準備と作業らしい
改めて自分のいる世界について調べると言うのは、蓮弥にとってなんだか妙な気持ちになる作業だった。
何故に今までその事に関して放置してきたのだろうと思ってみたり、使わない知識なのだから必要になるまで放置していただけじゃないかと自己弁護してみたりした蓮弥であるが、いざ調べようと思うとこの世界、実は住人もあまりきちんと地理等について調べていないと言うことが分かってしまう。
これは一般的な市民が手に入れられる情報から調べた結果なので、実際政治を動かしているような地位にある者達の手の中にある情報はもっと正確で詳細なのかもしれなかったが。
第一に、蓮弥が元の世界で見ていたような地図がない。
街から街へと移動する道筋を調べようにも、冗談抜きで「この街道を真っ直ぐ何日か進めば着く」程度の情報しか流通していないのである。
これには流石に蓮弥も閉口した。
紙の上だけでは、ククリカから聖都までの道筋を調べる術が無いのだ。
仕方なく蓮弥は、熱っぽい身体に鞭打って、ククリカの街の酒場にくり出すと、適当な商人っぽい風体の中年男性を捕まえて、酒やら料理やらをおごりつつ情報収集に勤しんでみた。
結果、分かったことはククリカの街からトライデン公国の首都であるゴーシュと言う街までが馬車でおよそ一週間程度の道のり。
ゴーシュから国境を越えて、聖王国の首都である聖都までが、馬車でぎりぎり三週間くらいと言う距離であるらしい。
ざっと頭の中で計算してみると、ククリカからゴーシュまでが600~700kmくらい。
ゴーシュから聖都までが2000km以上離れていると言うことのようだった。
この話を聞いた後、蓮弥は自分がいる世界の大陸の無駄な広さにげんなりとし、フラウにシオンの現状維持は適当な所で切り上げるように指示を出しなおした。
行って帰ってくるだけで2ヶ月かかる計算である。
2ヶ月も寝たきり状態にシオンを置いておけば、確実に全身の筋肉が落ちる。
人と言うものは数日完全に寝たきりにするだけで、筋力の衰えが実感できてしまう程、衰えるのは早い。
それを取り戻すためには、何倍もの日数の鍛錬を必要としてしまう。
シオンは一応剣士である。
ただでさえ未熟だと言うのに、その上さらに筋力まで落ちてしまったら、シオンがまともな剣士になれる日は遥か遠く彼方へと遠ざかっていってしまう。
それは、一応この世界においては剣士に分類されるであろう蓮弥にとって忍びないことであった。
いかにシオンの貞操と引き換えだ、と言ってもだ。
それに動けない状態であれば話は簡単だったのだが、別段動ける状態にあっても、事態が進んでしまえばシオンの状態には左右されないだろうとも蓮弥は思っていた。
その点からいくと、この世界の大陸の広さは良い方向に働いているとも言える。
仮に不味い方向へ行った場合でも、お前のためなんだからの一点張りで押し通すつもりの蓮弥である。
「今回私はお留守番しますね」
早い段階で留守番を申し出たのはクロワールである。
エルフである彼女は、ククリカの街くらいならば普通に出歩きもするが、トライデン公国の首都のようなかなり人口の多い都市へ顔を出すのには少しばかり抵抗があるらしい。
さらに、エルフと言うものは聖王国と言う存在には含む所がいくつもあるらしい。
「あそこは人族の神を祭っている神殿が最大の権力を持っているんですけど、それ故にか人族至上主義で他の種族を下に見る人達が多いと聞いています。……エルフの私が入都したら、トラブルの種がそれはもう掃いて捨てて売っても腐るくらいに舞い込んでくるでしょうね」
顔に嫌悪感をあらわにして言うクロワール。
「正直に言いまして、今回の勇者騒ぎにかこつけて、滅びればいいのにとか思ってます」
「クロワール……エルフ語でしゃべってるだろ?」
「シオンさんは病床ですし、ローナさんは看病でいないのですから、いいじゃないですか」
言われて見れば、現在蓮弥の家の中で動けるメンバーは全員、エルフ語がしゃべれる者ばかりだ。
と言うよりも、しゃべれないのはシオンただ一人だったりするのだが。
ローナの存在を気にしているのは、おそらくローナが僧侶であり、聖王国への誹謗については敏感なのではないかと思っているかららしい。
「人族って一神教なんだなぁ」
「神様の名前は不明ですけどね。これはまぁ人族に限ったことではなく、エルフとかも同じなんですが」
「そうなのか?」
「ええ、その御名を口にすることは不遜であるとして、伝来されていないんです。これはそれに連なる天使に関しても同じなんですよ」
思わぬところで教わったマメ知識であった。
「エミルの方はどうなんだ?」
「順調……とは言い難いかねぇ。何せ数日でアレから一式組み立てるんだろう? もう寝る間も惜しんで突貫工事中だよ。面白そうだからいいけどねぇ」
エミルは蓮弥から依頼されたものの製作中だった。
それが何であるかと言うことを知るのは、蓮弥とエミルとフラウだけであり、シオンとローナはもちろんとしてもクロワールにも知らされてはいない。
作業場所は主に、工房から降りれる地下室で行われており、その作業内容は蓮弥にも秘密とされていた。
「ただ、作るだけなら簡単なんだけど、色々とレンヤ君が制約をつけるものだから……」
「いやだってなぁ、それ廃棄前提のものだし」
「まぁねぇ、それにレンヤ君達の気持ち的にも、いつでも廃棄できるような代物でないと、作らせるのも使うのも罪悪感を伴う、って言う所なんだろうねぇ」
「そりゃまぁ……」
「大丈夫だよ、レンヤ君。まぁ私に任せておきなさいってねぇ」
エミルの作業が極秘裏に行われているのに対して、フラウの作業はおおっぴらに工房で行われていた。
しかしながら、その作業内容を見に来るものは蓮弥以外いない。
何故かと言えば、その作業が非常に気味の悪い上に、相当な悪臭を放つものだったからだ。
「マスター、そこにあるビン取って欲しいの」
工房に備え付けられている炉の上で、天井から吊るされた大きな釜の中に様々な素材を放り込み、ぐつぐつと煮込んでいる様子は、そのまま物語の中の魔法使いのようだった。
そんな様子で釜の中身をかき混ぜているフラウに頼まれた蓮弥は、テーブルの上においてある幾つかのビンを手に取る。
「どれだろうか?」
「その真っ赤なビンなの」
ビンは中身によってなのか、様々な色に色分けされていた。
その中から、毒々しいまでの赤さで彩色されているビンを蓮弥は掴み取ると、フラウへと手渡す。
釜から立ち上る真っ黒な煙は、まともに吸い込むとセキと涙が止まらないほどの刺激を与える代物で、そのまま外へ放出すれば、ご近所さまから大量の苦情が舞い込むほどのものであったが、フラウは蓮弥にお願いをして、この刺激臭たっぷりの黒煙を、風の魔術で吸出し、そのまま空高くまで一気に上昇させてから拡散させることでその問題をクリアしていた。
フラウ自身、簡単な風の魔術であれば扱えないこともなかったのだが、この煙が人に害を与えないくらいの高度まで舞い上げるには、やや力不足であったのだ。
それ故に、フラウの作業中は蓮弥が常に傍らにいなくてはいけないと言う状況になっている。
「それ、中身は一体何なんだ?」
「オオサソリの毒腺なの」
ビンの口を開け、中身を釜の中へと一気に投入するフラウ。
中から出てきたのは、真っ黒に染まった内臓のような塊だった。
「毒だよなそれ?」
「毒なの」
「依頼しておいてなんだが、大丈夫なのか?」
黒い液体のような、塊のような物体が入った釜は、さらにもうもうと煙を上げ始める。
蓮弥はそれをまとめて凝縮し、かなりの高度まで打ち上げてからそこでバラバラにする。
その作業中に、蓮弥の視界にメッセージが走った。
<報告:鑑定技能 毒煙 Lv3>
「なぁフラウ。レベル3の毒ってどんな毒なんだ?」
「優しい毒なの。中級の法術で解毒可能なの」
それは翻すと初級の法術では既に手に負えないレベルと言うのではないか、と思う蓮弥だ。
同時にこんなものを適当に捨ててしまっていいのだろうかと言う疑問も沸き起こる。
しかし、疑問に感じた所で蓮弥としてはその煙はどこかに捨ててこなくてはいけない。
無害化する技術も知識も、蓮弥には持ち合わせがないからだ。
風で集めて閉じ込めた煙の塊を前にして、難しい顔をしている蓮弥に気がついたのか、フラウが釜をかき混ぜる手は休めずに言った。
「心配しなくても、大気に触れると一日くらいで劣化して無害化するの」
「そうか」
それでも間違って誰かに被害を与えないように、蓮弥はしっかりとそれを見えなくなるくらいの高さまで打ち上げてやることにした。
「マスター、その程度の毒で驚いていたら、今作っている毒なんて使えなくなるの」
「そんなきっつい性能になるのか、それ」
「んーと……」
右手をアゴに当て、左手は釜の中身をかき混ぜる棒を握ったまま、焦げ付いたりしないようにぐるぐるとかき回す作業を続けつつ、少し考えたフラウは、やがて恐ろしい内容を口にする。
「レベルで言うなら9になるの。専用の解毒剤を用いても高確率で解毒に失敗するレベル。法術なら高位の解毒法術でも解毒不能。お店で売ってるような解毒薬なら、解毒は絶対無理なの。それと万能薬とか霊薬のような高位回復剤でも完治は無理」
「え……?」
何かとんでもないことを聞いたような気がした蓮弥だが、しゃべっているフラウはなんでもない事であるかのように淡々と説明を続ける。
「効果はほぼ永続なの。一度侵された上で高位法術による機能回復も無理。……ちなみに、このレベルの毒薬を作れる薬剤師は大陸広しと言えども、数えるくらいしかいないの」
「何故、フラウは作れるんだ?」
当然出てくるであろう疑問をぶつけてみる蓮弥。
その質問に、一瞬フラウの動きが止まった。
しかしそれは本当に一瞬のことで、すぐにかき回す作業は再開される。
「そう言われると、確かになんで作れるのかわからないの」
「おいおい……」
「フラウ、元々は服飾専門の妖精のはずなの。でも、何故か作れるの」
なんでだろうねーと首を傾げるフラウ。
その動作に、それ以上追求してみた所で答えは出ないのだろうと思う蓮弥であったが、実の所はフラウ自身、心当たりはあった。
それは蓮弥の屋敷に、そこそこの頻度で送り込まれてくる者達に関することだった。
蓮弥の屋敷に入り込んだ時点で、現在のところほぼ10割が帰らぬ人となっている。
その亡骸は庭に住む者達の重要な栄養源として利用されているのだが、その精神と言うか、魂と言うか、そう言った物は一部は地下室に住んでいる者達のエサとなり、大半はフラウが取り込んでしまっているのが、蓮弥も知らない事情なのだ。
当然のように、それらのもつ経験や知識は全てフラウのものになっている。
おそらくはそう言った者の中の誰かが、毒薬の専門家だったのだろうとフラウは思っている。
ただこれは、蓮弥には伝える必要の無いことだともフラウは思っていた。
「そんなことよりマスター、ローナ姉様への根回しは終わったの?」
「まぁ一応……シオンの貞操に関わることだから、と説明して協力してくれるよう頼んだ」
「ストレートなの」
どうしても今回のことに関して言えば、ローナの協力が不可欠であった。
そもそも蓮弥達だけでは、トライデン公国の上の方へ話をつけることができないし、聖都に出立する日時や、詳細な行程の情報も入手することができない。
トライデン公国側からしてみれば、継承権は無いといっても第一公女である。
まかり間違って盗賊の類に情報が漏れて、その身柄目的に襲撃されたりしてはたまらない。
だからこそ、それらの情報はかなり秘匿されていた。
「いきなりシオンが倒れたせいで、周りは大騒ぎなんですからね」
協力を申し込まれたローナは、蓮弥がシオンに薬を盛った事を聞かされるとそんな恨み言を言った。
それでも蓮弥の行動が、シオンが望まない事態にならない為なのだと聞かされれば、否応無く協力することに頷いたのである。
「全てシオンの為、と言うことで目を瞑ります。それと、レンヤならなんとかしてくれるものと信じて、情報も流しましょう」
そう言ってローナは蓮弥に自分が知っている情報を逐一、横流ししてくれている。
無論、バレれば大罪に問われるおそれがある行為だ。
もしバレてしまったら、シオンとローナの身柄を拉致して、エルフの国辺りに逃亡するつもりでいる蓮弥だったりする。
「体調不良で延期になっていた出発ですが。本日より三日後の早朝出発することに決まりました」
「シオンの体調がまだ戻っていないのに?」
「勇者様を待たせるわけにも行きません、と言うのが建前で。本音は別に体調不良だろうが意識不明だろうが、ベッドに横になってればいいんだから、と言う外道の後押しがあったようです……」
新しい情報を報告に来たローナは、ぎりぎりと歯軋りしつつそう言ったのが、シオンが倒れてから二日目のことであった。
そのあんまりな本音に、蓮弥は顔を顰める。
確かに、そっちが狙いなのだから、本人は意識があろうがなかろうが、体調が良かろうが悪かろうが関係ないと言ってしまえばそれまでなのだが、あまりに下種の所業すぎないかと蓮弥は思ってしまう。
「貴族の中に阿呆がおりまして……勇者にシオンを食わせるのが遅れれば遅れるだけ、心証が悪くなるだろうとか言い出しやがりまして……大公陛下もその意見を抑えきれなかったようで」
怒りが一周通り越して、目が据わってしまっているローナに、蓮弥はその肩をぽんぽんと叩いて、その阿呆の名前を後でリストアップしておけ、とだけ伝える。
その言葉に幾分怒りが収まったらしいローナに、蓮弥は続けて尋ねた。
「そうは言っても、聖都まで片道一ヶ月くらいかかるんだろう?」
「ええ、ですがそんな悠長な事を言ってられませんので、行きの行程には魔導船が使われます」
「なにそれ?」
初めて聞く単語に蓮弥は詳しい所をローナから聞き出そうとするが、ローナは慌てて首を振った。
「詳しくは私にも分かりませんよ。魔術で動き、陸の上を走る船、と言うくらいのことしか」
その説明ではさっぱり分からない蓮弥だったが、詳細に関しては考えないこととして、聖都へ行く高速の移動手段なのだろう、とだけ思っておく。
「その船の聖都までの所要時間は?」
「二日、だそうです。私も乗ったことがないので、事実かどうかは分かりかねるのですが」
事実だとすれば、相当な速度の乗り物である。
さらに、おそらくかなりの大きさのものなのだろうと蓮弥は推測した。
いかにシオンを勇者に献上するのが目的とは言っても、公女を一人だけ聖都に送るような真似はしないはずであり、当然ながらそれなりの規模の供が着くはずで、それらを一度に送り届けられるだけの規模の移動手段でなければ、意味が無いからだ。
「密航できるだけの隙があればいいんだが……最悪は別ルートで行くしかないよな」
次から次へと面倒なことを、と蓮弥は深々と息を吐くのだった。
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