「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」

浮きあがる側の事情

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2014年4月25日(金)

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 オバマ大統領が来日した5月23日の夜、都心は久しぶりの厳戒態勢だった。

 聞いたところでは、警備の関係で都心部の道路交通は、かなり手ひどくマヒしていたらしく、宅配便に遅れが出るなど、市民生活にも微妙な影響が出ているようだ。

 この厳戒警備は、少なくとも、24日いっぱいは続くはずだ。
 24日の夕方に、東京駅から徒歩2分ほどの場所で用事がある。
 無事に済むのかどうか、懸念している。

 というのも、その用事というのが、人前で話をする仕事で、ということはつまり、お客も私も、警察官で固められた厳戒の都心をくぐり抜けなければならないからだ。

 無事に済むだろうか。
 現地には、早めに到着するつもりで行動せねばならないだろう。
 ということは、この原稿は、その前に仕上げておかなければならない。
 果たして、無事に済むのだろうか。

 今回は、首都の警備について考えてみたい。
 おそらく、2020年にやってくる東京五輪の警備は、今回の准戒厳令を踏まえたものになる。
 そう思うと、いまから憂鬱だ。

 私は、式典であれ、警備であれ、緊張を強いられる状態を好まない。
 大嫌いだと申し上げても良い。

 テロ対策と市民生活は、両立しにくい。
 ということは、6年後のオリンピックは、少なくとも、東京で暮らす人間にとっては、祭典というよりは、検問に近い感触をもたらすものになるのだと思う。
 できれば、回避したいものだが。 

 私が記憶している中で、最も強烈だったのは、1989年2月の大喪の礼に際しての警備だった。
 あの時の厳戒態勢は本当に空前絶後で、新宿から半蔵門までの道路の街路樹がほぼ丸裸になった。電話ボックスも撤去され、道路の両サイドのビルは、軒並み入場禁止になった。

 当時、私は、麹町にあった雑誌の編集部に通っていたのだが、儀式の一週間ほど前から、マトモに仕事ができなかったのをおぼえている。
 若手の編集部員は、麹町や四ッ谷の駅から編集部まで歩いてくる間に、何度も不審尋問に遭っていた。

「このへんで尋問してるのって、東京のポリスじゃないですよ」
「昨日のおまわりさんは、静岡県警から来たって言ってました」
「同郷だったんで、思わずイナカの話しましたよ」

 のんびりした話ばかりではなかった。
 私自身は、大喪の礼の前日か前々日ぐらいに、駐車違反を摘発されている。
 これが、ただの違法駐車事案では済まなかった。

 当日、私は、後楽園に住んでいた友人を訪れて、マンションの裏手の路地に30分ほどクルマを停めた。

 違法駐車ではあることは承知していた。
 が、私は事態を甘く見ていた。

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