原発事故の被害者を二度と出さない。原発の再稼働に前のめりな安倍政権に、本当にその覚悟はあるのだろうか。

 再稼働をめざす全国の原発で新しい規制基準を満たしているかどうかの審査がすすむ中、東京電力の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦知事が、たとえ審査を通っても住民の安全は守れないと主張している。

 原発の安全性を高めるには、施設が厳しい規制を満たすだけでなく、万一に備えて避難計画をしっかり立てておくことが欠かせない。この避難計画づくりを担当する自治体トップの発言だけに、政権は真摯(しんし)に耳を傾ける必要がある。

 中越沖地震では柏崎刈羽原発の火災に直面し、福島第一原発の事故では被災者の救助支援を要請された泉田知事の指摘は、いずれも具体的である。

 中越沖地震では道路が寸断され、緊急車両すら動けなくなった。雪が深ければ一段と逃げにくくなる。いくら計画で避難先を決めても絵に描いたモチだ。知事は、各戸に核シェルターを作るしかないかもしれないと危惧するが、国や電力会社にその認識と覚悟はあるか。

 避難が遅れた住民を助けるには放射線量が高い地域にバスの運転手らが入らねばならない。現実には、民間人である運転手も被曝(ひばく)していいように法令を改めないとバスは避難に役立たないが、被曝限度を緩める合意形成をはかれるのか。

 事故対策そのものの甘さも指摘する。すべての冷却材が失われ、生身の人間が危険な高線量下で収束作業をするしかなくなったとき、誰が行くのか。事故の拡大を食い止めるため、電力会社の経営に重大な損害を与える決断が必要になったとき、経営が優先され住民が被害を受けない保証はあるのか。

 いずれも現実の事故で浮き彫りになった課題だが、議論は後回しになっている。

 安倍政権は、今の規制基準は「世界一厳しい」と、基準をパスした原発は動かす姿勢だ。だが知事は「世界標準にも達していない」とし、うそをついてはいけないと批判する。指摘は当たらぬというなら、政権は一つ一つ疑問に答える責任がある。

 再稼働に期待する地元の中には、すでに避難計画をつくったというところも少なくないが、住民の安全を守る責務を負う自治体として、泉田知事の疑問を吟味し、自らの避難計画が本当に機能するか、つぶさに点検してほしい。事故が起きてから「想定外だった」という言い訳は、もう許されない。