美の京都遺産 2014.04.20

(ナレーション)
近衛政家が近江八景で詠んだ三井晩鐘である

天台寺門宗の総本山三井寺は白鳳時代に創建された園城寺がおこり
平安の初め智証大師円珍により天台別院として再興された
密教修験道の道場観音霊場でもあり多くの寺宝が伝わっている
琵琶湖を望む長等山園城寺通称三井寺は古くから東大寺延暦寺興福寺と共に四箇大寺の一つに数えられた
7世紀後半天智天皇は近江大津宮に遷都
大友皇子が後を嗣いだが壬申の乱で自害
父の菩提を弔うために与多王が建立したのが園城寺である
その後も争乱で興亡を繰り返し伽藍の多くは桃山以降の復興で35万坪という広大な境内に堂宇が立ち並ぶ
三井寺は約1300年前7世紀の後半ぐらいに創建をされましてその後天台宗の別院という形で現在は天台宗かつては寺門派と申しましたけども今は天台寺門宗という宗派の総本山として今日まで続いておるものです。
10世紀の後半ぐらいに天台は大きく2つに分かれたわけなんですけども比叡山の方は山門派という呼び方。
私どもの方が寺門派ということで中世を通じて山門寺門の争いが起こりまして度々そういう戦乱に巻き込まれるという歴史がございました。
大門。
中院の表門であり仁王門ともいう
室町中期のもので秀吉の伏見城にあったものを家康がここに移したとされている
御所の清涼殿が下賜されたともいわれ室町初期の建築である
元は僧侶が食事をする食堂として使われていた
本尊清涼寺式釈迦如来がられたのは江戸時代になってからである
私どものお寺は三院五別所といいまして非常に大きな規模を持ってるんですけども三院が北から北院真ん中に中院南に南院と三院で構成されてます。
金堂というのはその中院の中心になるお堂であると同時に三井寺の全体の本堂でもあります。
秀吉の遺命で北の政所によって再建された
境内でひときわ威容を誇る桃山建築である
燈籠の台座下には天智天皇の左薬指が納められているという
大化の改新で蘇我氏を滅ぼした天皇は自ら切断したという
堂内は外陣内陣後陣に分かれ重厚な天台系本堂の古式を伝えている
身丈三寸二分天智天皇の念持仏とされる
(福家さん)ほんとに秘仏でございましてお寺の中の者もですね今まで一度も拝したことがない。
1300年歴史ございますけどもお扉開けたという記録はございませんのでどういうお姿をされているとかいうのは拝見したことはないということになります。
金堂と廂を接するように建つ…
「閼伽」とは仏前に供える水のことで閼伽井屋の中には今も湧いている三井の霊泉がある
天智天武持統三帝の産湯に使われたため「御井」と呼ばれるようになりそこから「三井寺」になったという
何べんも本堂も建て替えられていってますけどもその度ごとにあの泉のそばにですね接するようにお堂を建てるというのがお寺のあの泉が一つの中心になってると。
聖なる場所というんですかねそういう認識がずっと今日まで持たれてるんだと思います。
蟇股の龍の彫刻は…
この龍が夜ごと抜け出して琵琶湖で暴れるので甚五郎が龍の目に五寸釘を打ち込んで鎮めたという伝説が残っている
鐘楼近江八景…
音のよさで知られる
(鐘の音)
宇治の平等院高雄の神護寺と共に日本三銘鐘の一つである
奈良時代の梵鐘である
中世三井寺と延暦寺との抗争で弁慶が奪って比叡山まで引摺り上げ谷底へ投げ落としたという伝説で知られている
比叡山の上まで持って上がってその鐘をつきますとですね普通鐘は「ゴーンゴーン」と鳴るもんですけども「去のう去のう」と鳴ったと。
「去のう去のう」いうとこちらの方では「帰りたい」「帰ろう帰ろう」という意味ですのでそんなに三井寺に帰りたいのかいうことで弁慶が比叡山の谷に落としたと。
そのときに割れてしまってひびが入ったんだと。
こういうお話が伝わってると。
三井寺の僧兵が使っていたとも弁慶が使っていたとも伝えられる

桃山時代の再建
寝殿造の流れをくんだ初期の書院造である

京狩野の祖狩野山楽による障壁画

雄大な構図を得意とした山楽は装飾性も豊かでゆったりとした画風を見せている

墨絵による列仙図
中国の仙人を選んだ伝記「列仙伝」から題材を採ったもので鯉に乗った琴高仙人などが描かれている

建物より古い池泉庭園で広縁に座して池を愛でる趣向の庭園は平安の昔を彷彿とさせるものである
信長もここを訪れたという
いわゆる天台宗比叡山の第五代の天台座主を務められた智証大師円珍という方この方が我々寺門派の開祖ということで。
ちょうどお生まれになられて1200年が今年迎えておりまして秋にはその法要をさせてもらうということになってます。
智証大師円珍の廟所として重要な聖域である
唐院の名は大師が入唐求法を終え持ち帰った経典を納めたことに由来し潅頂堂大師堂などからなる
阿闍梨の位を授ける伝法潅頂などの密教儀式を行う場所である
国宝智証大師像がられている
元は奈良比蘇寺にあり秀吉が伏見城へ移築したものを家康がここへ寄進した

毛利輝元により現在の山口県から300人を動員して移築された
堂内には「高麗版一切経」を納めた回転式の八角輪蔵がある
観音堂。
西国三十三所観音霊場の第十四番札所で元禄の再建
南院の中心である

導水路の両岸には満開の桜
疏水は観音堂の下をトンネルで抜け山科から京都へと流れていく
菩薩行ということで智証大師様がですね「済世利人」と。
「世を救い人を利する」というこういう言葉を残されておりまして世の中の人のためになることをまず自分のことより優先すると。
やはり人のため世のためというのが我々の基本的な立脚点になってると思います。
幾度も灰燼に帰しながらも不死鳥のようによみがえり1300年の法灯を守っていく
それが総本山三井寺なのである
2014/04/20(日) 06:15〜06:30
MBS毎日放送
美の京都遺産[字]

「近江の古刹・三井寺」

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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