幕間その10らしい
もっと遊びたかったのに。
勇輝は自分用にあてがわれた部屋のベッドにうつ伏せになって歯噛みしつつそう思った。
邪魔するものなどいないと思っていた。
勇者たる自分が言えば、手に入らないものなど何も無かった。
ちょっと街を歩いた時に気になった娘や、貴族の娘、他国の王族の娘でも簡単に手に入った。
さらに頼んでもいないのに、勇者の力の保護を受けたいと人族の国々が次々に姫を献上してくれていたのだ。
全く勇輝としては、笑いの止まらない状態だ。
庶民等では想像もできないような料理の数々とて、彼が望めばいつでも用意された。
むかつく相手はどんな目にあわせることもできた。
自分がやらずとも誰かが代わりにやってくれたし、もちろん自分で行うこともまるで問題がなかった。
あの日までは。
その日、勇輝に献上された女性は、とある国の大公の娘とか言う売り込み文句で勇輝としては、貴族の娘にありがちな、すまし顔で上品ぶった女性は食い飽きた気持ちだったのだが、実物を見て少しだけ感想が変わった。
どこか凛とした雰囲気を漂わせる容貌に、この世界においてはやや珍しい部類に入る黒い瞳と黒い髪。
茶色だの赤色だの金色だのと、元いた世界では勇輝の身近には染めた以外では見ることの少なかった髪の色の女性ばかりを相手にしてきた彼からすれば、その色はどこか元いた世界を思い起こさせる色であり、久しぶりに食指が動く。
どうせ簡単な挨拶を交わして、その後の夜会でちょっとばかり姿を見せてやれば、あとは自室に引き込んで楽しめるだけ楽しめるのだろうと思い込んでいた勇輝であったが、その甘い幻想はすぐに打ち砕かれることになる。
その姫が、聖王国の王との謁見中に、勇者である勇輝を紹介され、勇輝が彼女へ近づいた時にそれは起きた。
名乗りを上げて姫に近づき、跪いて姫の右手を取り、その手の甲の白くきめこまかい肌へくちづけをする。
勇輝が元の世界でたまに読んでいた、小説の中に出てくる勇者や騎士が姫君に行うあいさつだ。
この世界においては、あまり見られない類の行動だったのだが、勇輝はそれがなんとなく勇者の行動っぽくて気に入っており、会う女性全てにそれを行っては悦に浸っていたのだが、シオン=ファム=ファタールと紹介されたその姫にも同じ事を行ったのである。
勇輝が握った彼女の手は、しなやかでやや冷たく、その甲に口づけした時には彼女が身につけている香水の匂いなのか、とても甘い香りが勇輝の鼻腔をくすぐった。
一見、姫騎士のような凛々しさから香水等使ってはいないだろうと勇輝は勝手に思っていたのだ、どうやらこのお姫様は女性としての身だしなみにも気を使っているらしいと勇輝は笑う。
これは今夜がとても楽しみだと、思う気持ちを自分では勇者らしいと思っている笑顔に隠して、勇輝は立ち上がりシオンと視線を合わせると、シオンも笑顔を見せていた。
ただ、勇輝とは違う、とてもとても邪悪な雰囲気を漂わせた笑みで。
思わずその手を離し、数歩あとずさってしまう勇輝。
何事が起きたのかと王が王座から僅かに腰を浮かし、周囲にいた貴族達がざわめき始める中、ただ一人シオンが唇を三日月の形に吊り上げ、声も立てずに笑みだけを浮かべている。
「お、お前は……何がおかしい!」
僅かにでもあとずさってしまった自分を恥じ、それを隠すかのように勇輝は大声で問いかける。
シオンは答えずに、今しがた勇者が口づけをした自分の右手の手首を左手で握ると、鈍く湿った音を立てさせながらそれを握りつぶし、引きちぎった。
誰かの悲鳴が響き渡る中、自分で作った無残な傷口から紫色の液体を垂れ流しつつ、シオンは引きちぎった右の手首を勇者に向けて放り投げた。
あまりの出来事に反応のできない勇輝は、放物線を描いて自分の所に飛んできた姫の手首をかわすことすらできずに、自分の胸の辺りで受けてしまう。
聖王国が彼専用にとあつらえた、白い礼服の胸元が、吹き出す紫色の液体に汚れて染まる。
手首にはめられていた銀のブレスレットが、床に当たって固い音を立てた。
「何を……一体なにをしている!? お前は一体……?」
「汚らわしい」
びちゃびちゃと、傷口から液体が流れ出ることを全く気にもとめずに、シオンが言う。
「我慢しきれるかと思っていたのだが、思ったより気持ちの悪いものだ。創られた身の上とは言え、主を恨まずにはいられないな」
「答えろ! お前は何者だっ!?」
勇輝の掌に光が集まる。
その光の中から引き抜かれたのは聖剣ティルヴィング。
この世界において勇者だけが使え、勇者が呼べばどこにでも現れる現在は勇輝専用の剣。
勇者の力を受けて切れ味を鋭くし、軽く振っただけでも鋼を切り裂くそれを、シオンはつまらないものを見るかのような視線で見て、鼻で笑った。
「ケダモノに答える言葉の持ち合わせはない」
「言ったな! 化物が!」
相手が姫だと言うことも忘れ、バカにされたと思った勇輝は警告無しに袈裟懸けに聖剣で切りつける。
シオンの形をしたものは、その一撃を避けようともせずにまともにその身体で受け止めた。
黒のドレスが切り裂かれ、露になった白い肌の下から真っ赤な血が吹き出す、かと思いきやばっくりと開いた傷口からは何も吹き出さず、ただ肌と同じ白いものが肌の下に詰まっているのが見て取れた。
右肩から左のわき腹へとばっさり切られたと言うのに、それは顔に笑みを貼り付けた状態で表情を動かすことはなかった。
同時に勇輝は気づく。
鋼すら切り裂くはずの聖剣の一撃を、よけることなくまともに、しかも女性の身体が受けたと言うのにその身体は完全には切り裂かれていない。
深くばっくりと傷口が開いてはいるのだが、その深さが身体の厚さに達していないのだ。
これは、聖剣の威力を考えると有り得ない話だった。
鎧か何かを着込んでいたと言うのであれば、まだ理解の出来る現象だったが、それは身につけている黒のドレス以外に防具のようなものも、また防御の魔術が組み込まれている道具のようなものも持っていない。
ただ、自分の身体の防御力だけで聖剣の一撃を身体が断ち切れない程度に受けきったのだ。
「人間か、お前……」
「まさか、いまさら人間なわけがないだろうに?」
笑顔のままでそう言った、それの傷口から紫色の液体が、その細い体のどこに入っていたのかと思うようなくらいに吹き出した。
「くそっ……なんで僕がこんな目に……」
その後のことは、蓮弥達が魔導船から見たのと同じ流れだった。
噴出す液体が巨大なゴーレムを形作り、城を破壊し暴れだした所を勇輝が勇者の力と剣でこれを攻撃。
出現の唐突さとその巨体にかなり驚かされはしたものの、ゴーレム自体の強さはさほどでもなく、その代わりになのか非常に防御力の高いゴーレムをひたすら斬りつけて撃破。
騒動はひとまず鎮静化したものの、その先は勇輝にとっては酷いものだった。
なにせ、女性に関わる一切の行為が全て出来なくなってしまったのだ。
肌に触れるだけでめまいがするほどの動悸と息切れに襲われ、頭痛と腹痛に苛まれつつ、内臓がひっくり返るのではないかと思うほどに猛烈に吐く。
がまんすることができるのではないかと試してみたのだが、勇輝の身体はほんの数秒すら我慢することが出来ずに嘔吐を繰り返した。
さらに、女性に体液、つまりは血液やら唾液等と言ったものに触れてしまうとその部分の皮膚がずる剥けるほどに爛れてしまった。
これは高価な回復薬を使うことでどうにか治癒できる程の爛れであり、何度か試してみた勇輝はやがて皮膚だけではなく肉まで爛れ始めるような酷い症状を負うことになる。
これによって、勇輝は女性と全く係わり合いをもてない体になってしまった。
異世界に来ればハーレムが作れてばら色の人生が送れるとばかり思っていた勇輝からしてみれば、異世界に来た目的の大半を失ってしまったことになる。
「僕をこんな目に遭わせた、あいつを許さない……」
結局、聖王国の調査ではトライデン公国のシオン姫の偽物を聖王国へと送り込んだ下手人の調べはつかなかった。
もちろん一番怪しいのはトライデン公国の関係者だったのだが、国に属しているものが動いた形跡はまるで無く、勇輝が事前に掴んでいたシオンの周辺にいる迷い人と言うのも聖王国に入国した形跡が無い。
無断で国境を越えた可能性についても調べ上げたが、トライデン公国側にも情報が無く、確実だと言えるものが何も無い上に、トライデン公国所属の魔導船が聖王国に駐留している最中に、その船内に魔族が侵入したと言う兵士達からの報告もあり、今回の件については勇者を脅威とみなした魔族による犯行と言う線でほぼ固まってしまっている。
聖王国の王族も貴族も、それで一応は納得してしまっている。
納得できないとしても、それ以上のことができないからだ。
それでも勇輝は納得ができなかった。
自分をこんな身体にしたのはきっと魔族ではない、と言う思いが彼にはある。
小説の中でも、こんな陰湿なことをするような魔族がいるようなものは読んだことが無い。
こんな真似ができるなら、何も魔族にとっては勇者を生かしておく必要がまるでないのだから、殺傷能力の有る方法をしかけてくるはずだ。
ならばこんな陰険ないたずらめいたことをするのはきっと人間に違いない、と。
「あの姫を……酷い目に遭わせればきっと今回の黒幕がまた出てくるはずだ……」
勇輝にとっては幸いなのは、勇者としての力に関しては今回の件でなんの損害も受けていないと言うことだった。
桁外れの腕力や魔力、勇者専用装備の使用権限についても変わりは無い。
その為に聖王国は、勇輝を飼い殺しにしているのだが、今回勇輝はその力を思う存分発揮して、トライデン公国に事を仕掛けるつもりでいる。
「貴族なんて、腕の一つも落としてやれば喜んで僕に協力するさ」
瞳に暗い光を灯して、ベットにうつ伏せになったまま呟く勇輝のその顔は、勇者とは到底言えないような暗いものであった。
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「主様? なんかおかしくないですか? おかしいですよね? だっておかしいですもん」
「なんかどっかで聞いた言い回しだね、それ」
どこぞの世界で大人気の、携帯型端末に良く似たボードを操作していたギリエルがあげた声に、半分眠りかけていた幼女は呆れた声で答える。
神は眠る必要などない。
だが、神はたまに惰眠をむさぼったりすることはあるのだ。
サボればサボった分だけ、後で行う仕事が増えるだけのことなのだが、神にとて現実逃避がしたい時間があるのだと幼女は主張させてほしかった。
「何がおかしいっていうんだ? くだらないことだったりしたら、酷い目にあわせるからね」
「……じゃあいいです」
数秒だけ考えた後に、ギリエルはあっさりと最初の問いかけに関する答えを得ることを諦めた。
その素早さに、くだらないことだったのかと苦々しく思いつつ、幼女は尋ねる。
「気持ち悪いな……くだらなくても酷い目見せないし、怒らないから話してみ?」
「約束ですよ?」
「いいけど……私針千本飲んだ所でどこにも堪えないんだけどね」
指切りでもする? と幼女が小指を立て見れば、ギリエルはあっさりとそれを拒否した。
その手のペナルティは、やられて辛いからこその意味があり、幼女に山のように針を飲ませてみた所でどこにも効かないのはギリエルにも分かりきっていた。
「蓮弥さんの周囲の件なのですが、なんだか先祖がえりがいたり、周囲の兵士が妙に短期間で強くなったりとしているのですが、これっておかしくないです?」
「おかしくないよ?」
「そうなんですか? あそこの世界の人族は比較的頑丈で強くなる部類の存在ですけど……」
「蓮弥さんに背負っていってもらったリソースがあるでしょ?」
幼女が言うには、リソースとはそのまま資源を意味する。
資源が豊富なのであれば、世界には余裕が生まれ、例えとしてはあまり良くないのだが魔王が発生する余地や、勇者が召喚される余地が出てくる。
逆にこの資源が切迫していると、そんな存在はもちろん出てこないし、さらには世界に余裕がなくなり世界自体の維持が難しくなる。
また、世界に存在する魂達はこれを取り込むことでその質を高める。
元々、蓮弥が世界を渡ることになった原因がこのリソースを取り込んで質の高まった魂が元の世界で輪廻せずに別の世界へ逃げたり、輪廻自体を諦めてしまったことでリソースが消滅してしまった所から始まっている。
ここで大事なのは、世界がどれだけのリソースを内包しているのか、と言うことだけで、どの存在がどれだけ持っているのかと言うことは関係が全く無い。
「本来は消費されるものではないから、欠乏する事自体おかしいんだけどね……」
「はぁ……それが私の疑問とどんな関係が?」
「察しの悪い頭だな……蓮弥さんに背負っていってもらったリソースは、散布用だから蓮弥さんがあの世界で生きている限りは、周囲に散布され続けるの」
「なんだかトイレの芳香剤みたいですねー」
へらりと笑いながら言うギリエルだが、幼女は真剣な面持ちで。
「本人目の前にしてそれ言えるなら、どこかの世界の管理人にしてあげる」
「お断りですよっ!」
「ちっ……まぁそんなわけだから、蓮弥さんの周囲にいる人達と言うのはこれの恩恵を多かれ少なかれ受けるってこと。わかった?」
「なんとなく……でもリソースって、誰がどれだけ持っていても関係ないんですよね?」
新たに浮かんだ疑問を口にするギリエルに、幼女は頷く。
「だったら、蓮弥さんにあの世界を維持できるだけのリソースを持たせて、散布しなければいいんじゃ?」
「それで、蓮弥さんのあの世界で延々輪廻してもらうの? 拒否されたらどうするの? そもそも、完全にあの世界を維持しきるだけのリソースを、蓮弥さんが背負えるとか思ってる?」
「……色々あるんですねぇ」
しみじみと呟いて見せたギリエルに、本当にこいつは事と次第をきちんと理解しているのだろうかと、自分で設定した大天使ながら心配になる幼女であった。
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