独自に発展させたんですが、連合はそういう意味ではまったくダメですね。なんでダメなのかは研究する価値があると思いますが。企業別組合ではない視点から、あるいは、それを相対化する視点で、ちゃんと労使関係史を書かないと、本当に日本の組合活動は厳しいなあと思います。
この記事へのトラックバック
| ホーム |