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危険な原発に頼らないで…。
2月9日に投票が行われた東京都知事選。
原子力発電所の再稼働が争点の一つとなりました。
先行きの見えないエネルギー問題を改めて浮かび上がらせた選挙でした。
日本のエネルギー政策をどうするのかその鍵を握ると言われる村が青森県にあります。
下北半島の六ヶ所村です。
ここで推進されてきたのは原発と密接に関わる「核燃料サイクル」です。
3年前の3月11日。
福島原発事故を契機に変貌を迫られた日本のエネルギー政策。
政府は脱原発依存の方針を打ち出しました。
六ヶ所村で進む核燃料サイクル施設の建設も見直す事になりました。
それに対して六ヶ所村はこれまでどおりの原子力政策を継続するよう要求。
政府は核燃料サイクルの継続を決めました。
(選挙カー)放射能によって人間が死ぬがんが発生するこどもが奇形児になるそのような施設を…。
なぜ六ヶ所村が国のエネルギー政策を左右するほどの力を持つようになったのか。
そこには地域を真っ二つに引き裂く対立と混乱の歴史がありました。
核燃料サイクルの受け入れをめぐって繰り返された激しい衝突。
原子力との共存の道を選び取っていった六ヶ所村の苦悩の歳月を見つめました。
本州の最北端下北半島をまさかりの形に例えれば柄の部分に位置するのが六ヶ所村。
人口およそ1万の村です。
丘の上に建ち並ぶのは核燃料サイクル施設を経営する日本原燃の社宅。
村民のおよそがここで生活しています。
今村内では新興住宅地の造成も進んでいます。
国からの交付金などで全国でも有数の財政力豊かな自治体となった六ヶ所村。
かつては貧しい出稼ぎの村でした。
村民の多くが農業や漁業に従事。
しかしそれだけでは生活が成り立たず一年を通して出稼ぎする人も少なくありませんでした。
今は建設会社を経営する岡山勝廣さん。
開拓農家に育ち子供の頃から大人と同じように働いたといいます。
(取材者)じゃあこっち側人間がもって?これでグルグルグル回って…
(取材者)開拓の時に?
(岡山)そう。
(取材者)それ中学時代からおやりになってたんですか?やってたんです。
はい。
今考えれば劣悪。
(取材者)着替えないんですか?ねえんだもの。
でも修学旅行は行かせてもらったんです。
六ヶ所村で最も北に位置する泊地区は昔からイカ漁が盛んな所です。
高度経済成長の頃でも男の子は中学生になると夜のイカ漁に出て生活の手助けをしました。
中学卒業後は多くが集団就職で村を出ました。
その一人愛知県の自動車会社に就職した松下志美雄さん。
下北半島を空から視察する経団連首脳。
1960年代末六ヶ所村に開発計画が持ち上がりました。
石油化学や鉄鋼など10万人が働くコンビナートを建設するというものでした。
開発話が持ち上がると東京などの不動産業者が相次いで村に乗り込み土地の買いあさりが進みました。
貧しい暮らしに見切りをつけ現金と引き換えに土地を手放していく人たち。
六ヶ所村の変貌が始まりました。
土地を売った人たちのためには新しい住宅地が整備され農家から転じて建設会社を興す人が相次ぎました。
(取材者)岡山さんが会社を興されたのは1973年昭和48年ですね。
(岡山)そうです。
(取材者)会社を興そうと思われた時に開発との関係というのはあるんですか?ありますね。
(取材者)ちょうどその巨大開発で揺れてた真っ最中ですね。
しかし買収が終わった土地に企業が進出してくる事はありませんでした。
オイルショックの直撃を受けたのです。
工業開発の夢はついえてしまいます。
それから10年。
荒れ地のまま残っていた土地に持ち上がったのが核燃料サイクルの立地計画です。
1984年の事でした。
当時電力会社9社で結成する電気事業連合会の小林庄一郎会長は次のように語っています。
「六ヶ所村のむつ小川原の荒涼たる風景は関西ではちょっと見られない。
日本の国とは思えないくらいでよく住み着いてこられたと思いますね。
いい地点が本土にも残っていたなとの感じを持ちました」。
核燃料サイクルは資源小国の日本が未来を託する夢のエネルギーとして大きな期待を集めていました。
原子力発電に伴って発生する使用済み核燃料。
これを再処理してプルトニウムと強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物に分離します。
廃棄物はガラスで固めて地中深くに処分。
残ったプルトニウムを高速増殖炉で繰り返し燃やす事でエネルギー効率を60倍にまで高めようというのが核燃料サイクルです。
突然の立地計画は多くの村民を驚かせました。
集団就職先の愛知県から戻って泊で生活するようになっていた松下志美雄さん。
もともとそういうウラン235が燃えるとか燃えないとか238がどうのとかプルトニウムがどうだとか中性子がどうだかっての誰も分かんないんだもん。
漁業で生きてきた泊では放射能による海の汚染を心配する漁民の間から核燃施設の建設に反対する声が上がり始めます。
原子力施設を受け入れ地域活性化の起爆剤としたい推進派。
放射能への不安を拭えない反対派。
泊の人たちは真っ二つに分かれ漁協総会が紛糾。
1985年の村長選挙は核燃立地の是非が争点でした。
核燃推進を訴える古川伊勢松候補は自民党の公認を受け当時の県知事も応援に駆けつけるなど国や県を挙げての支援体制が敷かれました。
現職大臣も応援に来ました。
核燃料サイクルの最高責任者科学技術庁長官です。
古川村長万歳!
(一同)万歳!万歳!村長選挙は推進派の勝利に終わりました。
しかし核燃料サイクルを進めるためにはまだ越えなければならないハードルが残っていました。
放射性物質を含む排水を海に流す事になるため漁協の同意を得て海域調査を行う必要があったのです。
この日は海域調査受け入れの是非を決する漁協総会。
推進派の組合長は会議の冒頭で突然流会を宣言退室してしまいます。
で「えっ?」と思ってね…やっぱ反対派の方がいろんな面でね…「え〜」と。
2か月後に再び開かれた漁協総会で組合長は海域調査への協力を決めます。
同意書が過半数に達しているとの理由でした。
しかし同意書そのものは示されず討議もないまま2分足らずの総会でした。
核燃反対派は反発を強めます。
種市信雄さんは当時の総会で組合長が読み上げた議決書を今も保管しています。
これだ。
これだこれだ…。
(取材者)「書面議決書」となってますね。
反対派の仲間が混乱の中で奪い取ったものだといいます。
(取材者)「一号議案つまり調査の受け入れは書面による同意が402名で過半数を超えているので同意を決定」。
要するに調査を受け入れますと。
これで閉会しますと。
要するにこれだけ…。
(取材者)これを読んだんですか?
(スピーカー)海域調査出ていけ〜!今すぐ出ていけ〜!推進派組合長の同意をもとに核燃料サイクル会社は海域調査に乗り出しました。
実力阻止を叫ぶ反対派漁民を警戒して海上保安庁の巡視船38隻が出動。
青森県は機動隊400人を動員して港を封鎖。
反対派の動きを封じ込めようとします。
(スピーカー)機動隊は帰れ!反対派漁民の中村勘次郎さんは警戒を突破して船を出し仲間と共に調査船の行く手を阻もうとしました。
(取材者)横にこう旋回しながら来るからこういうふうに渦を巻いて来るから波がこう…。
その後も調査の度に繰り返された激しい衝突は「泊沖海戦」とまで呼ばれました。
この時期反対派漁民の中には威力業務妨害などの容疑で逮捕される人が相次ぎます。
核燃料サイクル施設の六ヶ所立地は国や県の全面的な支援の下推し進められていきました。
港の混乱を目の当たりにして松下志美雄さんは強い衝撃を受けました。
国や県のやり方を見て核燃料サイクルへの期待が不信感に変わっていったといいます。
そういうの見てね…1988年六ヶ所村で核燃料サイクル施設の建設工事が始まりました。
しかし建設が始まってもなお反対の声は根強く村民の間には亀裂が残っていました。
翌年の村長選挙では核燃を推進してきた古川伊勢松村長に対して「核燃凍結」を公約にした土田浩候補が挑みました。
村民の亀裂を修復するため核燃施設の建設を一時凍結すべきだと訴えたのです。
(アナウンサー)開票の結果はご覧のとおりで核燃料サイクル施設の凍結を訴えた無所属で新人の土田氏が核燃推進の現職で五選を目指した古川氏に300票余りの差をつけて初当選しました。
核燃料サイクル施設は原子力発電所で使う核燃料を再処理して繰り返し利用していこうという施設で今回の村長選挙は去年の10月実際に施設の工事が始まってから初めて行われるもので全国的にも注目されていました。
ところが土田新村長は当選後程なくして核燃推進にかじを切り始めます。
村長として考慮したのは核燃料サイクルがもたらす経済効果でした。
施設の立地を受け入れれば国から数百億円に上る電源三法交付金がもたらされます。
核燃を受け入れた事で村の経済は活発になっていきました。
建設工事の下請けに入った地元の業者が売り上げを伸ばしていきます。
更に電源三法交付金や核燃料サイクル施設から上がる固定資産税で公共事業の量が爆発的に増えました。
村の財政規模は100億円を超え全国でも有数の財政力豊かな自治体になりました。
核燃料サイクルを経営する日本原燃は従業員2,500人という青森県最大の企業です。
関連会社も含めて村の雇用を一手に引き受けている形です。
村議会議員の多くは核燃施設の建設や公共事業で力をつけた建設業者。
村の政治を動かしています。
開拓農家の出身で建設会社などグループ9社を経営するようになった岡山勝廣さんです。
全くないんですよ。
じゃあいろんなところでね…何でここだけがああいうふうに批判されるのって。
しかし思わぬ事が起こります。
1995年高速増殖炉の実用化を目指して建設された福井県の「もんじゅで」ナトリウム漏れ事故が発生。
高速増殖炉が実現する可能性は一気に遠のいてしまいました。
核燃料サイクルはここに来て計画の前提だった高速増殖炉を失ってしまったのです。
それでも六ヶ所村では核燃料サイクル施設の建設が進められました。
その背景には日本の原発が置かれていた深刻な状況があります。
全国各地の原発に使用済み核燃料がたまり続けていたのです。
貯蔵プールを埋め尽くそうとする使用済み核燃料。
どこかに運び出さないかぎり原発の稼働は続けられなくなります。
使用済み核燃料の搬出先として選ばれたのが再処理工場の建設が進む六ヶ所村でした。
まだ稼働していない施設に全国の原発から使用済み核燃料が集められたのです。
いずれ再処理が始まればリサイクルするという理由でした。
更に問題がありました。
海外から日本に返還される事になった高レベル放射性廃棄物です。
当時海外に再処理を委託していたため高レベル廃棄物がガラス固化体の形で返ってきました。
強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物を最終的に日本のどこで処分するのか全くめどが立っていませんでした。
結局一時貯蔵という形で50年の間六ヶ所村で保管する事になります。
当初六ヶ所村には「核燃三点セット」つまり再処理工場など3つの施設を建設する計画でした。
それがここに来て高レベル放射性廃棄物を貯蔵管理する施設も造られる事になったのです。
(取材者)日本原燃がそういうふうに説明したという感じですか?はい。
(取材者)認めるしかなかったって事ですか?はい。
高レベル放射性廃棄物を受け入れるに際して青森県議会ではこのままではなし崩しに最終的な処分地にされるのではないかと危惧が高まっていました。
将来にわたって…1995年木村守男知事は科学技術庁長官との間で文書を取り交わし青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分地にしない旨を確認しました。
六ヶ所村では2004年から再処理工場の試験運転が始まりました。
ところが作業員の内部被ばくや廃液漏れなどのトラブルが相次ぎ操業開始は20回にわたって延期されています。
その間にも使用済み核燃料が運び込まれ再処理工場の貯蔵プールはほぼ満杯の状態です。
六ヶ所村で再処理するまでの間使用済み核燃料を保管しておくための施設が必要でした。
同じ下北半島のむつ市に造られた…今下北半島には全国の原発で発生する使用済み核燃料と廃棄物が集められています。
高レベル放射性廃棄物の最終処分地をどこにするのか何も決まっていません。
地元ではこのまま保管を続けるべきだという声も出始めました。
(取材者)選挙で?うん。
…と動いてきたわけだ。
今のこの現状を考えた時に…
(取材者)あえて先送りをする?あえてじゃなくて必要だと思う。
福島第一原発事故。
当時の民主党政権は脱原発の方向性を打ち出しました。
それに伴い使用済み核燃料を全て再処理するという従来の政策の見直しも始まります。
原子力委員会では原発で発生する使用済み核燃料を再処理せずそのまま地中に埋める直接処分の可能性を探り始めました。
(取材者)長いスパンで20〜30年間で見ると3兆円4兆円…違ってくる?違ってきます。
(取材者)要するにリサイクルをしない方が安い?それに対して2012年9月六ヶ所村村議会は再処理を堅持するよう国に求める意見書を全会一致で採択しました。
再処理をやめるならこれまで保管してきた使用済み核燃料と高レベル放射性廃棄物を全て村から運び出すよう求めるものでした。
その1週間後政府は核燃料サイクルの継続を決めます。
おかしいだろお前って。
そしたら…言い方を変えれば…今年1月六ヶ所村では日本原燃が再処理工場の安全審査を原子力規制委員会に申請。
10月には施設を完成させ稼働したいとしています。
しかし敷地内に火砕流の痕跡がある事が明らかになるなど安全性の問題があり予定どおりに稼働できるかどうかは不透明です。
隣の東通村では原発の再稼働が焦点となっています。
地元は再稼働を急ぐように要請していますが原子力規制委員会は敷地内に活断層がある可能性が高いとしていて早期の再稼動は難しい状態です。
下北半島の先端大間町では再処理工場でつくられたプルトニウムをウランと混ぜて燃やす新型原発の建設が進んでいます。
しかし原子力規制委員会は安全性を慎重に審査するとしていて操業開始のめどは立っていません。
礼。
六ヶ所村ではいらだちが募っていました。
核燃料サイクル計画と共に生きてきた村。
地域の経済は原子力エネルギーの推進なくして成立しません。
今全国で稼働している原子力発電所はありません。
これから脱原発が進んでいくのか。
それとももう一度原子力に経済成長の夢を託すのか。
いずれにせよ既に生み出された核のゴミはいまだ解答のない宿題であり続けています。
(取材者)今もうほとんど核燃反対の声はなくなって?ないですね。
プラスのいい面の中で我々がその裏の部分を受け入れている事でしょ。
エネルギーを消費する大都市の陰で核のゴミを引き受けてきた村があります。
未来の日本のエネルギーを語る時忘れる事のできない過去があります。
全国ですね要するに。
今は立地施設持ってないけども…六ヶ所村に核燃料サイクル計画が浮上して今年でちょうど30年。
国策に翻弄され時に国策を左右してきた小さな村の歳月でした。
2014/04/16(水) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 東北Z「風雪のクロニクル〜青森県六ヶ所村と核燃料サイクル〜」[字]
いま日本のエネルギー政策の鍵を握ると言われる青森県六ヶ所村。核燃料サイクルの立地で六ヶ所村が歩んできた苦難の歴史を関係者の証言と記録映像によって描く。
詳細情報
番組内容
核燃料サイクルの立地計画が浮上して今年で30年の青森県六ヶ所村がいま日本のエネルギー政策の鍵を握る存在となっている。それはなぜか。番組では戦後六ヶ所村が歩んできた苦難の歴史を関係者の証言と記録映像で描きだし、福島原発事故後のエネルギー政策の見直しや原発再稼働、さらには迷走を続ける高レベル放射性廃棄物最終処分地の選定など、いま日本が抱える重要な課題を戦後史的な観点から捉え直していく。
出演者
【ナレーション】平野哲史
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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