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「神のみぞ知るセカイ」ゲームにはない選択



何というか、まとまっていない文章をこれから書く。
本来は書くつもりは無かったのだけれど、先週の神のみと今週の最終回は、少しこみ上げてくるものがあった。

神のみは私の中で、ラブコメに分類される作品だ。
もちろん、終盤の展開にコメの部分はあまりないが、エルシィを攻略するための話だったと考えればやはりラブコメなのだろう。
加えるとするならば、「普通」のラブコメではなかったということだ。

神のみのヒロインは誰か。
この質問に答えるとき、「誰か一人」とするならばとても難しいだろう。

それはエルシィかもしれないし、歩美かもしれないし、天馬かもしれない。
ラスボスだったり、女神だったり、彼女たちのキャラ設定としてのステータスは、ヒロインとして申し分ない。

事実、彼女たちの役割はどれも物語のキーとなるものだった。

しかし、主人公が選ぶ最愛の人をヒロインとするならば、彼女たちはヒロインになれなかった。
主人公たる桂馬が選んだのは、そういったキャラ的な「ステータス」を持たざるもの、ちひろだった。

神のみの最終回は、何とも不思議な気分だった。
ラブコメの最終回と言えば、主人公とヒロインが幸せそうな姿を見せ、それが未来でも変わらず続いていくことを予感させる最終回というのが大体のお約束だ。

それに比べると、神のみの最終回は切なかった。

恋に敗れたものたちの話を、最終回に持ってきたのだ。
やられた。
本当にやられたと思った。

桂馬のやってきたゲームのエンディングにも、こんなものは無かっただろう。
笑っている人の裏には、泣いている人がいる。そんなのは当たり前にあることだ。恋愛だって変わらない。

しかし作品において、最終回でそこにスポットを当てる作品は、はっきり言って稀だろう。

神のみはそれをやってのけた。ラブコメの最終回で、こんなにも胸が締め付けられたのは初めてかもしれない。
それくらい、神のみの最終回は来るものがあった。

そして、ちひろへの告白は、心が震えてしまった。

桂馬という人物は、非常にシチュエーションを大事にする。
雰囲気というのは、恋愛の好感度を高めるには非常に大事だからだ。

また桂馬は、手順というものも同様に大事にする。
踏み込むべきところ、退くべきところを認識できなければ、恋愛ゲームでヒロインを落とすことなどできない。

だが、ちひろへの告白はそれが全く感じられなかった。

シチュエーションなど知ったことかと、彼女の家の玄関先で告白した。
手順など不要と言わんばかりに、会って早々に「お前が好きだ」と告げた。

それまでの、「落とし神」としての桂馬にはありえない選択だ。

言ってしまえば、その選択肢はゲームだったら存在しないだろう。
しかしこれは、現実なのだ。どこまで言っても、悲しいくらい現実だったのだ。

正しいシチュエーションなどない。決められた手順もない。
理由なんてなくて、ただ「好き」という感情に身を任せたのが桂馬の行動だったんだろう。

それは「落とし神」としての桂馬ではなく、私立舞島学園高校2年B組の「桂木桂馬」としての姿だったように思う。
神ではなく、歳相応の少年としての姿。
それは過去に片鱗は見せつつも、真正面から読者が初めて見る、等身大の桂馬だったのかもしれない。

先週、そして今週の最終回はちょっと身震いしてしまうほどだった。

もちろん、全ての話を通して完璧だったかは分からない。
コアなファンほど、納得していないこともあるかもしれない。

それでも、物語の1つの答えを明確に示してくれた神のみぞ知るセカイという作品を読めたことを、私は心から嬉しく思っている。

来週から神のみの載っていないサンデーを見て、きっと私は寂しく思うだろう。
[ 2014/04/24 22:01 ] マンガ | TB(0) | CM(0)
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