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二度目の人生を異世界で 作者:まいん

勇者降臨のようなもの

これは訓練であるらしい

 地獄というものは、一応神の教えの中にある。
 教会が唯一認めている、天使が人に神の教えを伝えるべく書き記したと言われている「聖典」の中にそれは結構な分量の文章でもって、事細かに説明されていた。
 曰く、生前罪を犯したものが、死後天使の裁きにより落とされる場所で、犯した罪を償うべく様々な責め苦を亡者に与えると言う場所だ。
 長きに渡る責め苦により、人の魂から罪の穢れが浄化され、やがて人はその罪を赦されて再び輪廻の輪に加わることができるのだと言う。
 絶対嘘だと、キースは思った。
 地獄は死後にあるものではなく、今まさにここにあるじゃないかと。
 意識が朦朧とし、身体が水と空気を欲してのどから喘ぎ声が漏れる。
 既に両足は限界を訴えてから相当な時間が経過しているが、足を止めることは許されていない。
 足を止めてしまえば奴が来る。
 あれは絶対に人間じゃない、とキースは思う。
 きっと人の形をした何か。
 地獄に居ると言う鬼は、きっとああ言うものなんだろうと。
 取り留めの無いことを考えている自覚はキースにもあった。
 しかし、何か考えていないと身体がすぐに意識を手放しそうになるのだ。
 いつもならば意識しない程度に着こなしていた装備がやたらと重さを主張してくる。
 背中に背負わされた背負い袋の肩紐が、ぎしぎしときしむ音が止まない。
 その音に紛れるようにして、ばたりと音が聞こえた。
 きっと誰かが倒れたのだろうとキースは思う。
 同じ部隊の仲間が倒れたのだから、助け起すのが本当だが、誰も手を差し伸べようとはしない。
 そんな余力があるのならば、今は一歩でも足を前に進めてアレから逃げなくてはいけないからだ。
 倒れた男が助けを求めるように手を伸ばす。
 助けてやりたい、とキースは思う。
 助けを求めているのは自分の部下である。
 その口からはおそらく、助けを求める言葉が出ているのだろうが、今聞こえるのは掠れた隙間風のような音だけだった。
 助けに行けば、自分も倒れる可能性が高い。
 それでも兵士長と言う立場からも、キースは倒れた兵士を見捨てることができなかった。
 よろよろと、助けを求めている兵士に歩み寄ろうとしたキースは、背後から尻にケリを食らってよろめく。
 普段ならば、何をしやがると食ってかかる所なのだが、キースは尻に受けた一撃の痛みよりも、蹴られた事実に青褪める。
 アレが来たのだと。
 それは余計な真似をしようとしたキースを蹴り飛ばすと、倒れている兵士へと歩み寄る。
 その目は疲れから倒れた兵士を労わるようなものではない。
 完全に、この豚どう料理してくれようか、と言う狩人の目だ。
 その視線に射すくめられた兵士は、ただ黙って目を閉じた。
 観念したのだろう、とキースは目に涙を浮かべる。
 それは倒れている兵士の襟首を掴むと、無造作に持ち上げた。
 装備に加えて背負い袋の中に重しを入れた状態の、それなりに鍛えている兵士の体を片手でだ。
 もちろん、身長差がそれほどあるわけではないので、足が宙に浮くようなことはなかったが、それでも四肢に力の入っていない兵士の身体は非常に重いはずだ。

 「なぁ? 俺そんなに難しいことをしろと言ったか?」

 片手で持ち上げた兵士に淡々と尋ねるのは蓮弥だ。
 その口調は怒るでもなく、あざけるでもなく、本当に淡々と事実だけを確認しているような口調だった。

 「ただ、フル装備で背負い袋に錘を50kgほど突っ込んだ状態で、練兵場の周囲を走れ、と言っただけだぞ? 難しいか? 1時間以内に何十周もしろと言ったわけじゃない。俺がよしと言うまで走れと言っただけじゃないか?」

 そんなに入っているのか、と蓮弥の声が聞こえた兵士達は一様にそう思った。
 彼らの装備は歩兵だったので、騎士のように全身板金鎧だったりはしない。
 主に皮を用いて作られているが、所々は金属で補強されていたり、鎖が巻かれたりしているのでそれ相応の重量がある。
 腰に吊っている長剣も、訓練用ではあるが実戦で使うものと重さは変わりない。
 これらだけでもそれなりの重さになるはずなのだが、そこに追加で50kgの錘と言うのは正気の沙汰とは到底思えない。

 「こ……こんな重し付けられて……走り続けろなんて、無理です。教官殿……」

 苦しい息の下から、どうにかこうにか搾り出した兵士の言葉だったが、蓮弥はそれをばっさりと切り捨てる。

 「女性を一人抱えているようなものじゃないか。国軍の兵士ならば、戦闘中に動けなくなった市民がいたら担いで助けるのが義務だろう? 仲間が倒れたら担いで逃げるのが義務だろう? それとも貴様はそれらを見捨てるつもりか? 泣き言を言うな!」

 「そんな……」

 「第一、見ろ。あの無駄に元気そうなシオンを」

 軽く毒を含んだ声でいきなり話を振られたシオンが、練兵場の真ん中付近でびくっと身体を震わせる。
 その姿はキース達と同じ国軍歩兵用の鎧を着込み、背中に背負い袋を背負った状態で、練習用の長剣をぶんぶん振り回していた。

 「同じ条件で走らせてみりゃ、シオンの走りについていけずに、いきなり初っ端から引き離されたと思ったら1時間程度で数周近く周回遅れになりやがって……」

 そこはキースも信じられない現実だった。
 兵士達と同じ格好で練兵場に現れたシオンは、蓮弥に命じられるがままに走り出し、どたばたとではあったが圧倒的な速力で兵士達を引き離すとそのままあっと言う間に周回遅れにした挙句、わずか1時間の間に数度抜き去ると言う暴挙を達成してみせたのだ。
 相手は紛れも無く大公陛下のご息女だ。
 それが、兵士として訓練を受け続けていた彼らよりも体力に優れていると言うのは一体どう言った詐欺行為なのだろうか。
 汗を流し、顔を赤くして、最後の方は足元がよろついたりもしていたが、それでも1時間走り続けたシオンへ、蓮弥はすぐに別行動を取るように命じた。
 体力的には十分すぎるだろうと思ったのが半分。
 もう半分はそれ以上兵士達と行動を共にさせていると、兵士側の心が折れるだろうと思ったからだ。

 「なぁ? 今どんな気持ちだ? 兵士として訓練を受けてきました、なんて言いながら体力だけではあるが、シオンに遠く及ばないと理解させられた今の気持ちはどんなだ? 護るべきお姫様よりも劣っていると分からされた気持ちはどんなだ? なぁ、何か言ってみろ」

 襟を掴んでいる手を揺らしながら、蓮弥が問いかけると、掴まれている兵士は声を上げることはなかったものの、ぎりぎりと歯を食いしばりじっと耐えている。
 そんな兵士の様子を、つまらなそうに見ていた蓮弥はやがてその襟を掴んでいた手を放す。
 糸の切れた操り人形のように、地面に力なく座り込んでしまう兵士を見下ろす蓮弥は、わずかに身をかがめて兵士に顔を近づけると、そっと囁くように言った。

 「ここで寝ててもいいぞ? どうする? 根性無く諦めるか? お前は一体何だ? ガキか? 兵士か? お前を兵士だと思って雇った奴は相当なバカなのか? この国はお前のような根性無しに高い給金支払ってるのか?」

 「違うっ……1分で……1分でいいから、くれっ!」

 身体を支えるために地面についていた手を握り締めて、兵士が叫ぶ。

 「必ず……必ず追いかけるからっ!」

 「……そうか、諦めないのだな?」

 尋ねる蓮弥に兵士が頷くと、蓮弥は再びその兵士の襟を掴むと今度は軽々と背中に背負う。
 驚く兵士に構わず、蓮弥はそのまま先を行く兵士達の背中を追いかけて走り出した。

 「教官殿!?」

 「一分程そこで休んでろ。それと休んでいる間に俺の走り方を観察しろ。どうにもお前らはバタバタと無駄に音を立てるし、疲れ始めると今度はずるずる足を引きずって無駄に体力を消費する」

 なんの為に人間には頭とか関節とかがあると思っているんだとぶつぶつ説教を始める蓮弥。
 その身体は、背中に居る兵士には分かったがほとんど上下にも左右にも揺れない。
 足音もほとんどさせずに疾走する蓮弥は、軽々と前を行く兵士達を一度抜き去ってから、一周練兵場を回ってまた兵士達の背後へつく。
 成人男性一人と装備と重しが背中にあると言うことを考えれば、信じられない速度に背中の兵士も一度抜かれて周回遅れになった兵士も、ただただ呆然とするだけで声が出ない。
 自分に向けられている驚きの感情や視線を、きっぱりと黙殺した蓮弥は、走る兵士達の最後尾に追いつくと、背中に背負っていた兵士と地面へと下ろす。

 「1分くらいは休んだな? そら、走れ」

 「はい、教官殿!」

 動けなくなるくらいに疲弊した人間が、一分ちょっとくらい休んだだけで動けるようになるわけがない。
 それでも兵士は蓮弥の言葉に大きく返事をすると、歯を食いしばり必死の形相で仲間達の後をついて走っていく。
 それを見送った蓮弥は次の訓練の為の道具をインベントリから引き出して、練兵場の中央へ山と積み始める。
 結局、その持久走は午前中一杯続けられた。
 疲労困憊状態で動けない兵士達に、サイドテールにチューブトップブラ、ホットパンツと言った中々に扇情的な格好をした少女が昼食を配って回る。
 食堂は、面倒を嫌った蓮弥が使うのを嫌がったのと、兵士達のうちだれ一人としてそこまで歩く気力が無かった為使われず、そのまま練兵場での昼食となったのだ。
 配られた食事は柔らかな白いパン、それと対照的な真っ黒なスープに干した果物がいくつか。
 スープは最初その異様さから、兵士達は口をつけることを躊躇ったが、一人だけシオンがさっさとそれらを口に運び始めたのを見ておそるおそる全員が口をつけた。
 見た目の異常さから味に期待はしていなかった彼らだが、口をつけてみればなんと言うこともない、魚介類をふんだんにぶちこんだ海鮮スープだった。
 スープ自体にわずかな苦味があったが、それも気にならないほど濃厚な魚介類の出汁に、概ね好評をもって受け入れられたスープは、少女が背丈ほどもあるような寸胴鍋で持って来たにも関わらず、食事が終わる頃にはすっかり飲み干され尽くしていた。
 柔らかな白いパンも、人数分以上用意されてはいたが、こちらも綺麗に食い尽くされた。

 「レンヤ……あれ、エミルだよな?」

 兵士達の間を愛想を振りまき、手を振りながら歩く少女を指差してシオンが問う。

 「そうだな」

 「レンヤが食べられない物を提供するとは考えてないんだが……大丈夫なのかこれ?」

 「問題ない。毒は入っていない」

 「そう……念のために材料を聞きたいんだけど?」

 「市場で仕入れた新鮮な魚介類に、フラウ特製の家庭菜園の野菜」

 「あ、なんかそれだけでもう駄目な気がする」

 「あと、お隣から仕入れた新鮮な食材から取った出汁」

 「お隣……?」

 お隣と蓮弥が言うからにはおそらく、アズとリアリスが住んでいる家だろう、とシオンは思う。
 しかし、二人とも仕事のある身であり、スープの出汁が取れるような食材を自宅で作っているとは聞いた覚えがない。
 不思議がるシオンの耳元に、蓮弥はそっと口を寄せて囁いた。

 「ほら、あの大きな……あれから2、3枚程ぶちっと引きちぎったのを焼いて磨り潰したのを混ぜ込んであるんだよ」

 「そ、それってド……」

 驚き慌てるシオンの唇に、蓮弥は人差し指を当てて黙らせる。
 その会話は周囲の兵士達の耳にも届いていたが、彼らはシオンが途中まで言いかけた食材に関して興味を抱くことは無かった。
 そんな余裕は無かった、とも言える。
 食べられて美味しければ、細かいことはどうでもいい気分になっていたとも言えた。
 その結果、死んでしまうようなことがあるならば問題であるが、同じものを蓮弥もシオンも口にしている。
 問題があるわけがなかった。

 「教官殿。午後からの訓練の予定は?」

 ある程度休み、食事を口にして幾分体力が回復したのか。
 キースが蓮弥に歩み寄りながら尋ねてきた。
 蓮弥は練兵場の中央に積み重ねてある物を指差して答える。

 「あれを使う」

 「あれ、ですか」

 そこに積まれているのは、無数の鍬だ。
 農作業等に使う、実に一般的な道具である。

 「色々金属を混ぜて重くしてある。鍬の歯から柄に至るまで全て金属製だから、乱暴に扱ってもそうそう壊れることはない」

 「はぁ……それで何をやらせようと言うので?」

 「そりゃ……穴を掘るに決まってるじゃないか」

 何を言ってんだお前はと言いたげな蓮弥。
 キースは頬の辺りをかきつつ、質問を続ける。

 「一体どこにどれだけの穴を掘ればいいので?」

 「全部」

 「はい?」

 短い蓮弥の返答に、思わず聞き返すキース。
 物分りの悪い生徒に、授業を行う先生のような気持ちで蓮弥は練兵場全体を指差した。

 「ここ全部を、お前らの背丈程の深さに掘るの」

 言われたキースは練兵場を見渡す。
 そこはいくつかの部隊が同時に使ったり、部隊同士での模擬戦を行ったりする場所なので当然のごとく広い。
 しかもしょっちゅう兵士達がその上を踏み固めているので地面は相当固い。
 そして穴を掘るのに使う鍬は蓮弥が言うにはわざわざ総金属製で重くしてあると言う。
 そこから導き出される結論は、考えたくないくらいの重労働が待っていると言う現実だった。

 「本気ですか?」

 「本気に決まっているだろう。夕食の時間までには終わらせるんだぞ? 終わらない限りは本日の訓練は終了しないのでそのつもりで」

 にこやかな表情で蓮弥にそう告げられたキースは覚悟を決めざるをえなかった。

 「お前ら! いつまでチンタラと食ってるつもりだ! 死にたくなければさっさと作業に移るぞ! 鎧を脱いで錘を置いて、あそこに積んである鍬を取れ!」

 「あ、こら、誰が鎧を脱いでいいと……」

 「レンヤ、なんだったらここで私が土下座するから、鎧を脱ぐことは認めてやってくれ」

 キースを呼び止めようとした蓮弥を、シオンが背後から羽交い絞めにする。
 さすがにシオンも、これから行われようとしている訓練を、フル装備で行うのは無茶だと思ったらしい。
 シオンが蓮弥を食い止めている間に、兵士達は急いで鎧を脱ぎ、ダッシュで道具を取ると猛然と地面を掘り始める。
 止める間もなく作業が始まってしまったので、蓮弥は装備をつけたままやらせることを今回は諦めた。

 「次回は無いぞ?」

 「レンヤ……君は一体、彼らをどうするつもりなんだ……」

 「一人前の兵士にするに決まっているじゃないか?」

 当たり前だろうと言わんばかりの蓮弥。
 きっと蓮弥の元いた世界では、化物か何かのことを兵士と言うのだろうと思いつつ、シオンは自分も鍬を手に取ると兵士達に混ざって地面を掘り返し始めるのだった。

 「お前ら、姫様が鎧着たままやってるのに、自分らだけ除装して楽をするとは良いご身分だな? この国じゃ公女殿下より国軍の兵士の方が身分が高いのか?」

 「あ……」

 しまった、とシオンは思ったがもう遅い。
 責めるわけではないが、どうして貴方と言う人はと視線で訴えかけてくる兵士達を見ながら、シオンは顔を赤らめつつ鎧を外し始めるのだった。
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