出立前らしい
100名からの兵士の移動、と一言で言えばそれだけで済む話であるが、実際それを行うとなるとそれなりに面倒な準備やら手続きやらが必要となってくる。
手続き関係は全てメイリアに一任、と言うよりは丸投げした形で片付けてしまった蓮弥であるが、今度は実際にその100名の兵士を瘴気の森まで行かせる方法を考えなくてはならない。
ククリカの街から瘴気の森の入り口までは馬車で二日はかかる距離だ。
到底、徒歩で行っていたのでは無駄な時間が増すばかりである。
「馬車でも仕立てるのか?」
どうしたものかと自宅の応接室で頭を捻る蓮弥。
そんな蓮弥の様子を見て、尋ねるシオンに、まさかと首を横に振る。
馬車で運ぶのには100名と言う数は多すぎる。
複数の馬車を仕立てて走ればできないこともないが、かかる費用がバカにならない。
どうせ費用は国が持ってくれるのだから、蓮弥としては別段それでもいいような気もしたのだが、費用とは別に往復で四日の空白は訓練を主目的としている以上は損失が大きすぎる。
「今の俺なら一日で走りきれそうな気もするんだが……」
「それ、人間の走力ではないからな?」
試しにやらせてみようか等と、蓮弥がとんでもないことを提案する前にシオンは釘を刺しておく。
シオンから見て、蓮弥の能力は色々な部分が既に人族の範疇から大きく逸脱している。
その真似をしろと言われても、無理なのは明白な事実だった。
実の所は兵士達から見たシオンも、似たような感想を持たれていたのだが、シオンは気づいていない。
「メイにお願いして魔導船出してもらおうか?」
あれならば100人の兵士を運ぶだけの運搬能力があるだろうとシオンは思う。
しかも速度もそれなりに速い。
良い提案だとシオンは思ったのだが、蓮弥はそれをすぐに拒否した。
「やめとけ。貴族連中が煩そうだ」
難癖をつけてくる連中と言うものは、どんなささいなことでも見つけ次第そこに噛み付いてくるものだと蓮弥は思っている。
シオンがメイリアにそんなお願いをすれば、どんな文句をメイリアの所に持っていくのか分かったものではない。
「それではどうするのだ? 手詰まりじゃないか」
両手を挙げて万歳をするシオンであったが、蓮弥はそれに追従せずに言う。
「そうでもない。手段を選ばなくていいなら、方法はある」
「そうか、ではそれでいこう」
蓮弥の言う方法の内容も聞かずに即断するシオン。
「お前な。中身も聞かずにいいのか?」
「良いも悪いも、私には代案が無いからな。蓮弥の案に乗る以外ないじゃないか」
少し呆れたような蓮弥の言葉に、シオンは堂々と胸をはって答えた。
態度は立派であるが、威張れた内容ではない。
「考えが無いんだか、思い切りがいいんだか……評価に困る言葉だなそれは」
「とにかく、それで行こう。時間が惜しいのだろう?」
本当にいいのかな、と思う蓮弥であるが、後継者を退いたとは言えこの国の第一公女殿下がお墨付きをくれるのだから、別にいいんだろうなと結論を出す。
「わかった、それで行こう。シオンはフラウと一緒に物資の準備をしてもらえるか? 必要なものはフラウにもう言ってあるから。メイリアの方に請求書を回す形で購入することになっているから、手伝ってやってくれ」
「分かった。任せてくれ」
力強く頷いて、シオンはフラウを探しに行ってしまう。
その背中を見送ってから、蓮弥はその場に残ったまま、誰もいない部屋の中で独り言のように言った。
「本当に来ないんだな?」
「うんまぁ……瘴気の森だとちょっと地元が近いからねぇ」
答えながら壁から染み出すように姿を現したのはエミルだ。
どういう理屈であるのか蓮弥には分からなかったが、たまにエミルは何も無い空間からひょっこり姿を現したりする。
蓮弥以外の目の前で、エミルがそれを行うことは無かった。
だがどうやらその見えない状態のままで、家のあちこちで聞き耳を立てていたり、じっと観察したりしているようだと言うことには、蓮弥とフラウが気がついている。
今の所、プライバシーが侵害されている以外の実害は無い様なので、自分達の所に来ない以上は放置している蓮弥とフラウだった。
「行き先が森だと言うから、クロワールは同行するつもりらしいんだがな」
「フラウちゃんとローナちゃんは居残りらしいねぇ」
「フラウは……家か俺から離れられないからな。しかもあの容姿だから……兵士達に和まれても困る」
フラウはシルキーとして、護っている家かその主人である蓮弥かのどちらかの近くにいなくてはならないと言う制約を負っている。
普段ならばともかく、今色々と殺伐とし始めている兵士達が小さく可愛いメイド姿のフラウを見た場合に、その精神にどのような変調をきたすか、蓮弥には予想できない。
予想できない以上は、今接触させるわけにはいかなかった。
「ローナちゃんはメイリアちゃんと一緒に、一部貴族の牽制に回るってさ」
「苦労が絶えないな。ハゲないといいんだが」
「ローナちゃんの目の前で言うなよ? 泣かれるからねぇ」
冗談めかして笑うエミルであるが、蓮弥から見てもローナは色々と働きすぎなのではないかと思ってしまう。
ただでさえ心配しだしたらキリがないシオンのお守りを仰せつかっていると言うのに、その他の国関連の仕事もちらほらと、手をかけているようだったからだ。
そこに加えて今度はメイリアの補佐で貴族達と、言葉の上だけのことではあるがやりあうともなれば、疲労心労の度合いが酷くなっていても何も不思議ではない。
彼女が男性であったのならば、確かに髪の毛の絶滅を心配する必要があったかもしれないな、と冗談抜きで蓮弥は思った。
思っただけで、代わってやれることでもなかったのだが。
「それでレンヤ。移動手段は何を使うのかねぇ?」
「ん? あぁちょっとお隣にお願いに行って来る。その間にエミルに用意して欲しいものがある」
ちょいちょいとエミルを手招く蓮弥。
招かれるままにエミルは蓮弥へと近づき、その口元に耳を近づけた。
「え? うん? あー……あ、はい。分かったけど……大騒ぎにならないかねぇ?」
「今更だろう?」
魔族のくせして、心配性な奴めと言いつつ、蓮弥自身はお願いの為にお隣であるアズの家を訪問するべく部屋を出るのだった。
翌日、ククリカの街はエミルが心配した通りに大騒ぎとなった。
朝一番から本日も練兵場で訓練をせねばと意気込んでいたキース以下兵士達は、唐突に現れた蓮弥に命じられるがままにいつもの装備を身につけようとして、今回は実剣を装備し、背負い袋は置いていけと言う蓮弥の言葉にほぼ全員がこれから一体なにをさせられるのだろうと心配そうな面持ちになる。
それでも教官の命令は彼らにとっては絶対だった。
実際、日数にして二週間ちょっと蓮弥の訓練につき合わされてきた彼らだったが、最初こそこの狂った訓練に参加させられている自分の身を嘆き、そんな訓練を強要する蓮弥を呪ったりもしたのだが、力をくれてやると言う蓮弥の一言を信じてどうにかこうにか訓練をこなしていた。
しかし、ある時を境として、それまで辛いばかりであった訓練が、何時の間にやらそれでもぎりぎりではあったが、前日よりは楽にこなせるようになり、さらに次の日は前の日よりも楽にこなせるようになったことに気がついた。
蓮弥が訓練の量を減らしたわけではない。
そうすると兵士達の身体が蓮弥の訓練量に慣れた、或いは訓練が必要としている能力に兵士達の能力が近づきつつあるのではないか、と考えられる。
それに気がついてしまえば、後はもうずるずるとその事実に兵士達はハマってしまったのだ。
昨日一発もらって倒れていた攻撃に、本日は3発もらっても耐え切れた、とか。
背負い袋の中に追加の錘を入れたのに、昨日同様動けたとか。
強くなることを望む兵士達が、その実感を体験してしまえばもうそこから抜け出すことができない。
蓮弥が課した訓練をこなせばこなすだけ力がつくのが分かるのだ。
兵士達は、自分達を自分達の知らないレベルに引き上げた蓮弥に感謝の念を抱き、そこから先はもう蓮弥の知らない所で訓練内容がエスカレートしていく。
背負い袋の中の錘の量が増えていたり、鍬の柄にいつの間にか追加で鉛が巻かれていたりするのは序の口で、エミルや蓮弥の魔術の攻撃を、一体誰が一番多く防ぎきるかで賭け事が始まる始末だ。
もちろん、蓮弥はそんな賭けが行われていることは知らない。
ただ、なんだか被弾率が上がって来た気がするなぁとは思っていたのだが。
余談ではあるが、いくらなんでも人族と言うものはそんなにメキメキと音を立てるように成長するものではない。
だが人の身体と言うものは、一旦破壊されるとそれが治った時には破壊された時の条件を克服しようとして身体を強化する能力がある。
本来ならば長い時間をかけて行われるはずのそれを、食事にこっそりと混ぜ込まれている通常手に入らないような貴重な材料と、一応ただの回復剤、実はそんな強力な回復剤その辺では手に入りませんと言うレベルのエミルの薬が短いサイクルで、しかも異常な速度で行わせていたのだ。
人体改造ではなく、元々本人達が持っている能力をブーストしているだけなんだからいいじゃないか、とはエミルの言葉である。
それはさておいても、兵士達は蓮弥に命じられるがままに装備を身につけ、訓練では使わない刃の入った剣を腰に吊るすと、駆け足で蓮弥に指定された街の外の平原へと出る。
時間帯はまだ朝早い時間で、さらに街道からは少し離れた平原を指定されていたので、人目はほとんどない。
その場所ではエミルが既に準備を始めており、彼女の周囲には大の大人が数人まとめて入ってもまだ余裕がありそうな大きさの籠が二十個ほど並べられており、さらになんらかの物資を積み込んだ籠が別に二つほど用意されていた。
籠はその四隅にロープを渡され、何かにぶら下げることができるような作りになっていたが、それだけ巨大な籠を何にぶら下げるつもりなのか兵士達には想像がつかなかった。
「よく来た。兵士諸君」
全員揃うのを待って、蓮弥が声を張り上げる。
兵士達の前に立ち、大きな声でしゃべる蓮弥の隣には、草色のエルフの衣装に身を包んだクロワールが神妙な面持ちで立っている。
兵士達は教官の言葉を聞き逃すまいと、とりあえず疑問等は棚上げしておくことにして、蓮弥の言葉に耳を傾けた。
その真剣さは滅多に見れないエルフの、しかもその中でもかなりの美少女が目の前にいると言うのに、そちらに視線を奪われない程だ。
「先日、メイリア公女殿下より、一つの依頼を受けた。無論それは諸君の訓練とは別件である」
一旦言葉を区切り、蓮弥は兵士達を見渡す。
蓮弥が言葉を切っても、そこに口を挟むものはいない。
「公女殿下の依頼とは、今回諸君らの訓練を担当するに当たり、期間とした区切られた一ヶ月の後に、公国貴族達の目に、その一ヶ月の訓練の成果を見せよ、とのことだ」
ほんの一瞬だが、兵士達の間にざわめきが走る。
蓮弥は視線だけでそのざわめきを抑えて、さらに続けた。
「その成果とは貴族様が仰るには、彼らが擁する兵士達と模擬戦をしろ、とのことだ」
先ほどのざわめきよりも、少し大きなざわめきが起きる。
トライデン公国の兵士と言うのは、貴族関連の人間が義務として参加しているのと、市民等が自主的に志願して参加しているのとが混じって一つの組織を作っている。
それ故に組織としてはそれなりにまとまっているのだが、個々の兵士の質には結構なバラつきがある。
それに対して貴族が持っている私兵と言うのは、貴族の面子にも関わるのかそれなりに金をつぎ込んで腕の立つ者を集めているので、組織としてのまとまりは不明であるが、質は高い者が多い。
キース兵士長以下100人の、蓮弥が訓練を受け持った兵士達は市民からの志願兵だった。
だからこそなのか、貴族と言う存在に気後れを覚えてしまうのと、噂に聞く私兵の強さに果たして自分達で太刀打ちできるのだろうかと言う不安を抱いてしまう。
それが少し大きなざわめきとして現れたらしい。
「騒ぐな。俺は公女殿下の依頼を受けた。勝てない戦等、俺はしない」
自信たっぷりに言い切る蓮弥に、兵士達のざわめきが納まっていく。
もしかして教官殿には何か策があるのでは、と思った兵士達であったが、そんな思いを蓮弥は即座に打ち砕いた。
「言っておくが、策など無いぞ。正面からまともにぶち当たる」
「教官殿……それでは我らには勝ち目が……」
たまりかねたのかキースがおそるおそると言った様子で蓮弥に言う。
そんなキースを蓮弥はちらっと見て、鼻で笑った。
「今のお前達ならば、さして苦労せず勝てると思うんだが、どうにもその考え方がまだ戦に向いていない。勝てそうにないといきなり思ってしまうのがその証拠だ」
確かにその通りかもしれない、と思う兵士達から反論は出ない。
どうしても貴族と平民と言う身分差や、かたや志願兵でかたや金にあかせて集められた精鋭、と考えてしまう。
「そんなお前達の精神を構築しなおし、尚且つ戦闘訓練を行う為に、これより遠征を行う」
蓮弥がそう宣言すると同時に、彼らから離れた位置にあるククリカの街の気配が慌しくなった。
それに気がついた兵士達が何事かと街の方を見れば、物見の兵士や門番の兵士達が慌ててどこかへ走り去っていくのが見え、朝早くから街に入ろうと順番待ちをしている旅人達が、審査もそこそこにまるで逃げるかのように街の中へと誘導されていくのが見える。
「一体……」
何がと言いかけたキースは、背中にぞくぞくと駆け上がるように感じる悪寒に身を震わせた。
それは訓練中に蓮弥が前置き無しにいきなり発動する威圧に良く似ていたが、それよりは幾分弱く感じるものだった。
それでも、蓮弥の威圧に慣らされていなければ、自分達もこの場から逃げるくらいの恐慌に陥っていたかもしれないと思うキース。
その視線の先、空の彼方にキースはいくつもの黒い点を見つけた。
「あれはまさか……」
それは前にも一度、見たことの有るものだった。
その時に見た点は一つだけで、その後ククリカの街に失われて久しい本物の竜騎兵が戻ってきた。
その時に見たものと全く同じものが、キースの視線の先にいくつも見えたのだ。
「バカな! ドラゴン!? しかも複数だと!?」
「うろたえるな兵士長、騒がしい。あれくらいいないと100人も運べないだろう」
「……今、なんと?」
何か蓮弥が信じられないような言葉を口走った気がして、キースは思わず聞き返した。
「だから、100人の兵士を籠に乗せて運ぶのに、運び手のドラゴンがあれくらいいないと、一度に運べないだろう?」
「ドラゴンで? 運ぶ? ……俺達をですか?」
「他に誰を運ぶんだよ……わざわざ竜騎兵のリアリスを通して、騎竜のドラゴンにお願いしたのだから感謝しとけよ、お前達」
限りなく脅迫に近いお願いだったりするのだが、その辺の事情は蓮弥も説明する気がない。
ただ、頼まれたドラ君は半泣き状態だったので、少し無理を言いすぎたかな、とは思っている。
「良いか、諸君。今回の遠征の目的地は瘴気の森だ。そこで戦闘訓練を行い、模擬戦に備える。無論場所が場所だけに、安全とは言えない。むしろ危険だ。だから、参加を拒否する者は残っていい」
徐々に近づいてくるドラゴンの姿。
それに魅入られたかのように、キース達は微動だにしない。
蓮弥は聞こえているんだろうかと言う不安を感じてしまう。
目的地はそれなりに衝撃的な場所のはずだったのだが、そちらに関する反応がまるでない。
兵士達からしてみれば、ドラゴンが自分達を運んで飛ぶと言う現実の前には、もう何が聞こえてきてもさしたる衝撃を受けない気分だった。
瘴気の森は確かに危険地帯ではあるが、ドラゴンに比べればそれほど絶望的な場所でもない。
「ただ、参加した者に関しては。貴族の私兵ごとき、苦にもならない程の力が身につくことは保証してやろう。さて、どうするね?」
尋ねる蓮弥に、キースが背後の部下達を振り返って叫んだ。
「いくぞお前ら! ドラゴンが俺達を運んでくれる経験なんざ、この先何十年生きたって二度と無いぞ!」
「え? そっちなの? そっちに食いつくのお前ら……?」
喚声を上げて籠へと突進していく兵士達。
なんだか取り残されたような感じの蓮弥。
その傍らで事の成り行きを見守っていたクロワールが小さく溜息をついた。
「ノリが、非常に……うざ……もとい、暑苦しい、ですね」
少し流暢に共通語をしゃべれるようになったクロワール。
よく頑張ったよねとその頭を撫でてやりながら、蓮弥は話の持って行き方を間違ったかなぁと一人反省する。
「あれ? シオンは?」
「真っ先に、籠に、突進して、行きました」
答えたクロワールに、良く見てるなぁと蓮弥は感心するのだった。
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