(テーマ音楽)太平洋戦争が終わったあともフィリピンのジャングルに潜み戦後29年目に生還しました。
その後小野田さんはブラジルに渡り牧場経営に成功。
更に野外活動で子どもたちの育成にも取り組みます。
小野田さんは時代に翻弄されながらも力強く生き抜きました。
小野田寛郎さんは大正11年和歌山県で生まれました。
厳格な家庭に育ち成長するにつれ両親に反発するようになっていきます。
昭和14年旧制中学を卒業し貿易会社に就職。
日中戦争さなかの中国に渡ります。
太平洋戦争が始まると徴兵され陸軍に入りました。
その後小野田さんは中国語ができる事などから陸軍中野学校に推薦されます。
スパイ活動やゲリラ戦を学ぶ…そこでの教えは「石にかじりついても生き抜け」というものでした。
昭和19年12月。
フィリピンのルバング島に派遣されます。
命令は「島にいる守備隊を指導しゲリラ戦を展開せよ」。
着任して2か月後アメリカ軍が上陸。
守備隊200人のうち160人近くが戦死します。
その後ルバング島の兵士は次々と投降しました。
しかし小野田さんそして行動を共にしていた2人は敗戦を信じずゲリラ戦を続けます。
(聞き手)何が一番苦しかったですか?居所を隠す日々。
武器や食料などおよそ20kgを担いでジャングルの中を転々としました。
そして終戦から9年目と27年目にフィリピン軍との戦闘で戦友を失います。
1人になった小野田さん。
しかし気力が衰える事はありませんでした。
戦闘をきっかけに小野田さんの生存が明らかになりました。
日本政府の捜索が始まります。
そして昭和49年3月。
かつての上官から任務解除の命令が伝えられ小野田さんはついにジャングルを出ます。
(拍手)バンザ〜イ。
30年ぶりの帰国。
この時小野田さんは51歳になっていました。
寛郎よう生きて帰ってくれた。
長い間ご苦労でございました。
えらかっただろう。
時の人となった小野田さん。
しかし日本の生活になじむ事ができず1年足らずでブラジルへの移住を決意します。
しゃく熱の原野を切り開いて牧場を造る。
小野田さんは10年近く寝る間も惜しんで働きました。
そして1,800頭の牛を飼育するまでになったのです。
牧場経営が軌道に乗ると小野田さんは再び日本に目を向けます。
昭和59年。
子どもたちに生きる力をつけてほしいと自然塾を始めたのです。
平成4年には福島県に専用のキャンプ場も完成。
延べ2万人以上の子どもがさまざまな体験をしました。
(牛を呼ぶ声)小野田寛郎さん。
ルバング島での30年ブラジルそして日本常に全力で自らの人生と向き合い続けました。
2014/04/19(土) 05:40〜05:50
NHK総合1・神戸
NHK映像ファイル あの人に会いたい「小野田寛郎(元陸軍少尉)」[字]
戦後29年フィリピンの密林に潜み続けた小野田寛郎さん。その後、ブラジルで牧場経営に成功。野外活動で子供の育成にも取り組む。力強く生き抜いた、その思いが語られる。
詳細情報
番組内容
旧陸軍少尉、小野田寛郎さん。太平洋戦争が終わった後も、フィリピンのジャングルに潜み、戦後29年目に生還した。その後は、ブラジルに渡り、しゃく熱の原野を切り開いて広大な牧場をつくり、その経営に成功した。さらに、昭和59年から野外活動を通して子どもたちの「生きる力」をはぐくむ「自然塾」の活動を続けた。時代に翻ろうされながらも、力強く生き抜いた小野田さんの思いが語られる。
出演者
【出演】小野田寛郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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サンプリングレート : 48kHz
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