教えてくれるのです。
頭に焼き付いて離れない。
そんな絵に出会う事がある。
幅広い研究で現代社会を見つめる…今およそ400年前に描かれたある絵に思いを巡らせています。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。
その圧倒的なエネルギーは日本を代表する美の潮流を生み出しました。
江戸時代巨匠・尾形光琳が宗達に影響を受けあでやかな琳派の様式を確立。
雅な金銀と自然が一つになったその世界は酒井抱一に受け継がれ数百年にわたって見る者を魅了し続けています。
宗達とはどんな絵師だったのか。
多くは謎に包まれ残された絵だけがそれを知る手がかりとなります。
すばらしい。
前衛ですね。
宗達は伝統に学びながら斬新な技に挑みました。
墨のにじみを操って絵に命を吹き込む驚きの技とは?最高傑作「風神雷神図屏風」を入り口に10枚の傑作で宗達の神髄に迫ります。
「日曜美術館」です。
さあ今日はきました俵屋宗達ですよ新さん。
日本美術ってこんなにも面白いんだって思わせてくれた一人なんですけれども。
それこそこの風神雷神は物心ついた時から何となく知っている。
そういう屏風絵ですよね。
でも宗達自身の人物像ってなかなかつかめないままいまだにいますよね。
宗達というのは安土桃山の終わり頃から江戸時代の初めを生きたとされているんですが正確な生まれた年は分からない。
人物像を物語る資料もほとんど残されていないんですよね。
そんな謎多き宗達の世界を今日は10点の傑作から読み解きます。
まずはあの傑作から。
今京都最古の禅寺建仁寺ゆかりの貴重な宝物の数々が展示されています。
ここに俵屋宗達の最高傑作があります。
やって来たのは中沢新一さん。
待ち望んでいた宗達との対面の瞬間です。
傑作選最初の作品…黄金に輝く虚空に現れた雷神。
そして風神。
長い帯をたなびかせ舞うように浮かぶ雷神。
鬼の姿をしていながら表情にはどこか愛嬌があります。
雷を起こす太鼓をまとい見得を切るようなポーズ。
その腕はあり得ない角度に曲がるほど力が満ちあふれています。
風を起こす大きな袋。
風や嵐を司る風神です。
こちらもおどけたような表情。
雲の上を無邪気に駆け回っているかのようです。
強い風を受けなびく髪。
素早く繊細な筆遣いで髪の毛の柔らかさまで見事に表現されています。
こうやって金の中から現れてくるのが阿弥陀さんとか観音さんじゃないところがいいんですよね。
観音さんたちは自分で光を出してくるじゃないですか。
光じゃないからこれは。
自然の中に隠れてる力が金銀になって放出してくるでしょ。
風神も雷神もそういう自然の中に隠れてる力がこの絵なんか見ると笑いながら出てくるわけね。
笑いながら出てきた時の色は光じゃなくてこれなんだよね。
ただこの世界がある存在してるって事がうれしくて笑う。
そういう笑いじゃないですかね。
善もなく悪もなく。
人間の笑いなんかじゃないんですよ。
もっと深いところで歓喜に満ちてて。
人間の世界にいるとちっとも救われた感じにならないんですね。
仏様の前にいてもあまり救われた感じはしないし教会に行っても救われた感じしないんだけどこういうものがウワッと出てきて笑ってるところへね立ち会ったりするともう…すごくうれしいですね。
笑いが満ち満ちてるんじゃないですか。
今芸術を人類の歴史から捉え直そうという研究を行っている中沢さん。
宗達の絵には現代に通じるメッセージがあると考えています。
そもそも風神雷神はどんな存在だったのか。
鎌倉時代に作られた三十三間堂の千体仏。
中央には本尊の千手観音が鎮座しています。
風神雷神は仏を守る神として建物の両脇に配置されいわば脇役です。
京都にいた宗達も恐らくこの像を見たのではないかと考えられています。
中沢さんは宗達が生きた時代に注目しています。
それは戦国の世が終わりを告げそれまで社会の底辺にうごめいていた町衆のエネルギーが一気にあふれ出した時代。
宗達は脇役にすぎなかった風神雷神を主役にする事でわき上がる時代の熱気を絵に込めようとしたのではないか。
(中沢)後ろの方にある背景はみんなノイズだったわけでしょ。
このノイズを立ててた部分がず〜っと浮上してきて社会の前面に出てきてそれがその力が渦を巻くようにして町衆の文化というのをつくり出してきてますね。
解放されたエネルギー。
つまりそれまではノイズにすぎなかったものが背景にすぎなかったものあるいは下絵にすぎなかったものそれがずっと前面に表れてきてこれは解放以外の何物でもないと思うんですね。
解放されたエネルギー。
それは後の絵師に大きな影響を与える事になります。
琳派を象徴する「燕子花図屏風」の尾形光琳。
同じ京都で宗達の絵を発掘し深く傾倒。
そこから卓越したデザインセンスで琳派の流れを完成へと導きました。
光琳は宗達の全てを学び取るかのように「風神雷神図」を模写しています。
しかし中沢さんは後の琳派の絵を見ると宗達が消えていくように感じると言います。
光琳に受け継がれ偉大な美の潮流を生み出した宗達。
その奥深いところに秘めていたものとは。
それはおおらかで野性的で自然な柔軟さを備えた美の流れ。
その一方で民衆の管理が進む中整然とした形態に洗練されていった美の流れ。
その二つの流れがぶつかる岬の突端に宗達は立っていたのではないか。
最初に立ち上がった偉大な力は宗達だったんだと。
琳派の最初の第一歩ですね。
しかし完成した琳派から見ると宗達は見えなくなっちゃってる。
日本人のフォルムをつくる能力の原点に近いものですよね。
原点というのは縄文土器とかねいろんなものがあるけどその原点に最も近い画家ですねこの人は。
今日のゲストは東京藝術大学准教授の古田亮さんです。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
古田さん僕もこの風神雷神を見るとですね驚きとともについ笑みがこぼれてしまう本当にそんな作品なんですけど。
天空を飛び回って遊んでいるかのようなそんな子供らしいというか。
それこそ雷神がまさに今向こうからグワッと出てきたようなそんなふうにも楽しませてくれるんですけど。
まさに天空を飛び交ってるみたいだと思うのは恐らくは勢いがあるスピード感があるという印象が一つあると思うんです。
具体的に作品でどの部分で?スピード感というのはまさに構図の作り方。
太鼓が少し切れてる。
ほんのちょっとずつ画面からはみ出してるというか。
その事によって収まっていなくて絵の構図というものがまずはそういう勢いを見せてますよね。
もう一つ遠くから見るとわりと単純な絵に見えるんですけど本当に近づいてよく見ますと線がはっきりとした1本の線ではなくて非常にニュアンスがあって輪郭線というよりも線と面という区別が曖昧になってるような柔らかい表現がなされています。
それをゆっくりと描いたような感じの表現なのでその事が結局リアリティーにつながる。
本当にそこにいるような生々しさというか生命感とかそういうものにもつながっているのかなと思いますけれども。
宗達自身の作品いろいろ事前に拝見しますとこのようにここまで表情顔というものに注目した作品って実は意外に少ないかなと思ったんですけれども…。
それこそ宗達自身のように感じてしまうところがありますよね。
むしろ私たちから見ると人物像というよりも作家像というのがこういう作品からはすごくイメージできるんです。
つまり宗達という人をどんな芸術家だったかといえば多分演奏でいえばジャズの演奏家のようにアドリブをうまく利用してその場のライブを盛り上げるという事がすごく得意な感じ。
フリースタイルが得意な宗達。
そうですね。
仮に光琳と比べると光琳はやっぱり楽譜があってそれを完璧にこなすというのが恐らく美術の目標としていったところだったかもしれませんが宗達が持っている迫力とかライブ感とかわき上がってくるようなものをどういうふうに形にするかというようなところが恐らく宗達全体の魅力にもなるんじゃないかなと思います。
宗達が生涯を過ごした京都。
江戸時代初期の読み物に宗達の人物像につながる数少ない記述があります。
「俵屋」の扇が人気だったと伝える一文。
宗達は「俵屋」という扇屋を営んでいたといいます。
江戸時代の京都の様子が描かれた絵です。
広い通りに面した建物の中をよく見ると…。
女性たちが扇を作っています。
左の方に目をやると…お客に扇を売っています。
宗達はこうした扇屋か扇などに絵を描く工房を営んでいたとされています。
そうした証しとなるのがこの作品。
傑作選2作目…宗達の扇の絵は多くが屏風として残されています。
山道で男が牛を追い立てる場面。
湾曲した画面を巧みに生かすところに構成力が発揮されています。
生没年さえ分からない宗達ですが絵師として活躍した最も早い年代を示す絵が残っています。
宗達は1602年「平家納経」の補修に携わったとされています。
経巻の見返しに新たに描いた草をはむ鹿。
月のようなユニークな造形と草を食べようと身をよじる鹿の生き生きとした姿。
こうした大事業に関わっていた事から絵師として高く評価されていたと考えられます。
そんな宗達に目をつけた人物がいます。
江戸初期を代表する芸術家本阿弥光悦。
書や陶芸など多才を極めたマルチクリエイター。
二人の合作から傑作が誕生しました。
14mに及ぶ絵巻です。
宗達が鶴の群れを描きその上に光悦が歌をしたためています。
こんなところに宗達の遊び心が。
画面の上から突き出しているのはくちばし。
そして舞い降りてくる鶴。
金や銀で雅な和歌の世界を演出しながら命の躍動が伝わってきます。
現代の日本を代表する画家の一人…若い頃から宗達に惹かれ師匠と呼ぶほど敬愛しています。
その思いから自らも風神雷神をテーマにした作品を描いています。
この日絹谷さんは宗達のある作品を見るため都内の美術館を訪れました。
現れたのは光悦とのコラボレーションによる連作。
(絹谷)うわ〜すごいすごい。
あ〜すごいきれい。
美しいですね…すばらしい。
もうこの…前衛ですね。
傑作選5作目。
「新古今和歌集」から36首を選んで描かれた作品です。
金泥や銀泥で表した四季の花や草木の姿。
絹谷さんは大胆な構図の中に繊細なまなざしを感じると言います。
竹同士は平面に見えますけども実はここにもっと深い奥行きっていうんですか。
風が通るあるいは風がささやく風が揺れる。
そしてこの金箔の扱いですね。
砂子で少し落として調子をつけておりますけどもこういうつまり自然の姿そのもの風の動きそのものあるいは笹のささやく音そのものが体現していると。
木もですね花も草も全て生命を受けてその生命を謳歌している。
その姿を写し取ってると思います。
例えば月とススキ。
これは全く別のものだと思われがちですけれどもこれは自然と生きている生物自然と生きている人間そういったものはまるで別々のものではない。
いわゆる森羅万象いわゆる自然と共に生きる。
そういう二つの関係は別々のものではないという事をこの絵は示している。
宗達の自然の捉え方というか自然の見方みたいなものってどのようなものがあったと…。
それにしても大胆なこれだけ見ると月なんだか何だか分からないぐらい。
竹の方もパッと見ると縦の線しか見えないわけで。
確かに竹の要素はあるんだけど造形の要素としては縦の線で出来てるだけですよね。
それにもかかわらず確かに柔らかい感じというか風が歩いてる感じがするというのはそういう単純化の中に実はもとにある自然の微妙な表現感情的なものというかそれが宗達の中でちゃんと何かをこう出そうとする時に持ってるからなんだと思うんです。
最初のVTRで中沢さんが宗達には琳派にはないものがあるとおっしゃっていたんですけどそれがまさに自然の生命力…。
仮に装飾だったとしてもそれは感情のある装飾なんですよね。
それだけは宗達以降果たしてそういうものが受け継がれただろうかという疑問はありますね。
見えないけれど内に秘めたものをあくまでも引き立たせるための装飾なんだという事を常に宗達は心していたって事なんでしょうか。
本来であれば目立ってしょうがない装飾。
規格外だという事ではみ出してしまうようなものだったかもしれません。
それがこの時代の文化というものにどこかであってそれを排除しなかった。
その事が宗達という人をこの時代の代表のように我々は感じるのかもしれないですよね。
宗達には海外のコレクターも目をつけ多くの傑作が海を渡りました。
その一つがワシントンのフリーア美術館に所蔵されています。
傑作選6作目…6曲1双の大画面に描かれた水墨画です。
荒れ狂う海に現れた2頭の龍。
白い部分は塗り残した紙。
墨のにじみを操って幻想的な雲の表情を生み出しています。
このにじみに宗達の水墨画の秘密が隠されています。
宗達は中国や日本の伝統的な水墨画を見ながら独自の表現を模索しました。
水の中から上がったばかりなのでしょうか。
体を震わせたあとまだ毛先がぬれている様子を絶妙な筆遣いで描いています。
薄い墨で葉の柔らかさまで伝わってくるハスの花。
静けさに包まれた夏の朝の光景です。
伝統を踏まえながら現代的な感覚で水墨画の新たな可能性を切り開こうとしています。
土屋さんには高校生の時に見て記憶に刻まれた宗達の水墨画があります。
傑作選8作目…最初この絵を見た時は結構偶発的に起きた墨のにじみが牛の筋肉の隆起だとかそういうのと重なって非常に立体的に見えてるのかなと思っていたんですがよくよく見てみるとその牛の骨格ですとか筋肉に非常に忠実に墨が寄せてある事が分かって恐らくこれは宗達が牛の骨格を相当気にして墨を寄せながら乾かしていったんじゃないかなというのは見ていて思いますね。
それこそが宗達の生み出した技…墨は水と混じるとにじんで自然に広がっていきます。
宗達はこのにじみを自在に操る事で線では決して描けない柔らかな質感を出そうとしたのです。
それにしても勝手に動いていく墨のにじみでどのようにしてあの牛を描いたのか。
土屋さんに宗達の牛を模写してもらいました。
最初は胴体。
宗達が筋肉や骨格を強く意識していると感じた部分です。
まずたらし込みで描きたい所に水を引いていきます。
僅かな水の量の違いで墨の動き方が大きく変わります。
にじみ具合を想像しながら慎重に筆を置いていきます。
たらし込みという技法の部分。
(土屋)にじみだけ見ても美しいというところが一つの特徴でやっぱりどうしても生まれてくるにじみに対して筆を加えて筆の線を残したくなるんですけど非常にこの墨のにじみを邪魔する事なく牛の形が表現できてるというのはやっぱりそれだけ見てても美しい。
次に目の部分。
たらし込みを繊細に使っていると言います。
よく見るとこの目尻の辺りにも意図的にくぼみを影でつけてあるような…ニュアンスが。
人間的な脚色をされてないというか非常に牛特有の野性というか野性の形をそのまま描写してる感じがするので牛の持つ野性の生命力とかそういうのを描きたかったんじゃないかなと思いますね。
このたらし込みの技法は僕本当に好きで。
あっお好きで。
好きなんです。
たらし込みの作品を見るとこう…ぞわっと。
目がぐわっと入っていくんですがこうやってVTRを見ると意外と…意外とというかじっくりと描くんですね。
もっと素早く描いていくものかと勝手に思ったんですけども。
ものによるでしょうけどほとんど水分なのでその水が乾くまで待ってるしかないんですよね。
ですから筆をすっと描いてそれがそのまま絵になるものとは全く違って。
やった本人もどうなるか分からないという偶発性がまあこの技法の特徴なんですけれども。
そうは言っても全くの偶然だけで出来てるのではなくてむしろかなりの部分コントロールして最終的なイメージに近いものをしているんじゃないかというのがこの牛なんかではまさにそういう感じがしますし。
自在に操る。
あのたらし込みやにじみを自在に操るようになるっていうのは相当な事なんでしょうね。
「雲龍図」などを見てもそれこそたらし込みで出来たような。
そうなんです。
たらし込みは二つの使い方が多分あると思って。
これは拡散していく広がっていく空間をつくっていくというタイプのたらし込みの方法です。
もう一つの牛の方はむしろ凝集していく。
このフォルム形の中に意識や気のようなものが籠もっていく。
そういうために非常に効果的に使われています。
同じたらし込みであっても求心的なものと拡散的なものとというのでもうまく使い分けてるのじゃないかなと思いますね。
宗達について思索を重ねる…ある問いを投げかけています。
「私たちに宗達を取り戻すことができるだろうか」。
傑作選9作目…松の木が立ち並ぶ砂浜に打ち寄せる波。
海の中から立ち上るかのような二つの岩。
岩を染める鮮やかな緑や青。
波に囲まれた砂地でしょうか。
なんとも不思議な形です。
そしてまるで生き物のようにうごめく波。
あのすごく何ていうんですか人間の心の原型祖型アーキタイプっていうかそれを表現した絵だなと思いますね。
心なんですよねこれ全部。
この波が渦巻いているのも心でこの海中から現れている島自体が欲望のようにも思える。
だけどその欲望っていうのは風神雷神の笑いが何かに向かっての笑いじゃないのと同じようにこの島は何かを求めてるとか何かに向かう欲望とかじゃないんですよね。
ただ純粋な欲望。
対象なんかどこにもないのよ。
なくたっていいんです。
ただ自分の中から存在するっていう意思だけが立ち上がってくるっていう力を表してるんですね。
傑作選最後の一作。
「伊勢物語」の一場面を描いた…人々がさまざまな思いを胸に通り過ぎてゆく峠の細道。
あるのは緑と金だけのそぎ落とされた世界。
この絵は「松島図屏風」と全くタイプが異なるように見えますがどちらにも宗達を宗達たらしめるキーワードが秘められています。
(中沢)リアルだと思いますね。
ただリアルといっても現象界に完全に現れてしまう前の力をリアルに捉えてるんだと思いますね。
つまり現実でもないし全然抽象でもなくてその間ぐらいのところで生まれてくるイマジネーションが捉えた心の動き構造っていうのがこの絵なんだろうと思いますね。
この「松島図」と「蔦の細道図」。
並べるとつい対極…伝統と革新というか最先端なものが並んでるように見えてしまうんですけど。
ただし今中沢さんの話を聞くとなるほどなと思うのはどちらも宗達がやろうとしている事というのの本質があってそれはどうしても装飾的に見えるんだけれども単なる装飾というのではなくてその先に表現があってそれが多分訴えてくるところであって。
松島の方もそうですけど恐らく何かしらの物語性というものが含まれている。
そこが宗達の場合には圧倒的な造形力でその背景にある物語のようなものまで伝えようとする。
常に見る者にその物語を間接的にふわっと投げかけるエネルギーを秘めた。
なにか宗達がそこにいるような語りかけてくるような感覚で見る事ができるという事はやっぱり宗達が表現した事のもとにある心のようなものというのが宗達の個人的な感情ではなくて同時代の時代性もあれば人間の本来持っているような自然を感じ取るような心だったり。
そういうものが非常に基盤として共通のものとして見て取る事ができるという事は言えるんじゃないでしょうか。
VTRの中で中沢さんが「私たちは宗達を取り戻す事ができるだろうか」というふうにおっしゃってたんですけれども…。
今再び忘れかけようとしているものがあるとすれば宗達が持っていた何か自由さとかあるいは遊び心みたいなものもあります。
人間ってそういうものをどこか心の頼りにしていかないといけないという。
我々が誰でも持っている心の中にある宗達…への憧れみたいな。
自由でそして表現が豊かだという事に対してはやっぱり惹かれるものがありますよね。
2014/04/20(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「夢の宗達 傑作10選」[字]
光琳、抱一、琳派の巨匠たちが心酔した日本美術史上最大の巨人・俵屋宗達。最高傑作「風神雷神図」が5年ぶりに公開されるのを機に10枚の傑作で謎多き実像と神髄に迫る。
詳細情報
番組内容
日本美術を代表する美の潮流「琳派」。尾形光琳や酒井抱一など、数々の巨匠たちに影響を与えた原点とされるのが俵屋宗達だ。最高傑作「風神雷神図屏風」が5年ぶりに東京国立博物館で公開されているのを機に、10枚の傑作で宗達の魅力を読み解く。本世阿光悦とのコラボレーション、自ら編み出した水墨の技、そして何より他の追随を許さない圧倒的な生命力。宗教学者・人類学者の中沢新一さんが独自の解釈で秘密に迫る。
出演者
【出演】明治大学 野生の科学研究所所長…中沢新一,東京芸術大学教授、画家…絹谷幸二,水墨画家…土屋秋恆,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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