失敗からの逃走らしい
絡み合っている、と形容したのは間違いかもしれないと蓮弥は部屋の中を覗き込みながら思う。
正確に言うのであれば、ぐったりとして動こうとしない全裸の女性の身体に、全裸の男性の身体が絡み付いて動いていると言う感じだろう。
目から光を失い、腕をだらりと垂らして、揺さぶられる度に首がかくかくと動くその女性の姿はとてもではないが人間の身体と言う印象を受けない。
これではまるで人形のようだ、と蓮弥は思う。
半開きになった口の端からは、涎が垂れるがままになっており、どうやらその女性は相当前から意識を失った状態のまま、嬲られ続けているらしいことが察せられた。
視線を床へと向ければ、そこに転がされている人影も全て女性だ。
年齢も格好もまちまちであるが、唯一共通なのは全員が全裸であると言うこと。
そして全員が空ろな目をして、意識を失っていると言うこと。
部屋の隅へ目を向ければ、おそらくはその転がされている女性達が身につけていたのであろう衣服が山となって無造作に打ち捨てられているのが見えた。
そこには令嬢が着るようなドレスもあれば、メイドが着る様なエプロンドレス、何故だか分からないが普通に街の住民が着ているような普段着っぽいものまである。
ここまで見れば間違いが無い。
「お楽しみ真っ最中か……凄いねこれは……」
ベッドの上で真っ最中なのと、床に転がっているのとを合わせると6、7人はいるようだった。
それをたった一人で全員が意識を失うまで攻め抜いて、尚真っ最中である言うのは、同じ男の蓮弥からしてみて異常じゃないのかと思える。
もしかすると自分が異常に淡白だ、と言う可能性も捨てきれない蓮弥ではあるが。
その視線が部屋の隅で煙を吐き出している香炉に向く。
忘れがちな<鑑定>技能を働かせると、メッセージが流れた。
<報告:鑑定技能 和合香 そう言うお香>
「どう言うお香だよ!?」
思わず突っ込んで、慌てて蓮弥は口を抑える。
「快楽を与え、持続を長くする。そんなお香ですよ。僕には必要ないんですけど……お嬢様方はこれがないと抵抗が激しかったり、すぐ駄目になったりするものだから。ま、これがあっても大概はダメになっちゃうんですけどね」
窓のほんのわずかな隙間から聞こえてきた声に、蓮弥は顔を顰める。
再び覗き込めば、勇者らしき人物がそれまで抱え込んでいた女性の身体を無造作に床に投げ捨てて、ベットの縁に腰掛ける所だった。
蓮弥は窓に手をかけて隙間を広げると、もうここに居ることはばれているのだからとそこからするりと部屋の中へ侵入した。
部屋の中はむっとした熱気に満ちており、窓から漏れ出るのとは比べ物にならない程の濃密はお香の匂いが充満しており、そこに男女の体臭が加わって蓮弥に軽い吐き気を催させる。
「忍者みたいでかっこいいですね! どこの国の手の者なのかな?」
「俺が居る事に……最初から気づいてたな?」
蓮弥の口から出た言葉は、いつもの蓮弥の声よりずっと低く、さらに口にも巻いてある布のおかげかくぐもっている。
「当然。勇者ですよ、僕。城に入ってきたネズミの気配なんて、すぐ察知できるに決まってるじゃない」
「それでも続けてたわけか。大した奴だな」
声に呆れの感情を滲ませながら、蓮弥は少ない灯りの下で勇者を観察する。
緩く波打つ、黒と言うよりは茶色系統に近い髪に、細く整った顔立ち。
鼻筋も通り、彫りも深く、目はくっきりと二重。
蓮弥が思うに、10人に尋ねれば8、9人くらいはイケメンだと答えるだろうと思われる顔立ち。
全裸のままなので、身体つきも見えるがどうにもそちらはあまり武道系とは言えない。
上半身はどちらかと言えば線が細く、肉付きもそれほど良くは無い。
下半身に関しては、蓮弥は見ることを拒否した。
女性のが見たいわけではないが、男性のなど頼まれても見たくない蓮弥である。
「警戒するほどのものじゃないことは分かってましたしね」
「それもまた凄い自信だな。名前を聞いても? 勇者様とやら」
「僕の名はユウキ=ヤツフサ。勇者ユウキだ。覚えておくといい。この世界を救う者の名前なのだから」
ベッドの縁に腰をかけた状態で、両手を広げて堂々と名乗りを上げる勇者に、蓮弥は軽く肩をコケさせる。
てっきり人の名前を尋ねるなら自分が、と言うお決まりのアレをやるものだとばかり思っていたので、肩透かしを食らったような気分になったせいだ。
そんなに名乗りたくて仕方なかったのだろうか、と思ってしまうがユウキと名乗った勇者に蓮弥の内心が分かるわけもない。
「それで? 貴方はどこの誰なのかな?」
「この手の人間に、尋ねて返答の有る問いではないだろうそれは」
「そう? それは残念ですね。そんな気もしてはいたんですけど」
全裸のまま、ユウキと名乗った勇者は蓮弥から視線を外すとベッドから立ち上がり、部屋の隅へと歩いていく。
そこに山と積まれている衣服の中から、ユウキは一見デニムに見えるズボンを引っ張り出すと、無造作にそれを履いた。
イケメンが素肌の上にジーンズとは、一部の人が見たら狂乱しそうな光景なのかもしれないが、蓮弥にそっち方面の造詣はない。
ただ、頭の中ではどうやって逃げようかな、とばかり考えている。
蓮弥がユウキの前の姿を現したのは、ただ単に潜入がばれていたから、と言うだけの理由だ。
見るべきものを見て、聞くべきことを聞いたらさっさと退散するに限る。
「異世界から召喚された勇者、と聞いているんだが本当か?」
「なんで名乗らない人にそんな事を教えないといけないんですかね? まぁいいですけど。そうですよ。僕はこの世界の人達の求めに応じ、女神様に導かれて来たのです」
「迷い人とは違うのか? 出会うのは稀だが、そちらは我々にとってはそれほど珍しくない存在なんだが」
自分が異世界人であることは、蓮弥はユウキに話すつもりがない。
あくまでこちらの世界のどこかの国の間者のフリをして通すつもりだ。
蓮弥の問いかけに、ユウキの顔が不機嫌そうに歪んだ。
「間違って迷い込んだ人達と、望まれてここへ来た僕を一緒にするだなんて。失礼な人ですね」
俺もお前と同類扱いはされたくないよ、と内心突っ込む蓮弥。
もしかしたら少し表情に出てしまっていたかもしれないが、幸い蓮弥の顔は布で覆われていてその表情が相手に伝わることはない。
「本気で勇者として魔王と戦う気か? これほど色々食い散らかして今更やりませんとは言えないだろうが」
「えぇ。だって魔王を倒してこその勇者じゃないですか」
「正気とは思えないな」
「正気ですよ? それに僕が勇者である限り、人々はこの力と血と身体に群がるんですから」
蓮弥は身体を滑り込ませた窓際から動かない。
ユウキはそんな蓮弥の方を見ようともせずに、床に転がったままの女性の一人を髪を掴んで引きずり起こした。
起こされた女性は、髪をつかまれているせいで痛みを感じているはずなのに、低く小さく呻き声を上げる以外の反応が無い。
その頬を、ユウキの舌がべろりと舐め上げた。
「たまらないでしょう? 食べ放題ですよ? 食べ物も女の子も。奴隷だって作り放題。あの子がいいなと言えば夜には用意されているなんて、至れり尽くせりだと思いません?」
「男としては、常に食いたい放題やりたい放題ってか? ……思った以上にクズだなお前……」
「誰も僕を止められませんしね。僕の機嫌を損ねれば、魔王を倒すものがいなくなる」
「おしゃべりだなぁお前……」
「ええ、ちょっと溜めがいるものでして」
溜め? と言う疑問を覚えるよりも先に、蓮弥の身体はそれに反応した。
何も持っていないはずのユウキの手に握られたのは、幅が広く華美な装飾の施された長剣。
それが蓮弥からはかなり離れた位置で、蓮弥めがけて一振りされたのだ。
刀身は届くはずもない距離だったが、蓮弥の身体は攻撃の気配を察知して床に転がる。
その上を不可視の刃が通り過ぎ、窓を一文字に切り裂いた。
「おや、かわしましたか? 勘がいいんですね」
「いきなり攻撃か、物騒な奴め」
一撃をかわしてからすぐに蓮弥は立ち上がって身構える。
いつまでも転がっていては、追撃の良い的になってしまうがユウキはすぐには追撃を仕掛けては来なかった。
「いえいえ。だってこの場合、貴方が不法侵入者で犯罪者ですよ? アメリカだったら撃たれてるところですし」
一瞬納得しかけて、すぐに蓮弥は驚いたような声を作る。
「随分と物騒な所から来たのだな」
さもその「アメリカ」と言う場所が、ユウキの元の世界で住んでいた国であったと取れるような蓮弥の言葉に、ユウキが長剣を肩に担ぎつつ呟く。
「ふむ。アメリカを御存知ではない、と」
なにやらカマをかけられたようだったが、蓮弥はそれに関わるつもりはない。
今の一撃で半壊した窓をちらりと見ると、床を蹴って背中から窓へ体当たりをし、そこを突き破って外へと飛び出す。
もちろんそこは地面から遥かな高さの空中だ。
そのまま何もしなければ、落ちるに任せる以外になくなる。
既に勇者に発見されている以上は、こっそりとか穏便にとか言っている状況ではない。
蓮弥は無詠唱で風の魔術を起動させて全身に風を纏うと、そのまま王城の敷地の外目掛けて一直線に飛ぶ。
眼下ではようやく頭上の異変に気がついたらしい兵士達が、慌しく動いたり、何か叫んで空を指差したりしていたが、取り合っている暇も無い。
蓮弥の魔力を背景にした飛翔速度であれば、王城から逃げ出すのなど一瞬のはずだった。
しかし蓮弥は、王城の外に出ることができずに、空中で停まらざるを得なくなる。
その進行方向の先には、剣を携えたユウキがニヤニヤと笑いながら立っていたからだ。
もちろん、足元には何も無く、ユウキは先ほどの部屋から一瞬で蓮弥の進行方向へ移動し、かつその状態で浮遊していると言うことになる。
「追い越された覚えがないんだが?」
「浮遊と短距離転移ですよ。勇者ですからこのくらい簡単なことです」
手にしていた長剣の切っ先を蓮弥へつきつけて、ユウキが言う。
「これは聖剣ティルヴィング。その切れ味は鋼すら切り裂く」
「それはまた大層な剣で」
「その身で味わいたくなければ投降してください。どこの国の間者か分かれば、そこの国の弱みを握れますからね」
聖剣と言うものがどれほどのものか蓮弥には分からなかったが、わざわざ名前までつけるのだから鈍らと言うことはないだろうと思う。
だとすると、今インベントリに収納してある自分の刀で打ち合うことが可能かどうか、と言う疑問が出てくる。
「弱みが握れれば、またそこの姫なり何なりを献上させられるでしょう?」
「本当にクズだな……」
「実は僕、貴方が迷い人じゃないかと思ってたんですよ」
いきなり変わった話題に、蓮弥は訝しげにユウキを見る。
ユウキは突きつけた切っ先を微動だにさせずに言葉を続けた。
「明日、僕に献上されるお姫様の身の回りに、そこそこ腕の立つ迷い人が居ると言う情報がありましてね」
バレてる、とはおくびにも出さず蓮弥は黙ってユウキを見つめる。
「身の程も弁えずに忍び込んでくるんじゃないかって思ってたんですよ。アテが外れてしまったみたいですけど」
「それで?」
「アテが外れたら外れたで。何か別のいいことがないと、骨折り損のくたびれもうけってやつじゃないですか」
蓮弥は答えない。
こちらの世界に骨折り云々の言い回しがあるのかどうか、分からなかったからだ。
ここで妙な反応をすれば、なんでそれを知っているのかと問われることになる。
「最近、姫とかは食傷気味なので……生きのいい女騎士とかいてくれるといいんですけどね」
にっこりと笑いかけられた蓮弥は、頭のどこかで何かがぷちっと音を立てたような気がした。
このままで行くと、明日にはシオンをその毒牙にかけようかという目の前の男が、ぬけぬけと姫は食傷気味と抜かした上に、次は女騎士がいいと口にした。
シオンがあれほどの覚悟をした上でここへ赴いていると言うのにである。
さらに蓮弥が知る女騎士と言えば、今は僧侶であるが、元は騎士であったローナが思い浮かぶ。
この勇者とやらはそのことを知れば、次はローナまで食う気になるのではないか。
蓮弥の所持する技能のうち<無詠唱><術式並列起動><高速充填>が一気に最大起動し、人並み外れたと言う形容すら生ぬるい、蓮弥の魔力を吸い上げる。
「女性ってのはな……」
「ん?」
蓮弥の声に異変を感じたのか、ユウキが首を傾げる。
その顔が、何かに気がついたのかはっとした表情に変わり、剣を握っていない方の手で自分の耳を抑えながら空を見上げた。
それは眼下にいる兵士達も同じだったらしく、武器を取り落として耳を押さえつつ空を仰ぐ。
急激な気圧の変化が、その場に居合わせたものに激しい耳鳴りを発生させていたのだが、勇者も兵士達も、その原因についてはさっぱり分からないまま、なんとなく気配を感じて空を見上げたのだ。
そしてその行為は、間違ってはいなかった。
「女性ってのは、お前に食わせるエサじゃねーんだよ、消え失せろこの阿呆がぁっ!」
激情のままに、蓮弥が発動した魔術は風系統の最上位に位置するうちの一つ<轟雷>。
その発動の瞬間、天と地を青白く光る巨大な柱が繋いだ。
後日談ではあるが、その巨大な光の柱は聖都を中心とした半径数十kmの範囲にある全ての地点から見ることが出来た上に、その後に起こった轟音と振動は、聖都全域を襲い、家が崩れたり、窓が破壊されたり等と言う多大な被害を引き起こした。
直撃を受けた王城の一角では、直径十数mの深々とした穴が地面に穿たれ、直撃した建物や兵士達は当然のように残らず蒸発。
勇者はぎりぎりの所で短距離転移による回避に成功したが、余波でそこそこと言うにはやや深いダメージを受けた。
そして当たり前のように、どこかの国の間者らしき男の姿は、光の柱が消え去った後にはなくなっていたのである。
+注意+
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