敗北の後の話らしい
朝、キースは自分に割り当てられている兵士用の宿舎で目を覚ました。
いつもならば、目覚めの気分と言うものはそう悪いものではなかったのだが、今日に限ってはキースの気分は最悪であった。
昨日、練兵場にてこれより一ヶ月の訓練を受けるよう命じられたキース以下百名の国軍の兵士達は、その練兵場にてレンヤと名乗る男の冒険者と出会った。
通常、上から命じられることに関して、兵士であるキース達が不満を述べることはまずないが、そこに居た男は軍の関係者ではなく、ただの一般市民。
通常、軍の施設に一般市民が立ち入ることは許されない。
だというのにその男は、至極当然のような顔をしてそこに立っていた。
それだけでも国軍の兵士としての自分に誇りを抱いている兵士達からしてみれば、部外者ごときがと思ってしまうのに、あろうことかその男について一ヶ月訓練を受けろと言うのだ。
これには常日頃、不満をほとんど口にしない兵士達も、キースに対して不満をぶちまけた。
これをキースはもしかしたら、それなりに高ランクの冒険者を連れてきたのかもしれないからとなだめてから尋ねてみたのだが、返って来た言葉は冒険者の中でも最低ランクだと言うものだった。
冒険者の最低ランクなど、登録さえすればだれにでもなれるものだ。
これは一発かまして、このレンヤとか言うバカに己の立場と言うやつを覚えさせなければ、今度はキースが部下からの突き上げを食ってしまう。
そう考えて蓮弥と対峙したキースであったが、そのことをすぐに後悔する羽目になった。
あろうことか蓮弥は、兵士達全員と物理的に語り合うことを提案してきたのだ。
いくら腕に自信があったとしても、ゴブリンやコボルトが群れているのとはワケが違う。
国軍の兵士として認められるほどに訓練された兵士100人と一人で戦うと言うのだ。
普通に考えれば自殺行為である。
それはもう程よくボコられて捨てられるのがオチだと分かりきっている提案を、蓮弥は事も無げにキース達に対して行ったのだ。
しかも、武器も魔術も使用しないと言い放ったその態度に、兵士達の怒りは沸点を越えた。
身支度を終えて、いつも朝食を取る食堂へ向かいながら、キースは溜息をつく。
あれは酷い間違いであった、と。
彼らの兵士としてのプライドのようなものは、その選択で微塵に打ち砕かれた。
たった一人の冒険者相手に、しかも武器不使用、魔術不使用と言うハンデまでもらった状態で、完膚なきまでに敗北させられたのだから。
ただ、打ち倒されたわけではない。
大きな怪我人が出ないようにと、程よく手加減までされた上での完敗だった。
「俺達はもう、ダメかもしれん……」
思わず弱気な言葉が口をつく。
きっと、それだけ無様な負け方をしたと言う情報は、瞬く間に他の兵士達の間に流れることだろう。
そしてキース達は他の兵士達からこう言われるのだ。
公国軍のツラ汚し、と。
無手の相手に、碌な反抗も出来ずに叩き伏せられた無能な兵士だと。
自分のこともさることながら、部下達の事を思うとキースはいたたまれない気持ちになる。
しかし、それらは事実だ。
もっとあの蓮弥と言う冒険者の情報を集めて、もっと下手に出て教えを乞う形にしていれば、少なくとも無能者の烙印を押されることはなかったのだろうが、今となっては全てが遅い。
それでも訓練を休む、もしくは逃げ出すと言う選択肢を選ぶことはできなかった。
自分達を選んだのは、誰あろうあの次期大公となるメイリア殿下なのだ。
逃走は、その殿下の顔に泥を塗る行為になる。
自分達が無能なのは、もう仕方のないことだとしても、その上にメイリア殿下の顔に泥を塗るような真似だけはできない。
後は、歯を食いしばって耐え続けるしかないのだ、と自分に言い聞かせながら、キースは食堂のドアを開け、その先にあった光景に一瞬、来るところを間違えたかと思った。
大人数が食事を摂る食堂は、かなりの広さを有する部屋だった。
そこには細長いテーブルが所狭しと並べられ、いつもならばそこに食事を摂る兵士達の姿がずらりと並んでいるはずだったのだが、今そこには部屋の中央に縦長のテーブルがいくつか置かれているだけだ。
その、上座に当たる場所には、昨日練兵場で見たあの黒尽くめの男。
蓮弥が、椅子に座って足と腕を組み、軽く背もたれに背中を預けている。
何があった、とキースは食堂を見回す。
本来ならば300人ほどが一斉に食事を摂れるだけの規模の食堂だったのだが、今目の前にあるのは両側に10人ずつ座れるテーブル5つのみ。
そして入り口付近には、キースより先に来ていたらしいキースの部下達が青い顔で立ち尽くしている。
視線を食堂の壁際に向ければ、粉々にされたテーブルの残骸が多数。
それに混ざるようにして、人の身体が無数に山を作っていた。
人間とテーブルを巨大な渦でかきまわして、できたもので山を作ったらこんな光景になるかもしれないとキースはどこか空ろな気分になった頭の片隅で思う。
その姿を認めた蓮弥が、椅子に座ったままキースへ声をかけてきた。
「やぁおはよう。ちゃんと眠れたか? 今日は昨日よりきついぞ? さっさと飯を食って練兵場へ行け」
「はあ……」
「どうしたキース兵士長サマ? まだ眠いのか? 目を覚ましてやろうか?」
「いや、よしてください……サマつけるのも目を覚ますのも」
あれだけ無残な敗北を喫したのだ。
いまさらサマ付けで呼ばれるのは、嫌味を通り越して精神的な拷問に近いとキースは思う。
「そうか? サマとか要らないか? ならいいが、ほらさっさと朝食をもらって食ってしまえ」
「いや……えぇ、まぁ……」
促されるままに、食堂と調理場を隔てているカウンターへと向かうキース。
その途中で、人とテーブルの残骸の山の脇を通り過ぎるが、一体何がどうなればこんな状況になるのだろうと首を捻ってしまうくらい、徹底的にその山は破壊し尽くされていた。
どう見ても、曲がってはいけない方向に曲がっている腕や足。
もしかして、テーブルの恨みでもあるのではないかと思ってしまうほど粉々にされた破片の隙間からのぞく彼らの肌は、執拗な打撲の跡が見て取れ、痛々しい青痣が広がっている。
気にしてはいけない、気にしてはいけないと口の中で唱えつつ、キースはカウンターにたどり着く。
その向こうには、見知った顔の調理人達がいたが、全員涙目だ。
本当に一体ここで、俺が来る前に何があったと言うんだ。
そんな絶叫を心の中でしつつ、キースはお盆に朝食を載せると蓮弥の待つテーブルへと戻る。
その戻り道で、キースは入り口の辺りに固まって動こうとしない自分の部下達に、目線でさっさと朝食を取って来いと命ずる。
慌てて部下達がカウンターへと走り出すのを見ながら、キースは無事に残っているテーブルの、蓮弥からやや離れた場所にある席に座った。
黒パンに肉と芋のサラダ。
それに豆のスープがついた食事を見て、蓮弥がぼそっと言った。
「量が足りないし、あまり美味そうじゃないな、それ」
なんと答えたらいいやら分からずに、キースはパンにかぶりつく。
冒険者が良く購入する固いパンに比べれば、まだマシな程度の柔らかさではあるが、それでもやはり固いことは固いパンで、アゴの力と手の力の両方を駆使して引きちぎり、スープで流し込みながら食べる。
「食事の改善もした方がいいかもしれないな。それだけ激しい訓練をするのだし、メイリアに相談してみよう。場所も考えないとダメだ、ここじゃ落ち着いて食べれやしない」
「原因はあんたじゃないんですかい?」
何を言い出すんだこいつは、と思わず口を挟んだキース。
しまった、と思って口を押さえるが蓮弥はあまり気にした様子も無く、逆にキースに問い返した。
「それはこうなる理由? それともこうなった理由?」
「どう違うんですかい、そりゃ?」
「現状、今こうなる理由はお前らが俺一人に無様に負けたせいだよ。つまりお前らが原因」
蓮弥が瓦礫と人の山を指差しながら言う。
キースは渋い顔をするが反論はしない。
「つまり、こうなった理由は……」
「それは俺のせいだな。食堂でワケも分からず、お前らの負けっぷりを笑いの種にしている奴らがいたもんで、そんなに可笑しいのであれば、是非一度体験してみてはどうかと勧めてやった。結果がそれだ」
「あぁ、運の悪い奴らもいたもんで……」
キースは転がったままにされている兵士達の冥福を心の中で祈った。
まだ死んではいないだろうとは思っていたが。
「トライデン公国は軍事国家なんだろう? それにしては兵の質が低くないか?」
また言いにくいことをずけずけと言いやがってとキースは思うが、反論のしようがない。
自分達は昨日、あっさりと敗北しているし、他の兵士達も今現在、壊れたテーブルと仲良くゴミ扱いされている。
この状況下で、俺達とてそれなりの精兵なのだぞと主張するのは、笑いの種以外の何物でもない。
「あんたが規格外すぎるんでしょうよ」
なんとか無難な答えを頭の中から引きずり出して、答えたキースは次の蓮弥の言葉に目を剥く羽目になった。
「その規格外が訓練を担当するのだから、お前らとてそれなりに規格を外れてもらうつもりだぞ?」
「は!?」
「少なくともこれと同じくらいのことはできるようになってもらうつもりだ」
目線でゴミの山を指し示す蓮弥に、思わず立ち上がってしまうキース。
蓮弥は椅子に座ったまま、立ち上がったキースを見上げる。
「無茶を言うな! こんなの俺達にできるわけがないだろう!?」
「何故だ? 同じ人族だろうに?」
「俺達とアンタは違う!」
「一々受け答えがツマラン奴だなぁ」
そんなことできてたまるかと大声を上げるキースを、下から見上げていると言うのに、蓮弥の視線は間違いなくキースを見下したものだった。
言葉に詰まってしまうキースを、椅子に座るように促してから蓮弥は言った。
「俺に教えを請わないとお前らが言った以上、教えてやる義理はないんだが……」
「そろそろ勘弁してくれませんかね? 無知であったことを恥じてますし、この通り謝りますんで……」
根に持つタイプだな、とこっそり思いつつキースは頭を下げる。
蓮弥はしばらくその姿を見つめた後、しゃべりだした。
「……まぁいいが。何故できないと決め付ける? やってみたことがあるのか? 少なくともお前らは俺の訓練を受けたことが無いはずだし、何故その結果を勝手にお前らの方で決めてしまうんだ?」
「そりゃあ……」
「俺のようになれる、とは言わない。俺にも事情が色々とあるからな。けれども別に俺のようになれなくとも、これくらいのことは出来るようになるぞ?」
組んでいた腕を解き、テーブルの腕に肘をついて蓮弥は身を乗り出し、じっとキースを見る。
その視線に絡めとられたかのように、キースは自分を見ている蓮弥の顔から視線を外すことができない。
「なれる、ならしてやると言っているのに、お前らは出来ない、無理だと言う。俺一人に無様に負ける程度の実力と知識しかないお前達が、何故俺の言うことを頭から否定できるんだ?」
「……所々、毒入れて来ますね、あんた……」
「力をくれてやる、と言っているのに欲しくないのか? 一騎当千とまではいかないまでも、100人の部隊が一万の兵に匹敵するような力を、欲しいとは思わないのか?」
「それは……」
キースとて、戦いを生業とする人間だ。
力が欲しいか欲しくないかと問われれば、迷い無く欲しいと答える。
しかもキース達は国を護る兵士である。
力を得ると言うことは、そのまま護りたいものを護りきる可能性が増えることを意味していた。
それが理解できてしまうが為に、蓮弥の誘いはキースや、キースの周囲で二人の話を聞いている兵士達にとってはとても甘く香るような誘いの言葉に思えたのだ。
「要らないならそれでいい。だが欲しくないか? 他の兵士等比べ物にならない戦力が。勇者等と言うものに頼らなくても国を護れるだけの力が。お前達から何かを奪おうとする存在を切り伏せるだけの力が、欲しくはないのか?」
「……ほ……欲しいに決まってるじゃねぇか!」
「ならば俺に従え」
一気に冷たくなった蓮弥の声。
誘われている最中は熱に浮かされるようだった兵士達の意識が、一言で冷める。
そして、彼らは悟らされた。
目の前にいるこいつは、本気なのだ、と。
「俺の言う通りに訓練し、疑いを持つな。言われた事を言われるがままにこなせ。そしてその間に俺から盗めるものを盗め。何を盗めばいいのか分からないならば……先ほどの謝罪を受け入れた上で教えてやろう。だが教えられた技術は盗んだ技術に及ばないと知れ。わかったな?」
「わかりました、教官殿」
短くキースが答えれば、彼の部下も頷く。
それを満足そうな表情で見た蓮弥は、椅子を引いて立ち上がった。
「ならば良し。ここにいない連中には兵士長が言い含めてくれるな?」
「はい、教官殿」
「先に練兵場で待つ。食事を摂ったら装備着装後、全員まとめて来るように」
「はい、教官殿」
「では、食事を続けろ」
そういい残して蓮弥は食堂を出て行く。
その背中を見送ったキースとその部下達は、その背中が食堂の出入り口を潜って見えなくなるまで見送り、見えなくなってから深々と息を吐き出した。
どこまで真実かは彼らには分からない。
だが、あれだけの実力者があれだけ本気で言うのだから、従って損はしないだろう、と彼らは思う。
「ここにいない連中には俺から話す」
キースが言えば、部下の一人が尋ねてきた。
「キース兵士長。……あの山、どうするんですか?」
「ほっとけ……俺らにゃどうすることもできんよ」
片付けに回る気もないキースは、放置を決め込むことにした。
きっとゴミ山を形成している兵士と同じ部隊の奴らが見つければ、救助回収から掃除まで請け負ってくれることだろう。
心配なのは、トチ狂った彼らがお礼参りを蓮弥に向けて行わないかどうかと言う一点だけだった。
もし行えば、同じような山が量産される未来しか待ち受けていない。
何故だかほとんど味の分からなくなってしまった朝食を、無理矢理胃の中におさめつつ、それだけはやってくれるなよと祈るキースであった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。